第6号

政策評価と地方自治体
——その課題と展望——
佐藤 克廣

佐藤 克廣
(北海学園大学法学部助教授)

 1954年秋田県生まれ。中央大学大学院法学研究科政治学専攻博士後期課程単位取得退学。1981年北海学園大学法学部講師,1986年同助教授。行政学専攻。主な著作は「政策評価の理論」(宇都宮深志,新川達郎編著『行政と執行の理論』東海大学出版会,1991年所収),「アメリカにおける政策評価——八○年代の動向を中心に」(『北海学園大学法学研究』第27巻第3号,1992年)など。

 Ⅰ はじめに

 「シムシティー」(© MAXIS SOFTWARE, Will Wright and Foretune Co., Ltd.)というコンピュータゲームが子供たちの間でも密かなブームを呼んでいる。プレイヤーが市長になって町づくりを進めるという内容のゲームである。町の基盤が整っていくにつれ,「シム」と呼ばれる市民の人口が増加していく。もちろん,市長の都市計画や予算の配分がまずければ,人口は減少する。

 日本とは比べものにならないほど人口の地域間流動性が高いアメリカで作られたゲームソフトであるだけに,人口の変動が市長となるプレイヤーの都市計画の力量を示す最も重要な指標となっている。このため,都市計画の充実度による人口移動がそれほど顕在的でない日本に住んでいるわれわれにとってはこのゲームは単なるゲームとして楽しむことができる。もし実際に日本でも都市計画などの「まちづくり」の良否によって人口が大きく移動するという事態が生ずるならば,自治体の首長,議員,行政職員をはじめとする自治体関係者は安閑としてこのゲームに勤しむことはできなくなるだろう。

 日本でも「まちづくり」に対する関心は日増しに強くなってきている。それに伴い,今日の地方自治体においてはさまざまな政策研究が盛んに行われるようになってきている。そうした情報を交換するための学会(自治体学会)も設立されている。政策研究は,政策課題の認知・設定から始まり,政策評価へとつながる一連の政策過程すべてを対象として行われるものである。今日の自治体において最も盛んなのは「政策形成」の部分の研究ではないかと思われる。本稿では,むしろ,自治体の政策研究において未だ手薄な政策の事後的評価の側面に注目してみたい。自治体における政策評価を念頭におきつつ,政策評価をめぐる一般的課題,自治体において政策評価がそれほど行われていない理由,自治体での政策評価の実態に触れ,自治体が評価を進めていく上での課題についても若干考察してみたい。

 なお,一般に自治体における政策は,個別的には「事業」,「施策」,「計画」,「予算」といった言葉で示されている。本稿では,こうしたものを一括して「政策」と大まかに呼んでおきたい。また,「評価」の側面は機能として見ると政策過程のどの段階でも必要なものである(Palumbo, 1987)。しかし,本稿では,政策が実施に移された後の政策の効果を評価するいわゆる「事後的政策評価」に焦点をあてることにする(注1)。

 Ⅱ 自治体における政策研究隆盛の背景

 近年,自治体を取り巻く環境は少なからず変化をしてきており,とくに行財政構造をめぐる環境の変化はさまざまに指摘されている。こうした変化をごく簡単に要約すれば,以下のようになるだろう。

 戦後の憲法構造の変革にもかかわらず,国と自治体の関係は機関委任事務の存続や3割自治という言葉に象徴的に表されるように,自治体は中央政府の政策を単に実施する団体と考えられてきた。これは,中央政府の官僚のみの認識ではなく,住民の間にさえ浸透した認識でもあった。ある座談会での次のような発言がそれを端的に表している。

 「住民の中には補助金を取ってきて,何かやってくれればそれでいいんだと。つまり中央政府が介在することによって,一定水準の行政は各市町村で保たれるんだという,若干たかをくくった面があるだろうと思うわけです。」(自治体学会編,1989:178)

 中央政府は,こうした権限の集中と背中合せに,財政資源を地方に配分し,産業の振興や都市的施設基盤の整備を主導した。中央政府の財源をどれだけ分捕ってくるかが,地方を選挙基盤とする国会議員その他の政治家の主要な役割と認識された。また,自治体職員にとっても中央省庁の基準に従順に従い,「補助金」という名の財源を「国」から手に入れることが主要目的とされていた。一部,革新自治体の抵抗はあったものの,中央政府からの補助金をテコとした中央と地方の政策構造は大きくは変らなかった。

 こうした中央集権体制にもかかわらず,あるいは,中央集権体制のゆえに,「均霑」思想を背景とする自治体の都市基盤および施設の整備はほぼどの市町村でも完了し,さしあたり都会と比較して都市的生活・施設基盤が劣悪であるという状況が解消されてきた。先に引用した論者の言を借りれば,

「どこかへ転居したって,学校教育はどこへ行っても同じようなものが受けられる。施設だって,箱ものと称する施設だって一応みんな揃っているというような状況で,転居しても,前よりここは悪いとか,いいとかいう実感というのはあまりないだろうと思う。」(自治体学会編,1989:178)

という状況が出現している。

 さらに,行政改革が大きな政治の論点になるにつれて,中央政府の財源の僅少と,他方,地方自治体の財源の潤沢さが喧伝されるようになった。もっとも,自治体の財源の潤沢さを表す指標としては,ラスパイレス指数に基づいた中央政府の公務員の給与を上回る地方公務員の給与や,中央政府の基準を超えた福祉政策への地方自治体への支出といった,いわば代替的指標が使われている。これらの指標による説明は,国のある一定の政策水準を上回ったサービスを提供しているから豊かであるという極めて短絡的な発想が全面に出ているだけにすぎない。

 とはいえ,行政改革の動きは,単なる財政の緊縮にとどまらず,中央・地方をめぐる行財政構造の変化を求める動きにもつながった。中央政府の側からは,地方自治体の負担増大を求める声が大きくなり,他方,地方自治体の側からは地方への権限の委譲を求める声が大きくなった。

 また,政治を取り巻く条件としての国民生活の多様化の進展とともに,中央政府の全国一律の画一的政策の実施が困難になり,中央政府の政策形成能力が相対的に低下をし続けている。同時に,自治体職員の高学歴化の進行等により,自治体職員の政策形成能力が向上してきた。これに伴い,地方自治体が従来の単なる「国の政策の実施機関」から政策形成,実施,評価を含めたトータルな政策主体へと変化しつつあると言える。制度的には,この変化は,91年4月の地方自治法の改正による機関委任事務に対する自治体議会の審議権の拡大,一連の機関委任事務の団体事務への移行などに現われている。

 もちろん,こうした軌跡はそれほど単純なものではない。第一に,中央政府は一つであっても,地方自治体は日本全体で3,000余りに及ぶ。それらの自治体の多くが財政力に富み,自前の政策形成能力を身につけているということはあまりに楽観的過ぎるだろう。

 また,中央政府の各省庁が地方自治体への指導を単純に放棄したわけではない。「機関委任事務については,国の指揮監督権は保持しつつ,最終的な国の意思の優越の原則と矛盾しない範囲において,地方公共団体の議会の関与や監査委員による監査の権限を拡充強化すべきである。」あるいは「拡充された議会の関与や監査委員による監査権限の行使にあたっては,機関委任事務に関する最終的な国の意思の優越の確保と実質的に矛盾しないように留意する必要がある。」(辻山,1989:14)という中央政府の見解は,中央省庁のイニシアティヴが依然として強調されていることの現われである。

 さらに,機関委任事務から,団体事務へと移行したとされる事務については,一応,事務の責任主体が自治体とされ,自治体の財政負担も増えている。にもかかわらず,従来の機関委任事務において政令,省令,大臣告示などで細かく決められていた事項が,条例や規定に委譲されることは少なく,委譲される場合でも政令の枠の中での委譲にすぎなかったりすることはつとに指摘されるところである(辻山,1989:17)。

 ともあれ,少なくとも,自治体間で広く政策をめぐる競争が行われるようになってきていることは指摘できるだろう。自治体間の競争は,中央政府の財源の分捕りにとどまらず,公害防止条例,情報公開条例,政治倫理条例といった政治や行政の仕組を新しい方向に展開させようとするもの,まちづくりの視点を独自に定め中央省庁の枠を越えた政策実現を図るものなど,さまざまな局面で行われている(新藤,1989:172;西尾,1992:161)。

 この自治体間の政策競争(自治体にとってみれば,とくに競争と意識されているわけではないかもしれない)の中で,先駆的な政策を形成し実施に移す自治体の存在は,中央省庁にとっても無視,あるいは,対抗しがたいものになってきている。中央省庁もそうした先駆自治体の政策を取入れた政策展開を図ることが必要となってきているのである。今日の国=自治体をめぐる政策展開は「先駆自治体」→「国の各省庁」→「居眠り自治体」という流れにある(松下,1986:221;松下,1991:287)という認識はこの点を鋭くついている。ユニークな行政サービスを提供する自治体についての情報も広く全国に流通するようになってきており(北大路,1992),先駆自治体への視察は一種の流行現象となっている。

 中央省庁側もむしろ政策の形成作業を自治体側に依頼するケースが増えてきている。中央省庁がこれまでの画一的,「護送船団(護送専断)」方式とでも言うべき政策のおしつけから,メニュー方式あるいは創意工夫尊重,「下駄あずけ」方式へと政策形成の方法を転換してきているのである。

 こうした中で,現代の行政が,社会の変動に対応してその専門知識と専門技能を多種多様で高水準なものにしなければならないという要請はますます高まっている(西尾,1990:113)し,また,都市化の進展に伴う自治体レベルの「現場」での政策課題も増加し続けており,政策研究が必要な自治体は,先駆自治体たらんとする自治体に限られているわけではない。「生活保護以外の福祉行政についてはもはや国が全国画一的に運営する従来の方式を断念し,市町村が主体となることを認めたこと,したがって市町村は本格的に地域における福祉需要を把握し,それに応えていく施策体系を形成しなければならなくなる。」(大森,1990:318-319)という老人福祉,障害者福祉などの福祉事務の団体事務化や「老人保健福祉計画」に代表されるように,自治体独自の手による政策の作成が広く要請されるようになっている。各種自治体計画の策定には,従来の中央政府の補助金交付を睨んだ総花的で,しかし個別的な施策・事業メニューの羅列ではなく,総合的で,有機的連関を明らかにした計画の策定が必要不可欠となっている。こうした一連の流れの中で,自治体の政策研究の重要性が意識され,指摘されてきているのである。

 Ⅲ 政策評価の一般的留意点

 さて,以上のように,自治体の政策研究の重要性が指摘されているが,ここで政策評価を行う場合の一般的留意点を2,3整理してみよう。

 (1)評価の目的

 事後的政策評価は一般的には,政策実施後の社会経済状況の変化を政策実施と結びつけて捉え,公共政策の実施が社会に及ぼした影響を探るために行われる。すなわち,事後的政策評価は,行政機関の手により政策が実施され,一定のインパクトが社会に生じた状態を評価することになる。その目的は,①政策実施機関の活動の統制,②政策実施機関への情報提供,③政策立案へのフィードバックなどにあることが一般に指摘される。

 統制を目的として政策評価を行う場合には,統制者と被統制者の間の政策目的の共有が大前提となる。しかし,政策目的については統制者と被統制者の間で必ずしも目的の共有が図られないかもしれない。目的の共有のない統制は(校則のさまつな制服規制に対する生徒の反乱・抵抗にみられるように)強行はできたとしても,統制のコストは著しく高い。また統制された結果が統制以前の状態と比較してより良い状態になっているとは限らない。目的に対する認識の齟齬から生じる面従腹背や統制への過剰な反応による「順法」の行動は,組織能率や組織管理の有効性を低下させることはあっても,政策評価による統制が本来意図していたはずの有効性の向上や能率性の向上にはなんらつながらないことになる(西尾,1988a:92-96)。また,達成すべき目的自体が曖昧で抽象的なものしか示されていない場合には有効性評価による外部統制は,実施機関にとっては統制の恣意性が強く意識されることになろう。

 今日では,統制機能から,情報提供機能,フィードバック機能へと政策評価の目的がシフトしていることが,とくにアメリカ合衆国連邦政府のプログラム評価をその典型例として指摘されている(注2)。アメリカ合衆国連邦政府の場合,評価が有効性の実態に深く立ち入れば立ち入るほど価値の問題を避けられなくなり,評価者が必然的に政治的抗争のアリーナに引きずり出されてしまうことへの危惧が「統制」的要素の希釈をもたらしたと考えられる(Guba & Lincoln, 1987:216)。すなわち,価値の多元性についての認識が,一意的な有効性を基準とした政策評価の問題性についての認識を生み,評価による統制よりも,情報提供機能に評価の目的をいわば「トーンダウン」し,評価主体の政治的緊張を開放する方向に向かったと言えるのではないだろうか。同様の事態は,アメリカに限らず日本にも当てはまる。さしあたりここでは,政策評価主体が実質的有効性の領域に踏み込んだ統制を行おうとすればするほど,評価者が政治的アリーナに引きずりこまれる可能性のあることを示唆しておくにとどめる。

 (2)評価の視点

 ところで,統制を目的に行うか,情報提供などを目的に行うかにかかわらず,政策評価のより具体的な視点としては以下のようなものが考えられる。

①政策の目的が実現されたか否かを政策実施前の状態と比較しようとするもの

 政策目的が明示的に示されている時には,その目的が達成されたか否かを探ることができる。とくに,政策の意図する状態が操作可能な目標としてあらかじめ表示されている場合には,目的の達成度を求めることも不可能ではない。

 しかし,一般的には,政策が社会に及ぼす最終的な目的について操作可能な目標が定められていることは少なく,施設の整備目標などの行政のアウトプットである事業の実施目標が示されるにとどまるのが普通である。事業の実施が社会にどのような影響を及ぼし,政策が意図していた最終的目的の達成にどの程度貢献するのかを明らかにすることはそれ自体複雑高度な調査や分析を要する作業であると言える(西尾,1990:287等)。

 それ以上に問題となるのは,このタイプの評価を行う場合に当該政策に目的が示されていない,あるいは,相互に矛盾する目的が並列的に示されている場合である。現実には,こうした政策の方がむしろ一般的で,評価者は評価すべき一意的,一元的な目的を見出すことができない。この場合には,評価者は,多義的な目的のいずれかにとくにコミットして評価を行うか,独自に政策の目的を設定し直して評価を進めることになる。この場合には,評価者の特定目的の選択あるいは設定の正統性が問われることになるだろう。

②会計経理の正確性,合規性を明らかにしようとするもの

 これは,あらかじめ定まっている歳出予算の執行に際し要求される正確性,合規性を明らかにするための評価である。この評価では,金銭的価値で表示された政策の要素が当初の予定通り正確に執行されたか,金銭支出に不備,不明朗さがなかったかということが評価の中心になる。

③政策評価や政策形成の改善に貢献するためのデータや手法を探ろうとするもの

 この中には,政策目的に対する実現手段の当否を明らかにしようとするもの,政策実施の効果に影響を及ぼす社会経済的要因を明らかにしようとするもの,政策形成段階での事前評価との対比を通じて評価手法の改善方法を探ろうとするものなどが含まれる。政策内容の適否を判断するための材料を整えるとともに,現実の政策が一定の効果をもたらしたか否かを政策の内容面から評価することに重点がおかれた評価の視点ということになる。

④政策実施機関の組織,管理の良否を明らかにしようとするもの

 このタイプの評価は,政策実施の効果を政策実施機関のパフォーマンスの従属変数として捉える視点である。目的群の体系化,目的を達成するための手段群の組合わせ等の政策内容には問題がないのに予定された政策効果が生まれないということはしばしばありうる。その原因としては,必要な人員の確保等ができなかったという資源調達上の問題,管理能力の欠如,政策内容に適合した組織設計の不備等の実施機関の組織上の欠陥を指摘できるかもしれない。また,実施担当者が政策目的に対する認識を内面化することに失敗したのかもしれない。いずれにしても,実施過程における組織管理の意義を明らかにする視点は政策評価に欠かせない。この視点については,すでに多くの政策実施研究が明らかにしてきたところでもある。

 以上,大まかに4つの政策評価の視点を指摘した。これらの視点からの調査分析は個別的に行われることが多い。しかし,それぞれを個別に調査分析しても政策実施の当否を全体的に明らかにすることにはならないし,実施された政策の適否を明らかにすることにもならない。したがって,それらの個別的に行われた評価結果の情報としての価値は,一定の限界を持っていることを常に意識しておくことが重要である。本格的な政策評価はこれらの視点が総合的に盛り込まれたものでなくてはならず,実現には相当な経費と時間,労力が必要となる。

 (3)評価の主体

 政策評価を行う主体は,一般に,政策実施に直接的にかかわっている機関と,政策実施の過程からみれば外部にあって直接的には政策実施にかかわらない主体の2種類に大きく分けることができる。

 政策実施機関による評価は,広く言えば実施機関に属するが実施担当部局の監督を主として担っている上位機関による内部監査的評価と実施担当部局が直接行う自己評価に分けられる。前者は,さらに,会計部門による会計監査,管理部門による業務監査に分けることもできる。

 外部主体による政策評価は,議会などによる政治機関によるもの,監査委員等によるもの,国の機関によるもの,さらには,住民や住民団体によるものなどがある。国の機関によるものとしては,会計検査院による会計検査,総務庁行政監察局による行政監察,各省庁による実施状況の調査などがある。

 こうした評価の主体の相違は,評価の視点の相違に関係してくることは言うまでもない。実施機関の会計部門は会計処理の正確性,合規性を中心とした評価を行うであろうし,外部主体による評価は,政策の目的が実現されたか否かを政策実施前の状態と比較しようとすることが多いであろう。実施担当部局が行う評価は,目的実現手段の当否や管理の良否,効果に影響を及ぼす要因などを明らかにしようとすることにより強く重点がおかれるであろう。

 また,外部機関による評価は,統制的要素が比較的強く意識され,実施機関内部での評価は,情報収集や政策立案へのフィードバックの要素が主として意識されるだろう。しかし,外部機関による評価も前述のように場合によっては評価者の意図にかかわらず政治的インプリケーションを持つことに留意して,それを避けようとすれば,統制的要素よりも情報提供機能を重視したものになることはアメリカ合衆国のGAOの経験が教えているところである。日本でも,会計検査院に設置された会計検査問題研究会で次のような議論があったことが『業績検査に関する研究報告書』に記載されている。すなわち,

「施策・事業の目的(狙っている効果)については,関係法令等の目的条項中の文言を見ても抽象的・包括的なものが多く,」

「したがって,会計検査院が有効性の観点から事後評価を試みようとする場合,事業の目的,評価基準等について事業実施主体等の関係部局との間で意見の一致しない部分が相当出てくることが予想される。このような状況下において,その評価結果を検査報告として公表することについては,会計検査院の評価に要請される中立性・客観性の確保ということといかに調整するかという問題が新たに生じてこよう。

しかしながら,会計検査院に課せられた情報提供機能の重要性を考えると,上記のような場合についても,評価の中立性・客観性に配意しつつ,積極的に評価結果を公表することも考えられる。例えば,評価結果について意見が分かれるような事案でも,関係部局等の見解を含めた両論併記のような形で検査結果を公表する方式を導入すべきではないかという意見が当研究会の討議の中でも提起されており,国会の審議でも,特に有効性の観点から評価についてそのような趣旨の議論がなされている。(下線引用者)」(会計検査問題研究会,1990:254)

 以上の目的,視点,主体の関係については,表1のようになるだろう。

表1 政策評価主体と評価目的、評価視点の関係

 Ⅳ 北海道の市における政策評価の現状

 日本の地方自治体においては,政策形成に向けた政策研究はなされつつあるものの,一般に政策評価への取り組みはその手法の開発の遅れもあり,十分であるとは言えないと言われている(たとえば,斎藤,1992)。ここでは,筆者が北海道内の各市の政策評価への取り組みについて簡単に調査した結果を述べる。

 筆者は,最近,道内の全市(32)について政策評価の現状を知るためのごく簡単な調査を行った。質問内容および集計結果は資料1資料2をそれぞれ参照されたい。調査は郵送で行い,とくに督促はしなかったが,18の市から回答があった(回収率56.3%)。なお,質問がやや抽象的であったため,回答した市によって,政策評価,施策評価,事業評価といった言葉をどのように理解するかについての認識が異なっているように思えた。その点を考慮に入れて調査結果について若干の考察をしてみる。

資料1

政策評価(事業評価・施策評価)に関する調査(質問)

1.貴市において,監査委員以外に,市長部局,あるいは水道などの事業部局に事業評価や施策評価等を専門に担当する職がおかれておりますか。おかれている場合には,その名称,職員数,年間の評価件数,最近のおもな評価事例の名称を教えてください。(その他,参考になりそうなことがございましたら,自由にご記入ください)

 □有  □無

「有」の場合,以下にご記入ください。

2.貴市の条例,規則,要綱等の中で条文中に施策(政策)評価を義務付けるか,促す条項の含まれたものはありますか。あれば,その条例,規則,要綱等の名称も教えてください。(できましたら,該当条文等も引用いただければ幸いです)

 そうした条例等が多数ある場合には,代表的なものの名称を数点教えてください。できれば,条例,規則,要綱等の別ごとにその数を教えてください。

 □有  □無

「有」の場合,以下にご記入ください。

3.貴市の計画(基本構想,基本計画,実施計画等)の中で進捗状況等の評価を義務付けるか,促す項目が含まれたものはありますか。あれば,その計画等の名称も教えてください。(できましたら,その表現等も引用いただければ幸いです)

 □有  □無

「有」の場合,以下にご記入ください。

4.貴市では,事業評価,施策(政策)評価に類するものを行ったことがありますか。ありましたら,その評価等の名称と簡単な内容を教えてください。

 そうした評価等が多数ある場合には,代表的なものの名称を数点教えてください。できれば,全体の数も教えてください。

 □有  □無

「有」の場合,以下にご記入ください。

5.事業や施策(政策)の評価をする場合,何等かの形で市民の参加を募っているものがありましたら,その評価の名称と簡単な内容を教えてください。

 □有  □無

「有」の場合,以下にご記入ください。

6.事業や施策(政策)の評価をする際に,審議会等の諮問機関を利用したことがありましたら,その評価の名称と審議会等の名称,評価の簡単な内容を教えてください。

 □有  □無

「有」の場合,以下にご記入ください。

7.最近一部の地方自治体にオンブズマン制度が採用されていますが,貴市においては何等かのオンブズマン制度を導入していますか。あるいは,導入を検討しておりますか。導入,もしくは,検討しているオンブズマンの対象とする事業等が限定されておりましたら,当該の事業等を教えてください。

 □オンブズマン制度を導入している

 □現在はないが,導入を検討している

 □今のところ,導入を考えていない

貴市についての調査結果を貴市名を特定して公表してもかまいませんか。

 □かまわない  □特定しないことを望む

以上

資料2 政策評価に関する調査回答(質問1−6)

 質問1については,監査委員以外に政策評価を担当する職員を配置している市はなかった。しかし,91年の地方自治法改正により,監査委員の権限が拡大され,従来の財務監査に加えていわゆる行政監査を必要に応じて行えることとなった。監査委員がその事務局あるいは事務を補助するための職員とともに当該自治体の事務が「住民の福祉の増進に努めるととともに,最小の経費で最大の効果を挙げ」(地方自治法第2条第13項)ているかを監査することは政策評価に該当する。もっとも,この行政監査は「必要があると認めるとき」に行われるものであり,定期的に行われるものではない。

 質問2は,政策評価を義務づけるか,促す条項の含まれた条例,規則,要綱等の存在を尋ねた。3市があると答えている(注3)。業務担当部局がその業務内容を市長に報告するという内容の条例を挙げてきた市が1市,市長による業務実態の公表,議会への報告を義務づけた条例を挙げてきた市が1市,事務分掌条例施行規則中の「進行管理」を挙げた市が1市であった。これらの3市の条例あるいは規則は政策評価の手がかりとなり得る情報の収集を義務づけていると言える。しかし,同様の条例等は他の自治体にもありそうである。単なる業務内容の報告では政策評価に当たらないと考えて評価を義務づけ,促す条例等はないと回答してきた市もあるかもしれない(注4)。

 質問3は,自治体計画の中で評価を義務づけ,もしくは,促す項目が入ったものがあるかを尋ねた。まちづくり計画の定期的ローリングを挙げた市が1市と,事業計画を挙げた市が1市あった。まちづくり計画のローリングはおそらくは多くの自治体で行っていると思われる。現に次の質問4で計画のローリングを行っていると回答しているのにこの質問では「無」と答えている市もある。計画中には明示されていなくてもローリングを行っているということであろう。いずれにせよ,計画中に事後的評価を明示していると答えた市がほとんどないのは意外だった。

 質問4は,政策評価に類することを行ったことがあるか否かを尋ねた。回答した市のうち7割の市が行っていると答えている。内容も,住民などへの意識調査,計画の進捗状況の調査,各種モニター制度,施設の利用者数の把握など多彩である。条例等や計画に特段の定めがなくとも,何らかの評価を行おうとする各市の意欲が表われている。

 質問5は,評価過程への市民参加の有無を尋ねた。4つの市が「有」と答えている。市民モニター,あるいは,モニターに近いものを挙げた市が3市あり,残りの1市は「市民会議」の設置を挙げている。市当局が評価を行う過程で,評価のための庁内会議等の参考として何らかの市民参加を行うといったレベルの参加はあまり行われていないようである。

 質問6は,政策評価における審議会等の利用状況を尋ねた。評価に際し,審議会を利用したと答えた自治体は2市であった。ただし,それ以外に,審議会の審議の中で過去の実績等の反省に基づいて議論がなされることがあると答えている市が1市ある。評価は,庁内で検討されることが多く,審議会などにかけることはほとんどないのであろう。

 質問7は,オンブズマン制度の状況について尋ねている。採用している市はゼロで,検討中と答えた市が1市あっただけで,残り17市は,オンブズマンの導入を検討もしていない。前述した,監査委員の職務権限の拡大に伴い,監査委員がオンブズマン的機能を発揮するように運用されることが望まれるという指摘もある(池田,1991:179)。しかし,当面北海道の市ではオンブズマンの導入はなさそうである。

 以上,簡単に今回の調査の概要を述べた。総じて言えば,政策評価への取り組みはさまざまに模索されていると言えるかもしれない。しかし,条例や規則,計画等に明確に政策評価のための規定を定めている市はほとんどない。また,施設利用調査,住民アンケート調査等は広く行われているようであるが,それらをどのように政策の有効性の判断に結びつけていくかという点については必ずしも十分に考慮されているとは言えないのではないだろうか(注5)。

 Ⅴ 自治体における政策評価を阻害するもの

 次に,自治体における政策評価への取り組みを阻害する要因について考えてみよう。さしあたり,ここでは,(1)日本の中央地方関係からの制約,(2)評価手法の開発の遅れ,(3)自治体の政治的環境の3つの側面から見てみたい。

 (1)日本中央地方関係からの制約

 日本の中央地方関係は,前述のように,中央政府が政策の主導権をにぎることが多かった。また,地方自治体がさまざまな政策提案を行いそれを実現しようとしても,中央省庁がそれにブレーキをかけようとすることも少なくなかった。機関委任事務が地方自治体の自主性を著しく阻害するものであることは言うまでもない。さらに,一部の自治体においては,本来自治体の固有の政策領域,あるいは,自治体に裁量が任されている政策領域に対してまでも中央省庁の意向を頼りにする傾向がありがちであったことも否めない。

 このような中では,自治体の政策といっても,前述のように中央省庁からの指令に基づくものであるという意識が強く,自治体が自身で政策の内容や体系を理解し,設計するという作業はほとんど行われることがなかったと言える。政策の責任はあくまで中央省庁にあるというのが一般的な見方だったと言える。自治体の政策責任が曖昧である以上,政策の評価という発想も一般的には生まれ難かったと言える。もちろん,一部の自治体では政策評価のための指標作りを進めてはいたが,こうした取り組みは一般的なものとは言えなかった。総じて自治体には,政策評価志向が欠如していたと言える。

 (2)評価手法の開発の遅れ

 前述のように,政策評価を行うには政策目的の確定や評価手法の確立など解決しなければならない課題が多い。

「公的機関において十分な評価システムが確立されていない場合……の方が一般的であって,評価システムの整備については,分析モデルの構築はもちろん,施策・事業の目的の明確化(定量化)や評価基準でさえ確立されていないものが多い。」(会計検査問題研究会,1990:14)

あるいは,

「最終的な目標レベルで有効性を測定しようとすると,一意的あるいは,中立的・客観的な評価基準が存在しないことが少なくないため,中立的・客観的をある程度犠牲にせざるを得ない場合も生じてくる。

一方,事業レベルの下位の成果段階で測定し評価しようとすると,中立的・客観的な基準は得やすいが,最終目標における達成度との関係が希薄になり,評価に乖離が生ずる危険が出てくる。また,設定された評価基準が当該プログラムの目標を適切に表現していない場合や,プログラムによってはその目的が抽象的,定性的であるケースもあり,このような場合は,業績検査を行う側で評価基準を新たに設けなければならない。」(会計検査問題研究会,1990:37)

という悩みは,自治体が政策評価に着手しようとする時,同じように遭遇するものでもある。たとえば,北海道議会における理事者側の施策評価の困難さに再三言及する次のような答弁にはそうした苦汁がにじみ出ている。

「行政効果の測定あるいは行政施策の評価に関しては,行政施策全般について普遍的に適用できる方法というものは,外国における先進例も含めて,なかなか見当たらない……また,他の都府県における取り組みを見ても,有効な方法を模索している段階にある。このようなことから,行政効果の測定については,普遍的かつ適格な方法を見出すことは,現段階では困難であると考えている。」(1985年決算特別委員会での答弁)

「民生や衛生関係の施策になると,道民の皆さんの主観によってその効果が判断されるものなどもあり,すべての事業について,その効果を客観的,合理的に把握するということは非常に難しい面もある。」(1990年第1回定例会一般質問への答弁)

 また,小規模な自治体においては,職員数が限定され,委任事務や固有事務の執行に活力をそそぐと,政策評価までは手が回らないということもある。そのような場合には,基本的なデータを収集し整理することさえままならないことになる。

 (3)自治体の政治的環境

 地方自治体の行政が政策評価を行う場合,避けて通れない問題として,自治体行政を取り巻く政治的環境の問題がある。その一つは,議会との関係である。地方自治体は首長と議員がともに選挙で選出される二元代表制を採用している。しかし,議会審議の実態は,理事者と呼ばれる首長を含む行政幹部に対して議員が「質疑」をするという日本の国会型である。そして,議会が決定する条例・予算等も行政機関側がその原案を用意するのが一般的である。したがって,自治体の議員にとっては,自治体の政策は自分たちが作ったものであるという自覚はそれほどなく,政策は首長,もしくは行政が作ったものとして受け止められているのが実態であろう。

 こうした状況の中で政策評価を行うことは,場合によっては,党派的抗争に行政が巻き込まれてしまう可能性を否定できない。また,政策評価の結果,効果がそれほど生じなかったことが明らかになると,議会で首長に対する責任追及が行われ,行政機関も否応なく政策実施上の責任,政策立案上の責任を追求される。したがって,できれば事後的政策評価を避けたいし,行うにしても事業の進捗状況の調査,補助金の給付実績といった,政策の効果・効用よりもレベルを下げた事業量あるいは作業量の目標値を基準とした評価にとどめたい,それもなるべく評価結果は公表したくないと考えるのは予想し得ることである。

 自治体によっては,選挙応援と公共事業請負が密接に関連していることが報道されることがある(たとえば『朝日新聞』1992年6月21日)。首長選挙の応援を熱心に行うことが公共事業工事の落札につながるというのでは,評価を行うという発想自体が入り込む余地はない。こうした状況は報道される一部の自治体にとどまらないのかもしれない。

 Ⅵ 地方自治体における政策評価の展望——むすびにかえて

 自治体が政策評価に取り組もうとする場合,以上のような制約条件があるとしても,政策研究への関心の高まりとともに,評価志向は高まるであろう。その背景としては,第一に,機関委任事務の団体事務化等に見られる自治体間競争の激化,第二に,それに伴う住民への説明と答責の必要性の増大,第三に,以上の点から生ずる,フィードバックによる政策形成の必要性の増大を挙げることができよう。

 第一の点については,すでに触れた。第二の点については,従来,自治体の行政現場では,国の法令や中央省庁の通達を背景として,住民や議会に対して,指摘される行政活動の不備について「国の基準ですから」という言い訳をする場面が多かったと言える。しかし,今後は,住民や議会に対して,自治体行政の視点からの説明と答弁責任が課せられる機会がますます増えてくることはまちがいない。自治体同士のまちづくり政策体系のヴァリエーションが広がるとともに,自治体の政策選択の基準や理由が鋭く問われることになる。住民や議会への説明に際しては,独自の視点に立った政策評価が必要となる。また,必然的に,政策評価に基づいた政策形成を行わなければならなくなるだろう。政策評価に基づいたフィードバックのない政策形成は住民や議会から鋭くその正当性を問われることになろう。

 とは言え,現実には,政策評価を行う際の基準となる指標の開発さえも必ずしも十分ではない。また,比較的指標化しやすい政策分野とそうでない分野があり,ともすれば,指標化しやすい政策分野についての政策評価に偏ることが懸念される。また,指標化しにくい政策分野について代替的指標を用いて評価を行う場合の陥穽を看過する可能性も大きいことに注意を払わなければならないだろう。こうした指標の開発や評価手法の開発については,会計検査院や総務庁行政監察局の役割も大きいと思われる。

 そして,客観的指標の開発が進み,科学的政策評価が行えるようになったとしても依然として別の問題が横たわるのである。

「しばしば,『行政の科学化』の前提条件として客観的指標の作成が不可欠であるかに言われるが,一般的に言って,行政改善上の具体的問題の多くは,指標の作成やデータの整備によって初めて見出されるものではないことに思いをいたすべきである。むしろ,問題点が認識されているにもかかわらず,現実の政治・行政過程の中でその改善が図られなかったり,思わぬ隘路に陥ってしまうことのほうが遥かに多いのではないか。」(今村,1988:51)

という懸念は,政策形成の前提となる行政需要論について述べられたものであるが,自治体が政策評価を行う場合にも等しくあてはまるであろう。すなわち,政策評価の過程で,政策(施策・事業)の効果的,能率的遂行が妨げられていることが明らかになったとしても,その中には,政策案作成担当者や政策実施担当者には如何ともしがたい社会的,政治的「現実」が含まれていることは避けられないだろう。「政策の評価について,行政内部から行っていくのは,なかなか難かしい取り組みです」という,筆者が行ったある調査における自治体職員の言葉は,こうした側面を実感をこめて示したものと言えよう。自治体職員にとっては,与えられた政治的,社会的,経済的諸条件はあくまでも所与のものとして対処せざるを得ないというジレンマがある。

さらに,つけ加えるならば,今後ともさまざまに開発されると思われる自治体における政策評価の手法や技術が,単に政策立案者やそれを補佐するスタッフのためだけのものではなく,住民にとって有用な技術として開発されることの必要性があらためて認識されるべきである(西尾,1990:115)。そのためには,評価の過程への積極的な参加を促す方策を検討していかなければならない。緒についた自治体の政策研究が,職員のための単なる管理技術の向上を目指すものではなく,市民,議会を含めたトータルな自治体政府としての研究になることが大きな課題である。

参考文献(引用しなかった文献を含む)

赤塚雄三「プロジェクトの事後評価に関する考察」『会計検査研究』第3号,1991年

赤塚雄三・猿渡耕二「プロジェクトの事後評価システムに関する考察——わが国のODA事後評価システムについて——」『会計検査研究』第5号,1992年

池田昭義『地方公共団体の監査制度』学陽書房,1991年

今村都南雄『行政の理法』山嶺書房,1988年

大森 彌『自治体行政学入門』良書普及会,1987年

大森 彌『自治行政と住民の「元気」——続・自治体行政学入門』良書普及会,1990年

岡村 肇「会計検査の観点について——社会的公正性・公平性と会計検査——」『会計検査研究』第4号,1991年

折笠竹千代「都市の政策と経営——地域政策の動向」『都市問題研究』92年3月号,1992年

会計検査問題研究会『業績検査に関する研究報告書』会計検査院,1990年

金本良嗣「会計検査院によるプログラム評価——アメリカGAOから何を学ぶか——」『会計検査研究』第2号,1990年

北大路信郷「自治体経営のあり方」『地方自治』89年9月号,1989年

北大路信郷「戦略的行政−都市経営と地域おこしのシナジー」『都市問題研究』92年3月号,1992年

斎藤達三「地方自治体におけるプログラム評価」『会計検査研究』第3号,1991年

斎藤達三「自治体施策の事後評価——宇都宮市地区市民センター設置のケーススタディ」『都市問題研究』92年3月号,1992年

斎藤達三・日高昭夫『自治体行政の生産性』日本能率協会,1985年

佐藤克廣「アメリカにおける政策評価——八○年代の動向を中心に」『北海学園大学法学研究』第27巻第3号,1992年

自治体学会編「座談会『自治の原点』」『自治の原点』(年報自治体学第2号)良書普及会,1989年

新藤宗幸『行政改革と現代政治』岩波書店,1986年

新藤宗幸『財政破綻と税制改革』岩波書店,1989年

茅根 聡「地方自治体会計の現状と改善への試み——ストック会計の導入を中心として」『会計検査研究』第4号,1991年

辻山幸宣「機関委任事務概念の変容と新たな展開」新藤宗幸編著『自治体の政府間関係』学陽書房,1989年

西尾 勝『行政学』放送大学教育振興会,1988年(a)

西尾 勝「自治型の行政技術」自治体学会編『自治型の行政技術』(年報自治体学第1号)良書普及会,1988年(b)

西尾 勝『行政学の基礎概念』東京大学出版会,1990年

西尾 勝『行政の活動』放送大学教育振興会,1992年

日高昭夫「自治体行政研修における『政策課題研究』の意義と『課題設定』の一般的枠組み——若干の体験に基づく一試論」山梨学院大学行政研究センター編『公務員行政研修のあり方』(YGUPACシリーズ①)第一法規,1991年

日高昭夫「自治体の政策力量と職員研修」『都市問題研究』92年3月号,1992年

松下圭一「自治体における政策研究」『いま草の根の現場から自治体学の構築を』経済評論増刊日本評論社,1986年

松下圭一『政策型思考と政治』東京大学出版会,1991年

村松岐夫『地方自治』東京大学出版会,1988年

山谷清志「プログラム評価の二つの系譜——評価研究と業績検査——」『会計検査研究』第4号,1991年

吉江 勉「『業績検査に関する研究報告書』の概要」『会計検査研究』第2号,1990年

吉江 勉「『パブリック・アカウンタビリティと会計検査に関する調査研究報告書』の概要」『会計検査研究』第5号,1992年

Palumbo, Dennis J., "Politics and Evaluation," in Dennis J. Palumbo, ed., The Politics of Program Evaluation, Sage Publication, 1987

Guba, Egon G. & Yvonna S. Lincoln, "The Countenances of Fourth-Generation Evaluation: Description, Judgment, and Negotiation," in Dennis J. Palumbo, ed., The Politics of Program Evaluation, Sage Publication, 1987

注:

1)また,「行政評価」という言葉が使われることもあるが(斎藤,1991),この言葉は,後に述べる政策評価の視点の中の政策実施機関の組織,管理の良否の問題が中心となる評価を表すものと解されるおそれがあるので本稿では採用しない。もっとも,狭義の組織管理の良否を問題にする場合を「管理技術」と呼び,より広く行政官僚制のかかわる全体のパフォーマンスを問題にし,官僚制を統制する市民の技術を「行政技術」と呼ぶ場合もある(西尾,1990:106)。この定義に従うと「行政評価」は行政官僚制を統制するための市民の評価ということになろうか。さしあたり本稿では「政策評価」という言葉に官僚制内部の管理と官僚制の周縁で住民とかかわる部分の問題とを含めて考えたい。

2)たとえば,GAOの実態調査を踏まえた次のような観察を参照。

 「……GAOの基本的なアプローチとして,プログラム評価の目的は担当者の責任追求はなく,問題を発生させる原因を究明することによってシステムの改善を図ることである点が重要である。

 このようなアプローチをとっている理由は,……第一に,プログラム評価を行うためには,データ提供などに関して評価対象になる政府機関の協力が必要であり,責任追求を主目的にすると秘密主義がはびこり,かえって弊害を生む可能性がある。第二に,プログラムの問題点は担当者個人や担当部局に責任があるのではなく,システム全体に歪みがあることが多い。責任追求に主眼を置くと,このようなシステム全体に関わる問題点を探す努力が不十分になる。……GAOでは大量で信頼性の高いデータを用いて非常に単純な分析を行っているのが現状である。」(金本,1990:17-18)

3)その他にも,3市が補助金等の交付規則(ただし補助金交付の対象は区々)を例として挙げて政策評価を義務づけた条例等があると回答している。しかし,これらはいずれも,補助金の受領団体・個人が業務実績等を市長等に報告するという趣旨の規定があるというものであり,政策実施部局の業務等の報告を念頭においた筆者の質問の意図とは異なる回答であるため,「有」から省いた。

4)たとえば,質問4では政策評価を行っていると回答し,その根拠としてある規則を挙げているにもかかわらず,ここでは「無」と答えた市がある。

5)筆者の経験した事例では,車椅子利用者用公営住宅の建設に際し,既存の車椅子利用者用公営住宅への応募状況の数値等を単純に利用したものがあった。それにより,車椅子利用者が望む交通至便な地域に建設を予定されていた公営住宅の車椅子利用者用の戸数を減じようとしたのである。しかし,応募状況のデータとして使われた既存の車椅子利用者用公営住宅は車椅子利用者が入居しても日常の移動や生活が困難な地域に建設されていたものであった。このように数値で捉えやすいデータ部分のみを利用した単純な評価がさまざまな問題を引き起こすことはすでに指摘されているところであるが(たとえば,西尾1990:148,267,279),自治体の現場では十分な配慮がなされないこともある。もっとも,公平のために付け加えておけば,この件に関しては,国庫補助の関係で応募状況の悪さが建設省等の国の機関からも指摘された模様である。

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