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第2号

政策提言としての政策分析
小林 秀徳

小林 秀徳
(成城大学教授)

 はじめに

 現代福祉国家における政府部門の肥大化と非市場的資源配分の導入による有効性の増進は,われわれの社会が到達し得たひとつの成果である。たとえば,国民のだれもがいつでも十分な医療を受けられるシステムの出現は市場機構を通じてする自由発生のみによっては成らなかったであろう。いわゆる社会福祉の領域やインフラストラクチュアの整備あるいは公害の防止による自然環境の保護等に関して,このような例は枚挙にいとまがない。しかしそういった成果は同時に政府支出の甚しい増大をもたらし,負担の公平をめぐるコンフリクトや負担の増大が経済活動全般におよぼす諸影響等について喧しい議論を生み出してもいる。このような背景のもと,会計監査が担うべき使命はますます重くなってきている。しかし翻って,会計検査が合理的な公的職能としてなし得る事柄を考えてみると,この期待と現実との間のギャップは見ていて歯痒さを感じるほどである。

 本稿はこうした情況を改善するために政策科学は何を担い得るかを明らかにしようとするものである。そこでは政治的実行可能性の事実認識からいかなる行動代替案を引き出すべきかについての穏健な政策提言がなされる。一言でいえばそれは政策分析を採用せよということに尽きるが,問題はその意味である。かのハロルド・D・ラスウェルが述べたように,重要なのは用語の厳密な定義ではなくその語の置かれたコンテクストを全体として明らかにすることであろう。

 以下ではまず不効率の概念を中心にいくつかの例を挙げて解説する。決して効率性や有効性から始めるのでないことに注意して欲しい。政策科学が効率化や合理化とは別の方法を模索しはじめてからまだ日が浅いが,不効率はなんらかの病理学的兆候では決してなく,効率的・合理的な健康状態への処方として改善提言をなすことはできないという認識が定着しつつある。本稿はこのような学会動向を背景としている(注1)。

 1. 不効率性−問題の所在

 先進諸国においては等しく政治の行政化と行政の政治化が進行している。政府の役割が複雑・多様化した結果,肥大した政府部内で専門分化が進み,そのため専門家官僚の影響力が増大し,このことが権力配置を変え,行政府の決定がますます政治的意味を帯びてくる。しかし自由競争的市場経済に基礎をおく資本主義国の伝統的な政策は小さな安上がりの政府であり,政治的な統制を極力排し市場原理にまかせておくことによって自ずから最も効率的な配分に到達するという考え方がその基礎にある。この伝統的価値と近年の政府の肥大化とは一般的には相容れない。

 しかしながら政府部門の肥大化そのものが国民経済に対して逆機能性をもつわけではない。政府サービスの提供は高付加価値の生産であり,国民を消費者として政府サービスに対する需要はますます増大しつつある。ただし,顧客は必ずしも受けたサービスに対する対価支払いを求められず,サービス享受者イコール顧客,費用負担者イコール何らかの意味で国民全体となるために,個々のサービス提供の場で供給量と価格とを同時に決める市場取引が成立しない。したがって私的財の場合と異なり,正しく消費者の効用を最大化するような量のサービスが提供されるわけではなく,顧客にとっては少なすぎ,費用負担者にとっては多すぎる供給があってもこのギャップは調整されることがない。このような状態−もし調整がうまく行われれば消費者=国民一人々々にとって多すぎも少なすぎもしない別の水準のサービス提供がなされる状態−を『不効率』と言う。この種の不効率性は公共部門に本質的に備わっている。問題となるのは行政府の肥大化そのものではなく肥大化がもたらす不効率性の増大であるといえよう。

 ここにいう本質的な不効率性は,よくいわれる役所の非能率・不経済・無駄遣いといった事柄とイコールではないが,それらがいつまでたってもなくならない原因となっている。

① 非能率:より多くの仕事をこなすインセンティブがないために決められた時間内にできるだけ少量の仕事をすることが担当者の個人的目的にかない,なるべく顧客には不親切にしてたくさんの顧客が来ないようにし,なるべくひとつの仕事に多くの時間と人手をかけて,時間当たり・一人当たり仕事量を減らす。

② 不経済:実務を通してコスト意識が育まれることがないために,資材の調達においてもエネルギーや労働力の使用に関してもぎりぎりまで節約しようとする意欲もファイトもわかない。

③ 無駄遣い:成果指標が明確でないものが多いため,アウトプットを考慮することなくただただ予算消化が仕事のようになる。

 これらは公共部門が本質的にもっている不効率性がもたらす結果の具体的な現れなのであって,原因に手を加えないかぎり結果のみを摘発しても必ずしも改善にはつながるものではない。上の①②③自体は必ずしも違法行為とは言えない(というよりも違法性なくなし得る)事柄であり,政府の予算責任からは国民に対して①②③のようなことはありませんと保証できなければならないにもかかわらず,予算統制においてこれらを無くするよう監視することなどおよそ不可能である。決算検査において毎年指摘されてもこのような事例は減るものではなく,不正や怠慢が明らかな場合を除き,②③を過度に詳細に指摘することはモラール低下にさえつながりかねない。

 新しい会計検査についていわれる経済性・効率性・有効性は3つの基準概念として有用なものであるが,これらの反対概念である非経済性・非効率性・非有効性が,その常識的外延を考えると,ここでいう不経済・非能率・無駄遣いに近い。経済性に欠ける資源調達を行っても,インプットからアウトプットへの変換効率が悪くても,目に見える効果があげられなくても,国民にとっては効用における機会損失が生じる。しかし不正・過誤・怠慢がなくてもこれらは生じ得るものだとすれば,それは正しくシステムの欠陥なのである。システムの改善は,たとえ部分的な手直しになるとしても,全体との関連性を無視しては成し得ない−それがシステムというものなのである−から,システムの欠陥を除去するためにはシステム全体の再設計が要求される。本質的不効率性にメスを入れること,公共財の需給における受益と負担の乖離を調整するシステムを導入すること,これは生易しい問題ではないが,そのような改善の過程をイニシエイトすることが重要であり,その過程を通して新しい会計検査の理念がクリエイトされる。

 システムの欠陥を放置しつつ高いコストを払って監視し続けるか,あるいはシステムの再設計・新設計を含む一新を導入するか,は重大なポリシィの選択である。有形・無形の費用と効果をすべて考慮に入れた上で,一元化されない価値間のコンフリクトを経て,どちらを採るかについての合意をどうやって形成すればよいかという政策問題がそこにある。政府のアカウンタビリティはこの問題の解決を迫る論拠であり,会計検査院はこの政策選択のプロモーターに相応しい。この政策問題を解決する過程で,個々の代替案を開発し,それらを一つ一つ望ましいか望ましくないか,実行可能か可能でないか吟味して,だれがなにをいかになすべきかの行動提案に変換するもの,それが政策分析である。

 2. 不効率性の源泉

 公共部門による公共サービスの供給は,私企業における私的財の供給量決定方程式: 価格=限界費用 ではなく,費用便益方程式: 限界便益=限界費用 によって決定されなくてはならない。それが効率的な資源配分のための必要条件だからである。

 簡単化のために私企業によって供給される私的財の生産量をP,政府によって供給される公共財の生産量をQとしよう。生産に投入される資源は2種類あって,資源投入量の組み合わせ(r1,s1)によってPが決まるという技術的な生産関係が関数:

 f(P, r1, s1)=0

によって表され,同じ資源を競合的に用いる政府の生産関数が次のように表されるとする。

 g(Q, r2, s2)=0

 資源の競合関係は短期的な利用可能量R, S(定数)によって次のように表される。

 r1+r2=R

 s1+s2=S

 さらに,2人の消費者がいてそれぞれの効用がU1,U2で表されるとする。

 U1=u1(p1,q1), U2=u2(p2,q2)

 市場条件は p1+p2=P,q1=Q, q2=Q

である。

 以上の条件を制約としてベクトル(U1, U2)を最大化する極値問題を考え,所与のウェートα1,α2に対してラグランジュ関数を次のように定義する。

 ψ(p1, q1, p2,q2, P, Q, r1,s1, r2, s2, π, ω1, ω2, μ, ν, ρ1, ρ2)

 =α1・μ1(p1, q1)+α2・μ2(p2,q2)

  -π・(p1+p2-P)-ω1・(q1-Q)

  -ω2・(q2-Q)-μ・f(P,r1, s1)

  -ν・g(Q, r2, s2)-ρ1・(r1+r2-R)

  -ρ2・(s1+s2-S)

これにより最適解においては次の17本の方程式が満足されていなくてはならない。

 α1δu1p1=π, α2δu2p2 ①,②
 α1δu1q11, α2δu2q22 ③,④
 π-μδfP=0
 ω12-υδgQ=0
 -μδfr11=0, -μδfs12=0 ⑦,⑧
 -νδgr21=0, -νδgs22=0 ⑨,⑩
 f(P, r1, s1)=0
 g(Q, r2, s2)=0
 r1+r2=R
 s1+s2=S
 p1+p2=P, q1=Q, q2=Q ⑮,⑯,⑰
⑪を全微分して
 δfP=-δfr1dr1/dPfs1ds1/dP
⑦,⑧より
 μδfP1dr1/dP2ds1/dP
これを⑤へ代入して
 π=ρ1dr1/Dp+ρ2・ds1/dP

 この式が私的財に対する最適配分のための限界条件である。左辺πは私的財の市場条件式に対するラグランジュ乗数であってこの財の市場価格を表しており,右辺第1項は私的財の限界的生産増1単位あたりの第1資源の使用増加率dr1/dPを資源の潜在価格ρ1で評価したものであり,第2項は同じく第2資源の限界使用率を潜在価格で評価したものである。すなわち最適解は必要条件として[私的財の価格=私的財の限界的1単位の追加に対する資源費用増]を満たさなければならないことを表している。

 同様にして⑫,⑨,⑩を用いて⑥を変形すれば公共財の限界条件:

 ω121dr2/dQ2ds2/dQ

を得る。右辺は私的財の場合と同じく公共財生産の限界費用であるが,左辺がそれぞれの消費者に対応した公共財価格の総和となっていることに注意しなければならない。左辺のω1,ω2は③,④によって明らかなように,各消費者の公共財に対する限界評価値と均等している。これを公共財供給の限界的1単位あたりのwillingness-to-payといい,これをすべての消費者について合計したものが限界便益である。すなわち公共財供給は次の条件を満たさなければならない。すなわち

限界便益=α1δu1q12δu2q21dr2/dQ2ds2/dQ=限界費用

である。私的財の価格πは市場によって与えられる単一の数値であってそれを知るための情報コストは自由市場体制のもとでは非常に安いのに対し,公共財の価格は限界評価の総和であって,消費者の数だけあるωjを何らかの方法で収集して足し合わせなければ得られないから,効率的な公共財供給量の決定には基本的に情報収集コストがかかる。しかもωjのそれぞれの値が顕示されるような市場は一般的には存在しないので,情報システムを意図的に設計しなければならない。

 企業の意思決定モデルを技術を制約として利益を最大化するものとして定式化すると次のようになる。

 Maximize πP- (ρ1r12s1)

 subject to f(P, r1, s1)=0

 この極値問題はπ,ρ1,ρ2が与えられれば解くことができて,⑤,⑦,⑧と同じ限界条件が導かれる。また消費者の問題は,所得をIjとするとき

 Maximize uj(pj, qj)

 subject to πpjjqj=Ij

と書くことができれば,所得の限界効用の逆数をαjとしてやることにより①〜④と同じ条件が導かれるが,そのためにはπとωjがともに与えられるものでなければならない。すなわち公共財の価格は消費者一人々々が違う値を支払い,その額は政府が計算して消費者に示すものであり,しかもその値は全体問題の最適解におけるそれぞれの消費者の公共財の限界効用を所得の限界効用で除したものと等しくなっていなければならない。

 以上と両立するように政府の意思決定問題を作ってやると次のようになる。

 Maximize (ω12)Q-(ρ1r22s2)

 subject to g(Q, r2, s2)=0

この政府の問題は公共財の供給による政府利益の最大化であるから,現実の構造からいって非常に面妖であるが,たとえそのことは問わないとしても,ρ1,ρ2に加えてω1,ω2も与えられなければこの問題は解くことができない。しかし上の消費者の問題で見たように,この額は政府が決定しなければならない。

 ω1,ω2はいわば公共サービスの利用税であるから,政府がその値を決めることは良いだろう。また消費者によって税額が異なってもかまわない。しかし以上のモデルではこの値の見積におけるエラーは著しく資源配分を歪める。正しい(最適解の条件①〜⑰を満たすような)ω1,ω2の計算をなすためには,消費者は消費者で政府は政府でという分権的意思決定ではうまくいかないことを以上の結果は示している。

 消費者が公共財に対する限界評価を事前に自ら計算して政府に申告するという場合には,それによって税金が決まってきてしまうこと,本人の効用関数は他人にはわからないものであることの2点により,過少申告が生じるだろう。全員が過小に申告すればそれにより公共財の供給水準は低下するが,それでも各自が合理的に考えた末,結局全員が過小に申告することになるだろう。一種の囚人のジレンマである。

 以上の公共財のモデルはいろいろな意味で示唆的である。公共サービスの生産においては政府部門も私企業部門と同じ資源を競合して,限界的な効率条件を満たそうと努力するであろう。この努力はたとえば,資源の調達を最も効率的な価格の支払いで達成しようとして私企業と同じρを使うということに求められる。また生産における無駄を排除するために限界資源投入:

 δgQ= -δgr2dr2/dQgs2ds2/dQ

を計算した。しかしこのような限界的な努力の積み重ねも,左辺のωがわからないのだといわれてみれば,すべてが水泡に帰してしまうかのようである。これは現実の会計検査の感覚に近いのではないだろうか。

 以上で見たような不効率性の源泉は,情報システムがいかに新しく整備されても,洗練された手法が縦横に利用できるようになっても,変わることなく存続する本質的な契機である。そしてその結果は政府部門の肥大という背景のもとでますます重大な問題となってくるのである。

 ひとつだけ例を挙げよう。大都市におけるゴミ処理は公共サービスにおける不効率性を考える上でよい例を提供してくれる。

 都市住民が全員各戸に焼却炉を設けることとし,家庭で排出したゴミは各家庭ですべて焼却処分するという場合,どの程度の能力の炉を購入すべきかという決定を各消費者が自らの所得・消費と資産形成を考慮して行うことになるから,この合理的計算を通して最適なゴミの排出水準も決定される。この同じ都市で行政当局がゴミの集中的処理を行うということにした場合には,焼却工場のようなものは一般に規模の経済性が働くと考えられるから,各戸に炉を置く総費用よりも一個の大工場で同じ量を処理する費用の方が安くつくはずである。そもそも公共サービスとしてゴミの焼却を行うことの意義はこのスケール・メリットにある。しかしこのようなゴミ処理を行うと,各消費者が自らの合理的計算に則って決定していた最適な排出水準が自覚される契機がなくなり,勢い各消費者のゴミ排出量が増大して,各戸焼却の場合よりも多量のゴミを処理する結果となり,効率的なゴミ焼却能力を超えた過剰設備が必要となる。このとき各戸焼却の場合と同じ水準の総ゴミ排出量にあわせた設備計画を行うと,結果は処理しきれないゴミの山を都市内に抱えることになり,当局はサービスの供給責任を問われることになる。

 ここで問題は,この不効率をどうしたらよいかということであるはずだ。都市規模が成長し集積化が進展すると,このような不効率性自体も大きな無駄に成長してゆく。ゴミ問題が大都市ほど深刻な事態を引き起こしているのはこの事情による。

 しかしながら,一般にアカウンタビリティを問題とする時,この種の不効率が問われることはない。この問題に関していえば,行政区域内で通常の家庭生活から排出されたすべてのゴミを処理するのは,まさしく合規性をそなえた活動であり,過剰であれとにかく排出されるゴミの焼却能力を所与として監査基準が適用される。

 焼却能力(サービス水準)を所与として,そのための焼却工場の建設に関わる建設費・設備購入費は経済性基準を満たしているかどうか,焼却に要するすべての経費と処理されるゴミの量との間の関係は最適燃費を達成しているかどうか,確かに焼却すべきゴミ(可燃ゴミ)のみを焼却しており,それにより都市外に投棄されるゴミの量を減らすという目的が有効に達成されているかどうか,等々は,サービス水準の決定に関わる本質的な不効率性に目をつぶって良いほど重大な関心事なのであろうか。

 3. 政策提言としての政策分析

 政策評価は会計検査の任務ではない。前節でとりあげた消費者の限界評価値の把握は費用便益分析の仕事ではない。望ましいサービス水準の決定や,目指すべき目標の選択は政策マターであって,客観的な監査や科学的な分析が手がける事柄ではない。目的は与えられたものとして,その目的を最少の費用で達成する手段をみつけだし,その手段を採用すべしと提言することが,われわれ科学者の採り得る規範性であり,この範囲を逸脱するのは不道徳である。

 以上の考え方は現代通常科学のパラダイムのもとではまことにもっともに聞こえる。そのもとでなし得る仕事も数多く残されていることは事実であるが,本当に必要な現実的要請のなかで,現場がこの考え方にあきたらなくなっていることもまた事実である。もちろん科学者も然りで,政策科学が新しい科学を標榜してすでに四半世紀になる。

 有効性基準の適用において担当者・監査人・分析家のいずれであれ,所与の目的に疑問を抱く局面が出てくる。前のゴミ問題の例でいえば,ゴミが短期的には処理しきれないほど急激に増大し,新工場建設が住民の反対にあって頓挫し,解決が長引けば長引くほど事態はより困難になってゆくという情況に置かれたとき,なんらかの行為あるいは不行為のもつ有効性をどのように把握したらよいのか,といった疑問に対して知的好奇心を刺激されるのは自然なことである。

 公に宣言されている目的に照らして最も有効であると言えるようなプログラムの採用が,事態を決定的にまずくしてしまうことはよくある。排出されたゴミはすべて処分するというのが目的であるから,焼却工場の建設が間に合わなければ生ゴミでもなんでもとにかくトラックで埋め立て地まで運んで投棄するのが有効な手段である。しかし埋め立て地へ通ずる道路上の生ゴミ満載トラックの大渋滞は沿線住民のよく耐え得るところではなく,一方で工場建設反対,他方で生ゴミ搬入阻止の住民運動がおこり,2つの地域が真向から対立することになる。ここまでくれば与えられた目的が間違っているのではないかと考える人間がメジャーになってくる。しかしこのような局面に至っていきなり考え始めても,ゴミの発生量を最適水準にまで下げるという本来採るべきであった目的を達成するプログラムは事態の改善に間に合わない。

 以上のゴミ問題は実際にはオイル・ショックの影響で景気が停滞しゴミの総量がドラスティックに減少する中で消滅してしまった。つまり出たゴミはすべて処理するという目的が追求すべきオペレーショナル・ゴールとしてはなはだ適当でなかったことが実証された。もし総量を減少させる有効な手段が先に採用されていたならば,ゴミ問題によって被った膨大な社会的費用は節約できたはずで,この種の節約こそその大きさから言っても本来の姿から言っても,だれかが監視し・研究し・提言し・促進し・実現すべき事柄なのではないだろうか。

 一般に公の監査や客観的な分析は手続きの公明性を重視する。それには十分な理由があるのではあるが,この必要な重視を強調しようとすると,手続き自体を自己目的化するような方法的態度が要求されやすく,議論の余地のあるようなもの・複数者の主観的判断を要するもの・理念的ないし抽象的に対立する概念・創造性を要する問題設定等々が視野の中に入ってこないように自らを馴化する学習が実務を通してなされる。これは,いわゆる『手続き論』以外の一切の議論を避けようとする傾向ないし症候を蔓延させる。しかし,政府予算のパフォーマンス評価や政府プログラムの費用便益分析などのスタディに対して必要な情報を提供するという重要な機能を担う部門は,こうした手続きの公明性だけではやってゆけないことが以上の展開により明らかとなったと思われる。

 それではどうすればよいのか。

 必要な議論を避けることなく主観性・価値判断・創造力を正当に取り扱う半合理的イデオロギー(パリス&レイノルズ)の採用,すなわち,政策分析を行うことを提言したい。

 すでにわれわれは客観的決定力をそなえた指導原理としての政策科学というようなものの成立しがたい事情を十分に認識している。特に政策領域は,複数の主体が有する選好を単一の社会的選好へと集計する手続きの有する望ましさと,その手続きの結果として得られる社会的選好のもつ合理的決定性とが,論理的に相容れないということが示されている社会的選択論の世界である。そのような世界における非合理性・不決定性は科学的取扱いに全く馴染まないわけではなく,半合理性・不完全決定性を受け入れることさえできれば,そこには政策分析の豊かな応用領域が開けているのである。

 政策分析の任務は,政策分析依頼者がもつ問題情況の解釈と問題解決代替案の作成フレーム−すなわちモデル−を,陽表化する作業を支援することである。陽表化されたモデルは一個の論点として政策過程へと投入される。政策分析者は,科学的客観的立場からの裁定者としてでなく,一論点の形成支援者として直接政策過程と関わる。政策科学の内実は,政策過程への参加的観察を基礎として獲得される知識によって強化されるから,主観的なモデルを陽表化する作業のための支援ツールの開発と利用は,政策分析者と依頼者との良好な社会的関係の維持を前提として,政策科学自体の発展に寄与する。

 現実の政策分析依頼者は,分析者本人である場合をも含めて,限られた裁量範囲をもった政策過程参加者であり,各々異なった経験と見識に基づくタシットな知識とインプリシットなモデルを有していて,それを基礎とした(主観的な)展望・目標・代替案・評価をもって問題解決に対し様々な係わり方をする。彼らは個々に与えられたコンテクストの中で,政策論争に様々な形で参加し,大小様々な影響力を行使するものであるから,政策の改善は彼らに対するヨリ合理的なヨリ情報活用的な展望・目標・代替案・評価の提供を通してのみよくなされ得る。その際,理論的権威の立場から『正しい』モデルを提供することは一般的にはできないから,政策分析のなし得ることは,政策問題の解決に係わるすべての主観の各々によるモデルの陽表化を支援すると同時に,そのようにして得られたモデルを操作・改訂・補強することを通して,政策論争をヨリ強く裏付けられた複数個の論点へと再構成することである。

 以上正確にそれが何であるかを述べないまま政策分析方法論の話題に入ってしまった。以下節をあらためて政策分析の解説をしよう。

 4. 政策分析とは何か

政策分析という語は色々な意味に用いられる。経済学も政治学もそれぞれの領域の学問的関心に基づいて,いくぶん限定された意味でこの用語を用いる傾向があるし,また分析という語に特別な技術的内容を盛ることに関心を限定して専ら手法論を展開する人もいる。よく引用されるのはエドワード・S・クェードの次の定義である:

「どのようなタイプの分析であるかを問わず,政策決定者がそれにもとづいて判断を下す基底となるものを,なんらかの方法で改善するように情報を生成し提示する分析と定義してよい。政策分析においては分析という語はできるだけ広い意味に用いられる。そこには直観と判断を利用することも含まれるし,単に政策をその構成要素へと分割することによって吟味するというばかりではなく,新しい代替案を設計し総合するといった意味あいもつけ加えられる。そこには予想される将来の諸問題を解明するための研究もあれば,完了したプログラムの事後的な評価もあるといった非常に幅広い活動が含まれている。政策分析のなかには,ただ懸命に注意深く考察しただけといった明示的なモデルを用いないものもあるし,大量のデータ収集と精緻な計算を要する高度な数学的処理を利用したものもある」

すなわち,厳密な定義によっては限定されない多様な方法をもった政策分析が現実に存在しており,政策決定改善のための情報の生産・供給を行うすべての知的活動を政策分析と呼ぶのである。したがってそれは一般的問題解決の手続きとして,目標の明確化→トレンドの記述→目標と予測との乖離の把握→代替案の開発・評価・選択→提言のような,一連の手法を内に含むが,それに尽きるものではなくさらに各種の情報変換活動を含む。それらを遂次的な手法の連鎖として示すことは一般的にはできないが,それが政策決定改善のための情報の生産・供給を目的とするものであるところから,その任意の部分を政策分析と呼ぶ相互関連的ループ構造として概念化することができる。そのような構造をうまく表すものとして図1にウィリアム・N・ダンによる政策分析プロセスの概念図を示した。

図1 政策分析のプロセス

 図では,政策関連情報を長方形で,情報の変換方法を楕円形で示してある。またこの図は将来に向かって政策分析を適用するプロスペクティブ・アナリシスと,過去に対して適用するレトロスペクティブ・アナリシスとが同時に描かれており,両者は矢印の辿り方において異なるから次のように2つにわけて説明するとわかりやすい。

(1) レトロスペクティブ・アナリシス

 ① モニタリング:すでに採られている政策を情報インプットとして現状における政策の事実的因果関係を記述する。政策行動についての情報を政策結果についての情報に変換する。

 ↓

 ② 評価:政策のもたらした結果の望ましさを評価して政策成果についての情報を生産する。政策結果情報を政策成果情報に変換する。

 ↓

 ③ 実践的推論:政策成果について価値判断を下し,問題がどの程度解決されたかこのままで良いのか悪いのかを導き出す,いわば政策分析の結論とでもいうべきものである。政策成果情報を政策問題情報に変換する。

(2) プロスペクティブ・アナリシス

 ① 予測:定式化された政策問題を背景として政策代替案を措定し,それが現実に採用された場合に将来起こり得る政策結果の確率分布がどのようになるかを推定する。政策問題情報を政策代替案情報に変換する。

 ↓

 ② (事前)評価:将来起こり得る政策結果の望ましさについての情報を生産する。予測された将来政策結果情報を政策代替案情報に変換する。

 ↓

 ③ 提言:政策代替案のもたらす将来結果の望ましさと尤度とに基づいて,どのようにすべきかを述べる。政策代替案情報を政策行動情報に変換する。

 以上の説明には政策結果情報を政策問題情報に変換する『問題の構造化』が含まれていない。この分析作業はある政策のもたらした結果を検討することを通して問題点を把握,さらに問題情況に対する認識を深め,解決策についての潜在的解答を含めて,「何が問題であるのか」についての情報を生産する。この部分で生じるエラーは政策分析全体にとって致命的であるが,世に行われている政策分析は,えてして,問題の定式化が間違っているにもかかわらず精妙な手法を適用したり大量のデータ処理を行ったりして立派なレポートを作成しがちである。これを第3種の誤りといい(注2),この種の誤りを避けるために問題の構造化には十分な努力を投入すべきことが指摘されている。

 一般に政策分析者は予め政策問題と可能な解とについてなんらかの認識をもっているものである。しかしその段階で問題が十分に明確になっていることはまずあり得ない。逆にそれは分析者が分析をくりかえし適用するごとに,違った形で構造化されてゆくものである。その意味で問題の構造化はすべての政策分析手法を含み,一個の政策関連情報生産手段というよりは,政策分析プロセス全体を規定するものとして機能するメタ・メソッドである。

 このダンの図の便利な点は,図2のように縦横の分割線を入れて,上下半分と左右半分にわけてみるとはっきりする。右半分がプロスペクティブ・アナリシスに対応し,左半分がレトロスペクティブ・アナリシスに対応しており,上半分が政策形成に対応し,下半分が政策実施に対応している。

 図2では垂直な分割線が3つの政策関連情報=政策問題・政策成果・政策行動を切って引かれている。これらは,過去の事象の産物であると同時に未来への期待の関数でもあるという,二重性dualityと周縁性marginalityを備えた一種の界面をなしているのであり,レトロスペクティブ・アナリシスの結論を情報インプットとして受け取ってプロスペクティブ・アナリシスという変換を施すという,継起的・分業的政策分析概念の非現実性を表している。価値・制度の変化,新しい解決策の出現,問題構造の解明といった,時間軸上での政策の展開に重要な関わりをもつ動態的要因を,生産すべき政策関連情報のなかに現実的に取り入れてゆかねばならない政策分析は,基本的に過去と未来の双方に目を開いた複眼的視野を要求される。この方法論の問題はもちろん未解決であるが,レトロスペクトとプロスペクトの統合を政策分析の実施形態の裡に求めつつ,政策分析プロセスの無限循環的使用を促進する技術的支援システムの開発が有望な戦略代替案となる。

 政策策分析の実施形態に関わるもう一つの論点は,この図の水平な分割線によって説明される。ここで政策形成は政策問題に対する代替的解決を開発・作成する活動であり,基本的には概念的・理論的作業からなる。これに対し政策実施は実践的・管理的活動であって,現実に問題を解く作業を包摂している。すなわちこの分割線によって切られる3つの政策関連情報=政策代替案・政策結果・政策成果は理論と実践とのインターフェースをなしており,両者の間のコミュニケーション・ギャップを埋める統合的な政策分析の実施形態についても,未解決の問題が残されている。

 ここでとりあげた6つの政策分析手法=問題の構造化→モニタリング→予測→評価→提言→実践的推論はこの順番で階層性を有している。たとえば政策のモニタリングは結果の予測なしでもなし得るが,モニタリングなしで予測をするというその逆は難しい。その意味で実践的推論にはその前段としてすべての分析が必要となる。またこの連鎖の出発点となる問題の構造化は前に触れたようにすべての政策分析手法を含むから,この出発点でのエラーを回避するためには,十分なすべての分析の適用が望まれ,結局この階層構造は無限循環的である。これまでそれぞれの政策分析手法はそれぞれの分野で開発されてきた。その結果それぞれをテーマとする手法オリエンテッドな研究・教育および適用事例の蓄積がなされてきている。しかし今や求められているものは問題オリエンテッドな多重手法の統合化アプローチである。この事情は本節の概念図の検討によって自ずから明らかであろう。

図2 4分割

 5. おわりに

 会計検査が担うと期待される使命と,現実に公的機能としてなされ得る検査実務との間には大きなギャップがあると思われる。公共部門の不効率性の問題は,放っておくと不効率がますます拡大するような悪循環的なループ構造になっている。そしてこの問題は公務員の不正や怠慢や過誤が原因で生じる非能率や不経済や無駄遣いとは違った本質的な事柄であり,その解決のためには目的の検討と選択を含むような本格的な政策過程の議論と取り組む覚悟が必要である。筆者はこの役割を会計検査院が中心的に担うことを勧め,採るべき方法論としての政策分析を簡単に解説した。

 政策科学はまだ生まれて日の浅い領域である。またそれは精緻な理論的成果をはなばなしく上げるような性質のものではない。むしろ政策実践を通して個々の政策よりは政策決定そのものを改善しようとする志向を強くもっている。その具体的な方法論が政策分析なのであり,実務界においてこの方法が広く採用されることを期待するものである。

[注]

(1) 公共政策分析のメソドロジカルな検討は1980年代における政策科学の主要なテーマの一つであった。フィッシャ,パリス&レイノルズ,ダンらによって提起された脱行動科学主義はこの論争をほとんどリードしたと言ってもよいだろう。効率とか合理性とか客観的決定性を政策分析は基本理念として採用できないというのが,共通の認識である。

(2) ライファは意思決定分析における誤りについて,統計的推測におけるエラーライプとのアナロジーで,誤った答えを正しいと判定してしまう第1種の誤り,正しい答えを誤りと判定してしまう第2種の誤りの他に,間違った問題に厳正な方法を適用して答えを得ようとする第3種の誤りのあることを指摘した。

(参考文献)

[1] Brewer, G. and deLeon, R., The Foundations for Policy Analysis, Dorsey Press. 1983.

[2] Dror, Y., Public policy making Reexamined, Transaction. 1983.

[3] __, Policymaking Under Adversity, Transaction. 1986.

[4]Dun, W. N., Public Policy Analysis: An Introduction, Prentice-Hall. 1981.

[5]Fisher, F., "Methodological Foundations for Public Policy Analysis", Policy Studies Journal, Vol. 12, No. 2. 1983.

[6]Paris, D. C., and Reynolds, J. F., The Logic of Policy Inquiry, Longman. 1983.

[7]Quade, E. S., Analysis for Public Decisions, Elsevier. 1975 .

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