第9号

GAOの監査規準の展開とその要因表題
木谷 晋市

木谷 晋市(岩手大学助教授)

 1952年生まれ。関西学院大学大学院博士課程修了。岩手大学人文社会科学部講師を経て,89年より現職(94年4月より関西大学総合情報学部助教授)。日本行政学会,日本政治学会等に所属。

 主な論文は「予算と行政管理」,「予算過程における会計検査の役割」など。

1 はじめに

 近年,会計検査院の検査規準は,従来の正確性・合規性のほかに経済性(economy)・効率性(efficiency)が,そして現在では有効性(effectiveness)をも含む3E検査が加えられたといわれている。そして有効性を規準とした新しい監査は,プログラム評価とか業績評価などさまざまな呼び方をされ,その内容に不確定性を残しているとはいえ(注1),検査の質を高める有効なアプローチとして広く認知されつつその手法の洗練に向けた研究が活発に進められているという(注2)。こうした動きはアメリカの会計検査院(General Accounting Office = GAO)に始まり各国に波及した(注3)こともあって,わが国の会計検査をこの方向に改革しようとする場合,GAOの活動がしばしば引き合いに出されることになる。しかしながらGAOの活動を改革理念として捉えようとすると,改革への期待と現実との間にいささかのギャップが生ずる場合があるようである。

 こうした齟齬が生じるに至るには関連するいくつかの要因が考えられる。一つは,実際に行われているGAOの監査手法についての認識に関するものである。たとえば,金本良嗣氏はGAOのプログラム評価を具体的に検討した上で,この期待と現実との差を示している(注4)。すなわち「わが国では,プログラム評価は費用便益分析やプロジェクト評価を行うものであると解釈されがち」だが,「GAOのプログラム評価で費用便益分析を行っているものはほとんど無」く「費用便益分析の前段階の費用の計算に留まっていることが多い」。また有効性検査についても「わが国では達成度の指標をどうやって客観的に作り出すことができるかという議論がなされていることが多いが,GAOではこのような指標をほとんど用い」ず,「調査結果から客観的・論理的に導かれる結論や分析を報告し,政策決定者にとって有益な情報を提供」することを目的にしている。さらに,GAOはプロジェクトのパフォーマンス良否や「担当者の責任追及ではなく,問題を発生させる原因を究明する」ことに主眼をおいている,ということである。

 もちろん,ここで氏の分析を取り上げたのはGAOの評価活動の欠陥を指摘するためではない。氏の指摘も,理論としての費用便益分析が「会計検査に要求される正確性と中立性の厳格な基準を満たす」という実際上の要請に応え難いという現実をふまえた上で,「わが国でプログラム評価を始めるとした場合にGAOの活動から何を学べるか」という文脈で述べられたものである。むしろ留意しておきたいことは,過大な期待から,純粋理論と実際との格差の故に学ぶベき点を誤まることは避けるべきだということである。したがって,GAOの活動を検討する場合には,GAOの検査手法がどのような条件の下で生み出されたかを理解しておく必要があるということである。

 もう一つは,上に述べたことと関連するが,GAOのGovernmentにおける位置づけに関するものである。この点に関連して桜田桂氏はGAOのプログラム評価と日本の有効性検査を比較検討した上で,GAOの制度的条件を指摘している。すなわち,GAOがプログラム評価は法の要請に基づくことが多いこと,議会の機関として行政部のチェック機能が期待されていること,財政資金の行方よりは政策の評価が期待されていることなどを挙げている(注5)。また,石井薫氏は,日本の会計検査院の検討に際して「アメリカのGAOがしばしば引き合いに出される」が,会計検査院は独立した機関で,GAOは議会付属機関という違いが「それぞれの検査業務に色濃く投影して」おり,「GAOの業務は,本来の監査業務とは異質なように感じられてならない」と指摘している(注6)。逆に日本の会計検査院について,山本清氏は,その制度的規定が「統制」から「管理」及び「情報提供」への移行を阻み,会計検査院に対する期待と現実の格差を生み出す要素の一つとなっていると指摘している(注7)。すなわち,監査機関の制度上の位置づけの違いが監査の在り方に違いを生むことがあり,その関連を明確にしておく必要があるということである。

 三つ目は,これら両者の要素と関連して,政治や技術,他の組織との関係などの条件に関するものである。たとえば,GAOの設置以来の評価規準の発展段階を,正確性と合規性から経済性や効率性,そして有効性へと単線的な発展段階に分け,これを日本の監査規準の発展段階と比較して,日本はようやく2と3に入ろうとしている段階であるので早く正確性と合規性監査を脱し,有効性監査を確立すべきだ,という考え方がある。たしかにそうした側面は否めないかもしれないが,しかし,上記で示したように理念と実際には格差がある場合があり,制度的な要件も異なる。この点に関連して田辺国昭氏は「評価の基準や手法が,組織の過程や構造といった要素と結び付けられること」なく理解されると,「機能を成り立たせる制度的基盤を欠いた議論」になる可能性があるとして,組織間関係分析の視点の重要性を指摘している(注8)。氏の分析は,現に進行中の組織活動を対象として組織間の均衡の安定条件を探る視点を持つが,逆に組織間の不均衡から組織活動の変化を見る場合にも有効ではないかと思われる。いずれにしても,これまでのGAOの活動を理解するに際しても,こうした観点が必要になるのではないだろうか。

 ところで,GAOの新しい評価の手法やその日本への適用は,既に多くの研究者や実務家によって検討され,さまざまな提言も出されている。『業績検査に関する研究』や上記の諸論文などはその例である。筆者はこの点を論じる知識も能力も持たないので,ここではGAOの監査規準の変化を規定してきた要因を検討し,GAOの監査から学ぶ場合の前提を再確認しておくことにしたいと考えるものである。

2 厳格な「正確性と合規性」

(1)前提条件

 GAOの創設を規定した1921年予算会計法(Budget and Accounting Act of 1921)が制定される背景には,1906年のニューヨーク市政調査会や1909年タフト大統領による「節約と能率に関する委員会」の設置など執行部予算システム確立に向けた運動があった。ここで提案された執行部予算の基本的理念は,①予算は大統領またはその直接指揮下の補佐機関によって提案,勧告されるべきである,②すべての予算は議会の統一的な委員会で審議されるべきである,③執行部の財政報告の監査は執行部から独立した機関または議会に責任を負う機関によってなされるべきである,というものであった。この結果,議会に不完全ながら歳出法案を審議する委員会が設置(下院1920年,上院1922年)され,また予算会計法に基づいて予算局(Bureau of Budget=BOB, 1970年には,Office of Management and Budget=OMB)とGAOが創設され,財務省に置かれたBOBは執行部の予算編成に携わり,GAOは会計検査院長(Comptroller General=CG)の下で執行部から独立して監査を行い議会にこれを報告することになった。こうして,さまざまな問題を孕んでいたとはいえ,いわゆる執行部予算システムが連邦政府に導入されたのである(注9)。

 しかしながら「行政機関を設置する法の制定の以前と以後の間における区分は,ある意味で便宜的なものに過ぎない」(注10)といわれるように,GAOの設置が直ちにgovernmentに新しい機能を付け加えたわけではない。むしろ,実務世界では同法の制定以前から行われた会計手続きはほとんどそのまま実施され,財務省のcomptrollerとauditorを執行部から独立させるという「組織上の位置づけの変更」が行われただけであったともいわれている。この問題を検討した議会では,財務省に残す案と行政部から独立させる案の対立があった。独立案の根拠は「現在と同じ位置に置かれるかぎり,多少ともその判定にバイアスをかけるような影響を受ける」ことになり,「能率的な会計システムは,行政のコントロールから除外されないかぎり実現されない」というものである(注11)。

 この主張が多くの人に受け入れられた背景の一つは,audit機関の独立は「グラッドストーンがイギリス議会手続きに持ち込んだ改革,すなわち独立した監査機関を創設し,その機関に支出権限の合法性と正確さ,及び政府支出の賢明さを判定することで最も恐れられる役職を置く改革と同じものである」という意見に見られるように,イギリスの制度に関する誤解と制度理解に対する混乱があったことである(注12)。この見解に対してウイロビーが,イギリスの「comptroller and auditor generalはわが国のcomptrollerとは異なり,支出に関する決定権を持っていない」(注13)と説明したが,この指摘はあまり顧みられず,議会への監査報告だけが強調され,GAOの独立を支持する意見の根拠となった。

 もう一つは,議員の多くが同法の最も重要な論点であったBOBの設置によって議会の予算過程への影響力が縮小するという危惧を抱き,この対抗策としてGAOの独立を支持したと考えられるのである。実際,法案の説明に際して「この組織(department)は,BOBへの対抗的影響を持つように意図」されており,「行政機関は,いつでもこの組織が監視し,すべての歳出権限が合法的に使用されなければならないということを知るようになるだろう」(注14)と述べられている。

(2) 権限と機能

 予算会計法ではGAOの設立を規定するとともに以下の権限を付与している。まず,ドッカリー法(Dockery Act of 1894)で規定された財務省のcomptroller of the treasuryと6人のauditorの職務を引き継ぐなどということである(304条)。また,行政機関の会計や内部監査等の形式等を規定する権限(309条),公金の収支及び運用に関する報告,公金の支出をより節約的で能率的にする勧告(312条(a))等を行うことが定められた。

 上記の権限のうち,実際にGAOが果たした最も重要な機能はドッカリー法から引き継いだ会計事務の一部と支出統制及び監査である。この会計システムは1798年財政法(Treasury Act of 1798)に基づいたもので,財務長官の発行する確認証(warrant)への副書,支出に疑問がある場合の事前判定,請求権の確定,徴収官や支出官の個人勘定の検査と確定などである。そのために,勘定の設定が正しいか,必要事項が記載されているか,署名は適切か,法及び国民の利益に照らして前渡し金の要求が正しいか,歳出法案が正しく成立しているか,などの詳細な検討と記載の点検を行うものである。ここから生じるGAO機能は,資金の管理統制や準司法的機能を担っており,会計の検査や会計記帳はこのための手段であったといえよう(注15)。

 ここにおいて行政機関の支出の合法性について審査し決定を下すことは執行部予算理念が予定していた事後的なauditの範囲をはるかに超えている。すなわち予算会計法以前には支出を審査するcomptrollerやauditorは財務省にあり,支出の許可・不許可は行政部内の問題であった。しかし,GAOが支出許可と監査,記録保管の権限を持ったまま行政部から独立したため,法によって授権された支出の許可が執行部外で審査されることになった。この点についてW.F.ウイロビーは,同法が「これら(audit and control)の本質的に異なる機能」を「同一のオフィサーの手に委ねる」という「機能分割に失敗」したため,執行部予算システムにおける「執行・統制」過程と「決算」過程との間で混乱を引き起こすことになった(注16)と述べている。

(3) GAOをめぐる対立

 GAOは他の機関の職員の記録を点検し,聴聞し,誤りを正し,支払を拒否し,法や予算にかかわる問題に裁決を下す行為を行っていたため,他の機関にとっては決して好感の持てるものではなかった。これはGAOが行政部から独立し,独自の権限と作業体系を持つようになると一層顕著になるのであるが,とりわけ財務省とは行政機関の会計記録や内部監査等についての形式等について,司法省とは支出を伴う法律問題の最終判定権限をめぐって,政府会社とはauditの方法をめぐって,その対立は大きなものであった。

 こうした対立はGAOの改革要求に結びつくが,それを最も強く要求したのは政府会社に対するaudit問題やTVAに対する支出拒否などの問題でGAOと鋭く対立したルーズベルトであった。ルーズベルトの要請でこれら問題を検討したブラウンロー委員会は,いったん歳出権限が認められたなら「その歳出権限に基づく支出管理責任はもっばら執行部にあり,またそうあるべきである」という考えの下に,①行政機関の会計書類の形式やシステム等の制定,会計の確定等の権限は財務長官におく,②公会計の確定に関連する法律問題の最終的判定権は司法長官におく,③監査業務を支払い手続きと分離し出先機関へ分権化する,④Comptroller Generalを Audit Generalに変更する,などGAOの権限を事後的監査に限定する考えを示した(注17)。

 議会は同報告書の執行部再編については妥協したものの,GAOの改革については賛成せず,1939年の政府組織再編計画(Reorganization Plan No.1 of 1939)からGAOを除外したため,その改革は第2次大戦以後に持ち越された。この背景には,まず,節約と能率は支出の合法性によって実現できるという考え方がなお根強くあったために,支出を統制するためには監査は執行から独立させる必要があるということと,会計過程の途中に支出の拒否権を持つ comptrollerを介在させることによって執行部予算の理念を混乱させるということとの区別ができていなかったことがあげられる。このため,当時の会計実務においては全証票監査からテスト監査への変化が見られたにもかかわらず,それを取り入れることはできなかったし,この頃増加してきた政府会社の統制についても対応できなかったのである。そしてもう一つ重要なことは,大統領と議会の間での対抗関係が合理的解決を阻んでいたということであろう。

3 「正確性と合規性」から「経済性や効率性」への過程

(1) 前提条件

 ブラウンロー委員会報告はGAOに変革を促すきっかけとなった。この変革への動きは,CGが保守的なJ.R.McCarl(36年に退職)からL.Warren(40年より)となったこと,戦争の遂行に伴う物理的条件の変化という二つの要因によって促進された。すなわち,Warrenの下でTVAとGAOの間で和解が成立し,GAOが私企業タイプのauditを学ぶきっかけとなった(注18)。また,戦時中の軍事関連契約のauditを通じて現地審査が行われるようになった。さらに戦争の遂行による業務の拡大の結果,GAOの職員が戦前の3倍にも及ぶ15,000人近くに増加したが,4年分に相当する35百万個のvoucherが未処理として残った(注19)。このことは全voucherを詳細に点検するという従来のやり方が崩壊し,新しいやり方を模索しなければならないことを意味していた。

 こうした事情を背景としてGAOの変革の動きが急速に展開することになる。GAO,BOB,財務省の関係については,三つの機関の重要な人物が旧知であったこともあって協力体制が形成され(注20),1947年にはJoint Accounting Improvement Program(JAIP)が実施されることになった。この動きはフーバー・コミッション(The Commission on Organization Of the Executive Branch of the Government,1947)の設置が予想されることで促進された。なぜなら,同委員会はGAOについてブラウンロー委員会と同じく, Comptroller GeneralのAuditor General化などを提案すると予想されたからである。しかも,前述のように戦争を契機としたGAOの作業の遅延は想像を絶するものとなっており,節約と能率を実現するはずの機関が最も非能率であることを実証していたのである。GAOも改革は必要と考えたが,部外者が構想した改革は避けたく,そのためには事前に内部で改革しておく必要があったのである。

 この改革案作成のために,Warrenは会計システム部(Accounting System Division)を創り,その長にBOBや財務省に勤務した経験を持つW.F.Freseを任命した。FreseはJAIPの協力の下で改革案を作成した。この提案は,①GAOは,会計及び監査のための標準を規定するが,個々の機関の会計システムの開発は各行政機関が行う,②統制及び財務機能についての内部監査責任は,基本的に当該行政機関が負う,③warrantシステムは,CG又は財務長官が認めた場合には省略できる,④GAOのaudit手続きは内部auditの効率化に資するものにしなければならない,⑤auditはサンプリング調査とし,voucher auditsは中央ではなく実施機関の所在地で行う,⑥auditに直接関連しないGAOの機能は縮小する,という内容を含むものであった(注21)。

 コミッションでは,会計責任を当該行政機関に,voucher auditからcomprehensive auditへの転換,会計と予算システムの関連性強化,CGをauditor generalに変更,会計標準等はaccountant generalを長とする中央会計オフィスをEOP内に設置しそこに移す,などを勧告した。しかし,コミッションの内部でもJAIPを支持する議員もあり,また議会に提出された改革法案に対しては議会の多数も大統領も賛成しなかったため,結果的にはJAIPの改革方針が支持されることになった(注 22)。この改革は1950年予算会計手続法(The Budget and Accounting Procedures Act of 1950)として結実したのである。

(2) 権限と機能

 後のGAOの変化はこの時期の三つの立法を基礎としている。第一に,GAOが立法部の一部と明記することになった45年行政部再編法と 46年立法部再編法である。これによって後の議会との密接な関係の基礎がつくられたのである。第二に,政府会社の範囲やそれに対するGAOの権限を明確にした政府会社統制法(Government Corporation Control Act of 1945)である。これによって公認会計士が多数雇われることになり,GAOに私企業タイプのauditが定着することになったのである。

 第三に,予算会計手続法の制定である。同法の基本的内容は先に示したJAIPの提案に一致するが,その他次の点を明確にした。まず基本方針(111条)として,国の会計が財政活動の結果を十分に表示し,財政活動並びに予算案の作成及び執行に必要な適切な情報を提供するものであること(a),所用経費に見合う目的を達成できない会計及び検査手続きの廃止(e),JAIPの継続(f)である。また,GAOについて(112条)は,CGが会計に関する原則や標準を定める場合は,財務長官及びBOB局長と協議し,他の行政機関の要求を考慮に入れることを明示した(a)。さらに会計検査規定(117条)として,CGは検査手続き,及びvouchersやその他の書類の検査の範囲の決定に際しては,一般に承認された検査原則を考慮し,かつ関連する行政機関の会計組織,システム,内部auditと統制,及び実際の行政活動の効率性に十分考慮を払うこと(a)が定められた。

 この法を通じてGAOのauditは「大量のvouchers auditから,comprehensive auditへ」と変化した(注23)。ここにおけるcomprehensive auditを理解するには二つの要素を考える必要がある。一つは,予算との関連である。予算会計手続法の重点の一つはいわゆるパフォーマンス・バジェットの導入にあったが,それは個別のサービス契約,購入物資などのような投入(in-put)に注目するのではなく,政府の業務を機能,活動,プロジェクトの産物(out-put)に注目して,政府活動全般を効率よく管理しようとするものである(注24)。同法111条や112条はこうした観点を反映したものであろう。

 もう一つは117条の「一般に承認された監査原則(Generally Accepted Auditing Principles)」という文言である。なぜならJAIPでは,comprehensive auditとは全書類の審査をやめて私企業の会計監査をモデルにするという方針以外に定めず,この言葉はあいまいに用いられていたが,117条はこれを明示したからである。すなわち,この用語は当時の企業の会計監査に適用されていたもので,その内容は経営代表者の正確性(accuracy),妥当性(validity),合法性(legality)を明らかにするということであった。これが政府会社のauditに影響を与えたのであるが,政府会社が公的資金を使用することから,これらの規準に加えて効率性(effectiveness)をも含む包括的審査を行うということが必要とされていた。したがって,このcomprehensive auditは,従来の全部調査ではなくテスト調査を用いて,正確性や合規性とともに「行政活動の効率性(effectiveness of… related administrative practices)」にまで踏み込んでいるのである。

 これらの法の制定以後,GAOはその組織運営を大きく変えた。出先機関の役割に対応して出先組織の強化が行われたが,記録保持業務などの削減の結果,定員の削減が行われ,職員数は1946年の15,000人から67年には職員数が4,000人強にまで減少した。これに対して会計の専門はゼロから55年には1,500人程度となり,自らもCPAであったJ.Campbellが55年にCGに就任するとこれは一層促進され,67年には 2,500人程度,50%以上を占めるまでに至り,CPA中心の組織となったのである(注25)。

(3) GAOをめぐる対立

 前述のようにcomprehensive auditの考え方は予算と連動して行政活動全般を効率よく管理する仕組みの一部として構想されたものであった。しかし,GAOが会計事務の処理から一般的管理問題にまで関心を広げても,これに対処できる人的資源はほとんどなく,増加した会計の専門家もその訓練がなかったので,これに応えることは困難であった。このためGAOのauditは,包括性を志向しながらも正確性と合法性を中心とした部分的監査しか実施しなかっただけでなく,人員が削減されたり行政内部監査へ依存しながら両者の関係が希薄になった結果,正確さをも欠く場合が出てきたのである。

 こうしたなか,政府会社に代わって政府契約(government contract)という方式が増加してきた。これが顕著となったのは朝鮮戦争の頃で,国防費が国家予算の半分を占め,国防総省と私企業との契約が増加した。51年,議会はGAOがこの契約をauditしやすいように,GAOに私企業の記録を検査する権限を与えた。当初GAOはこのauditをあまり実施しなかったが,CampbellがCGになった1950年代の後半からこれを活発に行い,多くの不正を発見したのである。すなわち,当時の契約では,コストに適切な手数料または将来の利益を上積みする方法が用いられていたが,将来の利益を見積もる際のインフレ率は交渉次第で高くできたので,研究開発や物資の調達コストがかなり高くなっていたのである(注26)。GAOは多数の実例を発見し,企業の自主的返還を促した。ある証言では,57−62年で払いすぎ 6,000万ドル以上,払い戻し4,000万ドル以上といわれている(注27)。議会もこの問題に強い関心を抱き,62年にはTruth in Negotiations Actを制定したので,GAOはこの契約auditを一層厳しく実施するようになったのである。

 しかし,国防関連契約は,国防総省,原子エネルギー委員会など,政府の中でもかなり有力な機関と関連しているばかりでなく,アメリカの中枢企業が関わっていた。このため,GAOの厳格で広範な調査活動はこの有力なグループと対立することになる。それが最高潮に達したのは下院の政府活動委員会の軍事活動小委員会(議長 C.Hollfield)が開催した公聴会(注28)で,そこではGAOの詳細な個別契約調査に対する反発が噴出したのである。

 この公聴会で証言した20人余りの約半数は国防契約に関係のある私企業人で,残りの大部分は国防総省を中心に契約に関連する行政機関の代表で占められていた。このためGAOは,その調査が不公平で不正確だ,企業秘密を暴露した,立証されていない疑惑を公表したなど,さまざまな面で攻撃された。GAOは,調査が合法的で報告は正確だと反論したが,検査する契約の選定や,個別行政官の名の暴露など,GAOの従来の手続きからするといささか混乱があったことも事実のようである。こうした背景には,調査を実施した出先機関の強化が50年以来進められていたが,なお中央と出先との間で意志の疎通を欠いていた可能性もある。また,Campbellは16年の議員経験を持つWarrenとは異なり,議会対策が不十分だったという指摘もある(注29)。いずれにしろGAOは防戦一方に回り,Campbellは公聴会半ばで健康を理由に辞任することになったのである。

4 プログラムの結果や有効性

(1) 前提条件

 Holifield公聴会は,GAOがいわゆる「近代的なGAO」(注30)に変化する重要なきっかけとなったが,その変化は二つの点で顕著である。

 一つは,GAOの調査方針の変更である。Campbellの辞任のあとCG代理となったF.H.Weizelは,この事態を収拾するためにGAOの政府契約に関する監査の方針や方法を再検討し,それを変更することで小委員会に譲歩した。その内容は,①今後,GAOの研究は不正や誤りの個別ケースを公開するものから,その「傾向」に焦点を当てたより広範なものとする,②その研究に際しては,過去における誤りの指摘よりも将来の建設的で矯正的な改革を強調する,③企業秘密に関わる情報の取り扱いにより注意を払い,報告に際してはGAOのトップレベルの職員による審査を経ることとする,④告発された個別の行政官の名称や肩書き及びその勧告内容は原則として報告書に含めない,⑤司法省に帰属すべき個別ケースには言及しない,⑥報告書のタイトルは論争的表現をやめ,建設的なものとする,などである(注31)。この方針は今日も続いている。

 もう一つは,1966年からCGにE.Staatsが就任したことであるが,これは関連する二つの点で大きな影響があった。一点はPPBSに類似した分析手法をGAOに導入したことである。彼はBOBの副局長(Deputy Director)時代,予算編成へのPPBSの採用に貢献したことで有名である。GAOはそれ以前にもプログラムを評価してはいたが,プログラムの結果の評価を本格的に実施するのはStaatsになってからである。もう一点は,GAOと議会との関係の改善である。着任したStaatsはGAOと議会との関係の希薄さに驚き,GAOと議会との関係をいわばBOBと大統領との関係に類似したものに改善しようとした。すなわち,議会に対して,公平で客観的な専門的情報や分析,連邦プログラムの検討や評価を通じた助言などを提供する機関を構想したのである。このため議会関係部(Congressional Relations Office)を設置し,議会との関係を調整することに努めたのである(注32)。

 ところで,GAOがこうした変革を迫られたとはいえ,先の小委員会においてもすべての議員がGAOに批判的であったわけではない。たとえば「この報告書の勧告及び結論は,GAOがその効果的な契約auditシステムを維持し,議会に対する他の重要な責任を果たすうえで直面している困難を増大させるだけである」(J.Brooks議員の発言)という発言にもあるように,GAOの有用性はそれなりに認識されていた。Staatsの就任以来の努力は,こうした認識を一層高めるものであった。実際,1965年にはDefence Contract Audit Agencyが設置され,国防総省の契約に関するauditはGAOからそこに移ったが,68年にはGAOは国防契約のcost-accounting standardsの作成を命ぜられ,また実現はしなかったが,69年の両院合同経済委員会(Joint Economic Committee)の報告書で,国防関係の活動を評価する権限をGAOに与えるべきと勧告された。そのほか経済機会法の修正(Economic Opportunity Act Amendments of 1967)を通じてプログラムの有効性(effectiveness)評価を命じられたことは有名である(注33)。いずれにしろ,議会はGAOの政府活動を監視するための重要な情報源と見なし,その活用に積極的になっていたのである。

 こうしたGAOのプログラム評価に改めて法的な基礎を与えたのは,立法部再編法(Legislative Organization Act of 1970)である。また,議会との関係を一層強力にしたのは,ニクソンの議会ヘの敵対,ウォーターゲート事件などの結果,議会側の対応として生まれた1974年議会予算及び執行留保統制法(Congressional Budget and Impoundment Control Act of 1974)である(注34)。

(2) 組織活動の諸要素

 まず,立法部再編法は,各常任委員会の政策調査能力を高めるために議員スタッフの増加や,補佐能力の強化を目的とした立法考査局(Legislative Reference Service)の議会調査局(Congressional Research Service)への改組を定めた。これとともにGAOには「上下各院に命じられた場合又は自らの発案により,あるいはそのプログラムや活動を管轄する両院の委員会及び両院の合同委員会の要請により,現行法下で実施されている政府プログラムや活動の結果について,コスト便益分析を含む審査及び分析」(204条)をすることが命じられた。このような議会へのサービスは以前から懸案となっていたものである。しかし,1960年代における「偉大な社会」に関連するプログラムの増加とその挫折,ベトナム戦争などとの関連で国防費にかかわるさまざまな問題などを経験し,プログラム評価の手法が開発されつつあった時期に改めて規定されたことは,GAOのプログラム評価(program results audit)への傾斜を一層促進することとなった。

 また,議会予算及び執行留保統制法では,立法部再編法を修正してGAOにより強い権限を付与した。たとえば,連邦プログラムの審査及び評価,そのような評価を実現するための方法の開発及び議会への勧告,そのためにGAOが外部の専門家を雇う権限の付与,などである。また,CGに対して予算問題に関する情報システムを形成する責任を付与するとともに,財務長官,OMB長官及び同法で設置された議会予算局長(Congressional Budget Office=CBO)と協力して,予算についての用語等の定義等を策定するよう命じている。同法に基づき,GAOはプログラム評価を検討する特別なスタッフ組織をつくったが,これは後にInstitute for Program Evaluationに発展した。また,同法でCBOが創設されたが,政府会計システムの監督の責任はGAOからCBOに移された結果,GAOは会計問題への関心を減らすとともに,予算システムや財政全般に対する関心を高めたのである。

 こうした変化はGAOの機能面での変化をもたらすことになる。現在のGAOの活動を詳細に検討した桜田桂氏によれば,フィードバック機能や情報提供機能を果たしているということである。その根拠は,まず,先の二法に加えて個別法でもGAOに有効性評価を求めるようになり,議会がそのプログラムを検討する際の情報源となっている。また,議会も政策効果の確認が必要なことから,GAOにプログラム評価を依頼することが多くなっている。実際,議会の要求に基づいてGAOが作成する報告書は,69年までは全体の10%程度であったが,80年代初期には30%を越え,桜田氏の調査時点では85%にまで拡大してきている。さらに,調査の視点が財政資金の行方の追求や責任者の特定ではなく,プログラム全体に向けた包括的評価を指向しているということである(注35)。

 これを実現するためGAO組織も変化した。72年の再編案は50年のBOB改革に類似したもので,民生及び国防の各auditing divisionsを全政府横断的なoperating divisionに改編することであった。これはプログラムに対応したもので,プログラム効率の評価や研究を促進するような改編であった。また,人的資源についても変化した。全職員数は60年代半ばに約4,100人と戦後最低になったが,徐々に増加し70年代末で約5,300人,その後5,000から 5,100人程度で推移している。職員の専門性については,Staatsの就任以後,会計の専門家に代わって経済学,統計学,ORなどさまざまな分野が多くなり「もはや標準は存在しな」くなっている。そして,全体として高い専門技術や学問的背景のあるスタッフがGAOを代表するようになっているとのことである(注36)。

(3) 組織間の対立

 H.S.Havensは,Staats就任以来のGAOの業績から「たとえ政治的にセンシティブな影響を与える複雑な問題を審査しても,注意深く専門性の高い仕事をすれば,GAOの存在を危うくするような大きなリスクを避けることができる」ことを学んだ(注37)と述べている。ここにいう「存在を危うくするリスク」の一つはHolifield公聴会であると思われるが,このGAOへの影響は非常に大きく,70年当時R.F.Kaufman は「この公聴会は,GAOに大きな打撃を与え,今だにそれは回復されていない」(注38)と嘆いている。

 この点に関連して金本良嗣氏は,現在のGAOの評価方法や調査結果の公表基準について次のように述べている。すなわち,特定のプロジェクトについてコスト便益分析を厳格に行うことは不可能なので,現在実施されているプログラム評価はコスト便益分析の前段階の費用の計算に留まり,大量の信頼性の高いデータを用いて非常に単純な分析を行っている。また,どのプログラムを評価するかという課題の設定も重要であるが,現在はGAO独自の課題も分析しているとはいえ,多くは議会からの依頼による。その場合も調査能力の限界を考慮して,GAOの調査能力を生かすことができ,しかも議会にとって有益なものをGAOの最高幹部が出席するJob Starts Committeeで選択している。さらに強制力を持たないGAOは調査結果の公表によってその存在意義を示しているが,これまでの経験から,その際には被験者の意見を聴いたり反論を載せるほかに「中立性を確保する」ための「厳しい内部チェック」を実施しているということである(注39)。公聴会後の F.H.Weizelによる監査方針の転換は,今日までGAOの活動を規定し続けているようである。

 たしかにこのような努力の結果,GAOとの目立った対立は聞かれない。たとえば,敏捷性に欠ける,組織形態が分散的,手続きが複雑,形式主義,報告書に時間がかかりすぎる,議会とのつながりも一部の議員に限られる,プログラムの殺し屋などの不満は聞かれるが決定的なものではない。ただし,「今日のGAOとOMBは効果的に連動しておらず,しばしばその役割を混同しており,OMBは自らをaudit機関と考え,GAOは執行部のために政策を作る機関と考えているように見受けられることもある」という指摘(注40)は傾聴に値する。議会との相互依存関係の拡大に歩調を合わせてプログラム評価業務を促進させてきたGAOであるが,この指摘は改めてauditとは何か,audit機関の任務は何かという根本的な問題を投げかけているように思われる。

5 おわりに

 これまで述べてきたように,政府内におけるGAOの位置づけやその役割は歴史的に大きく変化してきているが,その機能はアカウンタビリティーの確保の一端を担うという点において変化はないだろう。もっとも,アカウンタビリティーという概念は,時代によっても変化するし,特定の時代においてもさまざまな解釈が成り立ち,必ずしも確立された概念ではない(注41)。しかし,Mosherによれば,これまでの経験から,アカウンタビリティーの確保のためには少なくとも常に三つの構成要素が存在してきたということである。すなわち,①責任ある人または組織が行った決定や行動についての情報が存在すること,②その情報を受け,または発見して,それを検討,調査,報告する人や組織が存在すること,③そのような情報に基づき,欠陥を是正する行為が存在すること,である(注42)。したがって,GAOの活動は,政府活動の何を欠陥と考え,これを是正するために政府機構内でこれらの機能を実現する組織をどこに位置づけ,どのような情報をどのように処理するか,是正のためにはどの組織がどのような行動を取るかによって変化してきたといえよう。

 ところで,これらの基本観点については既に20世紀の初めに構想されており,30年代末から40年代半ば頃までには定式化されている。たとえば,執行部予算システムが提案されるころには既に予算システムにおける監査機関の機能と制度的位置づけが構想されている。すなわち,監査機関は行政機構の外部にあって会計情報を収集・処理し,行政機構の管理のためにその情報を行政部に提供するとともに,その統制のためにその情報を立法部に報告したり自ら何らかの行動を取ることである(注43)。

 また,近代国家において政府活動の良非を判断する基準としてeconomy,efficiency,effectivenessは共通の価値であろう。もっとも,何をeconomyとするか,という問題は微妙である。すなわち,正確,正直,合法性をそれとしても,厳格な統制が能率性を阻害したり,経費が少なくても生み出される成果が少なければ,この指標に意味はない。このため,少ないコストで多くの産物を生み出すことがeconomyや efficiencyを実現するという観点が生まれ,投入と産出の比率が重要になる。ただし,この場合投入が一定で産出が倍の場合も,投入が半分で産出が一定の場合も能率は同じである。元来は産出にも焦点を合わすべきものを投入にのみ関心が集まると支出の削減が重要になる。また,産出に焦点を当てたとしても,産出物が満足のいくものでなければ意味はない。どんなに効率的に商品を作っても粗悪であったリニーズに合わなければ意味がないのと同じである。このため効率を前提にしながら産出がどのような成果をもたらしたか,ということが重要になるのである(注44)。

 このような監査の基本的観点にもかかわらず,GAOの役割がさまざまに変化するのは,その特殊な要因が作用したことによる。第一に,社会経済的な背景である。たとえば,GAOの創設時は,19世紀末の産業の進展や第1次大戦などを背景にした行政の拡大とその統制が論議されており,科学的管理論や市制改革運動を背景とした行政理論が注目を浴びていた時期であった。また,50年頃は,第2次大戦中に拡大した戦時行政体制や累積赤字を縮小することが課題であり,世界的な成長を遂げた企業のマネジメントを政府の運営に適用すべきと考えられていた時期であった。さらに,60年代後半には軍事費の拡大や福祉プログラムの簇生があったが,資源の制約からこれらが競合すると,福祉政策では顧客への影響,防衛費では武器の効果が判定に重要な意義をもつ時期であったといえよう。

 第二に予算システムとの関連である。アメリカの予算制度の変化は項目予算,パフォーマンス予算,PPBSとその変形という三つの段階(注45)があったが,GAOのaudit規準の変化もこれに対応している。両者はともに予算循環の一部を構成している以上,類似性は当然であるが,監査は事後的なることを考慮すると,この予算システムが監査に大きな影響を与えることになろう。もっともパフォーマンス予算,PPBSは純粋な形で実現されたわけではなく,GAOのaudit規準も同様である。最近の有効性監査はそれなりに実施されているが,その内容はauditにあたるかどうか疑問も残る。

 第三に,政治的な位置づけに関するものである。GAOの場合,創設前の財務省の一機関から,中立機関,議会の付属機関と変化した。中立機関で支出統制や準司法的という強力な権限を持った際には行政部との鋭い対立が見られた。また議会の機関と定められた当初は両者の関連は少なく,包括的監査も修正された形でさえ実施されなかったが,不正の告発はできたので,政治的に有力な部分と利害が異なると対立が生じた。これが,議会と大統領との対立が激しくなり,議会との関係が密接になると,議会との相互依存を強めるとともに,修正された形ではあるがプログラム評価業務を拡大させてきた。この点は,アメリカの特殊性を強く表現しているのではなかろうか。

 第四に,リーダーの特質である。Warrenは16年間議員を務めて政治に精通していたので,TVAとの和解やJAIPの設置などに成功し,45年行政部再編やフーバー委員会の攻撃からGAOを防衛するとともに,環境に適応するように組織の在り方を改革していった。またStaatsはBOBの高官を長く務め,行政にも議会にも精通していたので,GAOを議会の政策分析機関に改革し,環境への適応に成功した。これに対して Campbellは会計の専門家で,議会とのつながりが密接ではなかった。議会との関係が政治的に大きな影響をもつアメリカでは,この点が大きな意味を持っているように思われる。

 第五に,技術的要素である。会計実務の領域で全証票検査が一般的である場合には,政府会計でもそれが行われ,また,管理会計的な考え方が生まれても実務世界で財務諸表監査が一般的であれば,政府会計においても個別検査が行われる。さらに,その後プログラムの有効性への関心の移行に伴って会計学以外の学問分野を基礎とした評価手法が求められるようになり,会計実務もこの成果を取り入れたがaccountingやauditingと evaluationとの間に混乱が生じたということである(注46)。

 このようにGAOのauditの変化は先進諸国に共通した事象とアメリカの特殊な経験を背景にして発達してきた。前者は福祉国家化に伴う行政領域の拡大,政府会社のような特殊な団体の増加,契約を通じた民間への委託(研究開発を含む)の増加であろう。したがって,この傾向が「正確性・合規性」から3E監査への展開を促したが,その具体的な在り方はアメリカの特殊な条件に規定されたといえよう。日本でも事情は同じであり,こうした規準の進展は不可避であるとすれば,GAOの経験から何を学ぶかが問題となろう。

 そこでGAOの監査規準の変化を改めて振り返ってみると,戦前から戦後への変化に際して問題とされた点は「正確性・合規性」の監査ではなく,GAOの執行権への介入であって,証票全部を監査する点については,物理的に不可能であり効率も悪い点である。またHolifield公聴会におけるGAOに対する批判は一面的であるように思われる。そこでは「正確性・合規性」を規準とした個別検査が問題とされたが,その批判の根拠は監査が49年の法に基づく包括的監査ではなかったということであろう(注47)。しかし,この理由が不正を正当化するわけではない。実際,その後の議会では国防関連契約への不信が高まり,これに対する監督を強化することに関心が集まったのである。

 また,包括的に経済性や効率性の外部監査を行う条件は,内部監査とうまく連動していることと基礎的なデータの信頼性が高いことである。さらに,これを有効性にまで拡大するためには内部監査による正確なデータで信頼性の高い経済性や効率性が計られていることが前提となる。したがって基礎的データが重要な意味をもつことになる。GAOの場合,戦前においてはすべてのデータを自前で集めることができたが,戦後は内部監査に依存する傾向がある。このため,50年代にはBOBや財務省との連携が重要となり,70年代にはOMB,財務省,CBOとの連携が求められたのである。

 このように,「正確性・合規性」の監査から3E監査へ移行するに際しては,不正等が防止されていることと正しく十分なデータが提供されていることが前提となる。アメリカでは,前者については行政部内にInspectors Generalが新たに設置され,不正の除去に努めているという(注48)。また,後者については内部監査との連携も改善されているという。その点では,これらの問題に対するアメリカ的解決法であろう。

 日本においても3E監査への移行が不可欠であるとすれば,その前提として,こうした機能をどこが担うかは,そしてそれが十分効果的に実施できる態勢をどのように創るかということは,十分に考慮しておく必要がある。官僚制が強固で,それぞれ独自の行政文化や官庁イデオロギーが支配的な日本では,中立的機関がこれを担わなければならないように思われる。その場合,資源の制約性を考慮すると「正確性・合規性」監査と3E監査のバランスを取りながら監査を進めて行く必要があるように思われるのである。

[注]

1)プログラム評価,業績評価などの概念については,山谷清志「プログラム評価の二つの系譜」『会計検査研究』第4号,1991年が詳細に検討している。

2)国際的な動向については,中田勝巳「第14回INCOSAI(国際最高会計検査機関会議)の概要」『会計検査研究』第7号,1993年などを参照。

3)西尾勝「アカウンタビリティの概念」『会計検査研究』第1号,1989年,32頁。

4)金本良嗣「会計検査院によるプログラム評価」『会計検査研究』第2号,1990年,17頁。

5)桜田桂「プログラム評価とわが国会計検査院による事業・施策の有効性の検査」『会計検査研究』第3号,1991年,67−8頁。

6)石井薫「公会計分野から視た会計検査の現状と課題」『会計検査研究』第4号,1991年,35−6頁。

7)山本清「会計検査のパラダイム・シフトに向けて」『会計検査研究』第8号,1993年,42頁。ただし,氏の論文の主張は,このようなギャップを埋めるためには現行制度の枠組みの中でどのような解決策があるかを実際に即して提言しようとするものであろう。氏の主張は,その経歴とも関連して,現実に即したものであると思われる。

8)田辺国昭「組織間関係としての会計検査院」『会計検査研究』第8号,1993年。

9)F.C.Mosher,'A Tale of Two Agencies : a Comparative Analysis of the General Accounting Office and the Office of Management and Budget', 1983, pp.26-7.

10)H.A.Simon, D.W.Smithburg, V.A.Thompson,'Public Administration',1954,p.39.

11)U.S.Congress,House,Select Committee on the Budget,Hearings,66th Cog.,1st Sess.,1919,p.367. auditorの経験をもつ議員W.E.Andrewsの意見。

12)ibid,p.396.上院歳出予算委員会委員長 S.Sherlyの意見。

13)ibid,p.64.

14)Congressional Record,October 21,1919,p.7719.J.W.Good議員による下院本会議における立法趣旨説明。

15)なお,詳しい実務については,長岡実『アメリカの予算会計制度,第二部会計制度』1950年,池田修蔵『米国の会計検査院』1951年を参照のこと。これらは,1945年から50年頃の会計実務及び歴史を詳細に紹介している。

16)W.F.Willoughby,The Government of Modern States,(rev.ed.)1936,p.487.

17)Massage of the President of the U.S.,transmitting A Report on Reorganization of the Executive Department of the Government, 75th Cong.1st Sess. Senate Document No.8,1937,p.50.

18)TVAとGAOとの対立については,H.C. Mansfield,'The Comptroller General : A Study in the Law and Practice of Financial Administration', 1933が一章を設け(第9章)で詳しく分析している。また,39年以降については,R. E. Brown,'The GAO:Untapped Source of Congressional Power',1970.が詳しい。同書は,TVAを中心にGAOと議会の関係の変化を分析したものである。

19)H.S.Havens,The Evolution of the General Accounting Office : From Voucher Audits to Program Evaluation,(GAO/OP—2—HP)1990, p.4.金本良嗣,前掲 8頁,F.C.Mosher,'The GAO',p.124.

20)H.Emmerich,Federal Organization and Adminstrative Management,1971,p.116

21)F.C.Mosher,'The GAO:The Quest for Accountability in American Government',1979,p.114.

22)U.S.Congress,Commission on Organization of the Executive Branch of the Government,Report on Budgeting and Accounting,1949,81th Cong.,1st Sess.なお,委員会内の対立については,会計に関する勧告(pp.35-44)の後に3人の委員,副議長,議長の補足意見が紹介(pp.47-73)されている。そのうち,副議長D.Achesonは,GAO,財務省,BOBの「joint programは現在の環境下における問題の解決には現実的である」として,JAIPを高く評価している(p.71)。また,両院にフーバー委員会の勧告を実施することを求めた法案が提出されたが,否決されている。この公聴会では,GAO,B0B,財務省の代表が証言しているが,ともにこの法案に反対する発言をしている。P.H.Applebyは,この中心的問題が,1920年代の問題と同じであり,CGが執行部機能を担いながら議会に責任をおっているところにある,と指摘している。("Significance of the Hoover Commission Report",'The Yale Review',Vol.18,No.1,September 1949,p.18.)その意味では,GAOの業務内容自体が変化する1960年代後半以降になって初めてこの問題が解決されることになるといえよう。

23)J.D.Brown,'The U.S.General Accounting Office's Changing Focus as the Federal Government's Auditor,1921-1972',1973,(unpublished dissertation).,p.26.

24)L.Berman,The Office of Management and Budget and the Presidency,1921-1979,1979,p.44.ただし,パフォーマンスタイプの予算の導入はNational Security Act Amendments of 1949で承認されている。

25)H.S.Havens,op.cit.,pp.4-5.

26)R.E.Brown,op.cit.,p.79.

27)F.C.Mosher,'The GAO',p.165.

28)U.S.Congress,House,Military Operations Subcommittee of the Committee on Government Operations,Hearings on Comptroller General Report to Congress on Audits of Defense Contracts,89th Cng.,1st Sess.,May 10-July 8,1965.

29)J.D.Brown,op.cit.,p.32.

30)H.S.Havens,op.cit.,p.6.

31)U.S.Congress,House,H.Rept.1132,Defence Contract Audits,90th Cong.,2nd Sess.,March 23,1966.(Quoted F.C.Mosher,'GAO',p.157.)

32)F.C.Mosher,A Tale of Two Agencies,p.151.

33)H.S.Havens,op.cit.,p.7.なお,この点の経緯については,本誌でも何度か論じられているので,詳述は避ける。

34)これらの点については,山谷清志「議会と復権とその評価—1970年代におけるアメリカ連邦議会の改革をめぐって—」『行政管理研究』No.43,1988年,加藤芳太郎「1974年議会予算法—米国予算過程における意義—」『一橋論叢』75巻1号,1976年,及び「予算と決算」『行政学講座 第三巻』第三章,1976年,穴見明「ニクソン政権下の連邦政府行政機構改革」『主要国の行政改革』,1982年,「1974年議会予算法と1970年代アメリカの議会における予算過程」『法政論集』100号,1984年,などが詳しい。

35)桜田桂,前掲,67−9頁,H.S.Havens,op.cit.,p.14.

36)idid.,pp.14-5.

37)idid.,p.7.

38)R.F.Kaufman,'The War Profiteers',1970,p.149.

39)金本良嗣,前掲,17−9頁。

40)B.L.Smith,"Major Trends in American Public Administration,1940-1980",in B.L.Smith&J.D.Carroll ed.'Improving the Accountability and Performance of Government',1981,p.17.

41)E.L.Normanton,The Accountability and Audit of Governments,1966,p.3.

42)F.C.Mosher,'The GAO',p.234.

43)cf.W.F.Willoughby,'The Problem of a National Budget',1918.

44)なお,この点については西尾勝「効率と能率」『行政学講座第3巻行政の過程』1976年が,能率と効率の概念の変遷として要領よく整理してある。ここでは,能率,効率の概念が1920年頃には考察され,有効性の考え方も示されているが,その現実的使用が本来の意図とは異なってくる過程が詳述されている。

45)A.Schick,"The Road to PPBS:The Stages of Budget Reform",Public Administration Review,Vol.26.December 1966,p.243.

46)山谷清志前掲「プログラム評価の二つの系譜—評価研究と業績検査—」が詳しい。

47)Hearings,1965,pp.147-8.

48)Inspector Generalは76年にDepartment of Health,Education and Welfareに創られ,その初代長官は70年のGAOの組織改革のためにStaatsが雇ったT.D.Morrisで,このことからもGAOとの密接な結びつきが分かる。これは78年にInspector General Actの制定で,全体に広まった。(F.C.Mosher,'The GAO',pp.308-9.)なお,山谷,前掲,19頁脚注参照。この点は会計検査院審議室の吉江勉氏の示唆による。

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