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第17号 巻頭言

政府の自己評価能力について
藤井 隆

藤井 隆
(日本計画行政学会会長)

 本計画行政学会会長,元日本経済政策学会会長,ユネスコ社会科学協議会(ISSC)シニアボードメンバー,元副会長,HDP,CROP学術委員,国際社会科学団体連盟(IFSSO)名誉会長,元国際経済学協会(IEA)評議員,日本学術会議会員(13−15期),現第七常置委員会委員,推薦管理委員会委員,一橋大学経済学博士,名古屋大学名誉教授,前慶応義塾大学教授,現立正大学教授。

1.人類社会に信を問える政府

——自治能力の大競争時代——

 世界には無数の政府がある。一国の中にも無数の政府がある。政体の相違として認識される所だが,これらの間には様々な関係が成立しており ,集団としての意志と行動を選択する政府の政府が成立している。または成立の過程がある。だが未だ,世界政府が成立する見込みは立っていない。

 ようやくにして現代は地球の時代,人類社会の時代,と認識されるようになり,「人類がみずからの努力によって地球システムや人類社会の健全な永続性と発展を確保していかなくてはならない」という自覚が一般のものになろうとしている。人類がみずから人間及び人間社会の存在条件を創造確保していくために,京都会議(COP3)のように,地球の安全保障,地球環境の安全保障を,全ての政府が共通の目標に掲げて討議しようとすることにもなった。そしてその討議の中では,それは人類社会の運行条件としての経済循環の自律性を創造確保する中でのみ実現可能なのだと思い知ることになった。その過程はまた,その中で人間及び人間社会の健全な発展を確保していくという条件の創造確立なしには達成できないと言うことも明らかにした。政府や国連,はたまた世界政府が成立したとしても,それだけでできることではない。この強い認識のもとでは,すべてはあらゆる主体のセルフ・アドミニストレーション,自主的経営責任,自主的生活責任に基づく総体的努力,いわば人類社会の総力戦ということになる。

 もともと政府は社会を構成するすべての主体の政策意志と委任によって形成成立した社会構成員としての主体の一つである。このことから言えば,政府の責任は,内に対してはこの委任に応じて適正なサービスを供給してはじめて,政治的委任原理による自己の成立を経済的対価原理による自己の成立へと転換することができ,市場原理と矛盾しない主体性の確立になる。主体的自立と,経済的自立の両立があってはじめて当該社会の信認された政府である。神権政府でも覇権政府でもない民主的政府である。だが外に対しては私益の国益主体であることに代わりはない。ところがこの現代の総力戦課題の中にあっては,国益はこの総力戦課題への貢献とその主体的努力の人類社会的評価,つまりどれだけ社会性公共性を発揮したかという中でのみ実現されるものだということになる。つまり評価を内と外の両面に求めなくてはならない時代がきたと言うことである。

 社会科学領域での理解から言えば,需給両面のあらゆる主観価値を「市場」という場で,「貨幣というメディア」のもとに価格という「社会価値」に止揚して経営すると言うことである。情報革命を経た知識社会では,市場理論はコミュニケーションの一般理論の部分理論となっているから,価値の社会化の「場」は大きく広がっている。国民の活動もまた世界に展開している。政府が信認を問わなくてはならない世界は,「国民に信を問うから」同時に「人類社会に信を問う」に拡大している。国内・国外共に,グローバルネットワークの中での,自治能力の大競争時代といってよい。このことの自覚をまず求めたい。この上で政府の評価と自己評価能力が問われるのである。

2.政府の自己評価能力と会計検査院

——信認の基礎は公明な自己評価——

 政府が内外にその信を問うとすれば,まず求められるのはその「企業者精神」である。経営自主責任の民間企業にあっても,生活自主責任の国民生活にあっても,今日ほど企業者精神が求められているときはない。政府もまた社会の一員として例外ではない。

 経済的自立と主体的自立あっての主体性である。その上で人類社会の一員として内外に社会性公共性を発揮して信認を求めるからには,その中でのセルフ・アドミニストレーションによる企業者努力がいることを否定する人はいないであろう。企業家精神とはと問うことは, アイデンティティを問うことでもある。それにはまず自らは何かと問う自己啓発がいるのである。

 親が学資を出すのは開発努力である。R&Dもそうである。だが開発努力をテイクオフ発展と持っていくのは,学生であり社員である。議員に投票するのも開発期待であるが,票集めや予算をとってきて消化するだけでは,テイクオフしない。言われたことだけやっておけばよい。これでは,学生も,サラリーマンも,官僚も,政治家もアイデンティティを持たない「機械部品」にすぎないことになる。人間以前ということになる。チャップリンの「モダンタイムス」がアイロニーであったのは大分昔のことであった。

 信認を求めるには,自主経営努力の責任が問われるのである。言われたことをやりましたでは経営にならないのだ。民間で,出資を求めるに足る起業家育成を言うのと同じように,政治家も官僚も企業家精神と自己アイデンティティ確立の努力をしなければならないし,それができる制度体制を確立しなくてはならないのは言うまでもない。

 そこで提案しなくてはならないのは「政府の自己評価システム」の確立である。自己評価のできない政府にセルフアドミニストレーション,自己責任体制を求めることは無意味である。その上でのアカウンタビリティー,そして信認を求めると言うことになる。会計検査院は「政府のアカウンタビリティー」に対して責任の持てる機関なのかを自問自答してほしい。政府の自己評価能力を確立するシステムの中でいかなる役割を担うのか,研究開発は先ずそこからである。内閣,行政府から独立の機関として,国会に勧告し,内外に信を問う日本政府の「最重要な責任機関」としての自負を確立する道である。

 財政のアカウンタビリティー,政府のアカウンタビリティーを代表する「会計検査院」という自覚にたって行動することによって内外の尊敬を集める機関となってほしいものである。それにはまず政府の公明な自己評価ができるシステムを研究確立する努力をすることが,主体的企業家精神の発露であり,自らそれを主張するのが責任機関としての主体性である。

3.行政自己評価の諸段階と会計検査院

——公共行財政の自律と健全な永続性——

 政治には政治の,国会には国会の自己評価があってしかるべし。だがその根拠を提供するのは,会計検査院による行財政の自己評価でなくてはならない。それは国民の廣く期待するところである。会計検査院の独立性とその報告の透明性が求められる理由である。この期待に応えるためには,どのような視点から,どのような段階において,なにをいかに評価して,政府行財政の自己評価とするか。冒頭で述べたように,この地球の時代,人類社会の時代にあって,第一には政府行政府の存在条件の確保創造,第二には時代の要請する課題条件の中で,政府行政の運行条件の確保創造,第三に,健全な人類社会の永続発展の中で,健全な国民生活の発展永続性を確保し創造していくか。いまこれが最も重要と言うことになったのが現代の特色と認識されることになった。この三つが会計検査院に要請される三大行動規範と言うことになる。政治の自己評価という視点から ,政府は国民の合意によって形成されたものと見る国民の立場から言えば,第三が政府が国民からその存在と信認をうる基本条件だということにもなる。会計検査院は,国の監査機関としてこの位置にある責任機関である。

 政府の行動の予定である政策計画はその財政計画によって示される。逆に言えば予算は政策の具体的表現である。企業と異なり,国の財政計画を監査する会計検査院にとって重要なことは,「通貨の価値は購買力」という定義に対して「予算の価値は行政力」ということである。だから物的支出,購買は購入品の生産力への行政力の転嫁であって,ものの生産力以上の本当の行政の可能性は働かない。行政権の放棄の過程だといわれても仕方がないことになる。施設は公共投資で経営は民間ででは本末転倒,行政が経営基盤としての制度組織を創り,民間の経営を促進,経営に必要な施設や道具は民間経営の中で造る。これが行政の基本である。「公共経営の企業者たる政府の企業家精神は,民間の企業者精神を振興することにあり,民間経営の企業者に取って代わることではない。」この公私の別をたてるところに行政の自己評価の第一がある。公を捨てて民を代行するだけで政府の存在意義があるかといいたい。PPBSやモデルシミュレーション,ゲーミングやシナリオシミュレーションも進んだが,かえって既存データに基づく前例踏襲主義を拡大し,新しい事態に対処できない体質を助長してきた。前提となる基本の姿勢がプロトタイプで,組織と技術にかたより思想と哲学を見失っているからである。誰にやらしてもよいハコものの落慶式で完了なら,行政不在である。開発あれどもテイクオフ発展なし。用兵理念なき軍備拡大に等しい。学の学あれども活学なし,学界の自己反省も同様である。この反省の上に自己評価の諸段階を検証しよう。

 第一の評価段階は時間・空間過程の中での評価である。国家も行政も生きている「生命体」と見ることを否定する人はないであろう。時間・空間の中で永続性を求められる。従ってその行動の具体的表現である財政もまた生きとして生きる永続性を求められる。行政課題は時間空間的に範囲と規模を持って生起する。財政もまたこの時間空間的範囲と規模の中で展開する。収支の確保という経済的自立は,短期均衡・長期均衡いかなる場合にあっても,経済的主体性としての自立条件の中での財政計画にもとずいて確保しなくてはならない。会計検査院が公正取引委員会のように事後監察業務だけではどうにもならない。単年度スポット検査といえどもこの「潜在する」財政計画の永続性経営の中でその役割を持つのである。検察に先を越される会計検査も残念だが,事後にかかわる短期の自己評価(行政の評価)から,未然や未来に関わる頭出し予算からの長期の自己評価(計画行政の評価)に至る時間・空間的評価視点とその手法の研究をおろそかにはできないのである。アドミニストレーションの学問も経常行政の「行政学会」と計画行政の「計画行政学会」がともに成立して久しいのである。会計技術だけの問題ではない。(注)

 第二の自己評価の段階は,財政目的体系からする反省的自己評価の研究である。予算は政策目的あってのものである。行政課題が時間空間的に規模と範囲を持って生起し,これに対応して政策の具体的表現としての予算目的の体系が決まっていると言うことは,予算目的自体が課題の変化とともに時間空間的に変化していく歴史事象だということである。この研究なしに法の存在だけを理由に前例踏襲主義で評価することは行政の自己反省とはならない。農業用水が工業用水・都市用水になったのに食糧増産基準の評価だったり,水位上昇で水没予想地域に埋め立て造成予算を附けたり,財政のデザインたる松竹梅を塩梅していくどころか,政策目的が消滅しても予算執行停止一つできない体質に,事前評価体系の導入は焦眉の急である。事前に察知して勧告するのは現行支出内容の実質変化を把握している出納官の責任ではないのか。権限外でできないと言う前に研究して新しいシステムの提案をする業務体系の研究もいることになる。事後に言う前に未然に防ぐシステムのビルトインを研究せよである。政策目的体系の時間空間的配置の変動を,意志決定ラグがあって時間のかかる法改正等の以前に,財政行為に反映させる,検査院の予定された指標にもとずく自由裁量性は,環境基本法や日銀法改正などの趨勢から見て,十分研究に値する。今日の地方自治の振興の中で,同一財政行為の効果の地域差が増大する中では極めて重要である。なにが国民の信を問う道かを判断基準に体系の整備を求めたい。

 第三の自己評価の段階は,地球システムの経営,人類社会の永続性への貢献といった世界規模の信認を得るための反省である。日本経済への信頼の低下が,不当なジャパンプレミアムのもとであり,財政運営の失敗が多大の国富の損失を招いていることは隠れもない事実である。昔,陸軍,いま,大蔵省といわれる怨嗟の的の中にあって,会計検査院は,なにをしたか,なにをすべきであったか,なにができなかったか。国民に信を問うことは,現代ではそのまま世界に信を問うことである。日本財政のアカウンタビリティーの責任機関として自負するからには,国際情勢や世界の趨勢に対して無知であることは犯罪的ですらある。限りなく増大する海外向け支出に対して,監査能力の整わないままにこの垂れ流しを,国際協力のためだ,外交費用だと言って是認するにはその額も巨大。加えて日本国民の活動は既にあまりにも世界に展開しており,その情報量も政府の認識や理解を遥かにしのいでいる。かえって内外に信を失うもとである。特殊と見られている芸能界の倫理と同じように,国民は永田町論理や東京論壇の偏りを世界の中で相対化し独自の行動を選ぶ情報量をもっている。またそれと同時に,外国にあるものは皆ほしいという愚かさが,「しらしむべからずよらしむべし」 という伝統の無責任体制の中で,政府やってくれ, 国連やってくれ,とセルフアドミニストレーションや自主経営責任,自主生活責任の民主主義のルールを忘却無視している例は至る所で見られる。政府は,シンガポールのような毅然たる判断を求められる。その昔から五公五民を越えたら逃散がはじまるといわれてきたが,現実はすでに税金貧乏,空洞化,経済亡命,資産流出,頭脳流出と続くのである。財政の海外流出に対して,民間企業では,需要援助で,成功報酬で,と援助も海外事業も成果主義への切り替えが進んでいるが,政府支出は依然として政治外交的流出である。新しい監査システムの提案と同時に出納官や検査官の訓練,検査院の国際監査能力の向上のための施策が急務であることは言うまでもないであろう。対外関係を含む分野で検査院がその責任を果たすには,国内課題以上に,世界の監査機関におくれをとらないそれなりの基礎研究と,国民の賛成を得るだけの準備をするシステムの,事前のビルトインをしておかなくてはならない。

4.国民資産創造への貢献度(新評価基準)

—指標モニタリングシステムの敷設と中立的公共的格付機関:会計検査院—

 さて次に,会計検査といえども常に悉皆検査ではない。何処で,何を押さえるか,公正で,効率的検査のためには,検査戦略とその適切な改革運用のシステムを必要としていることは言うまでもない。これまで述べてきたような新しい視野と時代の課題の中での検査戦略の指標としていかなる体系を確立するか。財政指数など財政当局の歳入歳出計画の諸指標の運用に対しても改善を勧告できる評価規範として,何を用意するか。もう一度本源的課題に立ち返って研究しておく必要がある。

 経済主体性あるところに財政ありというだけなら,すべての主体性において財政ありだから,家計にも企業にも財政とその監査ありと言うことになる。無数の政府ありとすれば,そこには無数の公共財政とその監査ありである。会計という意味における公正を言うなら,これらのすべての財政に求められることである。会計検査院としてもすべての財政と同じく第一義的に求められるのはこの公正であることに変わりない。加えて,第二義的に求められるのは主体性の存立のアイデンティティに対して求められる公正である。家計目的,企業目的に対する公正である。中でも,政府公共財政と言うとき,公共とはその経済社会のすべての構成員に対する公共目的に対する公正であることは言うまでもない。だがここまでの議論にはすべての経済社会構成員が互いに独立であるという第一の前提が含まれている。現代社会を構成するすべての構成員は固有のアイデンティティを持った独立の主体であるという前提の次にくるものは,それらは互いに無関係ではないという第二前提である。完全競争を前提として恬淡たる経済学や,規制と排除しか知らない法律学に行政はわからない。誰一人排除しない温かい健全な社会経営の中でなくてはならない。角を矯めて牛を殺すような議論では困るのである。経済社会を構成するすべての主体は,独立のアイデンティティであると同時に,空間的に,社会的にそれらは互いに関係を持って運行している。近代は個の自覚から始まったとされるが,社会科学本質論から言えば,個の独立からコミュニケーションの一般理論となり,関係の自覚が始まったとき,その部分理論としての市場の理論の位置もきまり,その中ですべての主観価値を社会価値に止揚して経営する人間社会経営論となる。この公経営の学問が本来の経済学である。関係の総体としての公経営の中で,すべての主体は私益性に加えて社会性,公共性を持つと理解されることになった。このすべての主体の公共性を経営する主体として形成されたのが政府のアイデンティティである。関係する社会性を代表するものとして今日では様々なNPOも組織されている。それらの上に政府の公共活動は成立する 。一つの経済社会にとって公共財政とはすべての主体の社会性公共性の活動の財政である。政府財政はその一部である。全部を求めると大きい政府となるだけでなく,政府が独立の生活主体として成立するための非公共的財政も巨大となる。したがって,公正に公共性を果たすためには,政府は社会性公共性活動のすべてを民間の計画経営にゆだねて,その調整の政策経営活動たる政府の計画経営,計画行政のみに特化するのが理想である。ニュージーランドなどが指向する小さい政府がこれである。これで政府財政と公共財政の区別は明瞭であろう。またすべての計画経営の公共財政の調整をするのが政府の計画行政であり,その手段としての政府財政であるというのもこの意味である。

 ついでこの公共財政の経営を,極小に限定した政府財政でいかに進めるか。行政がはじめて問われることになる。学会が問う政府の計画行政の舞台である。またこの故に産・官・学の三位一体的計画行政学会が成立したのである。

 さて社会経営としての公経営には,運行の条件の確保すなわち経済循環の秩序としてのフローのマクロ経済経営と,その秩序の基盤としての場を創造確保するストックの資産経営があってはじめて,健全な人類社会経営となるとされてきた。だが今日では地球環境問題に見るようにこの場の経営は人類社会の存在条件に関わる環境資産経営にまでその範囲を拡大した。すべてを含めてかけがえのない地球システム経営が課題となる時代である。

 一般に資本は生産力であるから非負の値の存在である。だが資産はゼロまたは負の値をとりうる概念である。資源エネルギーも資本か資産かの別がある。場に関わる資本を社会資本と定義するがそれは間接生産性を見るからである。生産資本の社会資本装備率が資本生産性を高める政策指標となるのはこのためである。だが固定された生産資本以上に場の資本である社会資本はロケーションが重要となる。空間要素の重要性である。この地域特性との関係で生産性が決まると言うことは,空間デザインとしての環境特性を総合評価しての環境資産価値の間接生産力を問うことになる。つまり,社会資本の環境資本装備率が社会資本の立地生産性を決める政策指標となる。ゼロまたは負の資産(償却済み資産を含む)の生産力化と同じようにゼロまたは負の環境資産の生産力化を言うとき,これを環境資本形成,その過程を環境資産創造という。正の価値の環境資産(資本)の減価を防ぐのが環境の保護保全とすれば,いままでは保全と創造両者の均衡を条件としていたということである。水と安全はただだというように環境創造と言う視点が排除されていたことから正の価値領域のみで議論が終わっていたのである。資本生産力と言うときも資本とは消費生産力生産性あるいは管理力生産性といったことも含む普遍概念であることが忘れられていたために,企業だけに目がいって社会生活の生産性や社会環境としての環境資産の潜在生産性が忘れられていた。つまり生産環境・生活環境をふくむ福祉の環境とは無関係と見られていたといえるであろう。ディストリビュウション,アローケーション,ロケーションと,所得成長から社会資本形成,環境資本形成となるに従って,地方分権,地方自治,地域特性に応じた評価基準がますます重要になる。現場が品質をもっともよく知っているということを基礎にした日本的TQCのように,環境の質的水準は地域地域のコミュニティーがもっともよく知っているとしたら,各地の環境資産をアッセンブルして国民の環境資産,人類の環境資産としていく行政もまた,いかに地域地域の多元的価値基準による総合資産評価を高めたかを財政活動の評価指標としなくてはならないことになる。ここを押さえれば社会資本や環境資産を含む経済・社会活動の長期的合目的的方向性と相対評価も可能となる。様々な水準の地方自治や諸行政活動の格付けのための最も重要基礎的な戦略指標ではないか。地域・地域の自治能力の成果のデフュージョン・インデックスとしてこれを示すことも,一つの工夫である。

 このように財政活動の総合効果を長期指標として環境資産価値の向上に求めるとしたら ,会計検査院も,全国各地にあるいは海外拠点にも,気象観測や地震観測のように,観測点を多数配置して,限界効果の方向や強弱を指標化して,財政あるいは予算執行の成果評価の一般的相対評価を格付けして随時公表していったらどうだろう。間接的ではあっても,予算化の事前に,立法の客観的総体的評価指標の存在は公平性確保の収斂度を高めることになるだろう。地域地域の環境資産価値変化はいわば価値の気候予想である。常に価値の上昇気流を求めて動く経済活動にあって,この公明な指標の存在は常にそこへの収斂を助長するものである。具体的にはさらに研究,相談に乗るとして,ここでの提案は会計検査院の立場からする地域の自然環境・社会環境・自治能力をふくめた総合資産たる国民資産価値としての「環境資産評価のモニタリングシステムの敷設」ということである。これにもとづく中立的公共的格付機関として機能する会計検査院の存在は,国内的にも分権地方自治の流れの中で,世界的にも国境を越えて相対化する政府諸機関の活動の中で,諸政府の自治能力の大競争時代にあって,地方自治体政府といわず,日本政府の内外への信頼性と国際的パートナーシップの能力を保証することにもなる。新時代への研究対応はまずここからである。

5.勧告権と自由裁量権

——ドクターストップは可能か——

 さてこの小論を終わるに当たり,内外の論議を結集して会計検査院に是非とも確立してもらいたい緊急の制度的提案がある。

 一方で,国民資産の形成という長期・積極的会計検査戦略を導入,計画行政的財政計画に備えるとしたら,他方では創造的破壊,連続的再開発の時代にふさわしい軽快なあるいは機敏な転換・脱皮の能力を財政計画に持たせることが重要となる。

 ところが,計画行政に関わる財政活動でもっとも寒心に堪えないことに,長期にわたる計画行政活動において,一度頭出しをした計画予算は,時代の要請からする政策需要や,状況の変化,いわゆる「政策環境」や「計画環境」が変化し,多くの専門家が「計画の変更」「次の,あるいは別の計画へのスウィッチング」をどのように提案しても,停止や変更が困難という事実にどう対抗するかと言うことがある。これをどうするかである。大きな組織の方向転換や,巨大な集団の知識や意識の変化に時間がかかるのは,認めないわけではない。だが一度決定したら,どのように不当,不必要と判定しても,法改正が進むまで強行するドライブがかかるとか,単に決定を先送りするだけでなく,時限立法であっても,審議未了で暫定・暫定・暫定と先送りする。緊急の金融政策のための日銀の自由裁量制さへ制限しようという大蔵省の姿勢も困ったものだが,日銀のようなマクロ経済経営の緊急変動対応と言うだけでなく,逆の超長期対応についても,公共計画の支出行為は10年20年と長期に及び,局地的立地である場合には,法改正への関心は盛り上がらず,転換どころか,ストップのかけようがない。民活利用の第三セクターなどでも,民間が手を引きたくても政府部門だけ止めどもなく税金の投入を続けていく。限界市場価格をあるいはスポット価格を,全資産の価格上昇期待と牽強付会して担保価格をつり上げ,不良債権を累積させては公費負担に持ち込む。枚挙にいとまのないこれらの不良行為に,単年度監査で切り込めないとしたら,会計検査院は国民の期待に応えようがない。短期緊急対応のための日銀の自由裁量制がないのと同じく,長期の支出に歯止めがないことも多大の危険を内包していると言わなくてはならない。どのように情報公開しても,大きな集団の認識を変えて,具体的行動や立法化に持ち込むには,意志決定のラグといってはすまない対応遅れの損失を生む。収支のハサミ状の拡大が止めどもないとわかっていても放置する無責任に歯止めをかけるには,信頼できる賢者に自由裁量制を与えるのは国民の英知でなくてはならない。国会に責任をもつ会計検査院の存在意義がここにある。

 そこで提案は次の二つである。

 第一は,あらかじめ承認を求めておいたしかるべき指標を用意して,それに基づいて立法府に,法改正の提案を勧告する。国鉄や林野庁に対してもこれはできたのではないかということである。

 第二は,ついで一定の限界を超えたら,行政機関の破産宣告をして,人事院や,行政管理機関に処理を移管。財政支出の停止を宣言する。検察出動前に会計検査院の存在を示さなくてはならないであろう。お家断絶,あるいはドクターストップである。

 弾劾裁判所のように門前雀羅となることを期待するとしても,この決断をした会計検査院院長には,職責倫理の褒賞のみならず格別の終身年金を附けてもこの権限を付与すべきではないか。

 これらによって緊急の立法を求めるだけでなく,このためにもまた,一方では検査院の研究努力と能力の充実を待つところというほかはない。そして他方では財政出納システムの改革や出納官の教育訓練,人事の透明性など,会計検査院がこの勧告権,執行停止権を発動するまでの事態を未然に防ぐ制度体制の行政機構へのビルトインを研究する。会計検査院改革強化は行政改革の盲点にあったと言うことである。この提言を廣く江湖の討議にゆだねたいが,そのためには先ず会計検査院関係者の自己評価と改革の研究を期待するところである。

 行政の自己評価能力を高め,内外に信を問うことのできる日本政府の自己評価能力を宣明するために,行政のアカウンタビリティを代表する機関としての自負に基づく会計検査院として,まずみずからの自己評価とそのシステムを研究することからはじめて,長期の政策計画を実行することのできる行政自己評価体系を確立。日本政府といわず,日本国の,日本国民の,世界における信頼性を高めることに貢献してもらいたいものである。このことは長期にわたる政策計画と,それに基づく日本国の社会経営の研究を志す同僚としての学会あげての希望であるといってもよい。学会も研究するが,検査院の各位の奮発もお願いして擱筆する。

一九九八年一月一六日

注 会計検査院の責任は,時間空間的に展開する財政の信認とその永続性に対するものである。この主張は,計画行政学会の創立功労者の一人であり学会名誉会員でもある多年の畏友,故 辻 敬一 会計検査院院長その人の持論であった。その意味でこの提言論文は,学会長として,同氏を記念し,同氏への献辞とともに提出する。

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