第8号
一地方都市の現場から見た地方自治の今日的課題
佐藤 孝志
佐藤 孝志
(高岡市長)
1939年生まれ。東京大学法学部卒業。大蔵省入省の後,理財局特別財産課長,国税庁調査査察部査察課長,内閣審議官兼国鉄再建監理委員会事務局参事官,国税庁直税部所得税課長,大臣官房会計課長を経て,88年より現職(再選)。
1 はじめに
我が国で「地方の時代」ということが叫ばれて,既に20年近くとなっている。この言葉の背景にあるのは,大衆民主主義の出現に伴って市民的権利意識に目覚めた国民が自分の身近かな存在である「地方」あるいは「地方自治」への関心を高め,地方の政治的経済的自立や地方文化の重視を主張するようになったということであろう。この間,国の臨時行政調査会,臨時行政改革推進審議会,地方制度調査会等が「官から民への改革」とともに「国から地方」への改革を掲げ,国と地方の機能分担の見直しや地方の行財政強化のための方策を何度も広範囲にわたって提言している。
これらの主張や提言は,一言で言えば,「地方分権」の推進を提唱するものであり,それらのうち何程かは数次にわたる法改正や実際の地方行政運営における改善として既に実行に移され,確かに時代は地方分権化の方向へ動いていると言えよう。しかし,その歩みは遅々たるものと言わざるを得ない。
「地方分権」は最近ではほとんど流行語と化しているが,そもそも地方分権は何故必要なのか,地方分権を推進するために,地方自治体はどのように取り組めばよいのか,住民や国民の信頼を得るために地方自治体は何を行うべきであろうか,ということが問われているように思われる。
筆者は,進学とともに故郷を離れ,学卒後25年間にわたって中央官庁に勤務していたが,たまたま縁あって出身地の市長職に就き5年が経過している。経験豊富な自治体の長が多い中では未だ駆け出しの身であるが,高岡市(注1)の置かれている状況から積極的な地域活性化策と徹底した行財政改革を遂行しているところであり,これらの実務を通じて,地方自治の強化あるいは地方分権の推進について,若干の考えをもつにいたっている。
国・地方を通ずる行政について学問あるいは実務の面で造詣の深い方々にとってはおそらく物足りない論考になろうかと思うが,以下に,一地方都市の現場にある者の立場から国での勤務経験も踏まえつつ,いわば体験論的に「地方自治の今日的課題」を展開することとしたい。
2 地方自治に期待されていること
明治以降の中央集権的,官僚統治的な地方行政の体制に替わって,欧米流の近代的な地方自治が導入されたのは周知のとおり日本国憲法及び地方自治法によってである。しかし,地方自治の観念そのものについては,憲法は自明のことであるという理由からであろうか,第92条で単に「地方自治の本旨」と述べているだけである。地方自治という観念は,欧米先進国において長い歴史的な経験を経て成立した制度上の観念であり,その観念の内容や現実の地方自治の仕組みは国によって区々である。したがって,これが地方自治であるという定まったタイプはないのであるが,一般に,国家内の一定の地域を基盤とする地域団体が国から独立して自らの権限と責任において地域内の行政を処理するという「団体自治」の要素と,一定の地域内の行政が住民参加を得て,住民の意思と責任に基づいて行われるという「住民自治」の要素から成り立っていると言われている。
前者は中央集権に対する地方分権の建前に立っており,後者は地方行政において民主主義を要請するものである。
それでは何故近代国家においてこのような地方自治が必要なのであろうか。このことについては様々な論及,解説がなされているが,私は次のように整理することとしたい。
第一の根拠は,一定の地域内の住民の日常生活にかかわりの深い行政については,地域の実情や地域的な利害の状況を十分踏まえて政策決定や執行がなされるのが効果的であるということである(地域性の重視)。もちろん,国においてもそれぞれの省庁の地方出先機関で,所管地域の実情や利害関係の把握に意を用いているにしても,その程度は,もともと各省庁が全国的に一律で行う事務を各地方でいわば地域割で行うという性格のものであるので,概して地方自治体による把握の程度には及ばないであろう。
第二の根拠は,地域性の高い各種の行政事務は相互に密接に関連するものが多いので,一つの行政主体によって総合的に政策決定や執行がなされるのが効果的であるということである(総合性の確保)。国の行政機関においては,その総合調整の任に当たる内閣官房はあるものの各省庁の独立性と各省庁内の指揮命令系統,俗な言葉で言えばタテ割制が極めて強く,中央においても地方においても行政の各分野にわたる諸政策の総合調整が容易でない状況である。これに対して,地方自治体の行政機関においては,部局によって仕事の分担はあるものの国の各省庁のような独立した組織があるというものではなく,しかも,直接選挙で選ばれることからリーダーシップを発揮しやすい知事や市町村長の下で比較的容易に総合調整が行われている。なお,地方に国の総合的な出先機関を置いて総合性を確保するという行き方もあろうが,所詮は総合出先機関といえども,その各部局は中央各省庁のタテ割的な指揮統制を受け,所期の意図は果たされないであろう。
ところで,筆者は「地域制の重視」にせよ「総合性の確保」にせよ効果的であるという曖昧な用語を使ったが,これは行政学や実際の行政で重視する「効率性」,「能率性」という用語を使うと,ともすれば誤解される虞れがあるからである。「効率性」とは,一般に「最小の労力と経費によって最大の効果を実現することである。」と言われているが,行政における効率性とは,単に経済性があるとか予算が少なくて済むとかいう「機械的効率」の観点だけではなく,同時に,それがどれだけ国民や住民の福祉の向上に役立ったのか(福祉に対する有効性),また,どれだけ国民や住民の意思・ニーズに配慮したのか(民主性への配慮),という観点からの評価も必要である。「効率性」という概念がこのように広い意味をもった概念,いわば「社会的効率」というような概念として理解されるのであれば,最早効果的であるという用語を使うまでもないであろう。
地方自治が必要な第三の根拠は,政治に対する民主的統制は,国政に対してだけでなく,地方行政に対しても適用されるべきであるということである(民主性の確保)。国民の政治参加を基礎とする民主主義あるいは民主的統制はとかく国政の場だけにおける大原則と受け取られてきたが,国民にとって身近で馴染みやすい存在である地方行政こそ,参加・監視の機会が確保されやすく,民主主義あるいは民主的統制が機能しやすいはずである。
以上のような私なりの論考に対して,それはあまりにも自明のことではないかとの念をおもちになる方が多いであろう。しかし,地方自治の強化とか地方分権の推進を主張するには,まず,地方自治とは何であるのか,地方自治が何故必要なのか,さらには何故中央集権ではなく地方分権なのかという地方自治についての原点認識をはっきりとさせなければならないのではないか。今日まで地方分権化のための努力が間断なく真剣に行われているものの,その歩みが遅々として進まない理由の一つは,一部の先進的な地方自治体は別として,肝心の地方自治体自身の職員・住民等に,地方自治の観念が抽象的にしか理解されず,地方自治を自らにかかわる重要な課題として主体的に認識し,その推進を目指して積極的に取り組んでいこうとする意欲に欠けるところがあったことではなかろうか。これでは,広く国民一般から地方自治の強化や地方分権の推進に対する共感や支援を十分に得られないという気がしてならない。
3 地方自治の課題
激しく変化していく内外の社会経済情勢の中で,今日地方自治体には長寿社会への対応,良好な生活環境の保持形成,生活基盤・産業基盤たる社会資本の整備等,住民生活の質の向上と地域の活性化に結びつく施策が強く求められている。地方自治体は地域の住民に一番身近な総合的な行政主体として,新しい時代にふさわしい豊かで活力のある地域社会の実現に向けて,その役割を積極的に果たしていかなければならない。
私は,そのためには,次の三つの課題があると考えている。
(1) 地方自治体の自主性・自立性の強化
(2) 多極分散型の多様な国土の形成
(3) 地方自治体自身の体質の強化
以下,順次述べていきたい。
(1) 地方自治体の自主性・自立性の強化
〔国から地方自治体への権限委譲〕
a 権限委譲の必要性
国と地方自治体は,本来,対等の機関として,国・地方を通ずる全体の仕事を機能的に分担し合っているものである。「対等」ということについては,戦後の近代的な地方自治に先立つ中央集権的,官治的な体制が長かったせいか,国を上部機関,地方自治体を下部機関とみて,あたかも両者は支配服従の関係にあるというような考え方が,n方自治体側にも国民一般の意識の中にも今なお根強く残っているように思われる。まず私たちは,このような前近代的な観念から脱却しなければならない。
「仕事の分担」ということについては,国は,元来,一つには警察・国防・外交・大規模な公共事業等国の存立のために国自身がしなければならない仕事,二つには全国的な視野に立った各種政策の企画立案を担当するものである。
これに対して,地方自治体は,一つには住民の生活の基盤に関する仕事,住民の利用に供される施設の設置管理等純粋に地方的な機能に属する仕事,二つには福祉,教育等全国的な性格を有するけれども,地方的な目的や地方の実情を無視して行使できないような仕事を担当するものである。
両者の仕事の分担関係は,一応以上のように概念づけることはできるが,現実には,国の仕事はかなり広範囲にわたっており,しかも,中央官庁だけでなく,各省庁のタテ割的な地方出先機関も国の仕事を執行している。また,全国的な統一性,公平性の確保を図るために国の仕事とされているもので,地方の実情をも勘案して執行することが望ましいということから,国の指揮監督権を留保しつつ,その管理・執行を地方自治体の長に委任する機関委任事務が多数存在している。
さらには,地方自治体の仕事に関して国が許可,認可,承認等の関与規制を加えたり,補助金,助成金の交付を通じたりして,実態として,国の指揮監督が地方自治体に及んでいる状況が生じている。
補助金をめぐる実態については,俗に補助金行政として,人々によく知られているところである。自己財源が量的に限られている地方自治体にとっては,補助金は誠に貴重な財源となるものであるが,それだけに各地方自治体の長を始め職員や自治体議会議員が中央・出先の官庁や地元選出の国会議員等の所に足繁く陳情活動を繰り広げている。私自身も,高岡市のためならどんな労も厭わないという意気込みで陳情に努めており,そのため年間20回程度県外に出かけている状況である。また,地方自治体の自己財源に制約があるので止むを得ないことではあるが,国の補助金が得られない場合は地方自治体が自己財源だけでも単独で事業を行うということをせず,補助金がつくまで事業の実施を見合わせるという「補助金待ち行政」の気風が生じている。
国と地方自治体の関係の実態は以上のとおりであるが,地方自治体は地域の実情や地域的な利害の状況を十分把握して住民と直結した仕事をし得るものであるので,国の仕事のうち住民の日常生活や地域にかかわりの深いものについては極力地方自治体に委ねられることが望ましい。機関委任事務についても安易に地方自治体に委任することなく,名実ともに地方自治体の判断・責任に委ねるべきものが多いように思われる(注2)。地方自治体の自主性・自立性を強化するためには,このような国から地方自治体への権限委譲をさらに進める必要がある。これなくしては,真の地方分権はあり得ないであろう。
国の地方自治体に対する関与規制についても,できるだけ地方自治体の自主性・自立性を阻害することのないよう必要最小限のものとすることが望ましい。国の補助金制度については,国としての行政水準の統一性を図るため,あるいは事業実施の促進を図るため確かに必要なものはあろうけれども,国は行政水準の維持が図られるよう指導するにとどめ,できるだけ補助金を少なくして,その削減された補助金相当額を何らかの方法で地方自治体の一般財源の拡充になるように仕組んでいくことが望まれる。それにより,地方自治体が補助金待ち行政から脱却し,積極的に事業の企画立案・実施を図ることが可能となろう。
b 中央集権論に対する反論
このような椎限委譲・地方分権論に対して中央集権の方がより効率的な行政が可能であり,結果として公益により合致するのではないかという議論がある。確かに中央集権的,官治的な行政がなされれば,各種の事業が画一性をもって遂行され,一見行政の効率が上がるように考えられよう。
しかし,先に述べたように行政上の効率は単なる機械的効率だけをもって評価されるものではなく,福祉に対する有効性と民主性への配慮という観点からの社会的評価も加えられるべきものである。表面上は成果が上がっているかに見えて,その実は政策目的が十分に果たされていないという事例は,しばしば見られるところである。
次に,中央集権的な行政を行わないと,全国的な統一性,公平性が失われるのではないかという議論もなされている。なるほど,権限委譲に伴って国民の受益し得る行政サービスの水準が地方自治体によって極端に異なることとなるのは問題である。また,地方自治体の行政運営において,とかく地域的な利害関係や地方社会特有の地縁・血縁関係にとらわれるきらいがあるのに対して,中央においては国民からある程度の距離をおくことによって地方的・地域的な事情に一方的に左右されない行政運営が担保されており,さらに中央官庁には,厳しい公開競争試験によって採用され,採用後も先輩後輩間の徒弟制度的な指導によって鍛えあげられた多数の職員が,自らの個人的利益や世間一般の家庭的幸福も犠牲にしてもっばら国益や国民のために,正に公平無私の態度で働いていることもよく知られているところである。
しかし,国民が全国どの地域に居住していようとも,質量ともに同じように受益すべき行政サービスについては,国民に対するナショナルミニマム的な行政サービス(標準的な行政サービス)として位置づけ,これを国の仕事として提供すべきであるとしても,ナショナルミニマムを超える行政サービスを提供すべきかどうかは各地方自治体の判断に委ねるべきである。その結果,地方自治体間に不公平,格差が現出するとしても,その不公平,格差は行政の各分野において一律に生ずるというものではなく,ある地方自治体は行政分野Aにおいてナショナルミニマムを超えたサービスを提供するのに対して,別の地方自治体は行政分野Bにおいてナショナルミニマムを超えたサービスを提供するという形となり,要は,どのような分野に重点をおくかは各地方自治体の判断,つまりは各地域住民の選択如何にかかっていると言うべきである。地方自治体間に非画一化,不均等という格差が生ずるということは,後に述べる各地域の多様化,個性化をもたらす要因となり,むしろ望ましいことであると考える。なお,極端な不公平,格差が生ずることのないようにするため,国が一定の方針・基準を示すことによって全国的な統一性,公平性を確保することとし,事務の処理は地方自治体に委ねるという方法も考えられる。
また,国と地方自治体の職員の執務態度や行動様式の差は相対的なものに過ぎず,地方自治体における公務執行を厳正なものとし,職員の任用,指導等を適正かつ充実したものにすることによって,地方行政の執行面における公平性は十分に確保されるものと考えられる。
c 地方自治体の取り組み方
権限委譲を進めるに当たって大事なことは,まずこれを要請すべき地方自治体にあって,職員,住民がともに権限委譲の必要性を十分に理解しているということである。この点に関し,地方自治体の職員の意識が,住民や地域に関する日常の細々とした事務に忙殺されて権限委譲等という大きい課題について考えてみる余裕がないとか,現行の国と地方との関係に慣れきっていて何らの問題意識も生じないとか,あるいは権限委譲や地方分権を求めて声高に騒げば国の不興を買う虞れがあるのであえて関心を示そうとしないとか,ということであっては,地方分権の推進論は宙に浮いてしまうであろう。各地方自治体の住民や広く国民一般においても,地方分権に対する理解が十分高まっていなければ事態の前進を期待することは困難である。
そこで望まれるのは,地方自治体自身が実際の仕事の経験を踏まえて,具体的にどのような仕事について国から権限委譲を受けたいと考えるのか,その仕事については地方自治体で責任をもって処理することができるのか,ということを実際的な立場で検討し,その結果を基に関係方面に要請していくことである。最近,富山県において,「中央集権・地方分権」ではなく,「中央分権・地方集権」という理念に立って,過去の具体的事例を基に,地方集権を図るためにはどのような事務を国から地方自治体に委譲すべきかについての検討を開始されたのは誠に時宜を得たことである。
数多くの個々の地方自治体がこのような検討を行って,自治体職員や地域住民の意識を高めていくことが必要であるが,これを強力なものとするためには,志を同じくする複数の地方自治体による共同検討や全国またはブロック単位の知事会,市長会等の中での検討を経て,いわば一つの団体として,国と地域住民ひいては国民一般に対して提案していく方法が望まれよう。
地方自治体がただ権限委譲をしてほしいとの漠とした要請をして,具体的な作業をすべて国の第三者機関や国そのものに委ねてしまっては,実り多い成果を期待することは困難であると言わざるを得ない。現実の処理件数が極めて少ない事務,国において手放すことに何らの痛痒も感じない事務,もっぱら国側の繁雑を省くような事務等だけが委譲されても,地方自治体にあまリメリットが生じないであろう。
〔地方財政の自主性の強化〕
地方自治体が行政運営において自主性,自立性を発揮し得るためには,財源も国に依存するのではなくて,なるべく自主独立の財源をもつことが必要である。
戦後,地方自治体の財源を増やすための国・地方間の税源配分の見直しや,地方財源の均衡化と必要財源の確保を狙いとする地方交付税制度の樹立を図るなど,真剣な努力が重ねられてきている。国全体の税源配分とそれに伴う国税・地方税の仕組みを抜本的に変更することは,国と地方自治体の利害が真正面からぶつかるため現実には困難なことであろうが,地方自治体の自主性・自立性を強化するには,地方財源の一層の確保・拡充に意を用いることが望まれる。また,国から地方への権限委譲が実行されたとしても,それだけでは単なる虚器を擁するに過ぎないので,その委譲された権限を十分に自主的に行使し得るだけの財源の委譲も行われるべきである。
地方交付税については,国の財源が逼迫しており,国と地方自治体の財政では地方の方に相対的に余裕があるという理由で,このところ毎年のように地方交付税の減額論が持ち出されている。国税・地方税・社会保険負担を合わせた国民負担の対国民所得比(国民負担率)は,我が国では伝統的に低くおさえられており(平成5年度は38.6%),高福祉政策をとっている北欧諸国,フランスの70%台,60%台の国民負担率と格段の差があるだけではなく,中福祉政策をとっているイギリス,ドイツの50%台前半の国民負担率との間にもかなりの差が生じている。我が国では,昭和62,63年時の税制大改革以後においても税収入に占める直接税の比重が先進国の中では比較的高く,それだけに直接税の減税を行うことはあっても増税を図ることは極めて困難であり,加えて,消費税導入時の国民大合唱的な反対の声を考慮すれば,その増税を図ることもそう容易ではないであろう。人口の高齢化に伴う福祉施策充実の要請や,これまでの経済成長の成果をストック面に具現化していくための各種社会資本充実の要請がある一方において,増税が現実に困難であることから,地方交付税についても見直しを持ち出さざるを得ない国の財政当局の苦しい事情は理解できなくもないが,地方交付税は地方自治体の主要財源である地方税収入とともに,いわゆる地方一般財源を構成する基礎的な財源であるので,その確保を願うものである。これからの高福祉,高社会資本時代に対応していくためには,やはり,国・地方を通ずる行政支出の節約や制度の見直しを進めながら,国民負担率の上昇を避けざるを得ない理由を国民に十分説明し,その理解を求めるための地道な努力を継続していくことが望まれる。
国の補助金をできるだけ廃止し,これを地方自治体の一般財源に振り替えることの必要性については既に述べたとおりである。ただ,筆者がかねがね疑問に思っているのは,一般財源に振り替えると言っても,地方交付税の財源の総枠そのものは増やされていないので,一般財源化された分だけ,地方自治体に配分されるべき他の財源が削減されたことになっていないかということである。
地方交付税不交付団体については,補助金の不交付や補助率に差を設ける差等補助によって地方自治体間の財政格差が是正されているが,極めて富裕な地方自治体については,このようなことをしてもなお調整がなされず,そのことが結果として,東京等大都市への一極集中化傾向を促進していると思われる。このような富裕な地方自治体に対しては,マイナスの地方交付税を配分するというような水平的な財政調整制度を導入すべきではないかと考える。
なお,最近自治省においては,地方自治体における自主的,主体的なふるさとづくりや,高齢者,障害者にやさしいまちづくり等を財政面で支援していくために,地方債の後年度元利負担の一部について地方交付税で措置する制度が漸次拡充されているが,本制度は,地方自治体の自主的なまちづくりを推進するとともに,いわゆる補助金待ち行政の弊害を緩和するものであるところから,地方自治体として大いに歓迎すべきものである。
〔住民の行政・まちづくりへの積極的な参加〕
いわゆる住民自治については,地方自治体の長の住民直接公選,条例請求・リコール請求等の住民直接請求,住民の議会に対する請願等が法制上規定されているが,それにもまして大事なことは,住民自身が自分たちの自治体は自分たちでつくっているという住民参加意識,いわゆるコミュニティ意識をもち,住民が議会,行政と一体となって地方行政やまちづくりに関与して行くことである。住民の地方行政への積極的な参加・参画があって初めて強固な地方自治が形成されるものと考える。
地方自治体のいろいろな事業,施策の企画立案段階から実施段階にいたるまで,住民の参加・参画のあることが極めて重要であるが,まずその一つは,事業,施策の企画立案段階で,各種の審議会,委員会に住民が委員として加わり,住民の民意の反映,衆知の結集あるいは専門知識の導入を積極的に図っていくことである。これは,行政の閉鎖性,独善性を排しようとするものであるが,審議会の活用が,行政の責任転嫁の隠れ蓑と化したり,政策決定においての民主的決定の装いだけを意図するものであってはならないし,正規の民意代表機関である議会の審議権を阻んだり軽視するものであってもいけない。
高岡市にあっても,各界各層の市民からなる様々な審議会,委員会において十分審議の上提出された答申や報告に基づいて,また,市議会での議論を十分踏まえて,市としての重要な政策決定や各種構想・計画の策定を行っている。もとより,その後,これらを具体的に予算化・条例化するに際しては,議会で改めて多角的な審議を受けている。
二つは,事業・施策の実施段階においても,コミュニティ意識に燃えた多数の住民が積極的に参加・協力していくことである。住民が税負担だけを行って後はすべて役所にまかせてしまうという行政や何事も役所主導で行うという事業のあり方は最早過去の遺物とすべきであろう。
高岡市においては,例えば青少年の健全育成,ゴミの減量化・資源化,都市緑化・美化等の分野で,各地域・各団体に所属する大勢の市民が市民運動的に取り組んでいる活動があり,また,本市を訪れる人々への観光案内,一人暮し・寝たきり高齢者に対する給食サービス,高岡訪間中の外国人との交流等の分野で,苦労も厭わず熱心に取り組む市民ボランティア活動がある。
さらに,従来からの伝統的な祭りに加え,ここ数年来,千数百人もの市民が出演し,演出,会場の設営・世話等にも大勢の市民がボランティアで当たる市民参加型のイベントを開催している。高岡野外音楽劇「越中万葉夢幻譚」と「万葉集全20巻朗唱の会」がその典型である。
三つは,地方行政が常に住民に対して開かれているものとするために,地方行政の実態や事業,施策の企画・立案・実施状況に関する客観的で正確な情報を,議会に対してはもちろんのこと,幅広く住民に対して提供するとともに,住民の意見,ニーズや批判を把握して地方行政に反映させようとする広報広聴活動を間断なく行うことである。その際,欠陥や隘路といった問題点を隠して万事きれいごとで済まそうとしたり,お知らせだけを内容とする住民回覧板的なものに陥ってしまってはいけない。
(2) 多極分散型の多様な国土の形成
〔東京一極集中の是正〕
大都市への極端な人口集中は,住宅難,通勤・交通事情の悪化,生活環境の悪化等過密に伴う様々なデメリットを生じているが,それにもかかわらず東京圏への一極集中傾向が続いている。このところ,東京圏への転入超過の勢いが多少弱まっているとは言え,一極集中が続いていることには変わりはない。何故だろうか。
もともと大都市としての魅力があったところに,戦後官民そろって,中央集権的な,あるいは中央重視型の政治・行政・経済運営が行われた結果,東京の魅力が著しく高まっているのである。魅力のある所へ,人・物・情報が集まって行く。
東京には,若者の行きたがる魅力ある大学や,仕事の内容,待遇とも若者の働きたくなる企業が多数ある上に,人々の多様で高度なショッピング・文化・レジャー需要を十分に充足し得る機会・場に恵まれており,過密に伴うデメリットを相殺してあまりある状況である。情報化・国際化の進展につれて,分散ではなく,むしろ厖大な情報発信源・資金源を求めて,全国各地と世界各国から人・企業が集中してきている。また,地方には互助精神に立った温かい人間関係があるものの,反面古いしきたりの踏襲や他人の生活に対する過剰関与があり,若者はこれらを嫌って東京圏ヘと去って行く。そこには稀薄な人間関係と激しい競争からなる社会が待ち受けてはいるが,人々は,学校・企業・学術・芸術・スポーツ等,それぞれの分野でライバルとの切磋琢磨を経ながら,自らを向上させ,個性を存分に発揮しているかに見える。東京は最早日本ではなく異国であると言ってよかろう。果たして我々はそれに満足すべきであろうか。
我が国は勤勉で進取の気性にあふれた国民によって,物質的な豊かさを追求してきた結果,世界でも稀な高度経済成長を遂げたが,今や精神的な豊かさや生活のゆとりを目指す方向に転換することが求められている。しかし,一生働いても手近な場所に手頃な住宅を得ることさえ容易でない大都市でこれを実現することは不可能であろう。また,東京への一極集中は,地方における相対的な停滞を生んだだけでなく,経済・文化・生活面での著しい格差をもたらしているが,国民は地方に住んでいようとも,これまでの日本の豊かな経済成長の成果を大都市圏に住む国民と等しく享受し,豊かに幸せに過ごすことができるようにしていくことが望まれている。
そのためには,世上言われているように国から地方への権限委譲,地方分権を推進することは,一つの,そして重要な方策ではあるが,それだけで事態を解決できるものではない。
そこで,人為的に多極分散をもたらす政策を展開することが不可欠となる。国による各種の公共投資や事業の実施において,従来以上に地方が重視され,地方への資金配分が拡充されることを要請するものである。経済面では,工業生産機能はもとより,業務管理機能や情報発信機能の地方への分散が,また,非経済面では,特に,教育・文化機能の地方への分散が官民の協力によって意識的に進められることを求めるものである。地方自治体としては,このことの必要性を個々に,また,グループとして繰り返し主張し,できる限りの支援・協力を惜しまないつもりである。平成4年に法制化された「地方拠点都市整備構想」は地方の白主性を尊重しつつ国土の多極分散化を図ろうとするものであって,私たちは本構想の積極的推進に大きな期待を寄せている。
〔特色と個性のある魅力あふれたまちづくり〕
多極分散型の国土を形成するためには,地域の活性化と存在価値の発揮を狙って,地方自治体も,自らの努力で特色と個性のある魅力に満ちたまちづくりを進める必要がある。若い人たちが引き続き地元に定着したくなるような,また,一旦大都市に出ていた人たちが故郷に帰って来たくなるような地域活性化策を住民と議会の協力を得ながら立案し,実行に移していかなければならない。
魅力のある企業・産業の育成誘致,魅力のある商店街・レジャー街の形成,魅力のある教育・文化・スポーツ施設の設置はもとより,若者から高齢者にいたるまで人々が快適に生活し得る都市基盤や福祉施設の整備等が必要である。その設置・運営に当たっては,外見,内容ともに若者を引きつけ得る近代的なセンスの盛られていることが大事であるが,他方で多様性,個性重視型の人々の価値観に配慮することによって,大都市の単なる模倣型のものや全国画一的なものに堕することを避けていきたい。
施設の設置にせよ,イベントの実施にせよ,その地域の独自の文化・歴史や独特の伝統を土台において,これに新しいアイディアを加えていくということが大事である。その点で,ここ数年来,自治省,建設省を始め国の各省庁で,地方における活力と魅力を強調したふるさとづくりへの取り組みを積極的に支援する政策が導入,拡大されていることは誠にありがたいことである。
古いしきたりの踏襲や他人の生活に対する過剰関与等地方社会にありがちな風土については,地域社会の活性化や他圏域の人々との交流機会の増大,さらには新しい世代の登場に伴い徐々に薄れつつあるし,温かい人間関係を助長しながら閉鎖的な風土を改めていこうとする人々の主体的な努力によって克服されていくのではなかろうか。
高岡市においても,筆者は以上のようなことを心がけてまちづくりを行っている。奈良時代本市内にあった越中国府に国守として赴任した大伴家持が,当地で数々の名歌を残し,今日も市民の間に家持や万葉集の研究家・愛好者が多いことを機縁とする「万葉のふるさとづくり」(万葉集に関する研究・展示等を目的とする万葉歴史館の設置,先にも述べた万葉にちなんだイベントの実施等),また,市内の高岡銅器・高岡漆器等の伝統工芸産業や,住宅・ビル用建材等を生産するアルミ加工産業が日本—のシェアを誇り,デザインというものを重視していることを契機とする「デザイン・工芸のまちづくり」(全国のクラフトマン・デザイナーを対象とする高岡クラフトコンペの実施,優れたデザイン性をもつ歴史的都市景観の保存形成等)を,市民・関連団体の主体的な参加・協力を得て展開している。福祉についても,市民の高い互助精神に支えられたボランティア活動と公的な支援・助成からなる「地域総合福祉推進事業」を暗中模索を経ながら拡充してきている。
これらの事業は,幸い今日までのところ,いずれも成功裡に推移しており,地域の活性化と全国への情報発信を通ずる本市のイメージアップに大いに貢献しているのではないかと考えている。
(3) 地方自治体自身の体質の強化
〔行財政改革の継続的実施〕
時代の変化とともに次々と生じてくる行政需要に的確に対応しながら,住民の福祉の向上と地域の発展を図っていくためには,地方自治体は普段から主体的に行財政改革を実施し,効率的な行政執行に努める必要がある。
地方行政の遂行が住民から付託され,その経費が市民の負担や(地方交付税,補助金等を通ずる)国民の負担によって賄われていることに思いをいたせば,この限られた貴重な財源を最大限有効に使うという理念に徹しなければならないことは自明の理である。
行財政改革は,財政危機や非常時に陥って初めて行うものではないし,また,国や県等外部からの指摘や指導を待つまでもなく,自主的,主体的に実施していくべきものである。住民側においても,行政への過度な依存に陥ることなく,むしろ行財政改革に理解と関心を示し,その着実な遂行を監視していく姿勢が望まれる。
全国の地方自治体の中には国にさきがけて,あるいは国以上に徹底して,行財政改革を実施し,他の地方自治体や国の模範となっているところが少なくない。高岡市においては,たまたま筆者の市長就任直前に,市職員定数条例の極端な違反状態等が明るみに出たことを端緒として,遅ればせながら,この5年間徹底した行財政改革を行ってきている。このことについては,次項で述べることとしたい。
〔厳正な公務執行〕
地方行政に対する住民の信頼を確保するためには,地方自治体の職員は,知事・市町村長の特別職と一般職とを問わず,常に住民から負託された行政執行の責務を自覚し,厳しい公務員倫理に立って,公正・厳正に公務を執行することが肝要である。
世上時として地方自治体における不祥事が報道されるや,当該地方自治体の住民は激しい怒りを現し,また,一般国民は地方自治体なるものの乱れた行政執行に驚き,あきれ,ついには嘲笑の眼を向けることとなる。自己の地位維持や住民の関心を得るために恣意的な行政執行に流れることはもちろんのこと,いやしくも「役得」を求めたり,住民から疑惑を受けるようなことがあってはならない。法令・条例違反の行政執行や予算の違法支出等が許されないことは言うまでもない。
〔職員の資質の向上〕
効率的な行政執行の担い手となり,地方分権あるいは多極分散型国土形成の有効な受け皿となり得るためには,地方自治体の職員,すなわち,地方自治体における政策の企画立案に当たる職員から,具体的な事業・施策の実行に当たる職員にいたるまで,その資質を向上させることが不可欠である。
地方自治体の職員は,当該地域にかかわる定型的・反復的な事務に携り,国の各省庁や都道府県の指示・方針を待って事務を処理することが多いせいか,ともすれば,住民奉仕の精神に立った旺盛な勤務意欲や職員間における切磋琢磨,自らの創意工夫を生かした仕事の仕方に欠けることがある。また,灯台下暗しで自分のまちのことをよく知らなかったり,逆に広く地方行政や社会経済情勢一般に関する情報に欠けたりもしている。しかし,「人は石垣,人は城」の言葉のとおり,職員は如何なる職種,如何なる地位に就いていようとも,地方自治体を支える貴重な戦力であり,地方自治体の政策形成,遂行の成否は究極的には職員の資質如何にかかっている。多数の資質の高い職員がいなければ,どんなに地方への権限委譲とか多極分散とか声高に叫んでみても,国や国民一般に地方自治体なるものを信頼して貰えないであろう。
地方自治体の職員にはすべて地方行政のプロフェッショナルになって貰うことを目指して,厳正な採用に始まり,職員研修,仕事を通じての実地指導と職員自らの研鑽・努力を積み重ねていくことが求められている。その際,職員が自分のまちのことをよく知り自ずと愛着をもつようにするとともに,先進的な事業を展開している全国の地方自治体の動向や地方行政をめぐる諸情報を幅広く収集・見聞する機会を与えることも必要である。このようにして,新しい行政課題やどんなに困難な課題に対しても積極的に取り組み,試行錯誤を繰り返しながらも汗と知恵を出して立派に遂行し得る職員が育ってくるのである。
4 高岡市における行財政改革の実施
(1) 実施にいたるまでの経緯
高岡市において本格的な行財政改革が実施されるようになったのは,昭和63年3月市議会での審議がきっかけとなっている。
同議会の審議過程で,高岡市では表1のとおり昭和52年度以来実職員数が市職員定数条例による定数を大幅に上回っている状態が続いていること,さらには,職員共済組合員負担金についても,かなり以前から労使折半とする法規定に違反して市当局が超過負担を行っていることが明らかとなった。このことが契機となって,議会を始め広く市民の間において,市の行政運営に対する不信・不満の声が一挙に高まることとなった。
表1 高岡市における職員数の推移
年度 | 条例定数 A (年度当初) |
実職員数 B (年度当初) |
差 A - B |
採用数 | 退職者数 |
---|---|---|---|---|---|
昭和50年度 | 2,360 人 | 2,344 人 | △16 人 | 147 人 | 92 人 |
51年度 | 2,384 | 2,366 | △18 | 152 | 67 |
52年度 | 2,426 | 2,456 | 30 | 166 | 72 |
53年度 | 2,488 | 2,589 | 101 | 197 | 68 |
54年度 | 2,598 | 2,729 | 131 | 199 | 75 |
55年度 | 2,668 | 2,830 | 162 | 186 | 83 |
56年度 | 2,668 | 2,923 | 255 | 174 | 85 |
57年度 | 2,668 | 2,980 | 312 | 84 | 49 |
58年度 | 2,668 | 2,961 | 293 | 31 | 59 |
59年度 | 2,668 | 2,921 | 253 | 27 | 65 |
60年度 | 2,668 | 2,892 | 224 | 38 | 81 |
61年度 | 2,668 | 2,853 | 185 | 32 | 74 |
62年度 | 2,668 | 2,817 | 149 | 37 | 85 |
(注)昭和63年度の条例定数は、定数条例違反状態を緊急避難的に回避するため、実職員数を考慮して2、783人とされた。
これらの違法状態を緊急避難的に回避するため,とりあえず実職員数を前提として,昭和63年度予算の修正や定数条例の改正等が行われ,次いで議会において「行政調査特別委員会」が設置され,当時までの人事行政の問題点を明らかにした上で,職員定数の適正化,業務の適正化等に関する意見を取りまとめ,昭和63年6月市長である筆者に報告がなされた。
なお,それまで連続9期36年間にわたって市長としてご苦労されてきた前市長は,たまたまこの問題が生ずる以前から次期市長選不出馬の意向を固めておられたが,初めて市長職に就いた筆者にバトンを渡して市庁舎を去っておられた。
高岡市では,この市議会の報告を受け,職員定数の適正化を柱とする行財政改革の実施が本市にとっての最重要課題であると認識し,市民の意向が反映された実効性のある具体的な改革案を策定するため,市内の各界各層の代表と学識経験者からなる「高岡市行財政改革市民委員会」を設置した。1年にわたる審議を経て,同委員会の「高岡市の行財政改革に関する提言」が市長に提出されたのは,平成元年9月である。この審議に際しては,市議会行政調査特別委員会の調査報告書,公的機関による定数診断,本市と類似都市との比較資料等を基に検討がなされたほか,職場の現地調査や行革先進都市の視察,さらには市内関係団体との意見交換がなされる等,多角的な立場から慎重な審議が行われた。
次いで,本市は平成元年12月に,この市民委員会の提言の内容を最大限に尊重した「高岡市行財政改革大綱」を策定した。以後,この大綱に基づく改革を,市議会ならびに市民の理解と協力を得ながら着実に実施してきているところである。
(2) 高岡市行財政改革に当たっての基本的認識
行財政改革の継続的実施の必要性については,既に述べたところであるが,市政の運営に当たっても,社会経済情勢の変化とこれに伴って変動する市民の価値観の動向を常に的確に見極め,これらに対応して適切に施策を選択するとともに,行財政の執行体制と運営方法を絶えず点検・整理することによって,最小の経費で最大の効果を上げ,もって市の新たな発展と市民福祉の一層の向上に資することに全力を注がなければならない。
しかし,昭和50年代の高岡市における職員採用の実態をみると,1年おきの公募・競争試験による少数の職員採用はあるものの,それを大幅に上回る大量の職員が本庁や出先機関で面接だけからなる「選考」により採用されていること,選考に当たって募集人員・職種等についての情報が何ら公開されていないこと,しかも,これらの職員を一旦「臨時採用」の形で採用し,その後時期を経ずして,明確な基準もなく「本採用」としていること等が明らかとなった。
このように職員採用が明確な方法・基準の下に実施されていなかったことと,定数管理体制が確立されていなかったことにより,市職員数が条例定数を著しく上回るという違法状態が生じただけではなく,表2から伺われるように,職員が類似団体に比較して極めて多くなり,人件費の増嵩に伴って財政運営が著しく圧迫されるという状況になっていた。高岡市の地盤沈下傾向が懸念され,これを打開することが望まれているにもかかわらず,このような財政構造の硬直化により,都市の活性化や市民福祉の向上につながる事業を推進し得ないという深刻な状態に立ちいたっていた。
(注)高岡市の類似団体は、人口13万人以上23万人未満、産業1次10%未満・3次60%未満の都市をとっている。
財政構造の硬直化は,職員の勤務意欲と勤務態度にも大きな影響を及ぼすこととなった。およそ財政負担を伴うような職員の新規提案の多くが採用されず,創意・工夫の発揮意欲が著しく妨げられたり,行政運営のマンネリ化に伴って,市民と直接接する窓口職員等の接遇・サービス態度にも欠けることがあると往々指摘されるようになっていた。
かかる深刻な事態が生ずることとなった背景・要因は本稿の対象とするところではないが,行財政運営の基本とも言うべき「納税者たる市民から寄せられた貴重かつ限られた財源を市民福利の向上のために有効に使う。」という意識が不十分であったと言わざるを得ない。
したがって,高岡市の取り組もうとする行財政改革は,このような反省の上に立って,簡素効率的で,しかも市民の信頼に応え得る行財政を再構築しようとするものである。それは,徹底した行財政改革を行うことによって生ずる財源を市民にとって真に必要な施策に振り向けるとともに,市政に対する市民の信頼を早急に取り戻そうとするものである。
(3) 行財政改革の具体的方策と実施状況
〔行政の簡素・効率化〕
簡素効率的な市政を確立するに当たっては,まず,現に行政サービスとして行われているものであっても,行政効果の薄いものや社会経済情勢の変化によりその存在価値の低下したもの,ならびに,行政の責任領域の明確化の観点から市民の責任または負担において行われるべきもの,あるいはその方が効果的であると考えられるものについては,逐次整理・縮小を図っている。
また,行政サービスのうち民間活力の活用を図ることが行政サービス水準の維持ないし向上に役立つ分野については,行政責任を果たす上で必要な指導監督権を留保した上で,非常勤職員(嘱託職員とパート職員)を活用したり,外部委託を積極的に導入したりしている。
このような事務事業及びその執行方法の見直しに当たっては,効率性を追求するあまり,福祉の分野等での切り捨てが生じたり,行政サービス水準の極端な低下が生じたりしないように配慮するとともに,市議会や見直しに伴う影響が及ぶ地域・関係団体に対して十分な説明を行いつつ,その理解・協力を得ることに精力的な努力を払っている。
また,組織・機構の簡素効率化に努めるとともに,OA化の推進,事務処理の標準化・迅速化も積極的に図っている。
〔職員定数の適正化〕
このような行政の簡素・効率化によって,昭和63年度初の条例定数2,783人に対し,600人程度の減員を図ることとしているが,その実施に当たっては市民の理解と協力が得られることが必要であり,また,職員の雇用問題とも密接な関連があるため,これを一挙に実現することは困難である。そこで,適正化計画は,個々の事業についての実施の目途や退職者数の動向,新規職員採用計画等を総合的に勘案し,次のとおり,ある程度の期間をかけて,計画的に,かつ,段階的に進めることとしている。
a 短期的には,平成2年度初めまでに,160人程度の減員を行う。
b 中期的には,平成5年度初めまでに,aの減員数を含め340人程度の減員を行う。
c 長期的には,遅くとも平成10年度初めまでに,a,bの減員数を含め600人程度の減員を行う。
さて,その実施状況であるが,表3〜表5に掲げるとおり,平成5年度初めまでの中期目標は既に達成済みであり,予算に占める人件費比率は,行財政改革実施直前の35.9%からかなりの低下を見,投資的経費等への予算を増やすことができるようになった。今後,遅くとも平成10年度初めまでの長期的目標に向かって更なる努力を続けていくこととしている
もとより,このような職員定数の適正化は,表6に見るとおり,新たな事務の開始または事務の増大による増員がある一方において,各種の事務事業及び執行方法を抜本的に見直すことによって達成しているものである。
職員定数の適正化の実施過程においては,定年退職,管理職職員についての慣行的な勧奨退職等に加えて,あくまでも職員の自主的申し出による希望退職(退職時に退職手当が増額されるような措置と再就職希望者に対する再就職先の斡旋を行っている。)を新たに募集し,これら退職による職員減に対して,新規採用を,補充せざるを得ない特殊かつ専門的な知識・技術を必要とする職員ならびに各業務における必要最小限の職員の採用にとどめることによって達成してきているものである。その際,定数の変動に伴って人員配置の変更を要する部署の専門職員等を中心に職種転換や職域の拡大を行うほか,市の関与している第三セクターや公益法人への職員派遣(出向)も行っている。
〔市民の信頼に応え得る行政〕
行財政運営が民主的に,かつ,円滑に執行されていくためには,行政と市民とが相互信頼で結ばれ,相互間の有機的連携を保っていくことが望まれる。
そのため,第一に重視しているのは,市職員の徹底的な意識改革である。すべての職員が市民奉仕の精神に徹して仕事をすること,市民に明るく親切に対応すること,常に創意と工夫を発揮して積極的に仕事に取り組むこと,そして,高岡市のことをよく知り自分のまちに愛着をもって仕事をすること,この四つを筆者自ら,職員とのあらゆる対話の機会を利用して繰り返し呼びかけるとともに,この趣旨を盛り込んだポスターを庁内に掲示して職員啓発を目指している。市民に対する接遇の向上を図るために,接遇ハンドブック「マインド」を作成して全職員に配付したり,接遇向上運動の強調月間として「さわやか窓口月間」を設けたりしている。職員の創意・工夫の発揮についても,職員提案制度「アップルボックス」の導入や職員自主研究グループヘの支援等を行っている。
職員の意識改革と資質の向上を図るため職員研修も重要視して,市長等市幹部と研修生との講話・懇談の場を設定したり,経験豊富な外部講師を招いたりしているほか,信用のおける外部研修機関への派遣研修を拡充し,さらには民間企業や海外への派遣研修も取り入れてきている。
第二に重視しているのは公明正大な人事である。過去の反省の上に立って,「高岡市職員の任用に関する規則」を制定して,公募・競争試験による採用を原則とし,採用に関するすべての要件を公開する等の採用・任用の明確化,臨時的任用の限定等を打ち出し,以後これに基づいて少数ながらも優秀な職員を採用するとともに,年次や性別にとらわれない,意欲と能力のある職員の抜擢人事に努めている。
第三に重視しているのは,市民に対する広報広聴活動である。高岡市が今大きな転換期を向えているだけに,市広報紙「市民と市政」や一般報道機関を通じて,本市の市政において何が問題になっているか,行政がその問題をどのように考え,対応しようとしているか等についての的確で誤りのない情報を市民に提供するよう努めている。特に,市政の最重要課題である行財政改革の推進には市民の理解と協力が必要であるので,行財政改革の実施状況,予算の使い方や各種施策の進捗の状況等について,随時分かりやすい形で市民に公表している。
現在生じつつある社会情勢の変化に伴う市民ニーズの変化や,行政に対する市民の立場からの幅広い意見や発想,さらには行政に対する市民の批判を聴取・把握するために,「市民と市長とのつどい」を地域に出かけて行ったり,市内の各界各層の代表等と懇談する形で頻繁に実施しているほか,年間を通じて「市長への手紙」を受け付けている。このような場で提起された意見,批判等に基づいて既に実施,措置したものは多数に上っている。大勢の市民の声に漏れなく耳と目を向け,所要の検討を行って回答することは市長にとっても職員にとっても決して容易なことではいが,市民に開かれた民主的行政を目指して真剣に対処している。
〔市民病院の経営健全化─行財政改革の一つのケース〕
高岡市で進めている行財政改革の中で特に顕著な実績の上がったのは高岡市民病院のケースであろう。
市民病院(病床数499,うち一般病床数375)は,地域医療の中核を担い,市民等の多様化,専門化する医療需要に応えてきたが,ここにおいても不明確な職員採用に伴う職員増と過去における労使交渉の結果である高い給与水準に加え,治療そのものを含むサービス供給体制に欠けるところがあって,毎年多額の赤字が発生し,昭和62年度末の不良債務(営業活動の継続において自己の支払能力を超えた債務をいい,〔流動負債─流動資産〕の金額で示される。)は,実に17億円に達しようとしていた。
そこで,経営の抜本的改善を図るため,昭和63年度に「市民病院経営健全化計画」(昭和63年度〜平成4年度)を策定し,国の指定を受けた。
この経営健全化計画に基づき,院長以下病院職員を挙げて患者サービスに徹し,市民に信頼され,親しみのある病院を目指そうという意識改革を行うとともに,増収のための施策としては,専門外来と新診療科の開設,高度医療機器の導入,人間ドックの充実,外来患者の午後診療の拡充等を行うほか,関係大学の理解と協力の下に,院長ほか優秀な医師の確保にも努めた。一方,費用の節減策としては,職員定数の適正化と特殊勤務手当の是正による給与費の節減,医事・電話交換・洗濯業務における外部委託の推進,OA化の推進等を行ってきている。
この間,国の医療費抑制の方針に伴って診療報酬単価の実質的な引き上げ幅が小幅に抑えられ,全国的な看護職員の待遇の向上に伴う給与費の増加があったにもかかわらず,市民病院の収支状況は表7のとおり改善の傾向をたどり,平成4年度の経常収支は約6千万円の黒字となった。このような病院自体の経営改善努力を前提に,本市一般会計より,不良債務解消のための繰入れ(その財源の一部には国から不良債務解消に充当するものとして地方交付税に算入されたものも入っている。)を行い,不良債務は平成4年度末で全額解消されるにいたった。
(注)実質職員給与比率=職員給与÷(医療収益-他会計負担金)×100
市民病院の経営は,健全化計画達成後にあっても,依然として厳しい環境下にあると見込まれており,加えて,昭和41年に建設された現病棟は今や極めて老朽狭隘化しており,建物の早急な建て替えを迫られている。
5 結びにかえて
「地方の時代」を名実ともに確固たるものとするためには,まず国から地方への権限・財源の委譲と多極分散型の国土形成策が強力に推進される必要がある。しかし,それとともに大事なことは,地方自治の担い手であり,地方分権あるいは多極分散型国土形成の受け皿となるべき地方自治体が継続的な努力によって自己の体質を強化するとともに,地方分権に対して自らの具体的事例を基にした検討・提言を積極的に行い,東京一極集中に対抗して地方の活性化と自らの存在価値を発揮するために,多数の住民の参加を得て特色と個性にあふれたまちづくりを進めるなど,主体的な努力を重ねることである。
全国各地の多数の地方自治体が頑張っていて初めて住民福利の向上,ひいては国民福利の向上が図られるということが実証されれば,地方自治の強化に対する国民一般の共感と支援を得ることができると考えるものである。主体的な努力を行う地方自治体が増え,同じ認識に立つ多数の地方自治体の緊密な連携ができていけば,真の地方の時代の到来はより早まるものと思われる。
参考文献
参考または引用した文献を文中で一々明示しなかったが,次に掲げる文献を参考とした。
俵静夫「地方自治法」(法律学全集8)有斐閣,1957年
南博方・原田尚彦・田村悦一郎「新版行政法(3)地方自治法」有斐閣双書,1976年
兼子仁「地方自治法」岩波新書,1984年
自治省編「地方自治の動向」第一法規,1988年
辻清明「日本官僚制の研究」弘文堂,1952年
辻清明「行政学概論 上巻」東京大学出版会,1966年
加藤一朗・加藤芳太郎・佐藤竺,渡辺保男「行政学入門」有斐閣双書,1966年
篠原一「市民と政治5話」有信堂,1988年
川野秀之「民主政治と会計検査院」会計検査研究第5号掲載論文,1992年
臨時行政調査会,臨時行政改革推進審議会(旧行革審,新行革審)の行政改革に関する各種答申
高岡市議会「行政調査特別委員会調査報告書」1988年
高岡市行財政改革市民委員会「高岡市の行財政改革に関する提言」1989年
高岡市「高岡市行財政改革大綱」1989年
(注1)高岡市は,富山県西部に位置し,人口17万6千人,面積150平方キロメートルを有する県内第二の都市である。市内の富山湾に面する伏木の地には,奈良時代以降越中国府が置かれ,万葉集の編纂者と言われる大伴家持が越中国守として5年間在任している。市内中心部の旧高岡町は,江戸時代初期,加賀二代藩主前田利長による高岡城の築城とともに開かれ,明治22年(1989年)全国最初の市の一つとなった。
高岡は今日商工都市として発展しており,工業では開町以来の歴史を誇る高岡銅器・高岡漆器等の伝統産業,銅器鋳物の技術を基に始まったアルミニウム加工産業,豊富な電力・労働力を背景に誘致された化学・製紙産業等によって,年間(1992年)7,675億円の工業出荷額を生み出している。
市内には数多くの文化財や格式のある寺社が存在しており,また,能楽・茶華道等の伝統文化や現代バレエ・音楽等,市民による様々な芸術活動が盛んであり,高岡は文化都市としての基盤も十分に備えている。
(注2)これまでも機関委任事務の整理合理化が逐次行われているが,このほか例えば,生活保護の決定及び実施等に関する事務(地方自治法別表第41(18)),児童手当の受給資格者の資格及び手当の額の認定・支給等に関する事務(同法別表第4 2(23))等が考えられる。