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第5号

予算編成と会計検査
宮島 洋

宮島 洋
(東京大学経済学部教授)

 1942年生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得。ハーバード大学客員研究員,東京大学経済学部助教授を経て1985年から現職。財政学・公共経済論専攻。政府税制調査会専門委員,日本財政学会理事。主な著書は「租税論の展開と日本の税制」「財政再建の研究」「公共セクターの効率化」(共編著)など。

 Ⅰ 会計検査と財政研究(一財政学徒の個人的感想)

 去る1991年3月に開催された東京大学経済学部日本産業経済研究施設主催のコンファレンス「公共セクターの効率化」(注1)において,筆者は「一般会計予算と決算」と題する拙い報告を行い,真島審一氏(会計検査院)や金本良嗣氏(東京大学・前会計検査院特別研究官)から厳しくも貴重なコメントをいただいた。その際の討論において痛感したのは,筆者の勉強不足は別として,会計検査の意義ないし役割に対する期待が論者によってかなり異なることであった。

 筆者は伝統的な財政学に近い枠組の中で,これまで政府の行動や財政の運営に強い関心を持ち続けてきた。したがって,一般会計,特別会計,政府関係機関等の予算および決算は,当然,主要な研究テーマであったし,後に述べるように,財政運営の評価に当たって,最近では予算よりもむしろ決算の分析に重点をおいてきた。ところが,率直に言って,会計検査院の『決算検査報告』に強い関心を抱いたことはあまりない。これは筆者だけに特異な傾向かもしれないが,考えてみれば,決算の分析が決算検査への関心に結び付かないのは,まことに奇妙なことである。

 もちろん,会計検査院が内閣から独立した憲法上の機関であり,その3人の検査官が認証官であることは一応知っているし,会計検査院の極めて適切かつ衝撃的な検査結果や意見表示・処置要求がしばしば,新聞,TVなどで報道され,世論の圧倒的な支持を得ていることも十分に承知している。にもかかわらず,決算の分析や評価に当たって,会計検査院の『決算検査報告』こそ不可欠の参考資料と考えにくいのは,現行報告書の構成と内容が,少なくとも現在の筆者の財政問題関心とは必ずしも合致していないからである。

 このようなことを言うと,会計検査院は一個人や一研究者のために決算の検査や確認をしているわけではない,個人的な関心と合致しないから決算検査の対象や方法を変えるべきだ,と言わんばかりの思い上がった我儘な逆転した論理が通用するはずがない,とたしなめられるに違いない。現行の会計検査院の機能や『決算検査報告』の構成・内容は衆知を集めて出来上がったベストの制度である,あるいは,確かに現行制度の変革が会計検査院の内外から要請され,着実に実施に移されているが,その方向性と合致しない筆者の問題関心の方にまさに問題がある,と言われれば返す言葉もない。

 実際,創刊号以来,本誌に掲載された論文・報告のタイトルを並べてみると,会計検査・決算検査への大方の関心は業績検査ないしプログラム評価に収束しているようである。次節以降,筆者なりの財政研究の問題意識から具体的に提起する決算検査への関心・期待は,明らかに大方の関心とはズレており,残念ながら,アナクロニズムを自認せざるを得ない。したがって,一般論として,会計検査院の存在意義や検査報告の内容を正面きって問う能力はないし,資格もない。以下述べるのは,一財政学徒の全く個人的な問題意識からの議論である。

 なお,本稿は財政分析の視点から会計検査のあり方を論じた研究論文ではない。理論的な検討,実証的な裏付け,学説史的な位置付け,論文としてのスタイル,そのいずれもが極めて不備なままである。会計検査に関するエッセイ(随想)として,お読みいただければ幸いである。

 Ⅱ 読み方に戸惑う『決算検査報告』

 大蔵省主計局の『決算の説明』に比べて,会計検査院の『決算検査報告』は大変読み方が難しい。読み方が難しいというよりも,使い方が難しいというべきであろうか。さすがに内閣から独立した批判官庁だけあって,個別の決算分析における深さと鋭さの点では,『決算検査報告』の方が格段に優れているにもかかわらず,財政研究者としては,これをどのように理解し,研究の参考とするかに甚だ戸惑うのである。

 要するに,「決算の確認」等の最終的な決算手続部分と「個別の検査結果」の記述部分との間に,対象,範囲,方法,内容,観点等のあらゆる面であまりにも大きな落差があり,両者を関連付けて理解することが極めて難しいからである。分かり易く言えば,極端に巨視的な決算数値の羅列,「決算の確認」等と,極端に微視的な決算分析・批判,「個別の検査結果」との両極に記述が振れているからである。この構成や内容が憲法や会計検査院法によって厳格に規定されているのならば,如何ともしがたいが,筆者の目からみれば,異次元の世界とも受け取れる埋めがたい断絶である。

 したがって,確認された巨視的な決算数値と,指摘された不当事項等の微視的な事例との関係,脈絡がきちんと説明されないかぎり,会計検査院が総力を結集して,解明,摘発に当たったはずの「個別の検査結果」も,決算全体の評価・批判とはならず,あくまでも例外的な個別事例に限定された批判・改善勧告にとどまる虞れがある。「個別の検査結果」で毎年毎年,少なからぬ不当事項や意見表示・処置要求事項等が指摘されながら,それらが集約され,決算全体に対する総括的な意見・所見として「決算の確認」に付記される制度または慣行にはなっていないようであるが,これほど不当な事項が摘発されながら,決算がそのまますんなりと確認されるとは何事か,というのが国民の素朴な感情であろう。

 このように,少なくとも『決算検査報告』を読むかぎり,「決算の確認」と「個別の検査結果」の間には,もともと関係がないという印象が拭えないが,前述のような「決算の確認」に対する筆者の考えなり,印象なりの方がおかしいのかもしれない。「決算の確認」とは,「国税収納金整理資金受払計算書の検査完了」,「政府関係機関の決算の検査完了」,「決算金額と日本銀行の提出した計算書の金額との対照」等と同様に,決算の総括的な分析・評価ではなく,決算の「検査完了」を実際には意味するものなのであろう。

 ただ,会計検査院法の第20条2項と第21条によれば,会計検査院は常時行う会計検査の結果により決算を確認する,という規定になっている。ここでいう「結果」が事実としての執行結果であるのか,何らかの評価を含む検査結果であるのかはつまびらかでないが,手元の『平成元年度決算検査報告』をみると,「決算の確認」の前に,「検査の概況」と「検査結果の大要」を配置しており,論理構成の上では,「検査結果」を踏まえた「決算の確認」という因果関係になっていると解釈できる。しかし,前述のように,検査結果と決算確認との間に論理的な因果関係を見いだすことは難しい。あえて解釈すれば,検査結果に若干の問題はあるが,全体としては決算確認に影響を及ぼすほどの問題ではない,ということであろうか。もし,そうであるならば,決算の確認に当たって,その旨付記すべきであろう。

 このような「決算の確認」の意味のとらえ方が憲法や会計検査院法の解釈として成り立つか否かは分からないが,予算過程の最後を締めくくる「決算の確認」に,筆者は「個別の検査結果」と関連付けた会計検査院の決算に対する総括的な意見なり所見があって然るべきと考える。

 Ⅲ 会計検査院は何を検査するか

 前節において指摘した『決算検査報告』への注文は多分に形式的なものであるが,筆者の真の関心はより実質的な検査対象・方法に関するものである。もちろん,現行の「個別の検査結果」は極めて有用であるし,近年,改善が図られてきた対象の選択や検査の観点にも異論はない。問題は,すでに述べたように,超微視的な「個別の検査結果」と超巨視的な「決算の確認」とを関連付ける中間的領域での決算分析・評価が極めて手薄なことである。

 ただ,全く欠落しているわけではないことに触れておく必要があろう。『平成元年度決算検査報告』でいえば,一般会計,各特別会計・政府関係機関およびその他検査対象機関のやや詳しい歳入歳出決算額や決算処理等を記述した,第4章「歳入歳出決算その他検査対象の概要」がそれに当たる。しかし,この第4章の事実認識に徹した記述では,「個別の検査結果」と「決算の確認」とを関連付けることはやはり難しい。

 それでは,何が両者を結び付ける媒介項,決算分析・評価の中間的領域なのか,筆者も確定的な回答を用意しているわけではないが,さしあたり,過去約10年間に渡って財政運営を主導してきた財政再建路線,とりわけ,その歳出予算に絞って,いくつかの論点をランダムに挙げてみたい。いずれも,財政運営の争点として当初・補正予算の編成時に,諸官庁ばかりでなく,マスコミでも大きく取り上げられたものばかりである。

 例えば,1981年度における決算不足の発生から決算調整資金の貧弱さが露呈されたこと,巨額の歳入欠陥を契機に1982年度補正以降国債償還費の定率繰入れが停止されたこと,厳しいシーリングの下で逆に一般公共事業費の配分が著しく硬直化したこと,いわゆるゼロ国債の活用によって事業量確保の前倒しが一時行われたこと,後年度繰延べや特別会計廻しといった彌縫的な歳出抑制策(いわゆる「隠れ国債」)への依存が広まったこと,資金運用部の短期貸付が便宜的な歳入補填に用いられたこと等々,こうした財政運営上,予算編成上の諸問題が『決算検査報告』に取り上げられたことはあるのだろうか。年度を追ってきちんと調べたわけではないので,あるいは筆者の思い違いであるかもしれないが,これらの問題が正面から論議されたことはないように思える。

 周知のように,こうした財政運営のあり方,予算編成の方法,歳出予算配分のガイドライン等を論じたのは,第二次臨時行政調査会であったが,同調査会の主たる関心は財政運営の理念や予算編成(計画)の方法,とりわけ,概算要求の強化による一般歳出の抑制にあり,執行や決算(実績)の面から最終的にチェックし,評価するという姿勢は希薄であった。したがって,執行および決算面からの分析・評価は会計検査院の検査に期待したのであるが,それは,的外れな期待だったのであろうか。

 冒頭で言及したコンファレンスにおける筆者の報告は,第一次臨時行政調査会の意見書「予算・会計の改革に関する意見」で強調された「決算の充実」を基礎に組み立てられていた。やや長くなるが,意見書の該当部分を引用しておこう(注2)。

 「予算は執行の計画であるが,これに対して決算は予算執行の実績であり,その実績に基づいて,予算そのものが妥当なものであったか,予算の意図が実現されたか,予算が効率的に執行されたか,予算が効率的に使用される方途はないか等を判断することができる。このような観点から,むしろ決算に重点をおくべきであるが,決算に対する関心の度は一般にきわめて薄い」

 「会計検査院においては,内閣から独立した地位にあることをかんがみ,予算の執行結果から判断して,予算が効率的に執行されたか否かのみならず,ひろく,予算そのものの批判に及ぶべきである」

 この意見書を読むかぎり,決算の検査と確認に当たる会計検査院に予算全体や財政運営への批判的見解を求めても,あながち的外れとはいえまい。それどころか,地位および権限という点で,それができるのは,会計検査院だけなのである。

 筆者は,かつて,前述したような財政再建下における特異な財政運営姿勢や予算編成手法,すなわち,特定歳出の後年度繰延や一時停止,資金運用部の短期貸付の恒常化,一般歳出から国債費への組替等のメカニズムおよび問題点を可能な限り具体的に追究しようと試みたことがある(注3)。しかし,予期したとおり,公表資料にのみ依拠する大学の一研究者には到底手に負える課題ではなかった。実は,その際も,一時しのぎの,あるいは,見かけだけの歳出抑制措置に会計検査院は強い関心を持つべきではないか,批判の対象に取り上げて然るべきではないか,と首を捻った記憶がある。

 そして,前記コンファレンスの報告においては,会計検査院の個別検査の対象・方法とは異なる,より一般的な財務面の決算処理情報に着目し,その貴重な情報が予算編成に確実にフィードバックされていないのではないか,それが予算編成の効率化,ひいては,公共部門の効率化を阻害しているのではないかと論じた。財務面の決算処理情報とは,歳出予算の翌年度繰越額および不用額の対歳出予算現額比率であったが,この決算処理情報の意味や価値については,予想どおり,基本的な疑問が投げかけられた。

 要するに,決算処理上,翌年度繰越額や不用額として財政法に沿った処理がなされれば,特に問題視するには当たらない,むしろ,真の問題は支出済歳出額(決算額)の中の予算消化のためのムダ使いや合規性に反した支出にある,という批判である。あるいは,不当支出の温床となる無理な年度内予算消化,自主的な節約努力による歳出留保等を考慮すれば,翌年度繰越比率や不用比率を予算編成の効率性の評価基準に用いることはミス・リーディングではないか,という批判である。

 筆者も,むろん,決算(支出済額)に潜む不当な支出や改善すべき制度・慣行を明らかにする決算検査の意義,重要性を否定するものではない。ただ,それで決算検査の意義が尽きるとは思わない,と言いたいのである。各省各庁の『歳出決算報告書』や大蔵省の『決算の説明』から,翌年度繰越や不用の理由を読むと,予算編成にフィードバックすべき原因や事情があるのではないか,その究明も会計検査の対象ではないか,と言いたいのである。

 筆者の仮説は,高率または恒常的な翌年度繰越比率や不用比率の発生を,既得権や惰性,あるいは,見通し・計画の杜撰さに由来する予算編成の過誤のシグナルとみなすというものであったが,確かに,大蔵省主計局編『決算の説明』からは,翌年度繰越や不用(逆に,年度内支出済み予算)の諸原因を明確かつ詳しく識別することはできなかった。ここにも,会計検査院にしか期待できない決算検査の対象が存在するはずである。

 財政再建下の歳出予算政策,単年度原則シーリングの厳格化と増加例外事項の設定が歳出予算の執行と決算に従来とは異なる影響をもたらしたのか否か,そうした中間的領域の検査結果ないし評価が,筆者としては是非知りたいのである。今後の予算政策を考える上で,極めて貴重な参考資料・意見になるからである。

 Ⅳ なぜ決算への一般の関心が薄いのか

 前節の第一次臨時行政調査会意見書からの引用のように,予算(執行計画)よりも決算(執行実績)の方がむしろ重視されるべきことは,理屈の上では常識的な理解であろう。むろん,これは政府に限られたことではない。企業にせよ,個人にせよ,常に,事前の行動計画を事後の行動実績から点検・評価し,その結果を次の行動計画の修正・改善に反映させるというフィードバック・システムに依拠して行動する。このフィードバック・システムが機能しない企業や個人には反省も,進歩もないことになる。ただ,このように理想的にフィードバック・システムが機能する保証はないが・・・。

 それにしても,政府の予算(行動計画)と決算(行動実績)には,理想と現実との乖離が大きすぎる。年末の恒例行事となった予算編成論議の異常なまでの盛り上がりに比べ,残念ながら,『決算検査報告』をめぐる論議は,マスコミに報道される一部の衝撃的な事例を除き,国会においてさえ極めて低調であり,一般の関心はさらに薄いのが実状である。この際立った非対称性には,いくつかの原因が考えられる。

 第一は,政府予算案の決定から,決算の確認まで,一会計年度の予算過程の完結に少なくとも二年程度の時間を要することである。1989年度予算の『決算検査報告』が公表される頃には,すでに翌々年度(1991年度)の予算編成作業が大詰めを迎えているというのでは,決算検査の結果に国民は関心を持つべきだ,という議論にどうしても説得力が欠ける。しょせん過去のこと,今更議論しても仕方がない,という諦めの雰囲気が支配していることは否めない。しかも,この点では,次に述べるように,国会(決算委員会)における審議の実態も同様ではないだろうか。

 第二は,予算審議とはまさに対照的に,国会(決算委員会)における決算審議の政治的影響力が弱いため,国会の決算論議を通じて世論が喚起されることにほとんど期待できないことである。予算・決算制度に詳しい元大蔵次官,河野一之氏によれば,国会の決算審議は単に事実の審査と批判的意見の決定にとどまり,決算審議の結果は法律的には何の効果も持たないため,決算に影響を及ぼすこともないし,将来の措置に拘束力を持つこともないという(注4)。これでは,たとえ,内閣の道義的責任は問えても,審議に熱が入らないのも当然である。

 第三は,ミクロ・バジェティングの積上げを基礎とした,いわゆる増分主義と特徴付けられる予算編成方法が依然として支配的なことである。財政再建下のシーリングの厳格化,すなわち,マクロ・バジェティングの強化によって,確かに増分主義的予算編成への制約が強められたが,さまざまな利害対立を調整しつつ,膨大な予算編成作業を限られた時間内に,限られた人的資源で遂行するためには,やはり,前年度までの実績は基本的に尊重しつつ,新規要求等の予算増分に査定のエネルギーを集中する,という予算編成方式にならざるを得ないのであろう。したがって,一般国民に限らず,予算過程への関心とエネルギーの大部分が,概算要求から政府予算案決定までの予算過程冒頭のわずか半年に注ぎ込まれることになる。

 第四は,家計の行動(消費と貯蓄の選択,労働と余暇の選択等)や企業の行動(雇用,資金調達,投資,生産,販売等)に比較して,政府の行動,したがって,その資金的裏付けとなる予算の執行には財政民主主義からの厳しい統制が加えられており,よほどのことがないかぎり,予算と決算に大きな乖離が生じることはないという観念がなお根強いことである。そうであれば,予算の編成・決定過程に関心を集中させればよく,予算さえ適正かつ的確に編成・決定されれば,改めて決算から予算を評価・批判する必要はない,という態度になりがちである。

 以上のように,決算論議の低調さには多くの原因があり,その是正も容易ではない。会計検査院は内閣から独立した機関であるから,『決算検査報告』を内閣を経由せずに直接国会に提出して議決案件に近い何らかの拘束力を持たせるべきだ,既得権を洗い直すために,増分主義的予算編成をゼロ・ベース型予算編成に転換すべきだ,予算の編成や予算の国会審議に対する統制を緩和する代わりに,会計検査院の決算検査や国会の決算審議を制度的に一層強化すべきだ等々の改善策が提起されてはいるが,憲法改正を要するケースもあるため実現が極めて難しい上に,今度は別の問題点が生じる虞れもある(注5)。

 したがって,ある程度現実的な是正策を考えるとすれば,例えば,会計検査院が年度の検査終了を待つことなく行っている個別の意見表示や処置要求と同様に,予算執行検査の中間報告を定期的に公表して時間のズレをできるだけ短縮する,というような実務的な改善策が頭に浮かぶ。あるいは,会計検査院と大蔵省主計局・理財局との間で定例的に開催されているという連絡会(注6)の権限や頻度をより充実し,実質的な決算フィードバック・システムを制度化するという方向性も考えられるのではないか。

 Ⅴ いわゆるバブル経済下の予算と決算

 これまでは,一財政研究者の目から,会計検査院の役割や検査報告,あるいは,一般の決算論議や国会の決算審議等について,いくつか問題と思われる点をネガティブな調子で指摘してきた。そこで,以下,本節と次節において,筆者のような財政研究者が決算に対して具体的にどのようなポジティブな関心を抱き,どのようなテーマを取り上げるのかを,ごくラフな二つのケース・スタディとして示しておきたい。

 前節で指摘したように,予算の執行が予算(補正予算を含む)に従って適正かつ的確に行われ,予算と決算との間にほとんど乖離が生じなければ,決算検査や予算編成へのフィードバックをわざわざ論じる必要はない。もちろん,予算と決算,すなわち,計画と実績が完全に一致することはあり得ないが,問題はその乖離の程度である。予算の補正機会があるにもかかわらず,もし,予算と決算とに従来の経験からみて許容水準を超える乖離が生じたとすれば,決算分析に基づく原因の究明と予算の吟味・批判が特に必要となる。ただし,その原因が予算補正後に発生した予測不可能な突発事態であるならば,話は別である。

 こうした決算分析と予算批判の意義が特に高まる時期はそう多くはないが,本節では,前に述べた中間領域の決算分析の一ケース・スタディとして,いわゆるバブル経済下における租税収入および国債収入の予算・決算を対象に,決算分析の重要性を論じてみたい。

 昨年,ある新聞紙上で,財政再建下の特例国債の減額プロセスを論じたことがあった。(注7)。その際の問題意識は主としてシーリングの功罪にあったため,減額プロセスの解明も当初本予算と決算との比較分析に重点がおかれていた。しかし,決算分析の本来の重要性は,補正から決算に至るプロセスにあるため,ここでは補正後予算と決算との比較分析に絞って,改めて特例国債の減額プロセスを簡潔に考察する。まず,図1から,1982年度から1990年度に至る一般会計租税収入(印紙収入を含む)の補正後・決算間の税収増(決算時自然増収)を,図2からは,補正後・決算間税収増の補正後予算に対する比率をそれぞれみておこう。

 注目するのは,もちろん,株価・地価高騰の影響が出始めた1986年度以降であるが,図1のように,1986年度から1988年度まで,補正後・決算間だけで,実に,2兆5,000億円から3兆7,000億円もの自然増収が発生し,補正後予算に対する比率も6%から9%近くにまで達しているのである。補正がなされたにもかかわらず,決算までの期間に,このような大規模な自然増収が発生することは常識的には理解し難い。常識を超える,予測し難い異常なバブル経済の影響とみるべきであろうか。

 ちなみに,課税ベースが株価・地価の変動から影響を受け易い主要税目にブレイクダウンしてみると,図3のように,1986年度には有価証券取引税・印紙収入に,1986-87年度には法人税に,1988年度には相続税に,1987-90年度には申告所得税に,それぞれ高率の補正・決算間増収比率が観察される。確かに,予測の難しい要因であったとはいえ,補正時の修正方法に問題はなかったか,あるいは,政策的な過小予測があえて行われたのか,このような点に筆者としては強い関心を抱くのである。

 なぜなら,図4が示すように,1987-88年度をピークに,決算段階における特例国債の減額が急増し,これが,特例国債依存体質からの脱却という財政再建目標の達成に大きく寄与したからである。すなわち,1982年度予算補正時の特例国債発行額は7兆3,090億円であったが,その36%,2兆6,478億円が4年度(1986-1989年度)の決算段階だけで減額されているのである。1986年度の予算補正時以降に限れば,特例国債発行額5兆2,460億円の実に二分の一が決算段階だけで減額されたことになる。このように,租税収入および国債収入の決算分析抜きには,財政再建の達成は語れないのである。

図1 補正後・決算間の一般会計租税収入増減(億円)
図2 補正後予算税収に対する補正・決算間増収の比率(%)
図3 主要税目の補正後予算税収に対する補正・決算間増収の比率(%)
図4 決算時の特例国債の減額(億円)

 Ⅵ 公共投資基本計画や高齢者保健福祉推進十ヵ年戦略は着実に進められるか

 今後の財政運営について,筆者が抱いている大きな関心の一つは,公共投資基本計画や高齢者保健福祉推進十ヵ年戦略(ゴールドプラン)といった,いずれも本格的な高齢化社会への対応に不可欠な長期計画事業が,計画どおりに果たして着実に進められるかどうか,という点にある。公共投資基本計画にせよ,ゴールドプランにせよ,その規模や目標水準は決して満足できるものではないが,財政再建下の歳出抑制による立ち遅れを取り戻し,さらにスピードアップする高齢化に備えるためには,とりあえず,これら長期計画の着実な達成が最低限の目標となるからである。

 しかし,しばしば議論されている日本の経済社会の将来見通しなどを考えると,例えば,都市部における生活環境関連社会資本の整備には土地問題という,また,高齢者福祉の充実には福祉・医療マンパワーの確保という厳しい制約条件がそれぞれ予想され,計画の達成に楽観は許されない。たとえ,計画に従って金額ベースの予算額が毎年度きちんと確保されても,土地問題の深刻化を反映した用地費・補償費の一層の上昇や公共用地取得交渉の難航・不成立から,あるいは,労働力需給の逼迫や労働条件の悪化を反映した人件費(福利厚生費等を含む)の高騰や人手自体の不足から,実質の事業規模が縮小したり,予算の執行そのものが難渋するケースも起こり得るであろう。

 最近の一般公共事業費や社会福祉費の決算は,すでに土地問題や人手不足の影響を反映していると思われるので,こうした計画達成への不安材料や実施対策に貴重な情報なり示唆なりを提供するはずである。そこで,現時点では最新の『平成元年度各省各庁歳出決算報告書』から建設省所管の生活環境関連公共事業費と厚生省所管の保健衛生・社会福祉・環境衛生費を,そして,『平成元年度特別会計決算参照書』からは道路整備特別会計の道路・街路事業費をそれぞれ取り上げ,項目別で決算数値が得られる諸経費の中から,主として翌年度繰越額または不用額が比較的多いと思われる経費を一覧表にしてみたのが表1である。なお,一部の決算数値(*印)は『平成元年度決算の説明』から補充して掲げているが,資料の整合性には欠けているようである。

表1 1989年度決算の建設・厚生所管事業費の決算処理

 表1を作成したものの,これらの一般会計歳出および特別会計歳出の詳細な中身までは筆者には分からない。生活環境整備や高齢者福祉にかかわりの深い経費として選択したつもりであるが,それほど大きな間違いはないと思う。表1で注意したいのは,予算現額に対する比率としてみた,翌年度繰越額または不用額のウエートであるが,前述のように,その繰越比率または不用比率の比較的高い経費を表1には掲げてある。

 表1のように,建設省所管にせよ,厚生省所管にせよ,建設事業・施設整備事業関係においては翌年度繰越という形で決算処理が行われる費目が少なくない。不用とは異なり,翌年度繰越であるから,あまり問題はないといえるが,『決算の説明』から翌年度繰越の理由を調べてみると,道路・街路事業,住宅建設事業,都市計画事業,社会福祉施設整備事業,保健衛生施設整備事業,環境衛生施設整備事業の違いを問わず,「用地取得の難航,補償処理の困難」がすべてに共通した理由になっている。社会福祉施設整備費(特に,地方改善施設整備費補助金)の高い不用比率の原因も同様に「用地取得の難航等」にある。

 年度事業予算の数パーセントという限界部分とはいえ,土地問題の深刻化を反映した用地取得の難航,補償処理の困難等が事業計画の遅れや事業計画の縮小をもたらしていることは,やはり看過できない問題点である。もちろん,この程度の認識は常識の類いであって,改めて指摘するまでもないことであるが,決算の分析から翌年度繰越や不用の原因および金額をきちんと把握し,それを事業計画や予算編成の改善に確実にフィードバックできるか否かが真の問題点なのである。

 同じ問題点は高齢者保健福祉推進十ヵ年戦略の柱,在宅福祉対策にも当てはまる。表1のように,在宅福祉事業補助金の不用率が社会福祉諸費平均の約2倍,5%強になっていることが気になる。備考欄の記載によれば,「デイ・サービス事業実施箇所数が予定を下回ったこと等により」,不用額が生じたという。おそらく,人手の確保ができなかったためと思われるが,この点も原因の確認と計画・予算へのフィードバックが是非とも必要である。

 以上紹介したような翌年度繰越や不用の原因説明を読むかぎり,繰越も不用も,事業計画や予算編成の改善のためにフィードバックされるべき貴重な決算情報であると考えられるが,どうであろうか。もちろん,真にやむを得ない事情も一部あったであろうが,事業計画の事前調査や見通しが杜撰だったのではないか,土地取得価格,資材価格,労働賃金等の算定が不適切だったのではないか,地域住民の要望や感情を軽視していたのではないか等々,事業計画や予算編成の問題点が浮かび上がってくるからである。いずれにせよ,より立ち入った原因の究明が必要であり,会計検査院の決算検査に期待するところが大である。

 おわりに

 最後の二つの節において,決算に関する筆者のポジティブな関心を具体的に示し,若干の決算分析をケース・スタディとして試みたが,すでに述べたように,現在の会計検査院の関心とも,また,会計検査の改革論議とも大きく異なっているようである。かつて,筆者が決算分析に主として依拠しつつ解明を試みた「隠れ国債」などの歳出抑制手法も同様である。このように個々の問題関心が異なるのは当然であり,筆者の方が例えば「個別の検査結果」をもっと活用すべきなのであろう。

 しかし,会計検査院に対して,『決算検査報告』における「決算の確認」と「個別の検査結果」との断絶だけは少なくとも埋めるべきである,そのためには,両者を関連付ける中間領域の決算分析が是非必要であり,「決算の確認」には総括的な意見・所見の表明が必要である,と訴えることは許されるであろう。

注:

1)このコンファレンスに提出された諸報告は,金本良嗣・宮島洋編『公共セクターの効率化』(東京大学出版会,1991年11月)に収録されている。

2)臨時行政調査会『行政の改革:臨時行政調査会意見書』(時事通信社,1967年12月)pp.460-462。

3)拙著『財政再建の研究』(有斐閣,1989年1月)。

4)河野一之『予算制度』第4次改訂版(学陽書房,1985年6月)pp.168-170。

5)こうした決算制度改革論については,佐藤進『要説・日本の財政』(東洋経済新報社,1979年2月),第5章を参照されたい。

6)会計検査院『会計検査のあらまし(別冊):この10年のあゆみ(1980〜1989)』386頁。

7)拙稿「やさしい経済学:今後の財政を考える」『日本経済新聞(朝刊)』1991年10月28日〜11月2日。

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