第12号
費用便益分析と有効性の検査
沢田 達也
沢田 達也
(会計検査院上席情報処理調査官付副長)
1959年生まれ。82年会計検査院へ,農林検査第1課,電気通信検査課,上席審議室調査官付,鉄道検査課を経て,92年より現職。
第1章 はじめに
(本論分の問題意識)
会計検査問題研究会が終了して5年を経過した。近年における行財政改革の推進や税制改革にも触発された国民の納税者意識の高揚に伴い,行財政運営のより一層の効率性,有効性が大きな課題となる状況下で,会計検査院においても公的機関の業績を多角的・総体的に評価する業績検査,すなわち「経済性・効率性」及び「有効性」の観点からの検査をより一層充実強化する機運が高まったが,かかる業績検査の充実を図るには従来の検査手法のみでは不十分であるとされたことから,新たな業績検査手法に関する理論的・実践的研究の深化をめざして同研究会が昭和61年4月に発足したもので,以来,足掛け4年にわたり業績検査手法の開発をめぐって理論面,実践面からの検討を行ってきた。そして,業績検査の概念をめぐる総論的問題の検討の後,業績評価において最も戦略的と思料される費用便益分析手法を用いて事前評価を実施している道路整備・土地改良・河川整備事業の公共事業について,当該事前評価システムに準拠して事業効果の事後評価を実施する方途をとりまとめている。
同研究会が,費用便益分析手法を業績評価における最も戦略的な手法とした根拠について,同研究会がとりまとめた参考文献(2)を基に要約すると以下のようになる。
費用便益分析は,公共投資の決定手法として開発されたものであるため,我が国の行政においても公共事業を中心に事前評価の手法として定着しているところから,これに準拠して利用することが可能であり,また,施策・事業の成果自体を測定し,投入資源と成果との関係を直接扱って評価するものであるため業績検査の手法として極めて優れていると考えられたためである。そして,独自の評価システムによる場合にも,客観性が保持でき,データ収集が可能な限りその適用を検討すべきものとされたのである。
また業績検査では,先進的といわれているアメリカ会計検査院(GAO)で,そのプログラム評価に法的な基礎を与えた1970年の立法機構再編法の第204項の(a)において,GAOのプログラム評価には費用便益分析を利用するように明記されていることも同分析を業績検査に利用しようという根拠になっている。
このように費用便益分析は業績検査,特に有効性検査の手法として極めて優れているとされてきた。
もちろん同研究会においても,業績検査に費用便益分析を適用することに全く問題がないとしているのではない。参考文献(2)を見ても便益の把握や範囲の問題,割引率や判定基準の問題にも触れられている。
このほか同研究会では,費用便益分析手法だけを取り上げているのではなく,他の分析手法も検討しており,費用便益分析を用いた事前評価が制度的に確立されていない分野の事業についても,独自に評価手法の導出を試みている。
本論文では,同研究会終了後5年を経て,その後の分析手法の研究の進展や実際の会計検査院の検査報告の事例も踏まえて,費用便益分析と業績検査,特に有効性検査との関係を改めて論ずることにしたい。
(本論文の構成)
本論文の構成を述べると以下のようになる。
まずこの第1章では本論文の問題意識と構成及び基本的な概念について述べる。
次いで第2章では,費用便益分析の概要と政府機関における事前評価への適用状況について簡単に触れる。
その次の第3章では,費用便益分析の背景にある厚生経済学のアプローチで,実際の近年の有効性の観点による検査報告の指摘例を素材にしてケーススタデイを行う。
さらに第4章では,前章のケーススタデイの結果も踏まえて,費用便益分析を業績検査へ適用する際の問題点を述べる。
そして第5章では,費用便益分析の問題点を克服するために試みられた様々の手法を紹介するが,特に近年公的機関の業績評価の分析手法として研究が進んでいる包絡分析法については少し詳しく述べる。
最後に第6章で,それまでの議論を踏まえて,業績検査,特に有効性検査に,費用便益分析法などの分析手法を適用する際の留意点に触れる予定である。
(基本的な概念)
まず本論文で用いられる「業績検査」や「有効性」の概念について参考文献(2)を基に述べることにする。
最高会計検査機関が公的会計責任(公的アカウンタビリティ)を検証するには,政府等の公的機関における公的資源の管理状況及び財務上,管理上及び事業上の責任に対する結果がどの程度であるかを評価すること,すなわち業績の評価が必要である。
そして,公的アカウンタビリティが財務会計責任にとどまらず経営会計責任及びプログラム会計責任に及ぶものであるとするならば,評価の対象とする業績の範囲は広範なものとなる。特に,プログラム会計責任は組織体の外部に産出された成果(目標)に係るもので,その成果は階層性をなし,多段階的過程を有している。
そこでここでは,最高会計検査機関が行う業績評価,すなわち業績検査を,「財政資金が投入される等,何らかの形で国の財政的な援助を受けた施策もしくは事業を対象として,それらにより産み出される成果及びその成果を産み出す過程での管理の状態を事後的に評価する活動または過程」と定義する。換言すれば,公的機関の財又はサービスの提供段階,すなわち,公的資源の使用・消費の段階にとどまらず,その提供が組織体の外部に与える効果なりインパクトの段階までを評価する概念と考えるわけである。
このような点を踏まえて我が国の会計検査院が行っている有効性の検査について考察する。この有効性検査の観点は,我が国の決算検査報告の記述にあるように,施策・事業効果が所期の目的どおり十分に発現しているかどうかということを検証するものであり,公的機関の実施した施策・事業の効果,あるいはインパクトと称されるアウトプット(産出)の最終過程に着目して,施策・事業が所期の目的なり計画をどの程度達成し効果を上げているかという有効度を評価するものである。すなわち業績検査の一つとして,会計責任のうちのプログラム会計責任に対応するものとして,公的機関の産出した実績に注目し,その実績が所与の目的や計画値・目標値に照らしてどの程度の水準に達しているかを評価するものである。
ただし,産出実績がいかに高くとも,投入資源の無駄使いがあったり,その活用方法に問題があれば有効性が高いとは言えないし,また,他の施策・事業の実績水準との相対比較において有効性を評価する場合,それらに投入された資源の多寡を測定しなければ合理的でない。そこで,できる限りインプットとの対応関係でアウトプットを把握することに努めねばならないことは言うまでもない。
また,最終成果の評価を,前段階の業績たる資源管理状況,例えば,施設の稼働状況等を測定することによってなされる間接的・代替的評価を否認するものではないことに留意する必要がある。
他方「経済性・効率性」の観点は,一般に,一定のアウトプットを得るためにより少ないインプットで済まないか,あるいは,一定のインプットでより多くのアウトプットが得られないか等と言われるように,インプットとアウトプットとの比率等の関係に着目するものである。
ところで,政府の施策・事業も他の諸活動と同様,資源の変換過程であると考えられるが,資源の各変換局面は,投入される費用・予算のレベルから,産出される財又はサービスの水準というレベル,最終成果の水準を指す効果・インパクトのレベルまで階層性を有している。
そして,階層性を有する資源の変換過程においてアウトプットの最終局面である効果・インパクトに着目して,施策・事業が所期の目的なり計画をどの程度達成し効果を上げているかという有効度を評価するのに際して,アウトプットとインプットとの対比という方法を採れば,それは有効性の評価であると同時に効率性の評価の視点をも含んでいる。
したがって,有効性と効率性とは完全に相反する概念ではなく,有効性を評価するために効率性の視点から行うことも有り得る。本論文で述べる費用便益分析や第5章で触れる包絡分析法はそのような分析手法である。
なお,第3章では,我が国の会計検査院の近年の「有効性」の観点による指摘例のケース・スタデイを行うに当っては,検査報告の分類上「合規性」の観点や「経済性・効率性」の観点に分類されている指摘例の中にも,「有効性」の観点をも含んでいるものも多数見受けられるが,本論分では検査報告の分類上「事業が所期の目的を達成し,効果を上げているか」という「有効性」の観点に分類されているものに限定して分析を行うことにする。
第2章 費用便益分析の概要
1 費用便益分析とは
まず,費用便益分析について簡単に述べると以下のようになる。
費用便益分析は,ある目的を達成するための代替案の選択に当たって,それに要する費用とそれから得られる効果を貨幣換算した便益を対比・評価することによって代替案相互間の優先順位の決定や特定の代替案の採否の判断を支援する分析手法である。投入と産出のどちらも貨幣表示という共通の次元で評価するという特徴を有する。
この分析手法は,1930年代のアメリカのTVA開発にその起源を持ち,PPBSの予算改革において広く用いられるようになったもので,我が国の行政においても公共事業を中心に事前評価の手法として定着しており,戦後多目的ダム開発等に適用されるなど,公的機関の事前評価などに広く利用されている。
このように政府支出の効率化を目的として発展してきた経緯から,主として公共投資プロジェクトがもたらす経済的な便益と,プロジェクトの実施に要する費用との相対関係を分析する手法となっている。
2 便益の測定方式
(便益の定義と消費者余剰の概念)
便益は,「もし市場で販売されるとしたときに消費者が支払うであろう対価(支払意志,Willigness to pay)」と定義され,需要曲線の下方の面積に相当する。これを図で説明すると図1のように考えられる。この図1で需要曲線をDD,価格をOB,数量をODとしてC点で均衡しているとすると,便益需要曲線の下の台形の面積AODCになる。そしてここから,消費者が支払う費用(専業主体側から見れば収入に相当)である□BODCの面積を差し引いた残りの図1の斜線部で表示される△ABCの面積が純便益で「消費者余剰」と呼ばれる。
このように「便益」の考え方は厚生経済学の「消費者余剰」の概念が基礎となるが,この便益の具体的な測定に当たっては第4章で後述するように様々の困難な点があり,工夫が必要である。
便益の測定手法としては,まず需要曲線を導出して消費者余剰を直接計測し,そこから便益を求める「消費者余剰計測方式」が考えられる。この方式は,関数のパラメ−タの推定が必要であるなどモデルの精度やデ−タ入手の問題があり,需要曲線の導出が非常に困難なため,業績評価への現実的適用性は乏しい。
(個別集計方式)
このような難点を抱えた消費者余剰計測方式に代わる実践的なものとして「個別集計方式」が利用されている。この方式は,想定される効果をそれぞれ個別に計測して積み上げる方式である。道路整備を例にとると,走行費用の節約,走行時間の短縮,安全性,快適性,便宜性の向上などの想定される諸効果をそれぞれ個別に集計するものである。
この方式による便益の測定に当たっては,第一段階として投資効果の分類,第二段階として評価基準値(指標)の選定,第三段階として貨幣換算(重み付け)と集計という手順を踏むことになる。
すなわち,まず想定される投資効果を二重計上や脱漏のないように分類する。次いでそれぞれの効果に対応した評価基準値(指標)を選定する。この段階では,公共投資では政策目的が複合的となり複数の投資効果が想定されることが多いので,アウトプットは,個々の投資効果に対応する評価基準値を要素とするベクトルの形態をとることが多い。そして,次にそれぞれの評価基準値に貨幣換算による重み付け(ウエイト付け)を行う。そしてそれらの貨幣換算した数値を集計すれば,アウトプットは便益というスカラーの形態となり,同様にスカラーの形態をとっているインプット(費用)との直接比較が可能となるのである。
これを数式で示すと,費用(インプット)をC,便益をBとして,想定される投資効果がN個であり,そのそれぞれの効果に対応した評価基準値をYi(i=1, 2, …, n)とすると,アウトプットはN個の要素を持つベクトル
Y=(Y1, Y2, …, Yn)で表示される。
ここでその個々の評価基準値(Y1, Y2, …, Yn)に対応するウエイトを
U=(U1, U主要参考文献(本論文2, …, Un)
とすれば,
B=Y・U
=(Y1, Y2, …, Yn)・(U2, U2, …, Un)
=Y1・U1+Y2・U2+…Yn・Un
となる。こうしてBとCとの直接比較を行うことが可能となる。
一般道路の整備事業を例にとると,新しい道路を走行することによって得られる時間短縮便益を仮にY1とすると,時間評価値がU1に相当するのである。
この個別集計方式の方が,測定が容易であり,概念的にも分かりやすいため,後述するように各政府機関で行われている事前評価でも,便益測定に際してはほとんどがこの方式を採用している。
3 政府機関の事前評価における費用便益分析の適用状況
各政府機関の事前評価における費用便益分析の適用状況については,既に会計検査問題研究会でも十分に議論されているので,ここでは参考文献(2)を基に簡単に紹介するだけにする。
現在制度的に費用便益分析を用いた事前評価が確立している公共事業としては,治水事業,一般有料道路事業,土地改良事業などがある。
これらの各事業がどのようにして効果を分類し,どのような便益測定手法を採っているかに焦点を当てて検討すると,図2のようになる。
この図2をみると,事前評価として制度的に確立している費用便益分析の便益測定手法は,個別集計方式によるもので,しかも主として投資施設を利用して得られる施設効果(利用効果)のうち直接効果に限定されていることがわかる。
このように直接効果に限定されているのは,間接効果の中には,外部経済効果として計上しないと脱漏となるものがある一方では,直接効果の転移したものも多く,別途計上すると二重計上になってしまう可能性もあること,また,測定上の困難なものが多いためである。
なお図2には含めていないが,新幹線鉄道整備事業についても制度上事前評価が必要とされていて会計検査問題研究会のケースタディでも取り上げられているが,上記の各事業とは評価方式が異なるので,その手法について簡単に触れることにする。
この新幹線鉄道整備事業の事前評価では,間接効果も含めて産業連関分析を用いた総合集計法がとられている。これは新幹線鉄道整備事業のような国土の広い範囲を対象とした大規模プロジェクトでは,第5章で後述するように国民経済に与える影響が大きく,部分均衡分析の消費者余剰のアプローチによることが理論的に難しいためである。
第3章 我が国会計検査院の近年の「有効性」の観点の検査報告事例
1 近年の有効性の観点の指摘例
この章では,会計検査問題研究会が平成元年度で終了した後の我が国会計検査院の「有効性」の観点に基づく指摘例を検討する。
平成2年度から5年度までの4年間の検査報告の「個別の検査結果」の事例の中から,「有効性」の観点,すなわち「事業が所期の目的を達成し,効果を上げているか」に着眼して指摘した事例を抽出すると表1のようになり,計10件の指摘がなされている。
年度 | 省庁名または団体名 | 件名 |
---|---|---|
平成2年度 | 農林水産省 | 市街化区域内にある国営農地等の処分について (以下「市街化農地という」) |
住宅・都市 整備公団 | 住宅団地内に保有している施設用地の利用について | |
平成3年度 | 文部省 | 公立小・中学校の校舎等整備事業において学級数が減少する場合の補助対象面積の算定について |
農林水産省 | 新農業構造改善事業等における施設の設置と運営について (以下「新農構施設」という) |
|
水田農業確立特別交付金の交付について (以下「水田特別交付金」という) |
||
運輸省 | 漁業離職者に対する訓練待期手当の支給について | |
平成4年度 | 農林水産省 | 水田農業確立助成補助金の地域営農加算額の交付について (以下「水田営農加算額」という) |
農地保有合理化促進事業の実施について (以下「農地保有合理化」という) |
||
平成5年度 | 農林水産省 | 国営羊角湾土地改良事業の実施について (以下「羊角湾土地改良」という) |
日本電信電話株式会社 | 専用回線遠隔試験システムの有効利用について |
この表1を見ても明らかなように,主として農林水産省の関係で有効性の観点に基づく指摘が行われていることがわかる。
これらの「有効性」の観点に基づく農林水産省関係の指摘例について具体的にどのような点を指摘したかを調べると表2のようになる。
年度 | 件名 | 指摘態様 |
---|---|---|
平成2年度 | 市街化農地 | 家庭菜園,自家消費程度の利用状況(農耕貸付地) 未耕作(同上) 未貸付けの状態が長期継続(同上) 民間・地方公共団体に長期にわたり貸付継続(転用貸付) |
平成3年度 | 新農構施設 | 多額の欠損が発生(施設の運営を休止) 収支決算が大幅な赤字(施設の運営の継続が困難) 同上(継続しても更なる経営悪化の見込み) 同上(事業参加者の負担金,市町村からの資金援助で補填) 事業計画を大幅に下回る経営規模 |
水田特別交付金 | 交付金が未使用 交付金が交付先で滞留 交付金事業の内容確認不可能 交付金を事業の最終年度に消化(事業の実施時期が不適切) 事業外の一般事務機器や自動車調達に充足 (事業の実施内容が非効果的) |
|
平成4年度 | 水田営農加算額 | 計画未作成(計画策定不適切) 農業者の3分の2以上が計画に未参画(計画策定不適切) 地域営農加算額の交付後に基金造成用の借入金を返済 (農業者から基金へ未拠出) 所定の期日に農業者拠出の基金が未造成 基金の造成額が地域営農加算相当額を下回る 農業者からの拠出金をそのまま農業者に返還 地域営農加算額を農業者へ転作面積当たりで一律支出 計画区域内の集落へ一括支出(集落では農業者間で分配) 同上(大部分が未使用) 同上(他の資金と経理が未区分) |
農地保有合理化 | 売り渡し後の経営面積が目標経営面積に未達成 (利用増進特別事業) 売り渡した農用地を転売,転貸,転用(同上) 換地処分済みの農用地を売り渡さず長期間保有 (開発関連特別事業) |
|
平成5年度 | 羊角湾土地改良 | 工事休止状態が長期化(干拓事業と水源施設) 事業費・受益者負担金が増大(同上) 受益者負担金が未償還(農用地開発事業農地造成) |
この表2をみてもわかるとおり,これらの指摘例の大半は,定性的な評価基準を用いており,定量的な基準を用いているものも,多くは経営面積や計画参画者比率など非貨幣表示の指標を用いている。この傾向は表1のうち農林水産省以外の4件の有効性の指摘例についても同様である。
こうした傾向の中で,平成3年度の新農業構造改善事業収益型施設の指摘例では,主として収益と費用を比較するという貨幣表示の評価基準を用いている。
そこでこの指摘例をケーススタデイとして消費者余剰の概念を用いて厚生経済学の立場から分析するとどのようなことが言えるか検討することにする。
2 新農業構造改善事業収益型施設の消費者余剰分析
(事例の概要)
まずこの事例の概要は以下のとおりである。
「新農業構造改善事業の補助事業で設置した収益型施設の中に計画時の調査や企業感覚を取り入れた経営が十分行われていないなどのため,多額の欠損や大幅な赤字を生じていて事業の効果が発現していないものがあった。」
この新農構施設の事例では,事業主体が収益を上げることを事業目的としているため,事業主体の収益性に着目して収支が赤字となっているかどうかという貨幣表示の評価の基準を用いたものである。
もちろん会計検査院では単に事業主体に赤字が生じたという点だけではなく,赤字の結果として,事業が休止していたり赤字額が人件費にも満たないなどの点も総合的に勘案している。
(消費者余剰分析)
この事例について,厚生経済学的に部分均衡分析のアプローチで消費者余剰の概念を用いて検討すると図3のように考えられる。
平均費用曲線をAC,需要曲線をDDとする。これらの施設は巨額の設置費を必要とするため費用逓減の状態になっていると考えられる。したがって平均費用曲線ACは右下がりとなっている。新農業構造改善事業では設置費用に対して補助金が交付される制度になっているので,平均費用曲線は補助金交付の結果としてAC'のように下方へシフトする。
このケースで,平均販売価格をOIとし,E点で均衡しているとすると,事業主体の平均費用はFJ'(=OH')となり,供給1単位当りのIH'だけの赤字が発生することになる。このとき供給量はOFとなるから,事業主体の収入は□OIEFの面積,費用は□OH'J'Fの面積で表され,事業主体では両者の差□IH'J'Eの面積分だけ赤字額が発生する。
また,この事業は補助事業であるため補助金額についても考慮しなければならない。補助金総額は,□HH'J'Jの面積である。
他方このときの消費者余剰は,需要曲線の下方の面積,すなわち台形GOFEから消費者の支払額□OIEFを除いた部分であるので,△GIEの面積であり,これがこの事業の純便益である。
ここで消費者が事業主体に支払う費用と事業主体の収入はどちらも□OIEFであり,これは相殺されるので,費用と便益を比較するには,事業主体の赤字額□IH'J'Eの面積に補助金総額□HH'J'Jの面積を加えた□IHJEの面積と,事業の純便益すなわち消費者余剰△GIEの面積を比較すればよい。そして前者が後者を下回っていれば,この事業全体としては便益の方が費用より大きいと判断されることになる。
このように費用便益分析の基本になっている消費者余剰の概念で分析すれば,公共投資のように固定資本費が大きく費用が逓減するケースでは,事業主体に赤字が発生していても,事業全体としては便益の方が費用より大きいと認められるケースもありうる。
これに対して,この新農構施設の事例で会計検査院が指摘しているのは,補助金を投入した事業で事業主体に赤字が発生したという事態であり,これは□HH'J'Jと□IH'J'Eの面積に相当し,消費者余剰△GIEの面積は考慮されていない。
(分析結果考察)
前記の相違点は,厚生経済学における「限界費用原理」と「平均費用原理」の考え方で説明できる。費用が逓減するケースを前提とすると,限界費用原理の場合,事業主体に赤字が発生することになるが,消費者余剰を考慮すると事業主体の赤字額を考慮しても,全体としての効用は大きいことになる。これに対して平均費用原理では,事業主体の赤字は発生しないが,消費者余剰の面積は相対的に小さく,全体としての効用も小さくなる。したがって厚生経済学的には,消費者余剰まで考慮すれば,限界費用原理の方が平均費用原理よりも全体としての効用は大きいことになる。
このように消費者余剰の概念が基礎になっている費用便益分析のアプローチを採ることと,事業の収益性に着目して事業主体の赤字発生の議論をすることは理論的には全く別の次元のものである。
しかしながら実務的には,公共料金の決定方式などを見ても,見直しの気運はあるものの現在は総括原価主義をとっている鉄道運賃の決定方式などにみられるように,原則として事業者の収支を均衡させる平均費用原理をとることが多い。
そしてこの新農構造施設の例でも前記の分析結果をみてもわかるとおり,基本的にはこの後者の平均費用原理に基づいていると考えられる。
こうしてみると,この新農構施設の事例は,貨幣表示の評価基準を用いてインプットとアウトプットを比較するという点では費用便益分析に似ているものの,その基本となる考え方は全く異なっているのである。
このほか,平成4年度の水田営農加算額の事例でも,基金の造成額など一部で貨幣表示の評価基準を用いているが,これもインプットとアウトプットを比較するという費用便益分析のアプローチとは異なっている。
3 事例研究のまとめ
以上のように,日本の会計検査院の実際の「有効性」の観点による指摘例は,大部分が定性的もしくは非貨幣表示の評価基準を用いている。そして,貨幣表示の評価基準を用いている事例でも,たまたま事業目的が収益を上げることを目的としているなど評価基準値が貨幣表示となっているからであって,いわゆる費用便益分析的なアプローチは行っていない。
なお一部で,同分析を用いた検査が行われたこともあったが,最終的な検査報告には至らなかった。
このように会計検査問題研究会で議論した費用便益分析的なアプローチと,その後の実際の会計検査院の有効性の検査の指摘例との間にはかなりの相違があると考えられる。
次章では,費用便益分析が有効性の検査になぜ定着しないかを解明するために同分析手法が内包している問題点を検討することにする。
第4章 費用便益分析の問題点
この章では,費用便益分析が内包している問題点を検討し,費用便益分析の業績検査への現実的適用可能性を再考することにする。同分析が内包している問題点にはいくつかあるが,特に問題となるのは部分均衡分析としての限界と,便益の具体的な測定の困難性である。
1 部分均衡分析としての限界
消費者余剰を用いた費用便益分析は部分均衡分析であって,経済全体としての相対価格不変の前提がある。このため,相対的に投資規模が小さく他の財やサービスの価格に与える影響を無視できるようなケースでないと同分析を適用するのは難しいことになる。
また,便益を消費者の支払意志,すなわち需要曲線の下の面積であるとして定義することを可能とするためには,相対価格不変の前提とともに,貨幣の限界効用が一定であるという仮定も必要である。
この仮定が近似的に成立するためには,消費者の側において,当該公共サービスへの需要が所得のごくわずかな部分しか占めていないことが必要とされる。というのはこの場合,当該サービス購入量の変化によって生ずる実質所得の変化がゼロに近いと考えることができるからである。
こうした視点から見て,消費者余剰を用いた費用便益分析は,貨幣の限界効用が一定で相対価格も不変となるような国民経済全体に与える影響が小さい比較的小規模の投資プロジェクトに適用するのが妥当であると考えられる。よって公共投資の中でも大規模プロジェクトには適用が難しいと考えられる。
投資規模が大規模でそれによって経済全体の財やサービスの相対価格が変化する場合には,産業連関分析などを用いて国民経済全体への影響を総合的に評価しなければならず,経済効果の測定は小規模の投資プロジェクトと比較して一層複雑で困難になる。
2 便益測定の恣意性
費用便益分析のもう一つのより困難な問題点は便益の測定にある。
便益の測定手法としては,第2章で述べたように,需要曲線を利用する消費者余剰計測方式と,投資の結果として予想される効果を個別に貨幣換算して積み上げ集計する個別集計方式の大きく二つの方式がある。このうち,前者の消費者余剰計測方式は,需要曲線の導出が非常に困難なため現実的適用性は乏しい。このため,より実践的な方式として後者の個別集計方式が一般に利用されている。
しかしながらこの個別集計方式においても,特に質的要因を金銭表示するのが困難であるという問題点がある。また,費用便益分析における便益は国民経済的な便益であって,分析に当たっては,最終的な帰属先や市場を通じるか否かに拘らず全ての便益を計上しなければならないが,同方式では便益の定義や計測に際してどうしても分析者の恣意が入るため,分析者によって結果が大幅に異なるなど曖昧な面があり,漏れと重複の可能性,すなわち計測されていない便益があったり同じ便益を二重に計測したりする可能性があるので,便益を過小評価したり過大評価したりすることになりがちであるという問題点がある。
道路整備を例にとると計測が可能なのは,走行費用の節減効果と走行時間の短縮効果くらいに限られる。この後者の走行時間の短縮効果については,方法論的には短縮された時間をいかに貨幣換算するかという問題に集約される。この時間便益単価(時間評価値)の具体的な算定方式として開発されている手法には,節約された時間を所得機会に充当させるという見地に立つ所得接近法と,時間と費用の代替関係から計測を試みるという費用接近法があるが,両方式とも具体的な算定方式は更に細かく区分されており,便益を試算する機関がどれを採るかで便益の値が大幅に変わってしまう。
この試算する機関によってどれだけ分析結果が異なるか新幹線鉄道整備を例として検討してみよう。第2章で前述したように本来新幹線鉄道整備のような国民経済への影響が大きい大規模プロジェクトでは,総短縮時間を計算し,それに時間評価値を乗じて効果を計測するという手法が有効であるのかどうかという議論があるが,この方法が概念的には分かりやすいため,新幹線鉄道整備の効果を説明するために計量経済モデルと併用されることが多い。ここではその点には深追いせず、試算する機関によってどれだけ分析結果が異なるかの例として挙げることにする。
このような例の一つとしてリニア新幹線鉄道整備の事前の効果測定について参考文献(22)を基にみてみよう。東海旅客鉄道株式会社の試算では1日当たり利用者数約10万3000人(東京・甲府間は約12万人),年間総短縮時間約7500万時間,年間総時間便益約3000億円となっているが,他方,帝京大学の佐貫教授の試算では1日当たり利用者数約12万人,年間総短縮時間約1億4000万時間,年間総時間便益約3兆3000億円となっていて,両者には大幅な違いがある。特に時間評価値の差異が大きい。
また整備新幹線建設の経済効果について,参考文献(23)によると,三菱総合研究所が行った時間便益の計測では所得接近法を採っているが,これに対して参考文献(24)によると,運輸経済研究センターが行った時間便益の計測では費用接近法を採っていて両者の分析結果には大幅な違いがある。
このように,時間評価値という抽象的な概念を採用している限り総時間便益の正確な把握は困難であると思われる。
また,費用便益分析の利用が投資効果の事前評価手法として制度的に確立しているものでも,第2章で述べたように,そこで用いられている主な便益計測手法は,個別集計法により施設効果(利用効果)のうち直接効果の一部を計測する程度であり,全ての便益を漏れなく計上しているわけではない。
こうした実例をみても客観的な便益の測定は極めて難しいことがわかる。
3 費用便益分析の問題点と業績検査への適用可能性
前記のような問題を抱えた費用便益分析を,業績評価の手法として最高会計検査機関が利用するには,特に便益の把握の点で困難な面があると思われる。
これは,各行政機関の事前評価と比較して,最高会計検査機関の業績評価には正確性・客観性・中立性がより一層強く要求されるが,費用便益分析ではそれが極めて困難であることによるところが大きい。例えば,前述のように便益の推定には誤差が大きく,推定値の信頼性の確保に問題が生ずる場合が多い。
参考文献(14)によると,マーグリンは次のように述べている。
「費用便益分析はプロジェクト策定の手段としてでなく,プロジェクト正当化のためのみの手段として導入された。実際には米国では,費用便益分析はしばしば経済的基準とは無関係に,すでに策定されたプロジェクトの体裁をつくろうために貢献してきた。」
日本では,事前評価の段階では費用便益分析などで投資効果が強調され,事後評価の段階になると,収入支出対比で事業者の赤字が強調される傾向がある。
我が国会計検査院の元特別研究官の金本良嗣東京大学教授が1990年に行ったGAOの行政実態調査を基に寄稿した参考文献(25)によれば,業績評価では先進的と言われるアメリカの会計検査院(GAO)のプログラム評価でも,費用便益分析の前段階の費用の計算と比較にとどまっていることが多く,費用便益分析を行っているものは国防関係を除いてほとんど存在しないとしている。
議会の付属機関として法令上もプログラム評価が要求されるGAOと比べて,独立機関としての立場をとる日本の会計検査院では,GAO以上に正確性・客観性・中立性が要求されていると考えられ,費用便益分析を用いることがより一層困難になっている。
このように費用便益分析を業績検査に適用することは,理論的にも現実的適用性においても多くの困難性を有しているのである。
しかしながら,公共投資の効果を評価する手法として,費用便益分析には上記のような問題点があることを認識しなければならない一方で,これに代わる有効な手法がなかなか見つからないことも事実である。
そこで次章では費用便益分析の欠点を克服しようとして試みられた分析手法を簡単に紹介することにする。
第5章 費用便益分析の改良型と包絡分析法
1 費用便益分析の改良型
前章で述べたとおり,業績検査に適用するには,費用便益分析には欠点がある。そこで本章では,費用便益分析のこうした欠点を改善するために開発された手法を紹介することにする。
費用便益分析の欠点としては,まず同分析のような部分均衡分析では,国民経済に与える影響が大きい大規模プロジェクトには応用するのが難しいことを述べた。そこで,この欠点を克服しようとして,これを一般均衡分析に拡張しようという試みがなされている。このような試みには,指数基準,ヘドニック・アプローチなどが提唱されている。この手法の詳細は省略するが,業績検査に適用するには理論的・実務的な課題も多い。
また,費用便益分析は,事業の実施により得られる便益を貨幣換算してそれに要する費用と対比し評価する手法であるが,これまで述べてきたように客観的な便益の把握,すなわち効果の貨幣換算が困難であるという欠点がある。そして,この点が業績検査に適用する上での実務上の大きな問題となっているのである。
そこでこうした欠点を改善するため,貨幣換算の困難な評価項目を貨幣尺度でなく個別的な尺度でとらえる方式が考えられ,多くの評価手法が提案されている。
それらの手法を整理すると図4のようになり,評価項目間のトレードオフを明示的には考慮しない手法と,評価項目間のトレードオフを考慮する手法に分けられる。そして後者は更に,評価項目間のウエイト付けを外生的に与え代替案選択の判断情報とする手法と,評価項目間のウエイトを体系の中で行い代替案の総合的な序列化を行う手法とに分けられる。
後者のような評価項目間のウエイト付けを考慮する手法が考えられるのは,公的機関の行う事業では,一般に事業目的が複合的であって業績の評価基準(指標)も複数存在し,相互間の定量的な比較が困難となるので,それらの業績評価を行うには,各目的に対応する複数の指標にそれぞれ何らかの形で「ウエイト付け」をして,総合指標化を行わねばならないことが多いためである。したがって各評価基準相互間のウエイト付けをいかに行うかが公的機関の業績評価を行う上で大きな課題となっている。こうしたウエイト付けの手法の詳細にはここではいちいち立ち入らないが,1つの例として近年提唱されているDEA分析(Data Envelopment Analysis:包絡分析法)について簡単に紹介することにする。
2 包絡分析法の概要
(包絡分析法とは)
包絡分析法は,テキサス大学のチャ−ンズとク−パ−が中心となって多入力・多出力系のシステムの相対的な効率性の判定を目的として開発されつつある手法である。この分析手法は,個々の業績指標を統合して,総合的な指標を探そうという試みの一つで、ある事業体の業績をその組織の目標や地域差などを考慮に入れながら,他の事業体と横断的に比較することで,当該事業体の効率性の指標を導出しようというものである。
この包絡分析法は,公的機関のように複数の評価基準(指標)があり,インプット・アウトプットが多数存在する分野について,それらの相互比較を可能にし,当該公的機関の相対的効率性を把握するため開発された手法である。この方法によれば,事業体の相対的な効率性が判明し,さらに非効率と判定された事業体が他のどの事業体と比べてどの程度劣るか,またどの点を改善すれば効率的になるかという事項も検討できる。
この入力・出力相互間のウエイト付けを,費用便益分析では前章で述べたように主観的判断が介在することが避けられないのに対して,包絡分析法ではクロス・セクション(横断的)の方法により体系の内部で数理的に処理する。具体的には,それらのウエイト付けを条件付最大化問題としてとらえて,各事業体の相対的効率性を算定するとともに,非効率と判定された事業体については,その原因とそこからの改善策も提示することができる。この包絡分析法の条件付最大化問題で目的変数となるのは,それぞれウエイト付けされた各事業体の入力と出力の比率,すなわち投入産出比率であり,その投入・産出を表す各変数のウエイト付けを他の事業体との相対比較を通じて行うものである。
(包絡分析法と有効性・効率性の評価との関係)
こうした包絡分析法の考え方は,第1章の定義から言うと,インプット(投入)とアウトプット(産出)との比率の関係に着目した「経済性・効率性」の観点に該当する。
しかしながら,第1章で述べたように効率性と有効性は相反する概念ではなく,多段階の階層構造を有する資源の変換過程の中で,アウトプット自体は,産出される財又はサービスの水準というレベルから最終成果の水準を指す効果・インパクトのレベルまで階層性を有しているため,その最終局面である事業の効果・インパクトのレベルの指標を,包絡分析法のアウトプットとして用いれば,「効率性」だけでなく「有効性」の観点をも含んでいると考えられる。
このように包絡分析法は,費用便益分析と同様投入資源と成果との関係を直接扱うものであり,その意味で業績評価の手法として優れたものであるといえる。
なお上記のように包絡分析法は,アウトプットとして事業の効果・インパクトのレベルの指標を用いれば,本論文で議論している事業の「有効性」の評価にも用いることができるが,包絡分析法そのものは,前述のように事業の投入産出比率に着目した分析手法であるため,本章の包絡分析法の説明では「効率性」という言葉を使用することにする。
(包絡分析法の基本モデル)
包絡分析法では,分析の対象となる事業体を一般に"DMU(Decision Making Unit)"と呼んでいる。これは,それぞれのカテゴリ−ごとに似たような機能を持って活動していて,ある程度の独立した意志決定上の権限は持っており,それぞれ同種の入力と出力を持っているものとする。
入力項目・出力項目として何を採用するかは大きな問題であるが,その点は「包絡分析法の評価上の留意点と課題」で触れることにして,ここではデ−タとして与えられているものとする。これらの入力値・出力値とも入力値は小さい程,出力値は大きい程望ましいものとする。
事業体,すなわちDMUがN個,また入力を表す指標がM種類,出力を表す指標がS種類あるとし,各DMUj(j=1, 2, ..., n)ごとに
入力を(Xij)(i=1, 2, ..., m)
出力を(Yrj)(r=1, 2, ..., s)
とする。
そして各事業体ごとに,入力データXijと出力データYrjにそれぞれに未知のウエイトVi,Urをかけて加えることにより仮想的入力と仮想的出力を造る。
すなわちDMUj0について
(仮想的入力)=(入力の加重和)
=Σi Vi・Xij0
=V1・X1j0+V2・X2j0
+・・・+Vm・Xmj0
(仮想的出力)=(出力の加重和)
=Σr Ur・Yrj0
=U1・Y1j0+U2・Y2j0
+・・・+Us・Ysj0
Vi>0(i=1, 2, …, m)
Ur>0(r=1, 2, …, s)
とする。このDMUj0の入・出力比をHj0とすると,
(入・出力比)
=(仮想的出力)/(仮想的入力)
すなわち
Hj0
=(Σr Ur・Yrj0)/(ΣiVi・Xij0)
と書ける。
この比率Hj0を算出するために,入力,出力のベクトル
Xjo=(X1j0, X2j0…, Xmj0)
Yjo=(Y1j0, Y2j0…, Ysj0)
に対して,ウエイトのベクトル
V=(V1, V2…, Vm)
U=(U1, U2…, Um)
を決定する。このV,Uは評価の対象となる事業体j0ごとに異なってもよいものとする。この可変ウエイトを決める原則は,その対象にとって最も好都合となるように、すなわち入・出力比Hj0が最大になるようにする。ただしその同じウエイトで他の事業体も評価して相対的な比率尺度を算出する。そして当該事業体よりもこの比率尺度がより大きな値をとる他の事業体が存在すれば,当該事業体は相対的に非効率であると判定される。
このように包絡分析法では外生的なウエイトの決定を必要としない。ウエイトはモデルの方で当該事業体にとって最適になるように決めてくれので「可変ウエイト」とよばれる。この可変ウエイトが包絡分析法の主眼である。
具体的には最適化手法の解として決められる。そこで,これらのデ−タをもとに各事業体ごとに次の分数計画法を考える。
目的関数
MAX Hj0
=Σr Ur・Yrj0/Σi Vi・Xij0
制約条件
Σr Ur・Yrj/Σi Vi・Xij≦1
(j=1, 2, ..., n)
Vi>0 (i=1, 2, ..., m)
Ur>0 (r=1, 2, ..., s)
この分数計画法の意味は次のとおりである。
入力Xiと出力YrにそれぞれウエイトVi,Urをかけて和をとった加重和の比率(=比率尺度)が当該事業体も含めすべての事業体について1以下という条件下で,当該事業体の入・出力比Hj0を最大にするようにウエイトVi,Urの値を決める。こうして導出された比率尺度Hj0がこの事業体の相対的効率性である。
この分数計画法の最適目的関数値(=相対的効率性)をH*j0とすると,
0<H*j0≦1
となる。
ここでH*j0=1であるDMUを「D効率的」と呼び,H*j0<1であるDMUを「D非効率的」と呼ぶ。
分数計画法よりも線形計画法の方が実際の処理が容易なためこの分数計画法を各DMUj0ごとに次の線形計画法に変形することにする。
目的関数
MAX Zj0=Σr Ur・Yrj0
制約条件
Σi Vi・Xij0=1
ΣrUr・Yrj−Σi Vi・Xij≦0
(j=1, 2, ..., n)
Ur>0 (r=1,2, ..., s)
Vi >0 (i=1,2, ..., m)
この線形計画法でも最適目的関数値Z*j0=1ならば,事業体j0はD効率的である。
またZ*j0<1となれば,事業体j0はD非効率的である。
このほか,ここでは詳述は省略するが,上記の最適化問題を解く際のスラック変数や感度係数を算出することで,当該事業体のD効率的状態からの乖離の程度や入・出力の変数を変えさせたときの相対的効率性の変化もわかり,どの評価項目を改善すれば,相対的効率性を改善できるかも示すことができる。
3 包絡分析法の評価上の留意点と課題
(費用便益分析の個別集計法と包絡分析法との比較)
前記のように包絡分析法は,効率性をインプットとアウトプットの比率としてとらえ,相対的な効率性のスコアを導出し,それによって事業体の業績のランク付けを行う手法である。
この包絡分析法を業績評価に適用するには,まず想定される効果を二重計上や脱漏のないように分類し,次にそのそれぞれの効果に対応した評価基準(指標)を選定する。公共部門では政策目的が複合的となり複数の効果が想定されることが多いので,通常アウトプットは,個々の政策効果に対応した評価基準値を要素とするベクトルの形態をとる。ここまでは費用便益分析の個別集計法も包絡分析法も基本的には同じである。
さらにその評価基準値に重み付け(ウエイト付け)を行うが,このウエイト付けが,費用便益分析の個別集計法と包絡分析法では異なっている。すなわち,前者では,ウエイト付けを個々の評価基準に対する貨幣換算という外生的な価値判断を必要とする手法で体系の外から行う。例えば交通施設の整備事業では,時間短縮便益を算定するのに時間評価値という概念を導入することによってなされる。
これに対し包絡分析法では,各評価基準値(評価項目)のウエイト付けを,与えられたデータ自身に決めさせて体系の内部で基数的に行う。しかもそのウエイトを対象とする事業体ごとに可変とし,ある意味で当該事業体にとって最も好ましいウエイト付けをした上で相対的効率性の判定をする。
(最大値としての相対的効率性)
包絡分析法で導出された相対的効率性は,当該事業体にとって最も有利となるように入・出力の各変数のウエイト付けを行った結果であり,最大限の数値である。したがって,包絡分析法で効率的であると判定されてもウエイト付けを変えれば非効率と判定される可能性もある。包絡分析法における効率性の判定は,真に効率的であるための必要条件でしかない。
逆に包絡分析法で非効率的であると判定されたものは,新しい事業体が登場してウエイト付けが変わっても効率的と判定される可能性はない。したがって,包絡分析法における非効率性の判定は,当該事業体が真に非効率であるための十分条件を満たす。
会計検査では非効率など不適切な事態の判定には慎重を期しているが,包絡分析法は上記のように非効率性判定の十分条件を満たしていると考えられる。
(環境条件の考慮)
業績検査では,当該事業体の置かれている環境条件をも勘案して行わなければならないことが多い。特に日本の会計検査院では,検査の主眼が統制機能に置かれているため,会計責任の検証という面からみて,要因分析,すなわち非効率となったのが当該事業体の外部的な要因か内部的な要因かを分析することが不可欠で,当該事業体で制御不可能な外的環境要因を分離する必要があることが多い。そのような場合も包絡分析法では,制御不能変数や階層的カテゴリーを含むモデルなどに拡張することで,環境条件を考慮することが可能である。
例えば人口のような制御不能な要素を入力項目として含むような場合には,通常の制御可能な項目とは別扱いをして,制御不能変数は不変として分析する。
また,階層的カテゴリーを含むモデルでは、事業体の置かれている環境条件を勘案するために,各事業体をカテゴリーに分類してから分析を行う。
あるいは,異なるシステムを採用している事業体のグループが複数あるような場合,システムの相違を考慮して,個々の事業体の効率性を評価したり,システムの優劣を議論したりすることができる。
このほかこの包絡分析法は,規模の効率性が存在するケースなどに拡張することも可能である。
(入・出力の各変数の選定)
包絡分析法は各事業体の相対的効率性の判定に当たって,何を入力項目とし何を出力項目とするかがあくまでもあらかじめ与えられた上で,入・出力の各変数相互間のウエイト付けを体系の内部で行う手法である。したがってこの手法は入・出力の変数に何を選ぶかという各変数の選定基準を決定するものではない。
その変数の選定に当たっては,体系の内部ではなく,やはり何らかの外的な価値判断によらなければならない。具体的には費用便益分析と同様に想定される効果の分類と評価基準の選定という手順を踏むことになるが,これには,第4章で議論したような脱漏や重複,恣意性の問題が発生する可能性は残る。したがって想定される効果の分類と評価基準の選定は,別途慎重に検討しなければならない。
(クロス・セクション的な分析手法)
包絡分析法は既述のとおり,他の事業体と比較して当該事業体がどれだけ効率的であるかを算定する手法である。その結果,包絡分析法で非効率と判定された事業体よりも,もっと効率的と判定される他の事業体が少なくとも1つは存在することを意味している。よってこの包絡分析法は,いわば「横並び」に比較を行う「クロスセクション」の分析手法であり,あくまでも現有の他の事業体と比較した場合の相対的な効率性を判定するものである。
このように包絡分析法は絶対評価ではなく相対評価の分析手法であって,同分析法で効率的であると判定されてもそれはあくまでも現有の他の事業体と比較して効率的であると判定されたに過ぎない。
また,他の類似の事業体が存在しないか,その数が少ない場合には,比較対象が乏しいため十分な効率性の判定ができない可能性もある。
なお包絡分析法では,入・出力の各変数の数値によっては,効率的と判定される事業体(=効率フロンティア)が複数個存在することもある。
(定性的分析の必要性)
包絡分析法は,各事業主体の相対的効率性を線形計画法の手法によって算出する極めて定量的な分析手法である。しかしながら,現実には数値化・定量化が困難な要素も多数存在する。したがって言うまでもないことであるが,業績検査に結び付けるためには,このような定量的分析だけでなく,それと併行して「数字の背後に潜むもの」を把握するために別途定性的分析も行う必要がある。
(包絡分析法の意義)
ここでは主として公的機関の効率性を把握するための包絡分析法の内容について簡単に紹介した。これを業績検査に適用するには,これまでに述べたようにいくつかの課題がある。
しかしながら,費用便益分析法では困難であった「評価項目のウエイト付け」を,クロスセクション分析という限定つきながらも可能にしたという点では画期的な手法であり,特に公的機関に顕著な複合的な評価基準を持った事業体の業績評価という難しい問題に対して一歩踏み出そうとしたものであると言える。
また包絡分析法は,予備的な検査において効率的な部分と非効率的な部分を見極めるための診断ツールとして利用できる可能性がある。
包絡分析法は新しい分析手法で,現在進行形であり,実際の事例に適用されるのもこれから多くなると期待される。今後のより一層の研究が望まれるところである。
第6章 終わりに
前述のように,費用便益分析の欠点を克服するためにさまざまの分析手法の改善策が試みられてきた。
しかしながら,分析手法の改善だけではそれらの手法を業績検査,特に有効性検査に適用する問題の解決にならない。というのは,完全無欠な分析手法などは存在せず,いかなる分析手法をもってしてもその手法が持つ理論的な前提条件の妥当性,モデルの精度,データ収集の制約などの問題が残るのは,程度の差こそあれ避けられないからである。
したがって,会計検査院が業績検査,特に有効性の観点から事後評価を試みようとする場合,一意的,客観的な分析を行うことは,一般的に容易な作業ではない。
このような状況下において,その評価結果を検査報告として公表することについては,会計検査院の評価に要請される正確性・客観性・中立性の確保といかに調整するかという問題が新たに生じてくる。
特に独立機関としての立場をとる日本の会計検査院では,議会の付属機関であるGAO以上に正確性・客観性・中立性が要求されていると考えられる。
他方近年における行財政改革や国民の納税者意識の高揚に伴い,日本の会計検査院においても国会あるいは国民に対して行財政に関する判断材料を提供するという情報提供機能が次第に重要となってきている。そして,公的機関の業績を多角的・総体的に評価する業績検査,特に「有効性」の観点からの検査をより一層充実強化する機運が高まっていることも事実である。
このようにしてみると,上記のような情勢を背景として情報提供機能に着目し,業績検査,特に「有効性」の観点からの検査を行うために各種分析手法を駆使することと,会計検査院の評価に要請される正確性・客観性・中立性の確保との間にはトレード・オフの関係が存在すると考えられる。
したがって上記のような限界を有する各分析手法を,各行政機関の事前評価と比較して,正確性・客観性・中立性がより一層要求される最高会計検査機関の業績検査に適用できるのか,できるとすればどのような形でできるのかという点を検討しなければならない。
本来費用便益分析を始めとする各種の分析手法はあくまでも評価を行うための道具であってそれを実施する機関がどのような立場をとるかが肝要である。
このようにして考察すると,どのような分析手法が業績検査に有効であるかという問題は,上記のようなトレード・オフの関係を踏まえて,また伝統的な検査である財務統制機能の存在や他の評価機関との役割分担も考慮した上で,最高会計検査機関がそもそもどのような機能を果たすべきかという点に行き着く。そしてそれは究極的には日本の政治機構の中で,最高会計検査機関としての位置付けがどのようにあるべきかという問題に帰結する。
費用便益分析は経済学上の問題であるが,それをどのように業績検査に応用するかはむしろ政治学上・行政学上の問題である。
本稿が今後の議論の発展に少しでも役に立つことを願うものである。
主要参考文献(本論文参照順)
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