第1号

アカウンタビリティの概念−第一回公会計監査フォーラムの基調講演より−
西尾 勝

西尾 勝(東京大学教授)

 はじめに

 本日のフォーラムの主催者の方々から基調講演のご依頼を受けまして以来,きょうこの日まで毎日まことに気の重い日々を過ごしてまいりました。「『公会計監査フォーラム』などという席で,それも基調講演などというものをお引き受けする任にあらず」ということで,かたくご辞退申し上げてきたのですが,主催者のご熱心な,ご要請にとうとう負けて,気弱にもお引き受けしてしまった次第であります。

 会計検査院の方々,あるいは総務庁の行政監察局の方々,政府各省で内部監査に従事しておられる方々,さらに自治体の監査委員をお務めの方々,特殊法人の監事をしておられる方々,公認会計士の方々など,一口に公会計の監査といっても,それぞれに若干性格を異にする仕事に日々従事しておられる監査の専門家あるいは実務家の方々を前にしまして,私のような会計学の専門家でもなく,また財政学の専門家ですらない者が何をお話ししたらいいのか,大変困惑している次第であります。政治学,行政学を専攻しております私としましては,会計検査それ自体についてではなく,会計検査はそもそも何のために行われているのかという点について,政治制度の原点に立ち返ってお話ししてみるほかないのではないかと考えました。

 ところで,会計検査の原点に立ち返って考えるということになれば,私の念頭にすぐに浮かぶものは,イギリス人のE.L.Normantonが1966年に刊行しました大著"The Accountability and Audit of Governments"という本であります。今から20年ほど前に公刊された書物でありまして,皆様先刻ご承知のように,この書物は,イギリスの会計検査院の職員であったノーマントンが,一時大学に籍を置いて研究しておりましたときに執筆した本でありまして,西欧先進諸国の会計検査に関する比較研究の書として,今日すでに古典の地位を確立している本です。この大著の標題は,先ほども申しましたように『諸国家のアカウンタビリティとオーディット』となっているわけでありますが,私がこれからお話ししてみたいのも,オーディットと不可分なものとして論じられてきた"アカウンタビリティ"という問題であります。

 オーディット,すなわち会計検査は,きわめて重要な仕事であるにもかかわらず,残念なことに,世上一般の興味,関心を強く引きつけるような仕事,機能ではありません。会計検査はじみな仕事,きわめて技術的な仕事であって,血わき,肉踊るといった類のテーマでは到底ありえない。一言でいって,かたいテーマであります。しかし,アカウンタビリティ・会計責任という問題になれば,これは理念的な概念でありまして,論争を呼ぶ概念,ドラマティックな概念であります。「活発なオーディットなきところにアカウンタビリティは成立せず,アカウンタビリティが成立していないところではデモクラティック・コントロールもありえない」といわれておりますように,オーディット・会計検査は,政府の会計責任を問うための一つの方策,手段,制度であります。言いかえれば,オーディット・会計検査は,財政民主主義を確立するための制度であるわけです。そこで,会計責任の問題の方から会計検査にアプローチしてみることを通して,当たり前のことを再確認してみようというのが,きょうの私の話のねらいであります。

 権力分立と会計検査

 それでは,アカウンタビリティとは何かということでありますが,言うまでもなく,この言葉は,account, accountingあるいはaccountantsといった一連の言葉と同系列に属している言葉でありまして,accountingのresponsibility,すなわち会計責任のことです。

 しかし,この会計責任の性質,内容,制度は,時代とともに変遷してきております。もともとは,中世ヨーロッパの国々,あるいはこれに続く近世初期の絶対王政期のヨーロッパ諸国において,国王の臣下として地方に派遣されていた,あるいは各地に任命,配置されていた国王の代官たちが,それぞれの任地において徴収した収入とその任地で行政経費として支払った支出とについて国王に報告し,説明する義務のことを指してアカウンタビリティと称していたわけであります。そして,この代官たちが提出する会計報告を国王にかわって検査していた財務官たちの仕事がオーディット・会計検査の原型であったわけであります。

 このことから明らかなように,会計検査は,今日の言葉で言えば,まず内部監査として出発したわけでありまして,この時代には会計報告も会計検査報告も世間一般に公表する必要のないものでありました。ところが,その後議会が開設され,行政権から立法権が分立するようになりますと,これに伴ってオーディット・会計検査の概念と目的は従来とは全く異なるものになったわけであります。議会が財政主権を主張するようになり,会計検査院は議会の財政主権を担保するための機関,議会を補佐する機関に変わっていったのであります。議会による財政主権の主張は,まず「議会の承認なき課税はすべて違法である」という点から始まり,次第に行政府による支出目的の統制へと,その範囲を拡げていきました。したがって,会計検査の任務も,違法,不当な課税をチェックすること,あるいは公金の横領といった不正をチェックすることから始まり,次第に支出が違法,不当ではないかという方向へと,その重点を移していくこととなったわけであります。

 要するに,政府の資金はすべて納税者から託されたpublic money,公金と観念され,政府は国民から受託した金銭を誠実,善良に管理する責任を負うこととなったわけであります。したがって,行政府の決算報告は議会に提出され,国民に公表されなければならないものとなりました。そして会計検査院は,この決算報告の正確性を検証するとともに,その合規性,合法性を検査することによって,議会による財政統制を補佐する機関となったわけであります。そのためには会計検査報告も議会に提出され,国民に公表されるべきものとなっただけではなしに,会計検査院は組織的にも行政府から独立した中立・公正な第三者機関であることが必要となりまして,ここに外部監査としての会計検査が成立することとなりました。

 もちろん,会計検査院と議会との組織的,機能的な関係のあり方,また会計検査院と行政府の財務当局との組織的,機能的な関係のあり方は各国ごとに多種多様でありますが,それにもかかわらず,現代の会計検査では,検査当局が行政府からある程度以上独立していることが必須の絶対的な要件となっているのであります。ここに外部監査としての会計検査と,それ以外の内部監査としての検査,監査,監察などと呼ばれている行為との決定的な違いがあることは言うまでもありません。しかしながら,このような権力分立制度のもとでの会計検査が効率的に行われるためには,内閣制度の確立と予算制度の確立とを待たなければなりませんでした。

 まず内閣制度についてでありますが,中央政府の各省庁が整備され,地方出先機関の会計は,第一次的には中央の各省庁にすべて報告され,これによって統制されるようになりました。そこで会計検査院は,地方出先機関の会計を一々現地で検査しなくても,中央各省庁の会計を検査することを通して,かなりの程度まですべての会計を検査することができるようになりました。言いかえれば,会計検査は,各省大臣の会計責任と,これを補佐する各省庁の内部監査とをある程度まで前提にして作業することができるようになった,ということを意味しているわけであります。ここに外部監査と内部監査との役割分担の原型があるわけです。

 もちろん,各省庁の内部監査体制がどの程度まで充実しているかは,今日でも国によって異なります。また,それぞれの国の中で,省庁,団体ごとに異なっております。したがって,会計検査院自身による会計検査が細部にまで直接介入して行われるか,あるいは行われるべきかということも,国により団体により異なり得るということになるかと思います。しかし,各省大臣の会計責任の確立なしに,現代国家の膨大な会計のすべてを検査することは,ほとんど不可能だといってよいわけであります。

 次に,もう一つの予算制度についてでありますが,これについては改めて説明するまでもないだろうと思います。会計検査による違法,不当事項の指摘とは,各種の法令及び予算に照らして,違法,不当な事項を指摘するものでありますから,会計検査の範囲,体系性及び精度は,予算の範囲,体系性及び精度に決定的に依存しているのであります。

 会計責任から予算責任へ

 さて,これまでのところでは,議会制民主主義の確立に伴って,会計責任は地方代官たちの中央に対する責任から,中央省庁の議会に対する責任へと変わったということ,これに伴い会計検査は内部監査から外部監査に変わったことについてお話ししてきたわけでありますが,こうした変化に伴って会計責任の内容も変わったのであります。新しいアカウンタビリティは,会計責任というより予算責任と呼ぶ方がより適切だと思われるようなものに変わったのであります。先ほども申しましたように,議会による財政統制の重点が,政策目的の達成,政策間の均衡の維持といった支出面の統制へと移行していきました。そこで予算統制が重要になり,近代的な予算制度の整備が進められていったわけであります。予算制度とは,公金の支出を目的別,性質別あるいは事業別に細かく統制していく仕組みにほかならないわけでありますが,そうなりますと,会計検査の重点も変わらざるを得ません。違法,不当事項の指摘と一口に申しましても,公金の横領がないかどうかチェックすることとか,法令に照らして違法,不当な支出があるかないかをチェックするということより,予算に照らして違法,不当な支出がないかどうかチェックすることの方に重点が移っていきます。また,予算に照らして検査すると申しましても,ただ単に予算額を超過した支出がなかったか否かとか,逆に予算どおりに事業が着実に執行されたかどうかをチェックするというのではなく,もともとねらっていた政策目的が現実に達成されたかどうか,しかも,それが効率的に達成されたかどうかが主要な関心事となるわけであります。このことを別の観点から見れば,次のように言いかえてもいいのではないかと思います。会計検査は,会計と決算報告の正確性,合規性を検証するだけでは十分ではない。アカウンタビリティ・会計責任とは,会計処理の結果を正確に報告し,それが法令及び予算に照らして,違法,不当でないことを証明すればそれでよいというものではなしに,その会計の妥当性,適切性をあらゆる角度から説明し,なぜこのような会計状態,会計状況になったか,そして,その結果として何が達成されたのかということを説明する責任である,というふうに考えられるようになっていくわけであります。

 けれども,通常の収支会計報告とか決算報告といわれるものには,このような意味での説明までつけられてはいないのが普通であります。会計報告,決算報告から具体的な行政の姿あるいは行政活動の意味を読み取ることは極度に困難であります。通常の会計報告,決算報告が明らかにしていることは,行政活動全体のごく限られた一面でしかありません。会計帳票それ自体は,行政活動の全貌を解明するための一つの手掛かり,guide mapのようなものにすぎない。決算報告は,明らかにしている部分より,明らかにしていない部分,非公開の部分の方がはるかに多いものであります。

 そこで,この手掛り,ガイドマップである会計帳票,決算報告から出発して,行政活動の全貌を体系的に解明していくという作業がだれかによって行われなければ,国民は政府の活動の良否を判断することができないわけであります。これを行うのが議会による決算審査の役割であるはずであります。また,これを補佐するのが会計検査の機能ということになるはずなのであります。「活発なオーディットなきところにアカウンタビリティは成立せず」といわれるのは,このことを指しているわけであります。

 計画と評価

 ところが,現実の会計検査は,どこの国でも国民の期待に沿うような形では容易に発展してこなかったのであります。むしろ予算制度が発展すればするほど,会計検査の仕事は辛気臭い会計帳票の点検作業,きわめてじみで技術的な作業になってしまうといった傾向すら見えたのであります。議会の主権が確立されるのに伴って会計検査院の権威,地位は向上したのでありますが,これが現実に行う活動が日々の行政に与えるインパクトはむしろ小さくなってしまうという傾向を持っていたのです。要するに,現実の予算執行が予算どおりに行われているかどうかをチェックするのが,会計検査の仕事であるかのようになってしまった。予算は財政の事前統制であり,決算,会計検査は財政の事後統制でありますから,事前統制としての予算制度が進歩発展すれば,これに対応して事後統制としての会計検査制度も進歩発展しなければならないはずなのですが,財政統制の中心がもっぱら事前統制としての予算に傾斜し,事後統制が軽視されていくという傾向を見せ始めたのであります。

 このような状態をどのようにして改善し,克服するか,これが現代国家が共通に直面した課題でありました。特に第1次大戦後の先進諸国における会計検査に共通の課題と認識されたのでした。しかしながら,会計検査の課題の改善,克服という問題は遅々として進みませんでした。ノーマントンが1966年に公刊した著書『諸国家の会計責任と会計検査』という本も,全巻この問題を探究し続けていたといってもよいわけであります。問題は,なぜこのようなことになってしまったのかということであります。

 その理由の1つには,事前,事後というとらえ方から生まれる誤解があったと思います。行政とは予算によって事前に定められた政策を執行ないし実施するものであり,事後に行われる会計検査は,それが予算どおりであったかどうかをチェックするにすぎないものであるという観念,そして,既に実施されてしまったものを後から検査してみても後の祭りで,どうにもならないという観念,だから重要なのは事前の計画による予算統制であるという観念,こうした一連の観念が災いとなっていたように思われるのです。別の言い方をすれば,フィードバックの観念が欠けていた,バジェットサイクルとか予算の循環という発想が欠けていたことになります。会計検査の結果,もっと一般化して言えば事後評価の結果は,その後の予算の編成と決定,あるいは計画の策定に反映されるべきものというふうに考えれば,これは立派に事前統制をより有効なものにするための作業ということになるわけであります。会計検査がこのように活かされていくことになれば,会計検査は議会による財政統制の実効性を担保するための検査機能,議会の意思が忠実に履行されたか否かを点検する機能にとどまらず,議会による財政統制を補佐し,その内容を改善していくという機能をあわせ持つことになるわけであります。

 現代国家における財政統制の危機

 さて,時間に余裕がありませんので少々先を急ぎたいと思いますが,現代国家において会計検査機能の沈滞が起こり,その改革が重大な課題となったのは,今申しましたような観念の世界での誤解,思考様式の欠陥によるだけではありません。言うまでもなく,それ以上に国家の機能に大きな変化が起こり,議会による財政統制全般が従来以上に困難になったためであります。これを一言で言えば,現代国家の仕事の範囲,量が飛躍的に拡大して,現代国家がBig Government,巨大な政府になったためであります。この結果,行政官僚制が膨張し,行政府の力が強まり,議会による統制が空洞化していくという一般的な傾向が生じました。議会のサーバントであるべき行政府が,みずから主人であるかのように振る舞い始めたということです。事後統制としての会計検査が沈滞するだけでなく,事前統制である予算統制そのものがビッグガバメントの現実に対応し切れないようになりまして,これに伴って会計検査の範囲,体系性,精度も崩れていくという問題に直面したのであります。

 この点を会計検査に即してもう少し具体的に言えば,西欧諸国,特にヨーロッパ諸国の場合には,産業の国有化といったことが進みまして,行政活動の中に企業経営という異質なものが入ってきた。しかも,この種の新しい行政領域では,それらを担当する機関が半独立的な機構となっていった。いわゆる国営企業を初めとしまして,公社,公団,事業団,金庫等の特殊法人といったものがふえ,あるいは特別会計がふえていくのであります。さらに,予算とは別の財政投融資計画といったものが登場します。つまり,議会による財政統制が比較的緩やかな領域が次々と続出してきたのであります。別の言い方をすれば,莫大な公金が財政統制の枠外に置かれ始めたということになります。そこで,ヨーロッパ諸国では,国営企業に対する議会統制と会計検査のあり方が財政統制をめぐる主要な論点となりました。しかし,一般会計の中でも,年金保険行政であるとか,あるいは資金交付行政といった金銭を交付する新しい形態の行政領域がふえてきたのであります。要するに,予算の面でも会計検査の面でも,濃密な統制が及び得る範囲が限定される傾向が生じるとともに,従来どおりの検査基準とか検査手法をもってしては適切に対処しがたい行政領域が次々とあらわれ,拡大してきたということです。

 合規性から3Eへ

 そこで,西欧先進諸国の会計検査機関がこうした事態の中でほぼ共通に試み始めたのが,検査基準の拡充であったように思われます。すなわち,従来からの正確性,合規性の検査に加え,経済性(economy),効率性(efficiency)あるいは有効性(effectiveness)といった検査,いわゆる3E検査の追加であります。これはアメリカの会計検査院GAOに始まり,各国に波及していった動きだと思われます。アメリカのGAOは議会の補佐機関であることを明確にしておりますし,1921年の予算会計法でそれにふさわしい検査権限を与えられていたために,それだけ早く新しい任務に取り組めた。各国の会計検査院はGAOの動きに刺激され,徐々にこれに追随したといえましょう。しかし,これによって,すなわち検査基準の拡充によってすべての問題にこたえられるというわけではもちろんありませんが,少なくとも決算の確認を超えて行政のアカウンタビリティを問う機能を持ち,計画に反映し得るような評価を行い,議会による財政統制を補佐し,改善しようとする会計検査機関の意欲が,この中にうかがわれるのであります。こうした一般的な動向は,わが国においても支援され,そして奨励されていくべきものだと,私は考えております。

 ただ,検査基準の拡大に伴う検査手法の開発が必要でありますし,また,検査結果をだれに対して,どのような形式で報告するのかという検査権限との関係,あるいは検査制度との結びつけ方も大きな課題として残っているのであります。さらに言えば,検査権限,検査制度のあり方についての抜本的な改革も必要でありましょう。なぜなら,アメリカを除けば,どこの国でも,検査権限,検査制度については見るべき大きな改革はあまり行われなかったのでありまして,いずれの会計検査機関も旧来の法制において認められている諸権限の中で,こうした新しい検査基準に立った検査を運用上進めていくことに苦労しているからであります。現行制度の枠内で努力されているからであります。しがたいまして,日本の国の会計検査の場合にも,是正処置要求とか改善処置要求とか,いろいろな手法があるわけでありますが,有効性の問題を問う場合には,多くの場合,意見表示といった方式が採択されておりますのも,こうした新しい検査基準と既成の検査権限との調和を図ろうとしている1つの工夫であろうかと思われるのであります。また,今日の我が国の自治体についてみれば,地方自治法によって監査委員の職務が財務監査,財務事務執行の監査に限定されておりますので,こうした枠の中でいかにして有効な監査をするかという工夫が重ねられているのでありまして,こうした大きな限界を突破しようとすれば,検査権限,検査制度そのものの再検討も必要になるかと思われます。

 新しい変化と課題

 また,今日では先進諸国に大きな共通の,さらに新しい変化があらわれております。そして,それが会計検査に新しい課題を提起しているように思われます。1つは,第2次世界大戦後に始まり,1960年代以降特に顕著となっております福祉国家化の現象であります。その結果,医療,保健衛生あるいは社会福祉,住宅,あるいは教育といった福祉国家の行政活動の膨張を特徴づける行政分野の多くが自治体によって執行されるようになっておりまして,自治体の膨張が国の膨張を超えて進行しているのであります。それに対して国からは交付税あるいは包括的な補助金といった形で,資金が自治体に配られるという仕組みになってきている。中央政府は資金を地方公共団体に配分するという大きな機能を果たすようになったのですけれども,こうした交付税的な資金に対して,国の財政統制,国の会計検査はどのようにかかわるのが適切なのかという大きな問題が生じているわけであります。現代における中央地方関係を前提にした財政統制,会計検査のあり方とはどういうものか,というのが先進諸国に共通の現代的な課題ではないかと思います。

 もう1つ,さらに新しい最近の現象としまして,privatizationに伴う問題があります。かつていったん国有化したものが再び民営化されるとか,あるいは民間委託がなされるとか,さらには第三セクターが続出するといったような現象であります。民間企業で行っていたものが政府活動の中に入ってくるというのがかつての国有化に伴う問題であったのですけれども,今日ではこれまで行政活動の一環として行っていたものを民間に委譲していくことが進められているのでありますが,しかし,それはかつてすべてが民間で行われていた時代に戻るということでは決してないはずであります。いったんそのサービス,事業について公共的な責任が確立された後のことでありますから,民営化される,あるいは民間委託される,第三セクターによって実施するということになりましても,それが公共の福祉に合致するように維持していくための公共的な責任は政府に残っているのが通常でありまして,民営化に伴う新しい規制方式のあり方の検討が付随するのが普通です。したがいまして,これまで政府活動の一部としていたものを民営化する,民間委託に切りかえる,第三セクターの手にゆだねるという場合に,これに対する財政統制はいかにあるべきなのか,これらのものに対する会計検査はいかなる程度に及ぶべきものなのか,といった重大な新しい課題が生じているように思うのであります。

 むすび

 さて,そろそろ締めくくりにしたいと思いますが,本日の私の話は,20年以前にノーマントンがその大著の中で論じたことの枠を超えるものでは全くありません。何一つとして新しいことを語ってはおりません。皆さまにとって余りにも自明なことばかりを羅列することに終始してしまったきらいがあります。けれども,私がきょうここで強調したかったことは,次の2点です。

 すなわち,第1に,アカウンタビリティとは,国民に理解できる情報を提供して,国民の行政に対する評価を助けること,国民にとって意味のある説明を提供するということです。したがって,それは行政の非公開とか行政上の秘密といった概念とちょうど正反対の対極に立つ観念であるということであります。「知らしむべからず,よらしむべし」といった姿勢とは正反対の姿勢を政府に要求している概念であります。行政活動は,その実施機関とその職員の利益のためにあるのではなくて,国民の利益のためのものであるということは余りにも自明なことでありますけれども,それが故にかえって忘れられがちな事柄であるということを,もう一度再確認したい,というのが第1点でした。

 そして第2点としましては,行政の範囲が変わり,行政手法が変化するのに伴って,これに対応して財政統制も,そしてその一環としての会計検査も,その範囲,手法を絶えず変えていかなければならないということを強調したかったのでございます。

 大変につたない話をご清聴いただきまして,深く感謝いたします。

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