第16号 巻頭言

アドミニストレーション学の確立へ−行政学と経営学の統合−
手島孝

手島孝
(熊本県立大学学長)

 1933年生まれ。53年九州大学法学部卒業。55〜56年フルブライト留学生,61〜63年フンボルト財団給費研究員。九州大学法学部教授(67年以降。専攻は憲法・行政法・行政学。88〜90年法学部長)を経て,94年熊本県立大学総合管理学部長から同大学学長。法学博士。宗教法人審議会委員など受嘱。主著『憲法解釈二十講』『憲法学の開拓線』『計画担保責任論』『行政概念の省察』『アメリカ行政学』『現代行政国家論』『ネオ行政国家論』その他。

 「アドミニストレーション」。

 この欧米語(の片カナ化)を目にし,または耳にして,何を思い浮かべるだろうか。

 その含意を学問的に究明しようとしたイギリスのアンドルー・ダンサイアは,当の著書(『アドミニストレーション:その語と学』1973年)の序文で,この言葉の多義性を示す一例として「メソッド・オブ・ア、ド、ミ、ニ、ス、ト、レ、ー、シ、ョ、ン、」なる用法を冒頭に挙げている。すなわち,何と「投、薬、法」!

 一般の日本人には,幸か不幸か,そこまでの外国語知識はない。せいぜい,大学受験当時の豆単あたりで覚えたのを忘れずにいたらの話しだが,「行政」じゃないの,というのが,まずは普通の答えだろう(イニシャルで「〔クリントン〕ア、ドミニストレーション」と書けば「〔クリントン〕政、権、」のこと,とまで知っていれば,勉強家の部類に入る)。

 しかし,待て暫し。「行政」だったら,正確には「パ、ブ、リ、ッ、ク、・アドミニストレーション」だ。対置されるのが「ビ、ジ、ネ、ス、・アドミニストレーション」。こちらは,「公、共、行政」ならぬ「企、業、経営」である。

 アドミニストレーションとは,これら両者をひっくるめた上位概念にほかならない。両者といったが,これも正確を期するなら,「パブリック」と「プライベート」(「ビジネス」を含む)だ。すなわち,アドミニストレーションは,パ、ブ、リ、ッ、ク、・アドミニストレーションとプ、ラ、イ、ベ、ー、ト、・アドミニストレーションとに分かれ,後者がさらにビ、ジ、ネ、ス、(営利事業)アドミニストレーションとノ、ン、・、ビ、ジ、ネ、ス、(非営利事業)アドミニストレーションとに分かれるというわけ。最後のものは,昨今では,ノン・ビジネスというより,むしろNPO(ノン・プロフィット・オーガニゼーション)といった方が通りがいいかも知れないが。

 ここで面白いことに気づく。日本語では,はじめに「行政(または公行政)」と「経営(または私経営)」,それぞれ別々の言葉ありきで,両者を包括する名詞がない。単語がないなら複合語は,ということになるが,これがまた,さっぱりうまくいかない。わが熊本県立大学が,1994年4月,目下のところ日本最初で唯一の「ファカルティー・オブ・アドミニストレーション」(はじめに英語名ありき!)を創設したとき,バタくさい片カナの,しかも長ったらしくて余り美的とも思われない(と当時は目された)名称を避けようと,邦訳をひねり出すべく苦心惨憺したが,いい知恵はいっかな浮かばず,とどのつまり,「総、合、管、理、学部」なる−当たらずとも遠からずとはいささか自負するものの−消化不良で隔靴掻痒の憾みは免れない不本意の命名に落ち着かざるをえなかったことだけでも,思い半ばに過ぎるというものだろう(もっとも,そうこうするうち,ここ両三年で日本の関係学界におけるアドミニストレーションなる片カナ語−および,当然のことながら,その表示する概念−の認知が意外に急速に進み,これをそのまま新設学科名に用いようとする在京の有力私立大学も出てきたし,わが大学も,来春に開設を予定して現在申請中の当該大学院研究科名には,原語(?!)をあえて採用することにしているが)。

 事情は,ちょうど,欧米では初めにブラザーないしシスターなる言葉ありき(次いで,特殊化的に,合成語として,エルダー・ブラザー〔ないしシスター〕,ヤンガー・ブラザー〔ないしシスター〕ということになるが,これらの合成語にしても日常あまり使われないこと,ご承知のとおり)だが,日本では逆に初めに兄,弟,ないし姉,妹なる言葉ありきで,次いで一般化的に,兄弟ないし姉妹という語が合成されるのと,似通っていないでもないか。

 言葉(論理学的に正確には"名辞"というべきだろうが)と概念は対応するから,わが国にアドミニストレーションに該る土着の言葉(名辞)がない,あるいはなかったことは,当の概念が存在しない,あるいは存在しなかったことを意味するにほかなるまい。上に触れたように部分的ながらカバーする「行政」ないし「経営」にしても,これらもそもそも外来語−漢語−であり,しかもそれらの出典にさかのぼれば,それぞれ「政治を行う」(史記)ないし「おさめ,いとなむ」(詩経)と,きわめて単純な意味合いに過ぎず,今われわれが使っているような含意は,ようやく明治以降,パブリック・アドミニストレーションないしビジネス・アドミニストレーションの各訳語として意識的に採用されてからに始まると見るべきだろう(ちなみに,マネジメントの訳語とされ,そして往々−適切を欠くまま−アドミニストレーションの訳語としてまで用いられないでもない「管理」についても同じことがいえるが,この方は漢語としても出典はごく新しく,17〜19世紀清朝の"会典則例"に−これまた単純に−「取り締まる」「つかさどり,おさめる」の意で現われるのが最初という)。

 では,欧米では,早くから独立の単語が当てがわれているアドミニストレーションは,古来一貫して,公行政と私経営に論理的に先行する上位概念としてはっきり認識されてきたのかというと,これが必ずしもそうではないようだ。

 曲りなりにもアドミニストレーションが人びとの学、問、的、意識に上るようになったのは,近世ヨーロッパにおいてである。17〜18世紀のドイツ諸領邦を中心に官房学と呼ばれたのがそれだが,これは,諸領邦の対立抗争の中で,国力そのものと同視された絶対君主の財力を豊かにするという当時最高の共通善のため君主幕僚(官房(カメラ))が会得すべきと考えられた種々雑多の実践的な領邦経営知識の集合体,とでもとらえればよかろう。すなわち,公私(領邦の公と君主の私)の別が未だなお必ずしも判然としないところも多々あるが,焦点がパ、ブ、リ、ッ、ク、・アドミニストレーションに合わされていたことは争えない。官房学が,今日,行政学の祖とされるゆえんであり,また,この大幹から,その後,財政学,(国民)経済学,国家学,憲法学,行政法学等々が枝分かれし専門分化していったことも,なるほどとうなづける。そして,アドミニストレーションの語が「フェァワルトゥンク」とドイツ語化されて使われるようになったそのドイツで,フェァワルトゥンクが−あえてパブリック(ドイツ語でエッフェントリッヒ)という形容詞を冠せずとも−もっぱら「行政」を指すと了解されることになったのも,そこに由来するのだろう。

 このように,ヨーロッパでアドミニストレーションが学問的対象になるまでに社会的関心を惹くに至ったのは,実は,まずパブリックの局面においてだったのである。

 アメリカもこれを引き継いだ。すなわち,新大陸特有のプラグマティズムが支配するこの新興国で,アドミニストレーションが人びとの意識の知的レベルに浮上してきたのは,ようやく−経済社会の急成長が生み出す大量・新種の行政需要への的確な対応が喫緊の要務として社会的に自覚され始めた−19世紀も末になってのことなのだが,そこでのターゲットがパ、ブ、リ、ッ、ク、・アドミニストレーションにしぼられたのは当然のことだった。皮切りは,後の第28代大統領,当時少壮の政治学者ウッドロー・ウィルソンによる1887年の「ザ・スタディ・オブ・アドミニストレーション」とされるが,この論文,タイトルにかかわらず,中身は全く(アメリカにおける)「行政学」の提唱であり,学ぶべき先蹤として挙げられているのはヨーロッパの行政学なのである。以後,アメリカが世界の行政学界をリードする。

 行政学が大西洋の彼方で新生したのと奇しくもほとんど相前後して,しかし,それとは別の経緯で,同じアメリカの地に「経営学」が呱々の声をあげた(ヘンリー・タウン「エコノミストとしてのエンジニア」1886年)。公的次元には上述のように行政学の成立を促したまさにその資本主義発展の世界史的新段階が,民間には,大規模化する工場生産過程の合理化を迫ることによって,それまで絶えて顧みられることのなかったビ、ジ、ネ、ス、・アドミニストレーションへの知的着目を動機づけたのである。世紀があらたまりテイラーイズムが出現,アメリカを本場に行政学とは別天地を開拓して,経営学は現代企業社会の寵児として独自の学への道を歩み始める。

 ということは,かつて−学問以前ではあるが−家政も軍政も国政も本質的には同一視された古代ギリシャ時代(このアドミニストレーション観は,ソクラテスのニコマキデスとの対話に端的に表明されているが)はもちろん,下って前述の官房学時代でも,アドミニストレーションはむしろ公私一元的に理解されていたのだったが,近代に入ってからは,その欧米でも行政(学)と経営(学)の二本建てが主流となっているということだ。

 しかし,さすがにそこにはなお,アドミニストレーション一元論の伝統が脈々と底流にあることを忘れてはならない。それが表面に姿を現わした最も代表的な事例を挙げてみても,経営学の方からは,フランスの実業家アンリ・ファヨールによる産業アドミニストラシオンから「一般アドミニストラシオン」へのアプローチ(1917年,1923年)があるし,行政学の側からは,アメリカの−後に経営学に活動の舞台を移しノーベル経済学賞まで受賞してはいるが−ハーバート・サイモンによる社会心理学的なアドミニストレーション一般論の試み(『アドミニストラティヴ・ビヘィヴィァ』1947年)がある。最近でも,いみじくも当の著書の副題にあるとおり「ガバメントとマネジメントの一般理論」を−珍しくも哲学の視角から−めざすクリストファー・マクマホン(アメリカ)の『オーソリティとデモクラシー』(1994年)や,行政を協会・公企業・協同組合・私企業・家計と同列にとらえ,その活動を"類"としてのアドミニストレーションの1"種"と位置づけるヘルベルト・シュトルンツ(ドイツ)の『アドミニストレーション:今日の公私マネジメント』(1995年)など,注目作にこと欠かない。

 わが国がアドミニストレーションの理論的認識に開眼したのは,明治となって,権力的契機の強調を特徴とするドイツ流行政学・行政法学を通してだった。経営学に至っては,それとは全く関係なく,本格的導入はようやく第2次大戦後のことだ(行政学にしても,公共サービス的契機にすぐれるとされるアメリカ流行政学の方がわが国に大きな影響力をもつようになったのは,これまた戦後のことである)。

 アドミニストレーション一元観の素地なしに,行政(学)と経営(学)が−近代欧米からのその時その時のインパクトのまにまに−別々に形作られた。これが,今なお日本がこの文脈で当面している問、題、状況にほかならない。

 両者の隔絶がなぜ問、題、なのか。論より証拠,その結果としてここ数年来とみに顕在化した行政と経営それぞれのひどい頽廃ぶりを見てみるがいい。

 一方で,きびしい民間的経営合理性どこ吹く風("お役所"風!)をきめこんだ行政は,"親方日の丸"体質の遺伝と"パブリック・サ、ー、バ、ン、ト、"意識の欠落に何ら反省の色なく,不経済,非能率,無責任,秘密性,権力性の弊はとどまるところを知らない。

 他方,唄ならぬ公共性を忘れた(というより,はなから念頭にないというべきか?!)カナリヤ然の企業経営は,ひたすら利己的利潤獲得に狂奔するあまり企業の社会的な使命と責任に目もくれぬ視野狭窄に陥って,"公害"を垂れ流し,"私益"を"公益"に優先させて憚らない。

 この惨状の因って来るゆえんは,両分野の不自然な人為的切り離しにあり,さらにさかのぼれば,欧米の近代理性が−したがってそれに追随した日本のそれが−営々と追求しそれなりの成果は収めてきた専、門、化、に、よ、る、知、識、の、高、度、化、にある,と私は診断する。専門化のとめどない進行は,いやでも,知識のますますの細分化と,それら相互の孤立化("たこつぼ"化)を招かずにはいない。知の開発・拡充を分析主義・還元主義に求めた欧米的近代理性の宿命だ。かつて一体を成していた叡智(プルデンチア)は,無数の科学(スキエンチア)に分裂する。

 診断がそうであるなら,処方はおのずから明らかだろう。行政(学)と経営(学),そしてさらに,いま急速に発展途上にあるNPOアドミニストレーション(学)まで包摂して,関係知見の統合こそが急務となる。確立さるべきアドミニストレーション学は,これまでの分析的(科、学的)諸成果をしっかと踏まえた"総合"としての,ア、ド、ミ、ニ、ス、ト、レ、ー、シ、ョ、ン、の、プ、ル、デ、ン、チ、ア、でなければならない。熊本県立大学が総合管理学部および来春開設予定の大学院アドミニストレーション研究科に期するところ,まさにこれなのである。

「行政(学)に経営マインドを,経営(学)には公共マインドを」!

このページトップへ
会計検査院 〒100-8941 東京都千代田区霞が関3-2-2[案内地図]
電話番号(代表)03-3581-3251 法人番号 6000012150001
Copyright©2011 Board of Audit of Japan