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第1号 巻頭言

状況と反省
加藤 芳太郎

加藤 芳太郎
(中央大学教授)

 一

 この文章を書くために,ここ数年間,気になっていた文献を,よい機会だと思って,いくつか拾い読みした。そして,愕然とした。

 その第一は,わが身の,研究の空白の大きさについてである。理由は,もとより自身の怠惰によるけれども,研究しなければならない対象もまた,なんと広大に拡がってしまっていることか。しかも用いられる言葉の意味や分析の枠組みなども,すっかり厳密精緻となり,深みが加えられている。こういう状況を知らなかったのは,自分の不勉強であったことによるけれども,たとえ一生懸命に勉強してきたとしても,ひとりではとてもカバーしきれる広さと深みではない,と妙に納得した。

 しかし,というよりだからこそ,研究は此後,何人かの人々と一緒にやっていかなければ,成果があげられないということも,わかった。これまでの不勉強を取りもどすためには,自分自身もまた,従来以上に懸命に努力するしかない,ということもよくわかった。大変なことになっていたのである。

 愕然としたのは,しかし第二に,つぎの現実の事態についてである。現実の事態は何も変わっておらず,かえって困難さは拡がり深刻の度を加え,改革されるどころか,これまた逆に大変なことになっていく,ということである。これは一体どうしたことか。

 「アカウンタビリティー」とは,われわれの時代の実にファッショナブルな言葉である,という言葉ではじまり,ではファッショナブルにそれが「良い」ことの概念になったのはどうしてなのかを,各行政の分野ごとに主体ごとに調査研究するものまで出現する世の中になっているのに,なんら事態は改善されてはいないように思える。またアカウンタビリティーの概念をいくつかのタイプに分類し,そのそれぞれの概念をさらに細区分したり,またアカウンタビリティーのいくつかのモデルを組立てたりして,分析をし考えてみる仕方には工夫改善がみられ,さらに制度的にみても,百年に一度といわれた英国会計検査システムの大改革が行われた。このほかにも世界各国で,アカウンタビリティーの低下していく現状を食いとめようとする努力が,数多く試みられている。

 にもかかわらず,現実の事態はほとんど何も改革されていない。1980年代前半の英国議事手続き特別委員会の各種証言を読んでも,80年代半ば以降の各省庁予算管理の進歩状況の議会報告をみても,また最近の専門雑誌の諸論文を散見しても,「予算統制の危機」の内容は従来と同じ事態で,専門化が進行しただけ逆に悪化していくように思える。その予算統制の危機といわれ,議会統制や行政府自体の内部統制が弱まっていくという分野も,従来と全く変わっていないし,そこで低下していくアカウンタビリティーに歯止めがかけられるようになったわけでもないのである。現実の事態が少しも改善されずに,むしろ無責任化が進行していく。これこそ大変なことではないか,ということで愕然としたのである。

 二

 アカウンタビリティーが,いちじるしく低下していく分野については,その概念定義のちがいがあっても,すでに早くも,1970年代初期までには,ほぼ定説があった。「予算統制の復興」が最も重要でかつ緊急であるとされた分野は,三つある。第一は,国有化産業あるいはその経営型態の政府公社である。第二は,契約にもとづいて政府活動の一部を民間に委託している業務である。いわゆる「契約国家」と総称される政府のあり方である。第三は,研究開発で先端技術の推進にかかわる分野である。この三分野はともに,現代における政府機能の特徴に根ざしている。そして依然として,アカウンタビリティーを確保する有効な装置を欠いているままでいる。それどころか事態悪化の状況がつづいている。第一の分野では,脱公社化や第三セクターという曖昧な組織形態がふえていく。Non-Governmental Public Bodiesという形態もあるし,広くQuasi Non-Governmental Organizationといわれる形もある。これら広く一般的にQuangoとよばれる分野は,さらにアカウンタビリティーからの離脱をめざす。第二の分野では,高度技術化社会や高度情報化社会へ進むにつれて,民間の企業や研究機関との協同作業,共通網系統に政府がとり込まれていくから,益々この契約国家における政府の主体性が弱まっていく。第三の分野では,先端技術の開発を必要とする領域が宇宙,軍事技術部門に限られずに拡大し,政府の通常行政における通信メディアや業務の総合電算化の領域においても,先端技術の開発が必要となる。通常は第二でいう契約による開発委託,あるいは共同開発契約によって行われる。さらに加えて,民間出資も含めて第三セクター形式をとり,政府権能の一部を委ねれば第一のQuangoの出現となる。

 現代の政府機能におけるアカウンタビリティーの弱体化傾向は,もしその公金の支出や管理運営の側面に焦点をあててこれを「予算責任」の弱体化傾向といい直すことが許されるならば,その側面の衰弱は会計検査の重要な関心事となるであろう。わが国においても,このような現実は,早くから知られていた。たとえば各省庁の技術進歩に立遅れた設計能力により,浪費の基となる設計基準や歩掛工程表,民間コンサルタントや関連研究機関による事業内容調査と計画諸元の決定,堰堤など事業施設の形式・規模の決定など,枚挙にいとまはない。これらは第一と第二の現代政府機能のひとつの特色をあらわす。原子力開発などにおける民間企業の出向などの協力は,第三の特色であろう。最近では地方自治体においても身近に,これらの特色と動向をみることができる。業務の電算化や地方自治体の仕事の公社への委託,公社による民間企業への契約による再委託などによって,自治体の自己規制や議会統制にかかわる条例──たとえば個人情報保護や公文書公開など──を,どのようにも空洞化していけるのである。拡大していく地方自治体公社において,工事が委託され入札業務も工事請負契約も委ねられていく傾向が激増している。地方自治法が厳格に守られているかどうか,甚だ心もとない。公社統制が十分とは言い難いからである。さらに自治体の本来業務にかかわる分野についても,外部への契約による事務委託が次第に拡大されつつある。地元社協への委託契約の内容は,単なる相談業務から自治体本来の仕事の骨格をなす部分にまでひろがりつつある。町内会への委託は,防犯灯の管理や樹木垣根の消毒にとどまっているわけではないのである。また極度に発達する電気通信回路と家庭映像システムとの結合は,すぐカタカナに飛びつく新しがりやの地方自治体を先頭に,自己統制の工夫も何もないままに,その住民への業務提供の方法として導入されようとしている。先端技術開発への協力投資も見受けられるようになった。ここにみられるのは,無責任という特徴である。アカウンタビリティー(予算責任)の観念のひとかけらすらない。

 こういう地方自治体における状況を食い止める役割は,本来地方自治法上,監査委員にある。住民の事務監査の直接請求や住民監査請求が以上の事態をめぐって提起されたら,その本来の任務を遂行できるであろうか。目下継続的に国会に上程されている地方自治法改正案には,その条文をみるかぎり,いくつかの前進はみられるにせよ,前述した現代的課題に応えられるようにはなっていない。その問題意識すら,改正法案全体にみられないのはどうしたことであろう。戦後改革に紛れてそっと挿入した内部監査としての監査委員の本質が,なお維持されるべきだとしても,それならば長のための予算責任が崩壊していく現状にどう応えていくかという,内部監査としての改革意識を放棄していてよい,ということにはならない。

 しかし翻って考えてみると,この現代政府の課題は,国の場合にもあてはまる。特に国においては,重大な関心事であるべきであろう。そうであるが故にわが国では,事後統制・監査を担う会計検査機能だけが,ひとり政府のなかで際立って,この課題を意識し研究を積み重ねているのであろう。

 三

 つい最近,ある本によって気がついたことがある。これまでのべてきた現代政府における予算責任の衰退していく三分野のほかに,新しく追加しなければならない,かも知れない,分野があることである。かも知れないといったのは,従来定説になっている前記三つの分野と横並びにつけ加えるには,やや次元の異なる問題領域であるからである。この取り扱いについては,後日を期したい。しかしこの領域が,そしてとくに最近,アカウンタビリティーが問われる重要な問題をはらむようになってきた事態だけは,ここに強調しておきたい。この領域とは,社会サービス──こういうときは,国際的な定義では社会保障に住宅,教育などの施策をつけ加えたものをいう──の諸政策分野である。

 現代福祉国家はサービス提供国家である,とよくいわれる。その提供サービスの中心核は,社会サービスである。そして福祉国家の成長の度合を測定する際にも,また福祉国家のいわゆる「危機」やその「過重負荷(オーバーロード)」などについて言及される場合にも,つねにこの社会サービスの量とその質──手渡し方(デリバリー)と効果──に依拠する。そしてその福祉国家の成長度や危機や過重負荷を表現するいくつかの決定因子を組合わせて行われる国際比較の結果をみても,諸国間に差があり時期的にも厳格な一致が存在しないにもかかわらず,第二次世界大戦後から一貫して,高い経済成長と共に,拡大してきた政策分野が,社会サービスの領域であることは間違いない事実である。もしこの時期を現代政府それも福祉国家と呼ぶならば,この領域はまさしく,福祉国家という現代政府のひとつの大きな特色である。もしこの領域においてアカウンタビリティーの重大な欠陥が問われるべきだとしたならば,これまた大きな現代政府における予算責任の衰退現象の一つに,数えなければならない。

 そして今日「政府の成長」について問題意識をもつならば,この領域における予算責任の課題を無視するわけにはいかない。何故ならばこの政府の成長は,欧米諸国の場合福祉国家への歩みと大部分重なるからである。その中心部分は社会サービスであるが,政府の成長という場合にはそのほかに,国有化産業・公社,先端技術研究開発,契約国家への歩みなどが,政府機能の拡大などといわれて,ふくまれるから,後述するように,政府の成長に対応する予算統制のあり方を問うことになれば,前記三分野に加えて社会サービスという領域をつけ加えなければならないのである。

 では,社会サービスの領域における「アカウンタビリティーの重大な問題とは何であるか。それは大部分,この社会サービス業務の本来的な性格から生まれる。このサービスが提供される相手は,逆にいうとサービスの受けとり手は,個人であったり家庭であったりまたある地区社会であったりする。つまり特定された個々のケースについて,サービスがなされる。ケース・ワーカーの名のとおり,サービスには個別性,具体性が求められる。その顧客集団(クライアント)も画一的均質的ではない。多様的で細分化されている。サービスの成果も単純にははかれない。つぎにたとえば社会福祉の分野のように,ケアー,サービスの受け手は,老人・児童・母子・婦人・精神もしくは身体に障害をもつ人々など,きわめて多様である。さらに,サービス提供の場所も諸施設,家庭,学校,病院など多種多様である。加えてサービスを手渡す(デリバリー)側も,それぞれ異なった,独立的な専門職である。医者,看護婦,ケース・ワーカー,その他の社会福祉の専門家──福祉士,各種技能士などもふくめ──たちが,時には地域社会から選ばれた民生委員その他委員と相談しながら,認定やサービス決定,サービス提供などを行う。専門職能集団がこのように細分化されしかも相互に異質的であるものが,社会サービスの手渡し(デリバリー)について,どのように連携し,協力していけるか。ここに手渡し側のつまりサービス供給の難しさがある。

 このサービスの需要者・顧客の個別性多様性は,そのまま供給者の専門職の多様性,異質性に対応するものではないから,政策の目的,目標(ターゲット)集団,プログラム効果(産出)の有効性のとらえ方,遂行のプロセスの効率性の認識などなどについて,異なった判断が並立するようになる。このサービス供給側の「裂け目」は,そのまま需要者側の不満となり,サービス効果の不満足度として表現される。パフォーマンス測定やプログラム有効度判定には,需要側の満足度が用いられるから,ニーズに応えていないとされる。つまりアカウンタビリティーに欠けているということになる。しかしこの問題の根は深い。需要と供給の両サイドにも問題がある。ニーズのとらえ方を通じて需要の質と量が受けとめられるという側面に着目すると,それはまた供給側における社会福祉官僚制の問題でもある。極度に細分化されしかも相互に異質的な専門職能で構成されている「福祉国家官僚制」は,社会サービスの手渡し(デリバリー)方をとおして,需要者の不満を高め,福祉国家の危機を促進したと論ずる者もいる。この見解に賛成しない論者も,公共支出で表わした社会サービスの後退と,GDP中に占めるその割合を今後引上げることは不可能に近いというOECD報告(1985年)とを認めないわけにはいかないであろう。また多くの選挙結果とその前後に行われている世論調査の結果とを,社会サービス,福祉の後退に関係づけて考えることが許されるならば,まさしくウィレンスキーが強調した納税者の反乱と福祉の後退は一対をなす。つまりウェルフェア・タックス・バックラッシュの現代的特徴となる。この故に「福祉国家」に対しどのような立場をとろうとも,その福祉国家官僚制におけるアカウンタビリティーが問われなければならないのである。

 このアカウンタビリティーの観念について英国で最近行われた実態調査の結果をみると,この概念の本来的曖昧さを反映して,それを答弁可能性(アンサーラビリティー),責任性(リスポンシビリティ)などの言葉と同様に考えており,また相互に言い替えができると判断している。このことに関連するが,もっと重要なことは,正当化や弁明に失敗したらどうなるかについての認識が欠けているから,アカウンタビリティー本来の観念を識別できないでいる。その結果この観念を責任性という言葉にすり替えて,その責任を負うべき相手を,担当している地域社会としているか,あるいは本人が感じている固有の本来的責務に照してとしている。制度的形式的アカウンタビリティーよりも,「内面化されたアカウンタビリティー」が重視されている。この場合の基準は,福祉官僚制において細分化された相互に異質的な専門職能上の規律である。しかもこの規律は相互に排他的で矛盾する要素をふくむから,サービスの手渡しの流れのなかで,不整脈現象をおこす。アカウンタビリティーは分解され,飛散する。このための対応策として現地主義と個別性を重視し,意思決定の機動性,裁量範囲の拡大をはかるため,地方分権と住民や消費者・顧客の意思決定への参加,そこへ予算配賦・使用決定権の委譲を行うなどの改革が試みられているが,専門職能集団自身も認め憂慮しているアカウンタビリティーの低下を食いとめられるかどうか。今後にまたねばならない。根底にある予算責任に関する判断基準の,専門職による"Privatization"と,福祉提供セクターの多元化に伴うアカウンタビリティーの"Privatization"との再編成動向の行末をみとどけなくてはならないからである。

 このようにして,ここでもまた,現代政府は予算責任の重大問題を,かかえ込んだのである。

 四

 この文章を締めくくるにあたって,自分自身がつね日頃考えてきた監査の一般理論の基礎的枠組みについて,最近疑問をもつようになったことをのべてみたい。このことが,これまでのべてきた現代の予算統制,アカウンタビリティーの衰退に立ち向う姿勢を反省するのに役立つかも知れないと思うからである。

 現代の監査理論の構築は,まず,事前監査と事後監査,外部監査と内部監査のふたつの対概念を,徹底的に機能化して相対化することからはじまった。そうであればこれらの概念は,つぎの監査の基準とか監査の対象とか監査の主体・権限などに,排他的に必然的に結びつくものではない。逆にどのような結びつきも,選択的に可能である。そして特定の組合わせを決めれば,残されているひとつの概念も決められるという関係にある。ひとつの包括的システムの予算監査の仕組みは,二組の対概念と,監査の基準,対象,主体の定義とを組合わせた体系によって決っている。

 しかしこういう抽象理論の組合わせも,やはり具体的説明において用いようとするさいには,どうしても特定の時代状況を基礎にすえなければならない。それこそが枠組みというものであろう。

そこで最近みずからにいいきかせ考えているフレームを,概略のべてみたい。概略であるから,ある図形を念頭において説明してみよう。

 まず縦軸と横軸とを画いて交差させよう。そこで平面は四つの部分に区切られる。それぞれを随意に第一象限から第四象限までと名づける。第一象限には,監査ひろくは予算統制の対象を考えることとし,そこで政府の成長をとりあげる。政府機能の拡大といわれるその外延的拡張と内包的な質的変化が分析され,予算責任の低下にどのように対応していくかが検討されなければならない。

 この象限に隣接する第二象限においては,とらえ方,つまり分析し検討する方法が考えられねばならない。政府の成長についてより広く──これを横軸で示すとすれば──,より深く──縦軸で示される──,かつより長い時間のスパンでつまり長期を対象に──これは縦軸横軸の間にひかれる45度線によって示されよう──分析検討する必要がある。第三象限には評価の行動,基準などの技法を伴う一連の行為の連鎖をとりあげる。このなかで予算監査の包括的な体系を考えてみる必要がある。政策実施(イムプリメンテイション)をめぐるアカウンタビリティーはここで扱える。第四象限は予算統制の主体とその統制責任範囲に属する課題に注目するものである。ここでは議会と行政府との関係が検討される必要がある。この両者の活動が政府の成長に伴って相互浸透的になってきたという現実が指摘され,厳格な三権分立の古典的構図は崩れかけていると説かれてから,時すでに久しい。にもかかわらずその現代において,予算の統制や監査の体系的仕組みに関する諸理論は,そしてアカウンタビリティー保証の装置についての諸理論は,余りにも古典的伝統的な枠組みにとらわれてはいないか,が問題になる。そしてこれはわれわれ自身のとらわれ方として,問われてもよいという課題でもある。

 第一から第四の全象限を相互に連動させて,ひとつのセットとして公的アカウンタビリティーの体系を,新しい枠組みのなかで考えてみたい,という願望がわたしのなかに育っていく,最近である。

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