第14号 巻頭言

「エージェンシー」考
伊藤大一

伊藤大一
(政策科学教育研究機構(仮称)創設準備室教授)

 1930年生れ。東京大学法学部卒業。同大学助手,北海道大学法学部助教授・教授を経て,1987年より埼玉大学大学院政策科学研究科教授この間,75年から77年,オックスフォード大学客員研究員。96年より,現職。日本行政学会,公益事業学会に所属。主な著書は『現代日本官僚制の分析』(東京大学出版会)『Promotion and Regulation of Industry in Japan』(共著,Macmillan)

 もうだいぶ前の話になるが,恩師辻清明先生から,「おい,君,経営努力によって予算を余らせた場合,次年度に繰越したり,あるいはその一部をご褒美として職員に配分したりするといったことはできんものかね。そういうインセンティブでもつけないかぎり,要らないものを買ってまで年度内に予算を使い切ろうとする今の非効率は改まらんと思うのだが」と言われたことがある。もっとも,これは辻先生に限らず,心ある公務員の多くがひとしく感じ取っていることであろう。だが,ご承知のように,この問題に答えることは容易ではない。私自身折にふれて辻先生の言葉を思い返し,いろいろ考え回らしてみるのだが,妙案を見つけることはできなかった。
 いうまでもなく,この問題は一方で会計年度,とくに単年度の会計システムと関連している。多年度の会計システムが採用されれば,次年度への繰越しも容易に行えるようになり,年度内に使い切るための「無駄な努力」を払う必要もなくなる。サミュエル・ブリタンによると,この単年度のシステムは農業生産のサイクルに合わせたもので,経済が農業中心の時代には合理的であったが,産業化が進んだ今日では時代遅れになっているという。だが,実際には,単年度の枠を外すと予算執行が乱れたり,ルーズになったりする惧れがあるということで,この時代遅れのシステムが居座っており,「無駄な努力」をなくすということもできない仕組になっているのである。
 と同時に,この問題は他方で予算統制と呼ばれるものの本質と分ち難く結びついている。すなわち,予算統制とは政策を具体化するための主要な手段である予算の使途を事前の計画に基づいて特定し,その流用を禁ずることによって,政策目的の実現を担保するとともに,行政資源としての予算そのものを効率的に管理しようとするシステムでもある。このような二重の課題を負わされたシステムがそれなりに効果を発揮してきたことは,今日,多くの国々で予算統制が政府システムの主要部分を構成している事実からもうかがい知ることができよう。
 たしかに,予算統制は,制度本来の趣旨に従って運用されるかぎり,執行の逸脱や怠慢を抑え,政策目的の実現をより確実なものにすると同時に,乱れた,あるいはルーズな予算使用を防ぎ,行政資源の効率的な管理をもたらすものとなろう。だが,現実には,他の多くの制度がそうであるように,この制度もいわゆる「目標の転位」を起こし,流用を避け,特定された使途に従って予算を消化すること自体が目的に転化する。そして,肝心な政策目的の実現や資源管理における効率性の達成は二の次ということになってしまうのである。この傾向はおそらく組織の末端にいくほど著しい。末端の会計職員は,真面目であればあるほどそうなってしまう。こうした「目標の転位」の遍在が「無駄な努力」をなくすことを難しくしているいま一つの −より深刻な− 理由なのである。
 ところで,たまたまある別の関係で,英国議会の決算委員会の議事録を訳出した資料「次のステップ−イニシァティブ」(行政管理研究センター刊)を読んでいたところ,興味ある議論のやりとりが目にとまった。訳が固くていささか読みづらいが,一応そのまま引用すると,それは次のようなものである。

 <マイケル・シャウ委員> [会計検査院長の報告書によると,「大蔵省は,基本的な公共支出統制を維持する必要は認めているが,他方で能率性や有効性によって正当化されるところでは『エージェンシー』により大きな柔軟性を与えることの利点は積極的に考慮している」とあるが,もし「エージェンシー」問題を担当している内閣府の第二事務次官ケンプ氏が認めているように]公務員の4分の3が次の10年間に「エージェンシー」によって占められるだろうということが事実であれば,大蔵省の考えの基本は革命的な改革を実施しようとしているように私には思われるのです。あなたはこれが起きる可能性のある劇的な変化であると認めますか。

 <大蔵省会計官ビーストール氏>はい,それは劇的な変化です。それは一定の期間にわたるでしょうが,その最終結果は現在の状況とは非常に異なったものになるでしょう。あなたが示唆されたように,それは会計の問題にも同じように適用されるでしょう。

 <シャウ委員>われわれはかつて,折にふれて予算の繰越しという問題について議論してきたのですが,大蔵省は繰越しの方針を進めることをひどく嫌がっていました。それが,今,大蔵省の態度がこの点で変ったことを意味するのです。

 <ビーストール氏>それは大蔵省がこれらの利点について考える準備をしていることを意味しています。業績の改善を欲するとしても,財務統制を緩めることが常に必要な条件だとは限りません。必要かも知れませんが,そうでないかも知れません。われわれが言ってきたこと,そして現在従事していることは,柔軟性をその利点に基づいて提案するよう考えるということです。「エージェンシー」が自分自身のために省庁の全体的な公共支出統制の中で柔軟性をもつということは不可能です。・・・・・大蔵省は柔軟になる準備がありますが,それは柔軟性が将来提供される業績の改善という観点で正当化されることが示される場合においてです」。

 ここで「エージェンシー」とは,行政の政策実施機能を政策形成機能から分離し,それを専門に担当するものとしてあらたに設立された組織体を指す。「エージェンシー」は法的には主務大臣の監督下におかれているが,政策の実施とそれに伴う予算の執行の面では大幅な自由裁量を認められ,半独立的な性格をもっている。この点で,それは大蔵省の予算統制からかなりの程度解放されており,実際また,その設立構想には大蔵省が強く反対したと伝えられている。
 この大蔵省の反対を押し切って「エージェンシー」を実現させたものは,サッチャー首相の政治的指導力であった。つまり,「エージェンシー」はサッチャー内閣の下で実現された行政改革の一つ −1982年に実現された財務管理の改革(FMI)の「次のステップ」−で,実質的にその総仕上げを成すものだったのである。具体的には,1988年の車検局を皮切りに,特許庁,政府刊行局,職業安定局,法人登記所,それに関税庁や国税庁の一部などの行政機関ないし部局が次々に「エージェンシー」化され,1992年の時点で,国家公務員56万人の半分以上に当たる約30万人の身分が切り替えられた。ガーディアン紙も述べているように,それは「巨大な官僚機構を分割し,小規模化していくことによって,きしみが出ている伝統的な英国の行政をゆっくり変えていこうとするもの」なのである(宮川萬理男「英国における行政の効率化」,『季刊行政管理研究』No.57)。
 「エージェンシー」に与えられた広汎な自由裁量は,組織面では,その長官の多くが公開競争を通して募集され,そのうちの多くが民間人によって占められたという事実のうちに示されている。また,その給与は多くの場合それぞれの「エージェンシー」の業績目標の達成度にリンクされている。同様のことは,一般職員の給与についてもいえる。その体系は一般公務員の給与体系から離れ,業績を加味したものに移行しつつあるのである。さらに,会計面では,「エージェンシー」の業務内容によって可能と判断された場合,貸借対照表などの作成が試みられ,官庁会計から企業会計に −あるいは,大蔵省による統制が準市場型の統制に− 近づけていこうとする努力が払われている。つまり,タイムズ紙も言うように,それは「行政にビジネスライクな姿勢を徐々にしみ込ませていく静かな革命」でもあるのである。(宮川,上掲論文)。
 もっとも,それだからといって「エージェンシー」が予算統制からまったく解放されてしまったわけではない。会計検査院長の報告にもあるように,「基本的な公共支出統制」はなお「エージェンシー」にも及んでいる。たとえば,「エージェンシー」の目的,機能,運営原則から業務計画の立て方に至るまで,基本的な事項はすべて設立の約款に規定されているが,約款の作成には,主管省および内閣府と並んで,大蔵省の同意が必要である。そして,業務計画のうちには,サービスの質,財務の改善,効率の改善,生産性の向上について,それぞれ業績目標を設定することが盛り込まれているのである。
 だが,その目標を如何にして達成するか,そのために予算をどう使うかは基本的に「エージェンシー」の自由な判断に委ねられている。つまり経営努力を重ね,その成果を刈り取る自由が広汎に認められているのである。その意味で,総務庁の宮川萬理男氏も指摘しているように,「エージェンシー」化は従来の硬い形式合理的な行政体質からいわゆる3Eを中心とする実質合理的な行政体質への転換を表わすものといってよいだろう。
 私が興味を唆られたのは,この点である。というのは,3Eを中心とする行政体質への転換とは従来の投入中心主義的な予算統制から産出中心主義的な準市場型統制への移行を意味するが,もしこれが「エージェンシー」化によって可能になるのであれば,日本でも,「エージェンシー」類似のシステムを導入することにより,「無駄な努力」を排除することが可能になるのではないかと考えられたからである。たしかに,これは真剣な検討に値するオルターナティブであるように思われる。
 もっとも,そう言い切るためには,ここで二つのことを確認していく必要がある。一つは,「エージェンシー」が現在どうなっているかということである。それへの移行は順調に進んでおり,実際「公務員の4分の3が次の10年間に『エージェンシー』によって占められる」ことになるのだろうか,また,移行が済んだ「エージェンシー」に対する評価はどのようなものであるのか。上記宮川氏の解説は1922年の時点のものであり,それ以後の動きは日本に知らされていないのである。
 いま一つは,「エージェンシー」に対する会計検査院の係わり方である。決算委員会での議論が会計検査院長の報告をめぐって展開されていたことからもうかがわれるように,会計検査院が「エージェンシー」の運営に深く係わっていることは確かである。たとえば,業績目標の達成度の測定評価から,溯ってその設定に至る過程で会計検査院が重要な役割を演じていることは十分推測される。だとすれば,新しい3E体制の下で,それは大蔵省に代り準市場型統制メカニズムの管理主体として活動していることになろう。ただ残念なことに,この点についての情報もわれわれに伝えられていないのである。読者のなかに,これらの点について何かご存じの方がおられたら,是非お教えいただきたいと考えている。

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