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第6号 巻頭言

科学研究における不正行為
伏見 康治

伏見 康治
(大阪大学名誉教授,名古屋大学名誉教授,元日本学術会議会長)

 1909年生まれ。東京大学理学部物理学科卒業,理学博士。大阪大学助教授,同大学教授,同大学理学部長,名古屋大学プラズマ研究所長を経て,64年大阪大学名誉教授,73年名古屋大学名誉教授。73年紫綬褒章,78年日本学術会議会長,83年参議院議員当選(公明,比例区)など。日本物理学会,ソ連科学アカデミー,ノルウェー学術アカデミー,日本原子力学会,日本創造学会等に所属。主な著作に「確率論及統計論」「相対論的世界像」「現代物理学を学ぶための古典力学」「折り紙の幾何学」など。

 近頃アメリカでは,科学研究者の不正行為が,世間の話題にされることが多い。例えば,Science誌の6月号には,次のような記事が出ている。

 ここに科学研究者の悪夢がある。社会的論争の種になり得る題目について,貴方が良心的な調査研究をしたとせよ。その結果は同僚たちによって評価され,専門の主導的な雑誌に掲載されたとせよ。ところが,貴方の科学的結論に対して関心を抱いた,お金のある反対者が現れて,貴方がデータを曲げていると糾弾した。掲載誌の「編集者ヘの手紙」欄に,その反対意見を述べるという普通の科学者のやり方と違って,貴方の反対論者は裁判所に訴え,貴方の持っている私的記録——ノートや研究仲間への手紙類,校閲者の評価の写し,それから貴方が研究対象者,その名前は秘密にして置く約束だったのを,すべて見せるように要請したのである。信ぜられないことだが,裁判所は,神聖犯すべからざるプライバシーを無視して,反対者に同じた。その上,さらに悪いことに,反対者は入手した資料をマスコミに流してしまったのである。

 これが前文で,その信ぜられないことが起った経緯を実名入りで紹介している。詳しく説明する積りはないが,キャメルという煙草の会社が,オールド・ジョー・キャメルという漫画のキャラクターを作り出して,これを宣伝に使っているのだが,これが幼児にどういう影響を与えるか,少年期に(18歳までは喫煙は禁じられているにかかわらず)キャメルを吸い始める動機になっているのではないかという疑問から,このキャラクターが幼児に与える影響を調査研究したのに対し,煙草会社の方が,その研究には予断による偏りがあると訴えているのである。一方では,サンフランシスコの検事が,煙草の広告にはすべて,未成年者は喫煙を禁ぜられている旨を書き添えなければならないという,不公正取り引きに関する州法を犯しているとして,会社を訴えているのであって,これには関連して調査研究をした科学者たちが証人として法廷に召喚されているのである。

 すべては法律万能の,弁護士の国アメリカの話だとして,見過すこともできそうであるが,しばらく前の,科学者の不公正の話は主として議会が舞台となっていた。

 一番有名な話は,NIH(National Institute of Health,国立衛生院とでも訳すのだろうか)の研究者ガロが,フランスのパスツール研と競ってAIDSの本体ビールスを発見したと発表したのが,嘘だとして内部告発された事件である。ガロはビールス研究の分野では一級の研究者であり,AIDSの登場と共にまじめな研究をすすめていたことはまちがいない。パスツール研がいち早くAIDSのビールスを発見してそのサンプルを送ってきたのだが,そのサンプルをあたかも自分で発見したように宣伝してしまったということであるらしい。米仏の大統領同士がこの件で話し合いをするところまで,政治的に発展してしまった。さらにつけ加えると,NIHにはOSI(Office of Scientific Integrity)という機関があって,科学研究上の不公正を審査することになっているが,この機関の働きが,必要以上に科学者をいびりちらしているとして,新任のNIH長官がその改革を計画していると伝えられている。

 もう一つ有名な話は,ノーベル賞をもらい,ロックフェラー大学の学長でもあるボルチモアが,でたらめな報告をしているという内部告発で,騒ぎになったことである。その教授の研究室で助手がやった研究の発表に名を連ねただけで,直接の責任はないのであるが,名を出した以上責任を問われても仕方がない。また,その部下をかばって,データがまちがっていることをなかなか認めなかったために騒ぎが大きくなった憾みがある。

 以上はお金に直接は関係のない話だが,もちろんお金のからんだ話の方が多いのであろう。議会で議員が取り上げて,世間が注目したのは,いわゆるオーバーヘッドの問題である。大学の教授が,よそから[よそというのは,陸海空の軍部の省とか,DOE(エネルギー省)とか,あるいは民間会社からとか]研究費をもらってきた場合その何割かを,建物使用料とか,電気水道代とかの名目で,大学当局に納めるのがオーバーヘッドであるが,それを大学が勝手に使い過ぎて政治問題になったのである。例えば,学長が休暇旅行に使ってしまったとか,こういう話をきくと,話は日本とは丁度逆だなと思う。日本では個々の研究者に金を持たせておくと危険だから,学長というか,大学事務局に管理させる建前になっているのである。文部省科学研究費補助金がそうなっている。

 お金と弁護士の両方のからんだ話がある。数年前から話題になっている「室温核融合」の話である。核融合の普通の考え方は太陽の中心部で起っているような,重水素核の融合反応つまり簡単に熱核融合反応と呼ぶ仕方を考えている。地上で太陽の内部と似たような高温で高密度の状態を作り出すのはもちろん技術的に困難で,できるとしても相当大げさなものになることは,わかり切っている。どれだけ大げさになるかが初めからわかっていれば,二の足をふんだかもしれないが,とにかくやってみようと実験を始めてしまったから,ますます大げさな装置を作らざるを得なくなっているのが現状である。それでそういう正攻法ではなくてもっとうまい抜け道はないだろうかと誰でも考えているわけである。ミューオンという,加速器を使って,作り出せる粒子は重水素核の融合反応の触媒として使えるのだが,残念ながらその寿命が短かすぎる。

 そこへ,ユタ大学という田舎大学のポンス教授とその仲間のバーミンガム大学のフライシュマン教授が,重水素核を電気分解の方法で,親水素金属のパラジウムに押し込んで,その原子数比率が1:1にまで高めると,重水素核の融合反応が起って,異常な熱が出,中性子も放出されると発表して,世界が騒然となったのである。

 常識的にはそんなうまい話はないと否定すべきだが,上述のように核融合正攻法が金ばかりかかってあまり進捗しない現状では,この発表に多くの研究者がとびついたのは当然である。世界中に追試者が現れ,日本で似た実験を行った科学者が多い。

 それだけならば,話はむしろ科学界によく起る現象だというべきなのであろうが,ユタ大学のやり方がおかしいのである。まずポンス教授が,イギリスの科学誌ネーチュアに研究成果を発表する手筈になっていたのに,それをやめてサーキュレーションの小さな地方的電気化学専門誌に発表させた。これはネーチュアに載せるためには,標準的科学雑誌がすべてそうであるように,校閲者レービューアーに原稿を見せて,専門的に批判してもらわなければならない。ところがユタ大学がポンス教授につけた弁護士が,そんなことをしたら新しい核融合技術の秘密が皆外に洩れてしまうとして,ピア・レビューのない格の低い雑誌に発表させることになったようである。ユタ大学はナショナル・インスチチューツ・オブ・フュージョンを設立し,室温核融合から得られる将来の利益を確保しようと意図したらしいが,その後のポンス教授の研究が一向に進展しないものだから,このインスチチューツも閉鎖されたらしい。ナショナルなどという形容詞は,アメリカでは連邦政府が作ったものにつくのだと思っていたら,どうやらこの場合はそうなるのを希望してつけたものらしい。

 ポンス教授は,このユタ大学の雰囲気のために,相当の科学者間の信用を落したのではなかろうか。少くとも雑誌ネーチュアの編集部は,ポンスの研究はあやしいときめつけてしまい,その後他の研究所や国の研究に対しても極めて冷淡な取り扱いしかしなくなった。

 ある研究が,純粋にアカデミックで,科学的には意味の深いものであっても,社会への影響が少ないものは,幸せである。その研究の成果が,プラスにせよ,マイナスにせよ,世の中に重大な影響を及ぼすと認められたものは,科学者の楽園からは,はみ出してしまって,辛酸の苦労をしなければならないのである。世間が,科学研究などというものは,価値のあるところはもう済んでしまって,残るところは粕ばかりだと,興味を失ってしまってくれたら,それからが科学者の楽園が始まるのかも知れない。

 書き終って,いささか不安になったのは,話の材料がアメリカのものばかりだったことである。日本にも科学研究分野でのスキャンダルというものがないわけでないはずだが,ほとんどそれが表面に出てこない。裁判もほとんど示談ですませてしまうという国柄がそうさせているのかも知れない。

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