第16号

政府債務の情報公開と会計検査
吉田浩

吉田 浩
(東北大学経済学部助教授)(会計検査院特別研究官)

 1964年生まれ。95年一橋大学大学院経済学研究科博士課程単位取得。95年より明海大学経済学部講師。97年より現職。第9代本院特別研究官。日本財政学会、計画行政学会に所属。

主な論文は、「世代会計による戦後世代別純負担額の計測」「経済分野からみた長寿・高齢社会の進行の問題点」

  1.はじめに

 現在わが国では,累積した政府債務を解消するために,財政構造改革をはじめとしたさまざまな施策が議論されている。このことは,わが国の政府部門の財政状態について,財政当局もしくは国民が,現在利用可能な何らかの指標をもとに,それが「重大な局面に達している」という認識を持っており,その上で何らかの方法によって,その指標を「ある水準まで改善したい」と考えているということを意味する。

 そこで本稿では,国民が国の財政状況を判断し,それが対処を要する状況であるか否かを判断するため,いかなる情報が必要であるのか,そのうえで現在公開されている情報はどこが問題であるのか,そして,会計検査院として国の財政状況を把握するためにどのような活動が求められるかについて検討を行いたい。

  2.政府の財政状態の把握

2−1.政府のパフォーマンスの計測

 我々は通常の場合,ある組織の財政状況をどのような観点から分析するであろうか。この場合,投資家が資本市場において複数の株式会社間の財政状況を比較するケースを考えにとってみるとわかりやすいだろう。我々が投資対象とする企業を判断する場合,最も関心を払う要素の1つに,その企業が「どのくらいの収益をあげているか」ということが挙げられる。もちろん,収益が大きければそれに越したことはないのであるが,投資家は単純に収益総額の大小だけに関心を払っているわけではない。投資家は資本を提供することによって経営に参加するわけであるが,その最終的目的は配当等を通して,企業活動の果実の分配を受けることになる。従って,資本の額に対してどれほどの収益をあげているかという,対資本収益率がより重要な要素となる。あるいはさらに直接的には,一株あたりどれだけの収益をあげているかという指標が重要になる。一株あたりの収益が高いということは,それだけ高い配当を実現できるということにつながるため,当然株価は上昇する。

 この観点から,投資家は,投下された資本に対するパフォーマンスの大小に関心があるということになる。

 同様の議論から,政府の政策のパフォーマンスを測定しようという研究も進められている。しかし,政府活動のパフォーマンスを一般企業のケースに完全になぞらえて計測することには限界がある。なぜならば,政府活動の中には市場では自発的には供給されない純粋公共財の供給や,市場の外部で経済的影響の及ぶ外部経済・不経済の作用する財・サービスの供給も含まれるからである。また,政府の役割の中には,市場の均衡の結果としていったん決まった所得の配分に逆らって行われる,所得再配分の機能などがある。政府の活動は,むしろこれらの「非市場的」な経済活動が中心であるといってもよい。

2−2.支払い能力の測定

 投資家が企業を判断する場合に,関心を払うもう一つの指標は,支払い能力である。支払い能力は資金が継続的に調達できるかという問題である。しかも,支払い能力は上であげた企業の収益力(パフォーマンス)に優先する問題である。なぜならば,企業がどれだけ成長的であり,将来大きなパフォーマンスをあげる潜在的可能性を秘めていたとしても,支払い能力に支障をきたした時点で,その企業は存続できなくなり,経済活動の場から排除されてしまうからである。従って,パフォーマンスの問題は支払い能力が確保された上での問題である。

 年々のパフォーマンスがフロー的なインデックスであれば,支払い能力はストック的な指標である。投資家にとって,一株あたりでより大きな資産を保有している企業は魅力的である。俗に株式会社の解散価値と呼ばれるものである。

 ところで,支払い能力は,支払い義務と表裏一体の関係にある。支払い義務,すなわち対外的な負債が大きいほど,より大きな支払い能力が求められるからである。純支払い能力はグロスの資産から負債を差し引くことによって定義されるが,そのためにはまず,資産額がいくらか,負債額がいくらかを確定しなければならない。

  3.現在発表されている政府債務

 ここまでで,政府の財政状況・支払い能力を見るためには,政府の資産,負債額が明らかとなっていなければならないと述べたが,以下ではその実際についてより詳細に検討してみたい。

 『平成7年度決算検査報告』によれば,平成7年度末の一般会計および特別会計における債務の現在額は386兆2,806億円であるとされている。しかし,上にあげた純支払い能力の指標としては,この数字をそのまま流用することはふさわしくないことはもちろんである。確かに,組織にとって負債が大きいことは懸念材料であるが,その実質を議論するのであれば,純資産あるいは純負債を議論しなければならない。

 表1を見ると,日本の政府部門全体の債務は,1995年末現在で435兆円あまりとなっていることがわかる。このことが国民一人あたりいくらの借金を負っている,あるいは将来世代への多大な負担である等の議論を呼んでいる。しかし,同時に表1を見てわかることは,政府はこのような負債とともに資産も保有しているということである。例えば,金融資産だけをとってみても378兆円あまりを保有しており,この金融資産378兆円を金融負債435兆円から控除したネットの政府の金融負債は57兆円あまりである。従って,政府の負債は資産の存在を考慮に入れるだけでも,現在いわれている水準の7分の1以下になることになる。

表1 一般政府の部門別資産・負債残高

 これに加えて政府は有形資産も保有しており,これを加味すれば政府の財政状況は421兆円あまりの資産超過である。

 しかし,現在国民に広くアピールされている政府の負債は,グロスの負債が中心であり,財政構造改革会議のターゲットもこのグロスの負債を前提として,さらに狭いターゲット,単年の財政赤字をGNPの3%以内にするというものである。

  4.アカウンタビリティーからのストック会計の必要性

 政府活動を民間の企業活動と比較するとその特徴として明らかになることは,民間の企業活動はその経営に参加することも,その生産物を購入することも自由意思であるが,政府活動には強制性を持っているということである。

 政府の活動の収入面の中心をなす租税や支出を伴う執行面でも,強制性を持っている。もちろん,租税は租税法律主義によって国会の議決を経ており,予算も国会の審議を経ているが,いったん決定された政策は強制性を持っているので,その活動結果に対しては,民間企業以上により強い説明性を求められることになる。特に,政府債務については,将来の世代が支払いを拒絶することはできない性格を持っているので,より厳密な情報公開が求められる。

 情報の公開に関しては,量的充実と質的充実があげられる。量的な充実は,政府の財政状況について,ある側面だけを公開するのではなく,多面的なデータを公開することが求められる。グロスの政府債務をネットベースで公開することから始まって,政府資産の内容についてもより詳しく公開することが求められる。とくに特殊法人等に対する出資,貸付,債権は,政府から見た場合資産であるが,これらの特殊法人が債務超過に陥っていた場合,政府資産の額は実質的に減じて考慮しなければならないからである。このうち,財政的にも権限的にも,中央政府のかなり強いコントロールのもとにある公団等は,会計検査の対象となっているが,第3セクターや純粋に株式会社等の団体に関しては,その財政内容を検査することに一定の限度があることは否めない。しかし,たとえば支払保証,信用取引等を通じて,当該機関の経営が破綻した場合,間接的に政府資産の価値に重要な影響を及ぼすケースが見込まれる場合には,政府債務の厳密な測定に可能な限り反映させて行くことが必要であろう。今後は,会計検査の対象について,出資比率等の形式面に準拠しながらも,当該機関の財務状況が政府資産にどれほどの影響を及ぼすかという実質面にも留意をして行く必要もあろう。

 ここで述べた量的充実について考える場合,主に現在得られている数値的データを中心に情報公開の充実を図って行くことになろう。一方,政府債務について質的に情報公開を充実させる場合,得られたデータから若干の推計作業が必要となる。というのは,先も述べたとおり,政府債務は将来の世代にも影響を及ぼす可能性を持っているので,その視点も将来まで含んだものになる必要があるからである。従って,現在時点での純債務の確定をするだけでなく,今後の財政収支まで視野に入れた政府債務の測定が求められる。特に,日本の財政収支に焦点を絞った場合,今後の人口構造の高齢化は見逃せないファクターである。人口構造の高齢化は,若年勤労世代の減少とともに,租税収入等に制約を与えると考えられ,一方高齢退職世代の増加は,社会保障支出を増加させると見込まれるからである。従って,ある時点での税制改革,社会保障改革はその時点での財政収支だけでなく,将来時点の財政収支まで影響を及ぼすということになる。その結果,一時的には単年度の財政収支が「改善」したかに見えても,将来的にはより大きな債務を生み出す可能性を持つ政策に対し,より長期な視点からチェックを行い,情報を公開して行く必要がある。このためには,会計検査院にも事後的な決算だけでなく,将来予測を行うことのできるようなノウハウの蓄積等,研究的な側面での機能の充実も求められてこよう。

 このほか,政府債務を質的に多面的にとらえる議論としては,アメリカにおける財政赤字の測定方法があげられる。アメリカでは,毎年の予算に基づくオン・バジェット赤字の他,社会保障,郵便業務まで考慮した,総合赤字,また政府債務の当年度分の増額だけを取り出した基礎的赤字などが作成されている。また,財政赤字のうち一時的な景気循環の影響によるものを除去した,構造赤字,景気循環調整済み赤字といったインデックスも作成されている。

 なお,これらの様々な指標は政府債務・財政赤字について,より多くの情報を我々に与えてくれることにはなるが,統計を利用する者によって,恣意的にこれらインデックスのうち都合のよいものがチョイスされる危険があることも承知しなければならない。

  5.価値観多様化時代に会計検査に求められる機能

 検査の機能を狭くとらえるならば,批判的機能と指導的機能を中心にあげることができる。これは,検査を受ける側および検査を行う側からして本源的かつ基本的な観点からである。しかし,批判および指導を行う場合,事前的に政策としてどのような状況が望ましいかという,一定のスタンスなり判断基準が必要になる。合規性等の狭いルールに基づく場合,この判断基準は比較的クリアーである。しかし,ある政策が実行されることで,政府の財政に及ぼす影響を判断する場合,その基準としてなにをよりどころとするかは難しい。特に,近年,多様な価値観をもって政府に対する期待が高まっている。たとえば,福祉国家的な期待が高まるに従って,所得再分配の機能が高まってきた。また,環境権,国際貢献等のこれまでより広い概念での政府の役割を追求する価値観も広がっている。現在の社会が,多元的な目標を持ったグループによって構成されているという性質が強くなればなるほど,政府に期待する内容も異なり,場合によって相反するケースも出てこよう。このような場合,事前的に一定の価値観(たとえば,日本全体として経済成長が達成されたかや特定地域の生産性の改善等に寄与したかという基準)だけで,政策のパフォーマンスや財政に及ぼす影響の優劣を判断することは困難である。

 このような場合,その政策を今後も支持するか否かは,最終的には国民の自立的な判断によらなければならないであろう。一時的にはパフォーマンスが悪いと思われるような政策,その効果が経済的観点からだけでは計測できないような政策であっても,多様な価値観の中では,国民の合意が形成できることが重要な判断基準となるからである。そのためには,たとえばある所得移転的な政策の実行によって,異なるグループの間にどのような結果がもたらされるのか,あるいは現在行われている政策によって,どのような再配分状況となっているかという客観的なデータを提供することも期待されると考えられる。

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