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第11号

<分権>論議の諸前提
中村紀一

中村紀一
(筑波大学社会科学系教授)

 1941年生まれ。国際基督教大学教養学部卒,同大学大学院行政学研究科修士課程修了。財団法人東京市政調査会研究員,千葉大学講師,助教授,教授等を経て,86年より現職。日本行政学会,日本政治学会等に所属。

 主な論文は,「環境問題と市民」『市民の安全・環境』(木原啓吉編著学陽書房)1989年,「地方議会の公開と広報」『地方政治と議会』(西尾勝也編ぎょうせい)1993年などがある。

自由は取る可きものなり,貰う可き品に非ず。

中江 兆民

はしがき

 本稿は分権を議論するにあたって問題となるいくつかの前提を考察しようとするものである。ここ数年来,国,自治体の中で地方分権についての論議が活発化し,「パイロット自治体」,「地方拠点都市地域」等の制度が具体化するなど,一種のブームともいえる様相を呈している。昨年(1994年)11月には第二十四次地方制度調査会が,地方分権推進と市町村の自主的合併の推進に関する答申を村山首相に提出。政府はこれを受けて年内に地方分権大網方針を決定,本年(1995年)1月召集の通常国会に地方分権推進案を提出した。

 また,昨年2月に放映されたNHKスペシャル「日本の選択・地方分権」は地方自治体の意向について,全国の知事,市町村長3305名にアンケート調査を実施し,2339名(70.8パーセント)から回答を得ている。それによれば,94.1パーセントの地方自治体が「地方分権は必要である」と答え,その理由として「地域の個性に合った行政の推進」(61.7パーセント),「住民サービスの向上」(16.1パーセント),「東京一極集中の是正」(7.9パーセント)等をあげている。

 さらに,市民の動向に目をやると,共同通信社が昨年7月に実施した「全国市民団体アンケート」調査によれば,回答のあった100団体(送付数176団体、回収率56.8パーセント)のうち「国から地方自治体へ権限や財源を移譲する」ことに約4分の3が賛成。地方分権を推進する場合に,強化が必要とされる対象として「住民」を1位としたのが80パーセントあり,とくに「住民参加の機会を増やす」ことに84パーセントの団体が賛成している(注1)。

 しかしながら,一方,中央省庁の高級官僚の間では,「地方分権・・・・・官僚まかせでは百年たっても実現しない」との声が囁かれ,「県段階までならいい。市町村にまで(権限移譲を)するとなると,でたらめになる」という地方への不信論も出ている(注2)。また,自治体職員の中にも「地方分権なんて本当に必要なの?」といった冷やかな反応や,「住民のクレームに対して『これは国の基準ですから』の一言で済ましてしまう」方が楽であるという,中央依存的な発言もみられる(注3)。

 前述したNHKのアンケート調査でも,「地方分権を阻むもの」の2位に「中央依存体質」(68.2パーセント)があげられ,3位の「地方の能力不足」(48.3パーセント)は自治体の規模が小さくなるほど,その傾向は高まっている。「地方分権には人材育成が先」(注4)と指摘される所以であろう。

 さて,今日,このように分権に関するさまざまな論議が闘わされる中で,分権を地方自治の基本として位置づけていくには,どのような視点が必要であろうか。以下,分権(論)の背景,精神などに言及しながら主題についての考察を進めることにする。

1 二つの分権論

 いささか古典的な見方かもしれないが,分権を論議するのに二つの立場が考えられる。国からの授権的な分権論と,地方自治体と住民が主体となる奪権的な分権論である。

 明治時代,地方自治制度が成立する過程で,自治を旗印に自由民権運動が大きな役割を果たしたことはよく知られている。「民に権を分かつ」主張を展開した人々が民会の設立等を要求したのは当然のことであったが,自由民権の理論的指導者,中江兆民は後年,二つの民権論に言及している。

「・・・・・ふつう民権と呼ばれているものにも,二種類あります。イギリスやフランスの民権は回復の民権です。下からすすんで取ったものです。ところがまた,別に恩賜の民権とでも言うべきものがあります。上から恵み与えられるものです。回復の民権は,下からすすんで取るのであるから,その分量の多少は,こちらが勝手に決めることができる。恩賜の民権は,上から恵み与えられるものだから,その分量の多少は,こちらが勝手に決めることはできません。」(注5)

 兆民の「民権」を「分権」という表現に置き換えれば,二つの立場はより鮮明となろう。加茂利男教授は現在進みつつある地方分権論を同様の視点から具体的に整理している。

「『上からの分権』論は,例えば軍事面を含む国際貢献ができる国家に改造するために,内政事務を地方に移して国を身軽にしようという考え方だ。一方,『下からの分権』は,まず新しい地方自治,地方政府の姿を描き,これを出発点にして国のあり方も考え直すと言うアプローチである。どちらの発想が強く出るかによって,分権の中身も違ったものになる。」(注6)

 ところで,恩賜による上からの授権的分権と回復を求める下からの奪権的分権という二元的な分権観は,国と地方との相互依存関係がより複雑で,密接になっている現在,もはや原理的にすぎるといえるかもしれない。地方分権についても,国と地方とが充分話し合って適正な権限配分等を決定する<第三の道>,相互補完的な分権論の方が時代の流れに即しているとも考えられる。実際,授権的分権はしばしば,国から地方への権限の押しつけをもたらすし,奪権的分権は「権」をめぐって国と地方がとるか,とられるかの不毛な争いを招くであろう。前者が地方自治体のモラール喪失の原因をつくるとすれば,後者は行政サービスを受ける市民にとっては何の利益ももたらさない決着の可能性を秘めている。

 だが,たとえ<第3の道>がより現実的のものであるとしても,今日なお,集権的体質の濃厚なわが国の政治・行政風土を考えるならば,地方による奪権的な分権論を中心に議論を進める必要があろう。加茂教授も指摘しているように,「日本の地方分権論は『上からの分権』や『自治体広域化』に傾きすぎていないか。・・・・・現在の論議は,地方自治を『団体自治』でしかみておらず,『住民自治』という基本的な原則が欠落していないか」(注7)という疑問は依然として解決されていない。

 地方の自治にとって分権は十分条件であるが,分権にとって自治は必要条件であるにすぎない。「・・・・・君主や宰相が時勢をよく見通し,人民の意向にしたがい,人民の知的水準に見あうように努力して,自由の権利を恵み与え,しかもその分量が適当であった・・・・・」(恩賜の民権)(注8)としても,このことが市民的自治を導き出すとは必ずしもいえない。

「分権と自治とは本来各別の意義を有するものにして,決して之を混同すべからず。何となれば一は行政上職権の分配にして,一は国宝の範囲内に属して国家と人民との関係なればなり。故に苟くも地方官庁が中央政府の命令に従ひ器械的の働きをなすのみにて自己の意見を有せざるときは,其権は縦令如何に強大なるにもせよ,之に付するに自治の名を以てすべからず。自治なるものは必ずや法律上公人たるの資格を有し,自己の意見を有し,自己の立法を有し,自己の行政を有し,自己の経済を有せざるべからず。」(注9)

 明治期のジャーナリスト陸羯南は分権と自治との相違を以上のように明確にし,「‥‥‥吾輩が特に(地方分権の制に−引用者挿入)賛成を表する所以は,分権よりも寧ろ自治に在り」(傍点は引用者)(注10)と述べて,分権における自治の意味を強調している。

2 分権(論)の背景

 さて,前節では,分権論をやや原則論に即してとりあげた。政治の世界にあって,全体と部分との間の権力(配分)関係は古来,永続している課題であって,近代以降に限られるものではない。そのあり方は未来にもつながる政治学の永遠のテーマでもある。だが,ここでは,わが国の近年の動きに限定して分権論の背景を検討しておこう。

 鳴海正泰教授は戦後の「自治体改革の展開過程」を五つの時期に分け,91年以降の最後の第五期を「地方分権時代の幕開け」としている(注11)。すなわち「八〇年代『地方の時代』は,九〇年代に入りようやく『地方分権の時代』から『地方主権』の確立を射程距離におけるようになった・・・・・」(注12)と述べている。

 確かに,国が地方分権に積極的に取り組みが始めたのは,ここ数年のことである。だが,地方(自治)の視点からすれば,70年代後半の「地方の時代」(長洲一二神奈川県知事)の問題提起こそ,まず分権論の文脈でとりあげられるべきであろう。

(1)「地方の時代」の問題提起

 戦後,わが国の政治の基本的な座標軸は,もっぱら保守対革新であった。60年安保後,「革新」自治体が「住民に直結した地方自治」をスローガンに「地域民主主義」を推し進めたとしても,彼らの最終目標は中央における革新体制の樹立であった。78年7月,長洲氏の行った『地方の時代』を求めて」(注13)という講演は,60年代以降の「革新自治体」の成果を評価しつつも,今後21世紀を射程に入れた「自治体革新」にとって,中央対地方こそ新しい座標軸になることを謳ったものであった。それはまた,ひとつの「歴史的キー・ワード」として「現代文明」の見直しをせまるものでもあったのである。

「私たちが、『地方の時代』を強調し『自治と分権』を主張するのは,むろん直接的には政治システム,行政財システムの転換をめざしているからですが,同時にそれは,……高度成長後における,あるいは行詰まりつつある近代文明をこえる<新しい文明モデル>を模索したいからでもあります。

『地方の時代』−それは政治や行政財政システムをこれまでの『委任型集権制』から『参加型分権制』に切り変えるだけでなく,生活様式や価値観の変革をもふくむ新しい全体的社会システムの探求でなければならないでしょう。その意味では,自治体の主張にとどまらず,国政全体の課題,日本の社会システム全体の課題でもあると考えられます。」(注14)

 当時,わが国は安定成長の時期に入っており,「第三次全国総合開発計画」(1977年)では,「定住構想」が打ち出されていた。その基本的目標は「・・・・・地域特性を生かしつつ,歴史的,伝統的文化に根ざし,人間と自然との調和のとれた安定感のある健康で文化的な人間居住の総合的環境を計画的に整備すること」(注15)にあり,「地方の時代」は国のこうした政策転換とも照応するものであった。

 「地方の時代」を提唱してから6年後,長洲氏はその現状と成果を次のように語っている。少し長いが,以下に引用しておこう。

「地方の時代を実現するには,二つの分野があります。一つは国と地方の行財政制度の改革ですが,中央は権限を手放さないし,政治家はその権限を利用して票を集める。そうした制度の壁によって,この分野が進んでいないのは事実です。」

「しかし,地方の経済,文化,生活を築くという中身の分野では今,自治体の手で新しい試みが至るところで行われている。私の県では,二十一世紀に向けた『かながわ・くにづくり』を進めていますし,大分県が地域の特産品開発に取り組んでいる『一村一品運動』は素晴らしい。また,富山県利賀(とが)村の世界演劇祭のような,小さな町村の大きな実験がいろいろ進んでいます。・・・・・」(傍点は引用者)(注16)。

 さて,「地方の時代」は「中央集権的で国家主義的なシステム」を下から分権化するためのひとつの論拠を提示したが,従来の保守・革新という政治的座標軸を不分明にさせた結果,分権(論)が地方政治から地方経営に傾斜する方向を合わせもったことも事実であった。

 かくして80年代も半ばに入り,景気も上向きになってくると,再び,東京への諸機能の集中が進行し,地方の経済的自立が自治体にとって重要な課題となった。

(2)東京への一極集中と地方経営

 分権論の第二の背景としては,前述した東京への一極集中の裏面,すなわち地方の疲弊とその打解策を模索する過程での議論を上げることができよう。

 70年代後半,Uターン現象がいわれ,一時期ようやくおさまったかにみえた人口の流れも,80年代になると再び活発化し,新しい過密,過疎を招来した。政府は民間活力の導入を積極的に行い,行政による規則の緩和を図るなど,「小さな政府」を目ざしたから,経済合理主義は社会のすみずみに浸透していった。合理化の波は自治体にとっては「地方行革」となってあらわれ,行政サービスの適正化,効率主義が追求課題となった。国際化,情報化が進展する中でとられたこのような経済中心の政策発想が,東京への一極集中と結びついてくるのは当然であった。

 熊本県知事をつとめたこともある衆議院議員,細川護煕氏は,長野県佐久の結婚式に出席した折り,「新郎が『近いうちに新幹線が通るようになるので,四十五分で東京の会社に出勤できるようになります。』」と話しているのを耳にし,「佐久も今や通勤圏に入ってきてしまったということを実感」(注17)した,と述べながら,東京圏への集中の様相を次のように語っている。

「……東京二十三区の中で入りきれなくなり,いろいろな機能がはみ出して,それが筑波や成田といった都心から半径六〇キロ圏に広がり,さらに高崎水戸といった一〇〇キロ圏にまで広がりました。そこでもガス抜きができなくなり,今や三〇〇キロ圏までその輪が広がっているというのが実態です。三〇〇キロ圏というのはどこかというと仙台,新潟,名古屋あたりが入るわけですが,どんどんその中に東京二十三区のものが散らばりつつあるのです。その三〇〇キロ圏の中に人口では五一%,工業生産では六〇%,ハイテク産業では七〇%が集中しております。この傾向はさらに加速されていくと思われます。」(注18)

 確かに,モーニング・ライナーなど,中距離通勤快速電車の登場は,すでに群馬県高崎市,山梨県大月市等を東京通勤圏へとひきいれ,栃木県の足利市では,住宅の販売に際して「週末は原宿で過ごせます」をキャッチ・フレーズにしている。最近では,地方に旅をしても,そこの中心都市ですら個性を失い,東京の出店が建ち並ぶ「ミニ東京」を演出している。

 細川氏は話を続ける。

「この東京の膨張抑制の問題と裏腹の関係にある問題として,当然地方の活性化ということがあります。やはり地方が魅力あるものにならない限り,東京の膨張を抑制することはできないわけです。」(注19)

 91年,川崎市で開催された「地方新時代第4回市町村シンポジウム」に先立って,事務局は全国の市町村長にアンケートを送り,項目の一つとして「90年代の貴市町村運営にあたっての最重要点課題」をたずねている。その結果は順位1番として「地域経済の活性化」をあげたもの33.3パーセントで第1位,とくに人口5万以下の市町村では,その比率が高くなっている。(発送件数3268,回答件数1356,回収率41.5パーセント)(注20)。また,前述したように,NHKの全国自治体調査でも,地方分権を必要とする理由の第1位は「地域の個性に合った行政の推進」であり,東京一極集中に対抗して地方が個性的な経営を進めていく上で,いかに分権(論)が大きな意味をもっているかを立証しているともいえよう。

(3)規制緩和と地方の自主性

 ところで,今日,地方自治体が個性的な経営を行おうとする時,現在の行財政制度がさまざまな障害となっているのは,よく知られているところである。法律と行政による規制,許認可,指導などが,いわば縛りとして自治体の主体性をがんじがらめにし,結局は画一的な地方経営を強制するというものである。

 細川氏は自らの体験を次のように語っている。

「……日本では町づくりをするといっても,土地利用が大変難しくて町づくりに関する法律だけでも四〇本ぐらいの法律があり,しかも国土利用計画法,都市計画法,農進法にしても,それぞればらばらに機能しており,何が上位規範なのかわからない。全く乱雑なモルタル,プレハブの建物,電信柱,見苦しい看板が北海道から沖縄に至るまで連なっており,外国人には見せられないと私はいつも思っております。……

あるいは,県道の認可に伴う補助金の事務も,これは全て建設省本省が権限を握っておりますので,県の担当者は年に一〇回ぐらい建設省に出かけていき,それも一つの課に行って済む話ではなく,例えば道路課に行き,街路課に行き,くるくる回らなければならない。・・・・・一事が万事そういう感じでして,・・・・・。」(注21)

 自治体の職員であれば,おそらくこのような体験を一度や二度はしているに相違ない。彼らは中央,地方の上・下関係の強さを肌で感じ,やがて縦割り行政,セクショナリズムの網の中でいわゆる本省意識をもたされていく。

 もう少し細川氏の話に耳を傾けてみよう。

「・・・・・地域づくりに関連しまして,各省庁がばらばらにいろいろなプランを出してきます。例えばテレトピアとかインテリジェント・シティとかあるのですが,何が違うのかさっぱりわからない。自治体にとって本当のニーズになるものなのかわからず,一方では自治体は金を持たないもですから,どうしてもそういう話に飛びつかざるを得ないということになるわけであります。言いかえれば,地域のためになるプロジェクトができるのを今言ったような国からのお仕着せ的なプロジェクトが阻んでいるという現実があるわけです。全部それに関連したいろいろな法律であるとか,あるいは地域関連予算がからんできますから,それに伴う事務量だけでも膨大なものになるわけであります。」(注22)

 これでは,地方自治体が個性的な地域づくりを行っていくことは不可能である。国のさまざまな規制を大幅に緩和し,地方に自主性を与え,かくして公平,平等,画一の集権型の行政を,地方に根ざし,多様性を重視する分権型の行政に転換させる時,「豊かさ」を実感できる地域社会実現への一歩が踏みだされる,と細川氏は主張するのである。

 以上,三点ほどに分けて近年の分権論の背景を述べてきたが,最近の地方分権をめぐる状況は「上からの分権」の傾向が強いといえる。とくに中曽根内閣以降の「小さな政府」論に基づく規制緩和は,強者の自由を保護し,中央・地方の役割分担の名の下,地方自治体へのシワ寄せをもたらしている点にも注意しておく必要があろう。

3 分権の精神

 さて,前述で述べたような背景の下,現在,地方分権は抽象的構想から具体的制度,政策に至るまで,さまざまなレベルで議論が展開されている。政府,地方自治体の動向,研究者の提言など,ひとつひとつとりあげていたらそれこそ際限ないことになろう。しかし,論議が今日のように自治体の規模,機能,権限,財源等に限定される場合,受け皿としての地方自治体のあり方が中心となり,その主体性についての言及は薄くならざるをえない。そこで,ここでは,分権の制度を支える精神を三つに分けて考えてみることにしよう。

(1)自由と平等

 分権の精神的支柱の第一は,個の自由の問題である。評論家,加藤周一氏は「特集・自由の再検討−日本型管理社会をめぐって」(『世界』第 470号,1985年1月号)の中で,「自由と・または・平等」というユニークな小論を書いている。この題名は,「自由と平等は相伴うこともあり,また相伴わないこともある。故に一括して『自由平等』でなく,『自由と・または・平等』(p.31)にしたという。

 加藤氏は「・・・・・自由と平等の程度を独立の変数として,自由度をタテ軸,平等度をヨコ軸とする平面を考え・・・・・」,英国と日本を次のように比較している。

「極めて大ざっぱに,英国は,高自由度・低平等の戦前の位置から,高自由度・高平等の戦後の位置へ動き,日本は,低自由度・低平等度の戦前の位置から,低自由度・高平等度の戦後の位置へ動いた。」(p.32,図1参照)

戦前・戦後における日英の自由と平等 イメージ図

 加藤氏は80年代前半のわが国の平等主義的傾向を,経済(所得格差),教育(大学進学率),文化(三大紙の普及率)等々における階層間の平均化の中に見い出し,と同時にこうした平均主義的傾向が(「強行採決」)や社会(「異端者」へのいじめ)の諸側面に,多数派による少数派(あるいは個人)への抑圧となって立ちあらわれている,と指摘する。

「かくして日本社会の現状は,一方では平等主義の徹底,他方では個人の自由のタテマエと実際上の個人主義の不徹底に,要約されるだろう。」(p.36)。

 だが,平等が画一管理に転じ,少数者に対して大勢順応を強いる時,「東京」が「地方」に拡散していくのは,モノの道理である。そこでは,少数派たる「地方」は多数派たる「東京」(中央)の侵略を受け,原初的な意味での「アメニティ」(the right thing in the right place)を奪われて,東京の送り出す人工的な「快適性」にとってかわられる。こうして,全国どこへ行っても,ほとんど同じ顔の駅前風景と街並みが私たちを迎えることになるのである。

 加藤氏は「今日の日本社会の課題は,小数者の(あるいは個人の)『自由なき平等』から,『自由と平等』への道を見出すことだろう」(p.32)と述べている。しかしながら,戦後のわが国の諸側面での「発展」が「平等主義」を旨とし,しばしば「小数派の権利と個人の自由」を犠牲にして成り立ってきたことを考える時,「自由と平等」の併行的実現は決して容易ではない。

 加藤氏は,わが国の今日の「経済的成功」をささえているのは「競争的集団主義であり,その内部に平等主義と大勢順応主義を組みこみながら集団の能率を追求する意志である」と述べ,それ故,今後の「個人の自由の拡大」の可能性は「集団の能率」の維持と関連してのみ考えられる,と結論している(p.38)。これはわが国の経済主義,効率主義の持続を前提としたきわめて現実的な見通しといえるであろう。

 かくしてこのような条件の下では,地方もまた,分権を謳歌するために,独自の「能率」を追求せざるをえない。しかも,地方「経営」への傾斜は再び,「東京」の平等主義への回帰を内包しているかもしれない。いささかくどい説明を繰り返してきたが,「自由または平等」のトレード・オフの関係で進展してきたわが国の体制を根底から変えていくためには,分権における自由の意味を改めて問う必要があるといえるであろう。

(2)個性化

 加藤氏の「自由」への道が「能率」中心の集権型画一社会に対するアンチテーゼであるとすれば,個性化は,分権の具体的な構想,制度,政策をうみだすための積極的な精神として位置づけられる。

 長洲知事は「・・・・・明治以来百年,とりわけ戦後三十年のわが国近代化の歴史をふり返ってみると,それはあたかも近代化と国民国家という名のブルドーザーで,地方や地域の個性や文化を強引に押しつぶし,全国を画一化して,まことにつまらない国にしてきた過程だった・・・・・」と述べ,だからこそ「私たちは,歴史的に形成されてきた地域生活,伝統文化にもう一度新しい光をあて,新しい生命を吹き込んで復権させなければならない・・・・・」(注23)と主張している。

 人間ひとりひとりに,それぞれ独自の顔があるように,地方,地域にも,それぞれ個性的な顔がある,否,あるべきである。地方分権の根底には,こうした志向が必要である。だが,人間ひとりを例にとっても,子供の頃からの管理教育と偏差値ランキングの下,いつしか同じ顔にさせられてしまっている。

 10年ほど前,小学校の先生からこんな話を聞いたことがある。国語の時間に三好達治の「雪」という詩の鑑賞を行った。ご存じの方も多いと思うが,「雪」は「太郎を眠らせ/太郎の屋根に雪ふりつむ/次郎を眠らせ/次郎の屋根に雪ふりつむ」というものである。文部省や先生の「公式」解釈では,おそらく母性の優しさ,抱擁力を表現した作品ということになるであろう。

 ところが,一人の児童が,この詩に登場する太郎と次郎は南極犬であり,彼らが凍死していく様子を描いたのが,この詩であると鑑賞した。何と大胆な発想であろうか。確かに教育者としては当惑するかもしれない。だが,もしも教師がこの児童に対して教育的「指導」を働かせ,択一の「正解」を強制するならば,児童の豊かな個性と感受性は失われることになるであろう。

 もとより個性の輝きはひとりよがりで閉鎖的な中から生まれるわけではない。教師が児童の答えを理解し,それに共感を覚え,彼の「才能を引きだす」(educate)のに努力する時,児童はのびのびとその個性を開花させることになるのである。平等主義による平均化は,「横並び」の児童を生み出しても,創造性に富む個性的な児童を育むことはできないであろう。

 今日,地方分権のあり方を考える場合,地方自治体は児童の発想と教師の寛容とをあわせもつ必要がある。前者は国に向かって,後者は市民に対して発せられるものである。長年の集権体制に慣らされてきた影響もあろうが,マスメディアが「文化行政花ざかり」の見出しをつければ,全国各地に類似の文化施設が濫立し,「美術館ブーム」と宣伝されれば,これまた,有名画家の一点豪華な作品が建物の正面を飾る。そして今度は「ハード(建物)は整ったが,ソフト(内容)はどこも同じで個性がない」などのマスコミ批評が載ると,職員が頭をかかえこむ。これでは,到底分権の利点を活かすことはできないであろう。事実,千葉県下30市の「わがまちの目玉事業」(平成6年度)に目を通してみても,習志野市の「谷津干潟自然観察センター」,柏市の「柏レイソルJリーグ入りに全力」が独自の施策として目立つ程度である(注24)。

 地方,地域の個性を認識し,それを十二分に活かして初めて,住民が豊かさを実感できるまちづくりが可能になるのである。

(3)市民的自立(自律)性

 分権の精神の第三番目は,「市民的自律(自律)性」である。分権を地方という限定つきで考えれば,その主要な担い手は自治体および職員ということになろう。しかし,分権を民権にまで拡大すれば,権力者として最後に残るのは,ひとりひとりの個人=人間であり,ここでは,行政職員と「一般市民」の区別はなくなる。だが,一方,個人に権力が分かち持たれる状態は,理念的には既存の社会制度,秩序の融解を意味するのであり,トマス・ホッブズ流にいえば「万人の万人に対する闘い」の危険をはらんでいるといってよい。

 かつて丸山真男氏は「近代化」の過程で「伝統的」社会に安住していた個人が解体していく場合の態度(個人が社会との関係についていだく意識)を四つのパターンに分けて考察している(図2参照)(注25)。この図で水平軸は政治的権威の中心に対していだく距離の度合いを示す。ある人間が左によれば,政治的権威から遠のき,右によればそれに近づく。これに対し,垂直軸は個人が何らかの目的を達成しようとする場合,自発的に隣人と結びつく素質,言いかえれば結社形成の度合いを示す。垂直軸に従って上の方に来るのは,隣人と結びつく素質を備えた人間であり,下の方に来るのは,仲間との連帯意識のより弱い人間ということになる。

 こうして四つに分けられた象限の中で,丸山氏は遠心的・結社形成的軸で囲まれる部分を「自立化」(individualization)と位置づけ,「民主化」(democratization/求心的・結社形成的軸)と比較して,その特色を次のようにまとめている。

個人析出(individuation)の4つの型 イメージ図

「・・・・・自立化タイプがより遠心的であり地方自治に熱心なのに対して,民主化した個人はより求心的で中央政府を通じる改革を志向する。前者が市民的自由の制度的保障に関心をもつのに対して,後者はさらに,特権を廃絶し,公共の問題に関係をもつ民衆をできるだけ多くひきいれるように政治参加の基礎を拡大する方向へと進む傾向をもつ。・・・・・民主化が優位を占めるところでは,自立化した個人が至高の大儀とする自由の理想よりも,平等の理想が強調されるかたむきがある。早く近代化した合衆国・英国両国の政治的近代化の歴史を比較すれば,合衆国においては伝統的に民主化が自立化に対して優位を占めたのに対し,英国ではその逆であったといっても大過ないであろう。」(注26)

 政治的権威に接近して操作,蹂躙(じゅうりん)されるわけではなく,かといって社会的実践から身を引いて自らのカラに閉じこもるわけでもない。市民的自立(自律)性とは中央権力から一定の距離を置きつつなお,隣人と手を結んで(自己権力),まずは地方の問題を解決していく,開かれた精神を意味する。分権は市民的自立(自律)性によって支えられ,分権の進展が今度は市民的成熟を育むのである。

 ところで,ここに述べた三つの分権の精神はそれぞれが独立した要素としてではなく,交錯,複合したものとして,地方自治体と市民の中に存在する。授権的な分権はもとより奪権的な分権にあっても,分権を生き活きと持続させていく上で,これらの精神は不可欠のものである。そして自由,個性,自立(自律)性が失われつつある今日の管理社会にあって,分権の主張こそ「誰の支配者でもなく,誰の奴隷でもない」(羽仁五郎)という「市民の精神」を掘り起こしていく,またとない機会を与えるものと考えることもできよう。

あとがき−分権と責任

 以上,分権を議論する際,前提となるいくつかの問題を考察してきた。見落としている点も多く,また,内容も言い古された常識にすぎぬとの見解もあろう。むしろ,現在必要とされる分権論は,分権の具体的技術であり,実践(実際)であるともいえる。筆者自身,地方自治体での職員研修等の折りには,分権の構想,制度等にふれることも多いが,話していながら絶えず気になるのは,わが国の現在の分権の構想,制度等が,ここで議論してきた前提を十分消化して出てきたものであるかという点である。端的に言えば,今日の地方分権論は「分権の精神」を欠いた,上すべりの地方「受け皿」論に終始しているように思われる。例えば,次に掲げる自治体職員の声など,筆者の実感に近いものであるが,読者の方々はどのように思われるであろうか。

「基礎自治体の職員が現状の分権論を耳にして腹立たしさを感じるのは,基本的には自治の問題であるにもかかわらず,分権の総論のみが国レベルでどんどん進んでいくところに原因がある。言い換えれば,分権論の当事者であるはずの基礎自治体の頭越しに権限の割り振りが語られる今,基礎自治体が持つべき『自治』のシステムという側面は忘れられて,割り当てられた分担をこなしていればいいのだという構図が見え隠れする。・・・・・分権論が自治の現場から離れたところだけで議論されていること自体が,問題の根の深さを如実に表しているといえるだろう。」(注27)

 また,続いて彼らが述べる,「・・・・・分権の議論は,遥か頭上の遠いところで他人ごとのように交わされている会話であり,自分の足元に立ち返って考えてみると,具体的には何が問題になるのかが見えてこない・・・・・。そのため,分権が与える影響を仕事の量と責任を増すということ以外には考えられず,そんな面倒なことになるなら権限などいらない,分権などしなくていいと考えてしまう・・・・・」(注28)といった言いまわしは,「分権」を筆者自身も経験した「大学設置基準の大網化」(いわゆるカリキュラムの自由化)に置き換えてみれば,意外に多くの大学人に共通する感覚ではあるまいか。

 平成3年7月,文部省が上記の大網化を施行して以来,各大学では,教養部の改組などを含む教育革命が行われてきた。いわゆる大学教育の規制緩和,自由化の中で,各大学は自ら教育目標を定め,それに従って教育計画を作成し,管理・執行し,自己点検・評価を行うよう要請された。当時,筆者は中間管理職の位置にあり,まったく思いがけず,Plan, Do, Seeという大学行政の過程に関わることとなった。

 その内容をくわしく説明する余白もないが,筆者自身の自己批判もこめていうならば,前過程を通じて<分権の精神>はほとんど活かされなかった。もちろん,文部省の指導がなかったわけではない。しかし,それ以上に教員の長年にわたる管理馴れ状況と学者特有の抽象的思考が,多くの会議の支配的傾向であった。大学は文部省の意向と他大学の動向を付度し,学部はまた,大学全体としての統一目標を求めたから,結果は,大学間,学部間が,かなりヨコ並びの現象を呈した。

 大学教育の多様化,個性化,豊かさなどが期待されたにもかかわらず,教員の身分と負担につながるような話題は慎重に避けられ,授業科目は内容がかわらぬまま,名称を変更する,といったことが議論された。「刑法」を「罪と罰」にしたら,といった冗談ともつかぬ話題も出たほどである。学生の参加は時間の問題もあって制度的に行われることはなかった。

 「自由科目」では,毎年10月に大学の位置する都市で開催される「市民マラソン」をめざして,市民参加の公開科目があり,体育科学にもとづくトレーニングを行ってマラソンに完走すると単位が出る,というユニークなものである。だが,このようないくつかの例外をのぞけば,分権の試金石ともいえる教育(主としてカリキュラム)改革は中途半端のうちに終わった。そして現在,大学自身,さらには学生の手によって教育改革の自己点検・評価がなされつつある。そこでは,大学,学部が行ってきた教育改革の成果と責任が問われることになろう。

 本誌第9号(1994.3)に,慶伊富長氏が「『教育研究の自由』の代償−大学のアカウンタビリティー−」という論稿を寄せ,教育改革を実現していくための管理体制について適切な問題提起を行っている。今日,会計責任よりもはるかに幅の広い責任を課された分権社会を創造していくために,まずは,分権の精神のあり方が問われる所以である。

(注1)「4分の3が分権賛成/全国市民団体アンケート」『神奈川新聞』 1994年8月28日付。

(注2)「天声人語」『朝日新聞』 1994年4月6日付朝刊。なお,「地方分権の推進」に対する官僚側の抵抗については,例えば日本経済新聞社(編)『官僚・軋む巨大権力』日本経済新聞社,1994年,pp.16-8参照。

(注3)『季刊行政管理−地方分権・論文コンクール特集』No.375,1993年冬(東京都職員研修所)参照。

(注4)「声/地方分権には人材育成が先」『朝日新聞』1994年9月10日付朝刊。

(注5)中江兆民著,桑原武夫・島田虔次訳・校注『三酔人経論問答』(1887年)岩波書店,1965年,pp.98-9。引用は現代語訳を用いた。

(注6)加茂利男「問題提起/『住民自治』が原則」『朝日新聞』1994年4月30日付朝刊。

(注7)加茂「前掲論文」

(注8)中江『前掲書』p.99。

(注9)陸羯南「分権及び自治の制度」(1888年)西田長寿他編『陸羯南全集/第一巻』みすず書房,1968年,p.331。

(注10)「同上論文」p.332。

(注11)鳴海正泰『地方分権の思想−自治体改革の軌跡と展望』学陽書房,1994年,pp.6-7参照。

(注12)『同上書』p.14。

(注13)長洲一二「『地方の時代』を求めて」『世界』第395号(1978年10月)pp.49-66。
なお,本号は,シンポジウム「地方の時代」の特集号となっており,これ以後,神奈川県を中心に毎年,「地方の時代シンポジウム」が開催されている。また,88年以降,川崎市を中心に,基礎自治体の手によって「地方新時代市町村シンポジウム」が新たに開催されるようになった。

(注14)「同上論文」p.53。

(注15)国土庁編『第三次全国総合開発計画』(昭和52年11月)p.4。

(注16)「『地方』もの申す−行革予算づくりを前に(7)」『朝日新聞』1984年10月3日付朝刊。

(注17)細川護煕「明日の日本のために」明治学院大学法学部立法研究会編『日本政治の現状と課題I・立法研究3』明治学院大学法学部立法研究会,1992年,p.41。

(注18)「同上論文」p.42。

(注19)「同上論文」p.45。

(注20)『いま,市町村長はこう考える/全国市町村長アンケート集計概要』1991年,pp.4-6。
なお,本アンケートでは,「関心のある」テーマについてもたずねているが,ここでも順位1番として「地域活性化と自治体」をあげたものが60.7パーセントと第1位である(『同上書』 pp.2-3)。

(注21)細川「前掲論文」p.46。

(注22)「同上論文」p.47。

(注23)長洲「前掲論文」pp.52-3。

(注24)「今年のわがまち目玉事業/上・下」『朝日新聞/ちば版』1994年1月12日,13日付朝刊参照。

(注25)丸山真男著,松沢弘陽訳「個人析出のさまざまなパターン−近代日本をケースとして−」マリウス・B・ジャンセン編,細谷千博編訳『日本における近代化の問題』(原著M.B.Jansen ed.,Changing Japanese Attitudes Toward Modernization, 1965) 岩波書店,1968年,p.372。

(注26)「同上論文」p.374。

(注27)板橋弘二他「豊かな市民社会をつくるために−新・分権論の展開」前掲『季刊行政管理』p.10。

(注28)同所。

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