第14号
「行政統制システムの再創造 −会計検査の位置づけ−」
宮川 公男、秋吉 貴雄
宮川 公男
(麗澤大学国際経済学部教授)
1931年生まれ。一橋大学経済学部卒。同大学大学院博士課程修了。商学博士。一橋大学教授を経て,95年より現職。(財)統計研究会理事長。この間,経済企画庁システム分析調査室長(初代),一橋大学商学部長等歴任。日本経営学会,組織学会,TIMS等に所属。主な著書は『意思決定の経済学』『オペレーションリサーチ』『基本統計学』『経営科学と情報処理』『システム・ダイナミクス』『政策科学の基礎』『政策科学入門』など。
秋吉 貴雄
(一橋大学大学院商学研究科)
1971年生まれ。一橋大学商学部卒。同大学大学院修士課程。日本計画行政学会,国際システムダイナミクス学会に所属。
1.2つの問題の顕在化
本稿は,米国を中心として行政システムのパラダイムの転換が必要とされているなかで,主として米国での動向について考察し,それを参考にしつつわが国の行政システムを統制する行政統制システムをどのように再創造し,その中で会計検査及び会計検査院をどのように位置づけるかということについて考察する事を目的としている。
国家及び行政の役割は,その初期の段階においては「夜警国家」という言葉が示すように,非常に限定的なものであり,その規模も限りなく小さいものであることが望ましいとされていた。しかしながら,産業化と都市化の流れの中で新しい社会問題が噴出し,国家及び行政はそれらの問題に対処する役割が求められ,活動の範囲は広がっていった。そして第二次大戦以降,先進諸国においては,国家がいわゆる「行政国家」と化し,公的部門の役割は非常に重要なものとなり,その活動は範囲,規模ともにかつてのものからはるかに増大し,国民生活に広く関わるものとなってきた。
わが国においても同様に,明治維新以来,とりわけ第二次大戦以降の諸外国へのキャッチアップの段階において,産業政策の立案・遂行等で公的部門が果たしてきた役割は非常に大きいものであった。また,「政治・行政二分論」で「政治が決定したものを行政が実施する」と想定された状況とは遠く,実際には様々な社会問題について,行政は実質的・中心的な調整者・解決者であった。
しかし,21世紀を目前にした現在,第二次大戦以降のわが国の発展をささえてきた様々な制度の「制度疲労」が各方面から指摘され,その見直し及び構造改革の必要性が叫ばれている。また,その諸制度の中核に位置してきたわが国の公的部門においても,現在財政赤字とパフォーマンスの低下という先進諸国の公的部門が共通して抱える二つの大きな問題に直面している。
財政赤字に関しては,日本財政は現在危機的な状態に陥り,その運営の早急な見直しが求められている。日本の財政は1970年代から悪化傾向になり,70年代後半から80年代前半において第一次財政危機を迎えた。中曽根内閣での行財政改革を経て80年代後半のバブル景気によって,収支状況は好転し,91年度には対GDP比で3%もの財政黒字を計上した。しかし,バブル崩壊後を契機に再び財政状況は悪化し,ゼロ成長経済下において現在対GDP比で4%もの財政赤字を抱え,ストック面においても,国債の発行残高は本年度末にGDPの約半分である241兆円にも上るといった危機的状況であり,先進諸国においてもイタリアと並んで最悪な状況に陥っている。高齢化社会を目前にし,貯蓄率が低下し,社会保障基金が赤字化することは必至であることから,財政赤字を生みだす構造を改革する必要が叫ばれている。
一方,公的部門のパフォーマンスの低下に関しては,官僚のモラル低下と官僚機構の機能不全とが近年特に指摘されている。官僚のモラル低下に関しては,官官接待の問題や一部高級官僚のスキャンダルが連日取り上げられ,またかつての「滅私奉公」「公僕」といった言葉はすでに死語となり,公共投資の配分,NTT分割問題での議論などでも「省益」,「局益」が優先されている状況は各方面から指摘されている。また,官僚機構の機能不全に関しては,戦後の経済発展を支えてきた官僚機構は,日本経済の構造改革が叫ばれる現在においては寧ろその弊害が指摘されている。肥大化した官僚組織が,「繁文縟礼」に代表される官僚主義,前述の「省益」「局益」の源泉となる専門分化によるセクショナリズム等によって,非常に非効率な組織となっていることに関しては従来から指摘されてきたことであるが,現在ではそれが助長され,新しい社会問題や従来の問題の環境変化等への迅速な対応といったことが不可能になりつつある。
以上のような行政システムをめぐる二つの問題が顕在化している現在,その行政システムの改革と同時に,それを統制する行政統制システムの改革も重要になってくる。わが国においては,計画への偏重から,評価及び統制が機能しているとは言い難い状況になっており,「政府組織の経営」という新しい視点を踏まえた上で,行政統制の在り方について検討しなければならないのである。
その際に,われわれが注目しなければならないのは,わが国と同様にこの2つの問題を抱える米国における行政システムの再創造(reinvent)への取り組みと,それに基づいた行政統制システムの再創造の動きである。米国での行政システムの改革の議論においては,わが国で頻繁にやり取りされる特定組織の改廃といった論点はほとんど見られず,それ以上に,公的部門の在り方が問い直され,それ自体が再創造し,官僚主義に代表される組織文化を変革し,分権化された,ムダのない組織となり,かつ革新的で,順応性に富み,学習する組織を形成することが説かれている。そして,そのように行政システムのパラダイムが転換する中で,伝統的な行政統制概念及び行政統制システムの在り方が問い直され,再創造への強い志向が求められているのである。
2.伝統的行政統制システム
1) 行政統制の伝統的概念
伝統的に行政統制及び行政統制システムは,裁量が与えられた行政府及び行政官の活動に関して,責任(行政責任)を確保することを目的としてきた。
「政治行政二分論」,「政治行政融合論」の別を問わず,行政府及び行政官の活動には常に一定の裁量の余地が存在する。政策実施という限定的な役割が与えられる「政治行政二分論」における行政においても,議会から行政府に対して,また行政府内の階層組織における上位の行政官から下位の行政官に対して,執行の権限が委譲される中で,執行する業務の細目まで決定することは事実上不可能であり,行為者には同時に一定の裁量権限が委譲されることになる。また,政策の作成といった役割が与えられる「政治行政融合論」の行政においては,政策課題の設定,政策代替案の作成,といった各段階において行政府及び行政官に対して多大な裁量権限が付与されていることは自明である。以上のことから,裁量権限が与えられた行政府の活動に関しては,その責任(行政責任)を確保するために,行政府の外部からの統制の必要性が生じるのである。
行政責任については,西尾[1995]で指摘されているように,行政学においても時代によってもその概念は変遷し,例えば,代表的なフリードリッヒ=ファイナー論争においては,行政責任について,フリードリッヒが「機能的(客観的)責任」,「政治的(主観的)責任」という見解を示したのに対し,ファイナーは民主的統制の観点から「外在的責任」「内在的責任」という見解を示した。また,「責任」という言葉自体多義的なものであり,西尾[1990]によれば,統制に対して的確に応答するという,伝統的な行政責任である「受動的責任」には,「任務責任」,「服従責任」,「応答責任」,「受裁責任」といったものが挙げられる。そして,その中でも行政統制の中核にあるのが「応答責任(アカウンタビリティ)」の概念である。
わが国においては,アカウンタビリティは,特にその歴史的経緯から会計責任や予算責任として扱われることが多々あり,様々な概念が含まれている言葉であるが,端的には「自らがとった行動に対して説明を行う責任」である。
ここで,組織の経済学におけるプリンシパル=エージェント理論を用いて説明すると,単純なプリンシパル(委任者)とエージェント(受任者)の関係においては,プリンシパルから業務の遂行を委託されたエージェントは,自らが採った行動についてプリンシパルに説明する責任が生じる。そしてプリンシパル=エージェントの関係が複雑化する政府レベルにおいては,業務の遂行を委託される行政府はエージェントとして,プリンシパルである国民の代表としての議会に対してアカウンタビリティを有し,また,階層的組織が形成されている行政府内においては更に業務の遂行が委託される下位の行政官はエージェントとして,プリンシパルである上位の行政官に対してアカウンタビリティを有するというように,アカウンタビリティは,複雑な階層的構造を有しているのである。
このような政府レベルにおけるアカウンタビリティの特性から,伝統的な行政統制システムにおいては,基本的にはいわゆる「指揮および統制」(command-and-control)が柱となっている。すなわち,行政官の諸活動に対して,まず明確な規則の指揮(commands)を与え,更に公式的手続き,監視,施行などによって指揮の有効性の確保を統制(controls)することによって行政官の行動の裁量を制限することであり,また,それがアカウンタビリティであると考えられてきた。
2)伝統的枠組み
以上のような行政府のアカウンタビリティを確保する事を目的として,実際に行政の活動に対して統制が行われるが,それには,国会による監督といったものから,利益集団や市民参加による統制,更には組織文化や行政倫理による自己規律による統制といったものまで多様な統制の形態が挙げられる。
この行政統制を類型化したものとして代表的なのがGilbert[1959]である。行政学のテキストで頻繁に引用されているのでここでは詳細には検討しないが,そこではまず統制の主体の制度的位置によって内在的=外在的に区分し,次に統制の制度の有無によって公式=非公式に区分し,この2つの軸からなるマトリクスが形成される。そして,その4つの各セルは,①官僚組織内の統制や他の行政機関による統制といった「内在的・公式統制」,②官僚組織内の組織文化による統制といった「内在的・非公式統制」,③議会及び司法による統制といった「外在的・公式統制」,④利益集団及び市民参加による統制といった「外在的・非公式統制」,と区別される。(図1参照)(注1)
Gilbert[1959],p.382
ここで,米国の狭義の行政統制システムについてみてみると,その中核には,米国会計検査院(General Accounting Office,以下GAO)と監察総監(Inspector General,以下IG)が位置づけられる。
その歴史的経緯についてみてみると,議会の付属機関であるGAOは,1921年の予算会計法によって,連邦政府の予算執行の監視機能が与えられ,行政統制システムの中核に位置し,個々の政府支出の全てを合規性の観点から検査を行った。しかし,ニューディール後の行政活動の増大によって,個々の支出の検査は膨大なものとなり,第二次大戦中には約4年分の支出項目が未処理となり,実質的に崩壊した。そして,1950年の予算会計手続法によって,会計および内部監査の機能がGAOから行政部門に返還され,また,GAO自身も会計的機能を手離してより限定的な検査機能,すなわちプログラム評価と業績および結果検査への方向を志向し,経済性(Economy),効率性(Efficiency),有効性(Effectiveness)といういわゆる3Eの基準に基づいて検査が行われていった。
GAOの会計的役割に関しては,第一に,検査は会計についての独立のチェックであると考えられていたことから,行政部門から,GAOが会計と検査の二つの役割を兼ねることに疑義が提出されていた。第二に,連邦議会から,GAOは一方では大量の会計上の仕事を日常的に行いながら,他方で包括的なプログラム結果検査をどうして実施できるかという疑問が提起されていた。第三に,若手リベラルの議員たちから,GAOの会計的役割はGAOが議会のより広範な目的のために奉仕する妨げになっているのではないかと批判されていた。
1950年の予算会計手続法の制定でGAOが政府会計および内部監査の機能を手離したことによって新たな問題点が発生することになり,IGの概念の発生へとつながった。
米国連邦政府に近代的なIGが出現したのは,1959年の修正相互安全保障法によって国務省にInspector General and Comptroller がおかれたのが始めであり,その後1962年に発覚した汚職スキャンダルを契機に,農務省に法律ではなくOrville Freeman 長官の命令によってIGが生まれた。さらに1976年には保健教育厚生省(HEW)にIGがおかれる立法がなされた。このような経験を経て,1978年には政府全体をカバーするIG法が制定され,12省庁にIG室(OIG,Office of Inspector General)がおかれることになったのである。
1970年代初頭以来,政府財政赤字の増大や歴然としたスキャンダルの続発により,不正,浪費,乱用に対する戦いが国家的な優先課題となってきたが,IG法もその戦いの一環であった。IG法が制定された1978年秋の連邦議会は,他に公務サービス法(Civil Service Act)や,政府倫理法(Ethics in Government Act)を含め,過去50年間における最も重要な行政改革法案パッケージといわれたものを成立させた。それらはいずれも政府のアカウンタビリティを追求するものであるが,成果達成へのインセンティブ,政府の基本的能力の強化といった視点を包含したものはIG法だけであった。
しかし,実際にはIGの機能は十分に発揮されたとは言い難い。80年代を通じて選好されたのは合規性のアプローチであり,議会も大統領も成果達成と能力強化への注力には乗り気ではなかった。合規性追求の方が大量の,しかも国民の目に見えるわかりやすい監視結果報告を生み出すことができることから,議会も大統領も成果を誇示しやすかった。また是正行為の勧告もコストが少なく,政治的にも受け入れられやすく,法的権限も明確であり,実施も速やかにできるような性質のものであったことも指摘される。
3.行政システムのパラダイム転換
1)行政の再創造への動き
「統制」の対象語である行政システムの様態は,行政統制システムの在り方について検討する際に,前述の行政責任の概念と同様に,非常に重要な要素である。つまり,行政システムに何らかの変化があれば,その統制の在り方も同様に変化することとなる。米国では,90年代から行政システムの在り方が問い直され,従来の進歩主義を背景にしたパラダイムが転換され,新しい行政システムが模索されてきた。
先進諸国においては,1970年代に入ると「黄金の60年代」とは対照的に経済の低成長に直面して財政状況は次第に悪化し,同時に,第二次大戦後肥大化を続けた行政システムは機能不全に陥っていた。70年代後半から,公的部門の見直しが行われ,米国のカーター,レーガンの両政権,英国のサッチャー政権で,大幅な規制緩和や民営化が実施され,他国にも大きなインパクトを与えたが,状況の抜本的な改善は見られなかった。
特に米国では,90年代に入ると,更に公的部門及び公共サービスの在り方にまで踏み込んだ議論が実務サイド,研究サイドを問わず活発に行われ,改革に向けた様々な取り組みが行われてきた。(注2)連邦政府においては,公共サービスの改革に関する委員会が,1990年に連邦準備制度理事会の前議長を,1993年にはミシシッピー州の前知事を議長として設置され,Elling[1994]で指摘されているようにそのレポートでは,行政組織の再構築から財務管理システムの改革,人事管理システムの改革まで取り扱われた。
1992年には,David OsborneとTed GaeblerによるReinventing Governmentが出版され,公的部門への企業家精神の導入が掲げられ,異例のベストセラーとなった。OsborneとGaeblerは,公的部門の問題の原因は官僚個人にではなく,彼らを取り巻くシステムにあると考え,公的部門自体が再創造(reinvent)し,官僚主義に代表される組織文化を変革することを目指し,従来の進歩主義のパラダイムによる政府像とは異なる新しい政府像Entrepreneurial Governmentを提唱した。
そこでは,政府組織は,分権化されたリーン(簡素でムダのない)な組織であり,革新的で,順応性に富み,学習する組織であるとされ,その原理(principle)として,①政府は国全体の舵を取る役割を果たすべきという「政府の再定義」,②市民に公共サービスの所有と管理の権限を与えるという「市民への権限の委譲」,③公共サービスの供給に市場原理を導入するという「サービス供給者間での競争」,④規則の重視よりも任務(mission)の重視という「Mission-Driven」,⑤業績による管理を行うという「成果志向」,⑥政府及び公共サービスの顧客を認識し,ニーズを満たすという「顧客重視」,⑦税収以外の収入源を見い出すという「収入の確保」,⑧問題が発生するのを予防するという「問題の抑止」,⑨行政の現場へ裁量権を与えるという「分権化」,⑩市場メカニズムの活用及び促進という「市場志向」,といった10項目が挙げられた。
この改革モデルは,公共サービスの改革及び行政の再創造の青写真として,実務サイド,研究サイドの双方に多大な影響を及ぼし,その後の一連の改革への取り組みの基底を形成し,研究サイドにおいても様々な研究が活発に行われた。
そして,1993年に「変革(change)」をスローガンにクリントン政権が誕生すると,連邦政府の改革が重要な政策アジェンダとして挙げられた。クリントン大統領は,同年2月には連邦政府の職員削減計画を発表し,更に3月には連邦政府の諸活動に関して調査及び提言を行うことを目的としたNational Performance Review(以下NPR)をスタートさせ,責任者にゴア副大統領を指名し,9月までに改革案をまとめることを指示した。
NPRでは,連邦政府の活動全体について,また,予算制度,人事制度,公共調達制度といった各省庁にまたがる問題について,詳細な調査,分析が行われた。そして,様々な見地からの意見や,地方政府や行政の現場からの意見も重視され,報告書From Red Tape to Results : Creating a Government that Works Better & Costs Lessがまとめられた。
そこでは,①繁文縟礼を是正し,法規に対するアカウンタビリティから,成果を達成することへのアカウンタビリティに基づいたシステムに移行することを目指した「官僚主義の排除」,②連邦政府は公共サービスを提供する組織であり,顧客は国民であることを認識かつ重視し,顧客に満足を与えるサービスを提供するために市場原理を導入することを目指した「顧客第一主義」,③政府職員に対してインセンティブを与え,連邦政府における従来の官僚主義の文化を変革し,新たに企業家精神の文化を育成することを目指した「分権化」,④政府活動及び政府プログラムにおける重複や,特定の集団に対する特権を検討し,公平で効率的な政府の実現を目指した「基本への回帰」,という4つの大きな基本目標が掲げられた。そして,その目標のための"step"として幾つかの行動指針が掲げられ,更に"action"としてその行動指針に基づいた384もの勧告が提示された。それらは,多年度予算,次年度への予算の繰越し,政府調達手続きの簡素化,サービス供給者間での競争の導入,といった画期的な,省庁及び部局の枠を超えたものが大半であった。
そして,このNPRの報告書が提出された時期とほぼ並行して,実際に政府機関の内部においても効率化に向けて様々な改革が実施され,現在も改革は続けられている。
2)ポスト進歩主義パラダイムへの転換
以上のような連邦政府の改革への一連の取り組みで示された改革案には共通して,これまでの行政改革で挙げられたものとは大きく異なり,「顧客志向」,「成果志向」,「市場原理」といった言葉が並び,法による統治や組織効率を強調する従来の進歩主義パラダイムに基づいた政府観とは異なる,新しいパラダイムに基づく政府観が見受けられる。
何らかの現象に対して既存のパラダイムが説明力や解決力を失った時に,新しいパラダイムの提唱者が出現し,既存のパラダイムは置き換えられる。初期の米国行政学においては,科学の合理性によって社会問題の解決を試みようとした進歩主義者達が中心になって,公的部門の新しいパラダイムである「進歩主義パラダイム」が提唱された。そして政党政治の影響を受け機能していなかった公的部門を,「効率性(efficiency)」を最大の価値に掲げて,1906年のニューヨーク市政調査会設立,1908年のタフト委員会を皮切りに改革を断行し,ニューディールを経て現在の連邦政府の原型を作り上げたのであった。
進歩主義のパラダイムは,当初は,①専門による分業化,②命令の一元化,③統制の範囲(span of control)の限定,④目的(purpose),方法(process),対象(clientele),場所(place)による配置,という4つの原理を満たす組織を形成し,階層的なアカウンタビリティの徹底によって統制を行い,合理的で効率的な政府が形成された。しかし,ニューディールからの「行政と政治の融合」を契機に,行政府は進歩主義者がかつて想定していたよりも遥かに巨大な,専門分化した組織となっていた。そして,皮肉にも効率を最大の価値とする進歩主義パラダイムによる改革は,逆に法規主義と官僚主義を助長し,非常に非効率的なものを生み出すこととなった。そして,Osborne and Gaebler[1992]で指摘されているように,1980年代初頭から州及び地方政府において,従来の形態とは異なる政府が出現し,90年代に入ると公的部門に関して,従来の進歩主義パラダイムに代わる,ポスト進歩主義パラダイムが一連の改革への取り組みの中で提唱された。
このパラダイムの理論的背景にあるのが,1980年代から生まれたNew Managerialismの理論である。(注3)進歩主義に依拠した伝統的なManagerialismとは大きく異なり,そのコアには「市場機構を利用したマネジメント」が位置し,公共選択論や組織の経済学に依拠している。
ポスト進歩主義パラダイムの特性を,①最大化される価値,②政府の役割,③政府像,④政府組織,⑤政府の統制,⑥改革の重点,といった6つの点について進歩主義パラダイムとの比較において見てみると,第一の最大化される価値に関しては,進歩主義パラダイムでは,「効率性(efficiency)」が最大化されるべき価値であるのに対し,ポスト進歩主義パラダイムでは,「顧客満足(customer satisfaction)」が最大の価値とされている。
第二の政府の役割に関しては,進歩主義パラダイムでは,政府には社会的問題の解決者としての役割があるとしているのに対し,ポスト進歩主義パラダイムでは,政府は公共サービスを提供する事業体としての役割があるとしている。
第三の政府像に関しては,進歩主義パラダイムでは,政府とは巨大で,集権化された組織を有し,その中核には官僚制があるとしているのに対し,ポスト進歩主義パラダイムでは,政府とは,分権化されたリーンな組織を有し,その中核には企業家精神があるとしている。
第四の政府の組織構造に関しては,進歩主義パラダイムでは,政府の組織は専門的職能に基づいて明確に区分され,それぞれに裁量が限定的された権限が付与され,明確な指揮系統が確立されているとしているのに対し,ポスト進歩主義パラダイムでは,政府の組織は任務によって区分され,意思決定の権限が現場に付与されているとしている。
第五の政府の統制に関しては,進歩主義パラダイムでは,政府は憲法を頂点とした法体系によってその活動が統制され,法に対してアカウンタビリティを有するとしているのに対し,ポスト進歩主義パラダイムでは,政府はその業績によって統制され,業績に対するアカウンタビリティを有するとしている。
第六の改革の重点に関しては,進歩主義パラダイムでは,①法規の下での階層的なアカウンタビリティの徹底,②統制と指揮系統の一元化,③執政部の機能と権限の強化,④価値中立的な専門家としての職員,といった点に重点が置かれているのに対し,ポスト進歩主義パラダイムでは,①結果志向,②官僚主義の排除,③分権化,④市場志向,⑤企業家としての職員,といった点に重点が置かれている。
4.行政統制システムの再創造
1)行政統制概念の変容:アカウンタビリティへの3つのアプローチ
伝統的に行政統制の目的は,端的には政府のアカウンタビリティを確保することであり,行政統制の手段とはそのアカウンタビリティを追求する手段である。このように,行政統制概念の中核にはアカウンタビリティの概念が位置し,前述のように,行政システムのパラダイムが,伝統的なアカウンタビリティ概念を形成していた従来の進歩主義パラダイムとは大きく異なるものに転換することによって,アカウンタビリティ概念と行政統制の概念とが同時に変容していくのである。
進歩主義パラダイムにおいては,政府におけるアカウンタビリティとは,「指揮および統制」(command-and-control)を柱とし,綿密に定められた法規や規制への準拠ということによって官僚の裁量性を制限することであった。これは,官僚制が現代社会における権力の恐るべき集中を表していることから,過去における行政の政治からの分離,すなわち「脱政治化」(depoliticization)によって独立性を与えられてきた官僚機構に対する公共的コントロールを回復させることによる「再政治化」(repoliticization)をねらうものであり,このようなアカウンタビリティの概念は行政学界では広く支持されてきたものであった。
しかしこのようなアカウンタビリティの定義には,アカウンタビリティと創造性や革新のような価値との間のコンフリクトあるいはトレードオフ関係が生じる。アカウンタビリティは,通常独創性とか実験とか創造力とかリスク・テーキングといったような価値と結びついてはおらず,多少とも明確に定められた任務を誠実に,効率的に,そして効果的に遂行することに関連している。そしてそれら二つのものの間にはコンフリクトがあるのである。
そこで,ポスト進歩主義のパラダイムのもと,どのようにアカウンタビリティを定義し,追求するべきかという問いかけに対して,答えを示唆するのがLight[1993]で提示されたアカウンタビリティへの3つの現代的アプローチである。
特性 | アカウンタビリティの定義 | ||
---|---|---|---|
合規性 | 成果達成 | 能力強化 | |
介入ポイント | 活動後 | 活動前及び 活動後の混合 |
活動前 |
主要注目対象 | 個人及び勘定 | 個人及び プログラム |
省庁及び政府 |
主要手法 | 規制 | インセンティブ | 技術 |
制裁・報酬の役割 | 負 | 正 | 正 |
マネジメントの役割 | 監督と規律 | 目標設定及び支援 | 提唱と差配 |
監督の役割 | 非合規性の発見と規制施行 | 評価と目標基準設定 | 分析と設計 |
戦略の複雑性 | 単純 | より複雑 | 最も複雑 |
効果の持続性 | 短期 | 中期 | 長期 |
Light[1993],p.14
Light[1993]では,まず,アカウンタビリティについて,①合規性アカウンタビリティ(Compliance Accountability),②成果達成アカウンタビリティ(Performance Accountability),③能力強化アカウンタビリティ(Capacity-based Accountability),という3つの定義を行った。そして,それぞれのアカウンタビリティへのアプローチの特性について,①介入ポイント,②主要注目対象,③主要手法,④制裁または報奨の役割,⑤マネジメントの役割,⑥監督の役割,⑦戦略の複雑性,⑧効果の持続性,という8つの点から示した。(表1参照)
第一の合規性アカウンタビリティは,政府内部の個人の活動及び予算勘定が,規則及び規制に対して準拠することを追求するものであり,制裁措置を含んだ形でその監督及び規律の設定という方法が取られる。
第二の成果達成アカウンタビリティは,政府内部の個人の活動及び政府プログラムが,効率かつ有効なものであることを追求するものであり,何らかの目標とインセンティブの設定という方法が取られる。
第三の能力強化アカウンタビリティは,各省庁及び政府全体でマネジメントやオペレーションの能力を強化することを追求するものであり,人的資本やマネジメントツールといったものも含んだ技術的なものの改善という方法が取られる。
この成果達成アカウンタビリティと,能力強化のアカウンタビリティへのアプローチは,行政官の裁量的行動を制限するために法規との準拠性に基づいた制裁という負のインセンティブによって統制するという伝統的な行政統制の概念を大きく変えるものとなっている。
2)再創造の概念モデル
ポスト進歩主義パラダイムにおいては,政府とは「顧客志向」,「成果志向」,「市場原理」といった新しい概念の下で,公共サービスを提供する事業体である。すなわち政府は,納税者である国民を顧客として公共サービスを提供し,その満足を最大の価値とし,法ではなくアウトプットの成果に対してアカウンタビリティを有し,そのサービスの提供に関しては常に民間部門との競争にさらされている。そしてその組織は,分権化され,ムダのない,順応性に富み,革新性に満ち,学習する組織であり,従来の官僚主義が排除され,企業家精神に基づく組織文化が形成されているのである。
そのため,ポスト進歩主義パラダイムにおいては,行政府及び行政官のアカウンタビリティを確保しその裁量的行動に制限を与える目的を根底に持った従来の行政統制及び行政統制システムには否定的な見解が示される。つまり,分権化によって行政官の裁量的行動を確保し,政府組織の柔軟性・順応性を維持していることから,従来の行政統制はむしろそれを損なうものとなる。実際にNPRにおいても,現行の統制システムの問題点として,①問題の防止ではなく問題の発見にもっぱら関わっている,②統制の主体とライン管理者とが重複し,行政システム全体で無駄が発生している,③統制活動では,無駄や不正の発見といった統制の負の側面に焦点を当てている,④法への準拠性が重視されている,⑤統制手法が全体での一貫性を欠いている,といった5つの点が指摘されている。(注4)
そして,統制システムの改革として,①ライン管理者の役割強化や業績尺度の設定等による統制システムの体系化,②内部規定の削減,例外事項の広範な利用等による内部統制の改善,③IG及びGAOに関して,内部統制の監督という間接統制への機能転換と,フィードバックループの確立等による外部統制の再編,といった点が勧告された。
このように,行政統制及び行政統制システムは,従来の行政府及び行政官の裁量的行動を制限するために直接介入・統制する形から,行政府内における内部統制のシステムを間接統制するという形に移行し,そこでは,従来の法規への準則性の重視から,アウトプットの成果が重視されるのである。これらは,Light[1993]で示されたアカウンタビリティへの3つのアプローチにおいて,合規性アカウンタビリティへのアプローチから,IGに対して本来託されていた成果達成,能力強化アカウンタビリティへのアプローチへの移行を意味している。
そして更に,政府組織において「顧客志向」及び「市場原理」が強まるにつれ,顧客の満足を得られないサービスを供給する主体は公私を問わず淘汰されることから,行政府への直接的な介入・統制の必要性は薄れ,行政統制及び行政統制システムはむしろその市場メカニズムが機能するように監視するという形に移行する。それと同時に「成果志向」が更に強まるにつれ,法規に対するアカウンタビリティから成果に対するアカウンタビリティに移行し,行政活動の手続きよりもその成果が重視されるのである。
5.わが国における行政統制システムの再創造に向けて
1)行政統制システムの現状
わが国における行政統制システムの構造を見てみると,その諸制度間の位置づけは図2のように示される。
まず,行政システムの内部の,①各省庁の内部監査,②行政監察,③四六監査,の3つによって統制が行われる。第一の各省庁の内部監査は,図2上には示されていないが,各省庁や特殊法人が独自に行っている業務,会計,服務に関する内部監査と,特別の業務監査との二つが存在する。前者は特殊法人での内部監査については,管轄の省庁が指揮・監督を行っているが,各省庁,特殊法人の双方とも実際は会計に関する監査のみとなっている。第二の行政監察は,総務庁設置法に基づいて総務庁行政監察局によって行われ,各行政機関,特殊法人,及び国の委任を受けた地方公共団体等が行う業務についてのその実施状況を監察し,必要な勧告を行っている。第三の四六監査は,会計法第46条に基づいて大蔵大臣によって行われ,予算の執行過程において各省庁に対して行う会計検査であるが,実際にはほとんど機能していないとされている。
一方,行政システムの外部からは,①議会による統制,②司法による統制,③会計検査,の3つによって統制が行われる。第一の議会による統制は,大きく,立法権による統制,人事権による統制に区分される。特に立法において内閣提出法案が大半を占め,政治のイニシアチブが求められている現状においては,立法権(議員立法権)の活用が重要になっている。第二の司法による統制は,わが国においては,新憲法下においては行政裁判所の設立は認められていないことから,行政訴訟の審決によるものとなっている。第三の会計検査は,会計検査院法に基づいて,内閣から独立した憲法機関である会計検査院によって行われ,国の収入支出に関する検査を行っている。議会及び司法による統制は外在的公式統制に分類されるのに対し,会計検査は内在的公式統制に分類される。
このように,機能面から,わが国の行政統制システムの中核を占めるのは,総務庁による行政監察と,会計検査院による会計検査であり,以下ではそれぞれ概説的に考察していく。
まず,行政監察については,総務庁設置法を根拠法として,第4条で各行政機関の業務の実施状況の監察及び勧告を行うことが定められている。その調査の対象は,同4条から,公団,事業団等の特殊法人,国の委任または補助を受けた地方公共団体等についても対象となり,また,会計・経理に限らず,行政の制度,組織,運営など行政運営全般が対象となっており,非常に広範囲にわたっている。そのため,監察を実施する組織については,全国7ヵ所に管区局が,更に38ヵ所に事務所が設置されている。そして,全国各地の行政の現場において調査が実施され,構成・中立の立場から分析・評価が行われ,改善すべき事項に関しては総務庁から担当省庁に対して勧告が行われている。
近年では,行政監察制度研究会[1990]で指摘されているように,行政監察は,1988年6月に勧告が行なわれた農協監察,および同年7月と89年9月と2回にわたって勧告が行なわれたODA(政府開発援助)監察とを皮切りに,国政上の重要政策課題をとりあげ,政策の見直しを推進するという政策志向性を強めている。また更に,行政監察は自ら政策過程に身を投じ,行政施策の効果を評価し,現行の施策について継続,拡大,修正,縮小あるいは廃止のどれを選ぶべきか,また次の新しい計画にどのように反映させるべきかという問題に取り組む志向性を強めている。
しかし,その一方で,行政監察の現状について目を転じてみると,行政監察を実施する総務庁は,調査対象にとっては外部の機関であるものの,それ自体内閣を構成する1省庁にすぎず,純粋な外部監査でないことに起因して,幾つかの問題点が指摘される。
調査の実施過程においては,監察自体が官僚の不正行為の取り締まりや,服務の調査であったことから,調査において特に資料の提出面において協力を得ることが困難な状況であり,国政調査権のような強力な調査権限も有していないのである。そして,調査後の勧告の扱いにおいても,行政監察の対象省庁においては,総務庁からの改善勧告に対して,回答及び措置状況の報告が義務づけられているものの,勧告の実施を行う義務は法律上は明記されていない。勧告の実施について,総務庁長官から内閣総理大臣に対して指揮監督を要請することも可能ではあるが,その実現可能性はあまり高いものとはいえないのである。
次に会計検査については,会計検査院は憲法第90条で規定される憲法上の機関であり,その根拠法である会計検査院法第一条で内閣に対して独立の地位を有している。
会計検査及び会計検査院は,予算の循環過程の最終段階である決算過程に位置し,政府部門のアカウンタビリティの確保を目的として,国の収入支出の決算を検査,確認し,また会計経理の監督を行い,その検査の結果を検査報告として国会に報告することが任務とされている。また,国からの補助金を受けた地方公共団体,国からの出資金の割合が5割を超す法人等の会計に関しても検査の対象となっている。
会計検査院による会計検査は,伝統的には,会計検査院法第29条の「法律,政令若しくは予算に違反し又は不当と認めた事項の有無」に基づいて,決算が予算執行の状況を正確に表示しているかという正確性の検査と,会計経理が予算や法律,政令に従って適正に処理されているかという合法性の検査が中心であった。
近年では,GAOを始めとした諸外国の会計検査院における業績検査へのシフトを背景にして,会計検査院法34条,36条の規定を根拠として,検査の観点として,①事業が経済的,効率的に実施されているか,②事業が所期の目的を達成し,効果を上げているか,という経済性,効率性,および有効性の観点が重視されてきている。
しかし,その一方で,会計検査の現状について目を転じてみると,各方面から政策評価及び評価結果の政策決定へのフィードバックに対する期待が高まっているのに反し,山本[1993]で指摘されているように,会計検査院法の第20条第2項の「常時会計検査を行い,会計経理を監督し,その適正を期し,且つ,是正を図る」で明記された統制機能からの転換を図れず,持田[1995]で示されたように,実際に決算検査報告においては合規性,正確性からの検査が大半を占めているのである。また,政策決定へのフィードバックに関しても,予算過程の期間の長さ,国会の決算委員会における決算審議の政治的影響力の弱さ,旧態依然の増分主義的予算編成といった要因から,決算及び決算報告に関する内外からの関心は予算決定時のそれと比べ低くなっており,不十分なものとなっている。
2)改革の方向性と会計検査院の位置づけ
以上のように,わが国の行政統制システムの中核に位置する行政監察と会計検査は,その統制活動において,従来の合法性を重視した統制から,成果を重視した統制への移行への強い志向性をもち,また,統制の対象についても,従来の個々の行政官の活動から,行政府の施策の評価への強い志向性を持っている。しかしながら,その統制機能が果たして実際に機能し,また,新しい統制活動への転換が行われているかということについては前述のように,行政監察と会計検査の双方に疑問が投げかけられている。
そのように統制機能が機能しない要因に関しては,例えば会計検査院については山本[1993]で,「議会及び委員会における個別特殊利益の重視」という外部的要因と,「根拠法に基づいた,会計検査の伝統的アプローチ」という内部的要因が指摘され,そこではそのパラダイム転換のための方策が提示されている。ここでわれわれが留意しなければならないのは,行政統制システムはあくまでも行政システムの補完システムであり,「統制」の対象である行政システムの動向いかんによって変容するものであって,それ自体での改革はほぼ不可能であり,行政システムとの連動が必要であるということである。わが国において,今後,ポスト進歩主義パラダイムに基づいた,NPRのような行政改革が行われるかという実現可能性については,わが国での行政改革の議論は未だに特定の制度,組織の改廃が中心になり,利害関係者間でのコンフリクトの増大によって行政改革自体の議論がうやむやになってしまうといったことから,非常に低いものであることは否めない。
しかし,21世紀の高齢化社会を迎え,公共サービスへの需要が増加し,その一方で財政事情が悪化することから,既存の行政システムからの転換はむしろ不可避的なものであり,それによって行政統制システムの在り方,そこでの会計検査の位置づけも変容していくのである。
以下では,米国での行政システムのパラダイム転換及びそれに基づいた行政システムの再創造の過程を参考にしつつ,わが国における行政統制及び行政統制システムの在り方とその改革の方向性,更にはそこでの会計検査の位置づけについて短い考察を加えておこう。
米国での行政統制システムの再創造の過程において提示された新しい行政統制は,従来の行政統制との比較において,①直接統制から間接統制への移行,②手続き重視から成果重視への移行,といった2つの特徴が指摘される。
わが国の行政統制システムにおいては,間接統制への移行は,内部統制にあたる各省庁における内部監査が事実上会計に関する監査のみとなっていることから,より広く業績監査も含めた内部統制システムの構築といったことが必要になってくる。また,それと同時にNPRで指摘されていたように,総務庁行政監察局,会計検査院を中心にした外部統制機能全体においてフィードバックループの強化も必要になってくる。一方,成果重視への移行は,既に上記両機関ともその志向性を強く意識するようになっていることから,既存の行政システムが成果志向を重視するのに伴って実現していくであろう。
ここで,米国の行政統制システムの再創造の過程を見ると,そのような新しい行政統制の枠組みにおいて提示された会計検査の役割は,市場的なメカニズムが機能するように監視することであり,そこでは従来の会計検査との比較において,①組織志向から顧客志向への移行,②直接統制から間接統制への移行,③行為から情報への焦点の移行,④個別統制から全体統制への移行,⑤手続き重視から成果重視への移行,といった新しい会計検査の特徴が指摘されている。
これに対して,わが国の会計検査院にとっては,このような市場的監視機能への転換は,院法の抜本的改正等を視野に入れなければならないものであり,また検査院内部も有効性検査に足を踏み出した状況であって,それは長期的・漸進的に取り組まなければならないものである。そしてそこでは前述のように行政システムとの連動が絶対に不可欠である。より短期的には,NPRがGAOに対して提示したような,行政府内の資源管理の改善が今後取り組む課題としては有用であろう。そこでは,まず行政府の各省庁において一定の業績指標を用いて業績評価を行い,予算の計画,執行,評価のマネジメントサイクルを行政府内で完結させる。そして,会計検査院はその全体のプロセスの監視・評価に位置し,資源管理の改善を図るのである。そのためには早急な業績指標及びその使用のための法制度の整備が必要とされるであろう。
[注]
(1)以下では特に言及しない場合,行政統制及び行政統制システムは,公式統制を示すものとする。
(2)英国とニュージーランドでは既に同様の行政改革に着手していた。英国では,保守党政権下において,1979年のEfficiency Unitの設立,82年からの財務管理計画(FMI)の実施,88年のNext Stepsと行財政改革が実施された。ニュージーランドではいわゆる「小さな政府」が追求され,抜本的な行財政改革が行われ,その中では,政府職員のインセンティブ契約等も行われた。
(3)New Managerialismの理論に関しては,山本清岡山大学経済学部助教授からいろいろとコメントを頂いた。
(4)NPRにおける行政統制システムの問題点及びその改革の勧告に関しては,山本清岡山大学経済学部助教授から御教示頂いた。
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