第5号

財政の効率化と会計検査
−第4回公会計監査フォーラムの特別講演より−
貝塚 啓明

貝塚 啓明
(東京大学教授)

 昭和31年3月東京大学経済学部卒業,学習院大学助教授,大阪大学助教授を経て現在東京大学経済学部教授

 ただいま過分なご紹介をいただきました貝塚でございます。

 私ども財政学をやっている人間というのは必ずしも監査とかその関連分野をよく知っているわけでもございませんで,どういうことをお話したらいいのかいろいろと迷った次第でございますが,今日お話しすることは,まず財政面から予算における効率化が何を意味するかということと,この問題と会計検査というのはどういう形でつながっているかというお話をしたいと思います。

 まず,経済の方から,あるいは財政の方からご説明して,最後に会計検査,ないしは監査,そういうことの関係をお話ししたいと思います。

 財政の効率性

 財政の効率性というのはここ10年以上日本の財政,あるいは予算編成で決まり文句のように言われているわけですが,もう少しエコノミスト,あるいは経済学者の立場からみたときに財政の効率性とはどういうことかということを最初にお話ししたいと思います。

 効率性という概念はよく使われますけれども,少し細かく考えますといろいろな意味の違いがございまして,その点をまずお話ししたいと思います。財政支出をもう少し効率的に使うのはどういう意味かと考えて見ますと,経営的効率性と経済的効率性という分け方と,それから,こちらの方は言葉として皆さん大体こういうことかというふうにおわかりになると思いますが,もう一つは事前的効率性と事後的効率性とを分けて考えるということです。事前的というのは別の言葉で言えば計画するとき,これからやろうとするときに何が効率的であるかを考えながら財政支出,あるいはいろいろなプロジェクトを立てる。事後的というのは後になってみればどうなるかという話です。

 効率性というのは,いくつかの尺度がございますが,ここで申し上げます経営的効率性と経済的効率性という切り口ともう一つは事前的効率性と事後的効率性という二つの切り口を考えますとよろしいのではないか。最終的に話の一番最後のところでは会計検査というのはどういう効率性と一番関係しているかというと,やはり一番関係が深いのは事後的な効率性というところに関係してくる。これから先,どういう役割を果たすかということについてはあとでご説明したいと思います。

 最初に財政支出,これは何でもいいんですが,民間の企業の支出でもよろしいんですが,一番わかりやすいのはおそらく財政の分野で言えば公共投資,非常に長い時間資金を投下して,それで効果が出てくるという種類の公共投資のプロジェクトを考えていただくと一番わかりやすいと思います。

 経営的効率性

 経営的効率性というのは,わかりやすく言えば何か仕事をするときに,目標は決まっていて,あとはコスト,費用を,経済学者の言葉を使えば最少にするということです。このことはある意味で非常にわかりやすい。経営的効率,普通効率性というのはやはりコストを小さくするという考え方が一番わかりやすいわけですし,数字も割合簡単に取れるわけです。まず,財政支出というのは基本的にはやはり同種のプロジェクトのなかでコスト最少ということでないと効率的でないというのが第一のポイントであります。

 これはおそらく私企業においても公企業でもいずれの経営体においても非常に重要であります。もともと資本主義経済において企業は利潤極大をやっているというときにも費用の最少ということは前提がありまして,企業はコスト最少を充たす組み合わせのなかで一番もうかるのは何かというのを探していくというのが私企業の経営であります。

 それから,公企業については公企業の効率性というのは非常に難しいんですが,独立採算制をとっていて効率性は何かというと,わかりやすいのは何といってもコスト最少,コストを一番効率的に使っているんだというのが公企業の経営の効率性の重要な指標になると思います。経営的効率性というのはその意味で非常にわかりやすいわけですし,昔の話から申しますと,例えばORというのがございます。オペレーション・リサーチですね。この手法は経営的効率性を考えるとき非常にうまく使えるわけです。目標が決まっていて,そして,どういうふうなやり方をとれば一番コストが少なくてすむか。これは,コストの計算というのはお考えになってすぐにわかりますけど,いつでも,市場の価格で計算できるわけです。要するに,人件費はどれだけかとか,それから,例えばセメントを発注すればどれだけかかるとか,そういう類の話は多くの場合すぐデータがとれます。ですから,そういう意味で使いやすいということになります。これが経営的効率性です。

 経済的効率性と財政配分

 経済的効率性というのは実をいうとかなり複雑になります。今度は目標というのがあります。何をやるかということ自身も考える必要がある。例えば,財政のプロジェクトというのはたくさんありますが,わかりやすく言えば公共投資,本当にそうなっているかどうか別の問題ですが,一応公共投資をいろいろ考えるとき,こういう方式が一番コストが少なくてすみますよということがある程度わかっている。しかし,どの分野に公共投資をやるかというところがいってみれば経済的効率性であります。ですから,公共投資でいえばプロジェクトの選択を含むわけです。これは大変難しいわけです。この選択を現在の日本でどこがやっているかというと,大蔵省の主計局はある程度それをみているわけでしょう。それから,各省庁の官房はみているわけですし,おそらくそれぞれのセクションはいろいろな公共投資のプロジェクトをやるときに何が必要であるかという優先順位をつける必要がありまして,この優先順位は経済学者の言葉で言えばやはり経済的効率性であります。会社の経営になぞらえれば,会社の経営というのは要するに先ほど申し上げましたように,やはりコストを一番最少にすることは非常に重要ですが,それにプラスしてどこで稼ぐか,どこでプロフィットを稼ぐか,わかりやすく言えばもうかる仕事はどこにあるかということを決めなければいけないということになります。

 そういうわけで経済的効率性というのはこれは複雑であります。ですから,普通の用語を使えばアウトプットとインプットというのがありまして,費用を一番小さくするというのはインプットのところだけをみていればいいわけです。何かを使ってのサービスでも,あるいはものでも生産するかというときの投入の側,インプットの側だけみていればいいわけです。ところが,経済的効率性の方はアウトプットとして何を作るか,何をサービスするかということを決めるわけです。そういうことになります。

 この場合,話を経済全体のいわゆる財政の話にもっていきますと,一番大上段でふりかぶれば財政支出をどういう基準でどこに配分するかというのは消費者,あるいは国民にとって何が一番いいのかという,これは非常に抽象的なんですが,これをそのまま言えばお題目になります。しかし,このお題目は非常に重要でありまして,それを具体的な例えば公共投資の分野のどこに適用していくか。現在,日本では公共投資基本計画と言いますか,日米構造協議でアメリカの要求をもらって,かなりの程度1990年代に日本は公共投資を拡充するということを約束して,実際に予算はそういうふうになりつつありますが,一体どの分野にどういうふうに配分したらいいのかということですね。その問題であります。

 分析手法としては昔からこういう分析手法がないわけではありません。費用便益分析,コスト・ベネフィット・アナリシスと言います。例えば,建設省の方などはよくご存じだと思いますが,高速道路を造るときにはフォームが決まっております。この高速道路を建設すれば便益と費用との差額がどれぐらい発生するか計算するためにその算定の方式やどのような項目をコストに入れて,ベネフィットにどのような項目を入れたらよいかということもフォームが決まっておりまして,一応それで計算すれば出てくるという話であります。

 しかし,公共投資全体について一体どこに配分したらいいのかということについてそう簡単な方式があるわけではありません。概念的にはあるんですが,実際にそれを計算するのは大変難しいということがおわかりになろうと思います。しかし最終的には,財政の問題をそういうことを考慮に入れて公共投資の配分をやる必要があるということになります。

 一言付け加えて言えば,このような配分は実をいうと経済学者が簡単に数字で計算できるというふうな話でもなく,かなり価値判断の問題が最終的に含まれます。ちょっと考えていただければすぐにわかりますが,今後の公共投資はどの分野に拡充すべきか。それは一体国民といっても,われわれもう60近い人間の世代なのか,あるいは子供の世代なのかということです。おそらく,21世紀の社会資本の整備のためにはどうも私どもの世代がいいと思っていることを優先させるのは大局的にはおかしいという可能性があって,今の若い世代の方がどう考えているのか重要です。

 ですから,公共投資をいろいろやったときに,公共投資というのは長い間,耐用年数がおそらく40年とか50年なんです。今つくって,そしてあと10年,20年先の人が一体いいと考えているのかどうか。そういうかなり難しい問題を含んでいるということになります。

 この点はすぐ後の事前的効率性と事後的効率性に非常に関係いたします。現在,公共投資のプロジェクトをやろうとして,どの分野にやるかというのはまさにここで言えば,少なくとも10年先くらいのことも一応考慮に入れてやりましょうということです。それは今の段階で得られる情報を使いながら,こういう分野に,例えばの話,公民館を造りましょうとか美術館を造りましょうとかいろいろなことがございます。選択肢はいっぱいあるわけですが,とにかく今の段階でわかっている情報を使って,そして,もちろんそのときには先ほど申し上げましたように地方公共団体であれば,この地域の住民は一体どういうことをやりたいと考えているかということもある程度フィードバックして,そして,こういう公共投資を実際に実行に移す。

それはおそらく1年間で終わるわけではありませんで,数年間かかる。それが出来上がった後で,また耐用年数が非常に長くて,40年,50年の間,それは住民サービスのためにそれが使われる,施設が使われるということになりましょう。それは実をいうとずいぶん前に意思決定をして,そのときの情報で決めて,そしてやったということになります。

 事前的効率性と事後的効率性

 話が複雑なのは,例えば10年前にこれをやりましょうというふうに考えて,そのときにはみんな良いと思ったことが10年たったときにうまくなかったということは,これは,いくらでも例を挙げればたくさんあります。大蔵省とか自治省,あるいは地方自治体の財政関係者は渋い顔をされるかもしれませんが実際はそういうものなんです。要するに,情報というのはそんな10年先のことがきっちりわかるというものではないわけでして,ずいぶん変化が発生いたします。ですから,実際の財政の分野で過去大きなプロジェクトがあって,それが本当に10年後,20年後成功したかということになると,その評価は大変難しいし,場合によってはどうも失敗であったということはあります。それが事後的な効率性ということでありまして,財政の分野ではいろいろなことがございますが,経常的な支出というのは比較的今の話でありますが,投資的な支出というのはずいぶん先のことを考えるんですね。ですから,先のことを考えるときにはここでいう事前的効率性と,そのときに実際10年たってみたとき,これは果たしていい事業であったかということの評価はずいぶん違ってくる。世の中の変化は非常に激しいわけですから,この違いは場合によっては非常に大きくなる。成功したと思っていたものがだめだった。逆に,これはこんなことをやったってだめじゃないかと言われていたものが10年か15年たったときに,これは非常に良いことをしたんだということになっているケースがあります。それがここの事前的効率性と事後的効率性の区別であります。

 私どもエコノミストというのは比較的ドライに議論いたしますが,日本の財政の分野で例えば農林省の公共投資の予算なんていうのはどういうものかなと考えたりするのはその辺の話であります。非常に大きなプロジェクトをやって,今それがうまく使われているかどうかということになると相当問題があります。

 逆のケースもまたいろいろとあるわけで,この逆のケースを証明するのもまた難しいのであります。私の個人的な意見をちょっとだけ申しますと,例えばの話,日本の社会資本充実のところで,おそらく一番抜け落ちているのは21世紀の社会に残すべきものとして非常に重要なのは,おそらく,最近多少言われていますけれども文化財,あるいは町並みとか,そういうものを保存することは非常に重要であると思います。これはずいぶんお金がかかりますけれども,おそらく新しいものでいっぱい,言ってみればコンクリートをいろいろ造るよりも,あとになってみて非常にこれはしまったと言っても,そんなに簡単につぶすことはできないわけでして,そういうものよりもややソフトなものを重視してやった方が良いというあたりで,その辺は十分に考えていただきたいというふうに思います。

 財政と統制

 そういうわけで財政支出の効率性というのは今申し上げたようなふうに切り口としては一応分かるわけです。その次に2番目の話でありますが,財政という話は非常に複雑な問題があります。それは要するに政治の問題であります。財政学というのはある意味ではそういう話もやらなくちゃいかんわけでございますが,予算に関していえば最小限どうしても必要な歯止めといいますか,あるいは逆にいうと別の考え方があって,それは予算統制(Budgetary Control)であります。わかりやすく言えば行政府が予算をつくって一応執行しているのに対して,立法府はそれをチェックするということであります。ですから,行政と立法の関係が予算の場合には一番ある意味では強く出ております。民主主義というのは基本的にはそこから出発した。予算のコントロールから,立法府のコントロールから出発したということであります。

 日本の財政法はまさにそういう観点から出来上がっておりまして,予算統制というものはこれは要するに行政府のやる仕事に対して一応形の上で立法府がチェックするというところが非常に重要なポイントになっておりまして,制度としてはほとんどそういう形で制度が出来上がっている。例えば,単年度の予算というのがあります。1年ごとの予算を審議する。これは国も地方公共団体もそうですが,私どもエコノミストからみると単年度でブツ切りにしてやっているというのはえらい不便な話でありまして,おそらく,これは会計検査院がある程度実際細かく見ておられるところかもしれません。わかりやすく言えば,3月の末ぐらいになって,いろいろ大急ぎに支出をしなければいけないということもあって,これはちょうど2年にわたって支出をすれば,もう少しうまく支出ができるという可能性はあります。しかし,これはいってみれば単年度予算がなぜ必要かというのは議会とか国会が毎年毎年予算に関しては歯止めをきっちりつける。別の言葉で言えば財政支出の最高支出限度というものを国会が設定するというのが,そこがコントロールの一番重要なところです。

 これを2年とか3年にしてしまえば,それは立法府のコントロールが弱くなる,そういう話であります。ですから,予算統制と財政の効率性というのは,これは一見するところ多少矛盾するところがあるということであります。これはまさに予算というものが政治プロセスを経て作られるということであります。日本の場合は立法府と行政府の関係はそういうふうになっている形で国会の統制を受けるということになります。

 アメリカの財政統制

 例えば,アメリカの場合であれば話はずいぶん違っておりますが,アメリカの場合はいってみればご存じだと思いますが,予算というものは日本みたいな予算はございませんで,日本でいえば国会のいろいろな委員会で勝手勝手に歳出をバラバラに決めていく。1年なんていうものではなくて適宜やっていくわけです。ですから,アメリカの連邦予算で日本の予算に対応するものはありません。逆にいうとアメリカの議会というのは非常に強い権限を持っているということになります。ですから,各国それぞれ違ったやり方でありますが,いずれにしても立法府というものはそういう形でコントロールしているということになります。

 予算編成と官僚機構

 これが形の上では予算編成ということになります。あるいは,予算の制度がそうなっていて,その中で毎年度の予算編成が行われているということでありますが,実際の予算編成はどうなっているのか。現実の予算編成というのはこれに先立つ概算要求の各省庁の大蔵省への提出が終わった段階から始まるのでありますが,予算編成というのは一体主たる仕事は何をやっているのかといいますと,大体新しい経費を認めるか認めないかということになります。いや,それだけではないと言われるかもしれませんが,大体そこのところに精力が注がれるわけです。ですから,英語で言えばインクリメント,要するに増し分,増える部分にすべて精力が傾倒されるということになります。

 これはどこの国でも大体そうらしいのであります。わかりやすく言えば,経済学者というのはときどき単純すぎるモデルを作りますが,次のように考えるわけです。官僚機構というのはどういう形で動いているかというと,官僚機構は,私も国立大学の人間ですので,例えば給料なんかで言えば大学教授というのはみんなほとんど同じであります。多少年令が加算されるとか。役所も局長の給料とか課長の給料はみんなほとんど同じです。

 じゃあ,お役所の人がなぜこう頑張って働くのかというときに,一つの解釈はお役所の人の仕事はその人が獲得した予算の大きさに依存する。だから,ある意味で新しい予算をどれだけ獲得したかということで評価される。確かにその面があります。ですから,そういうふうに言われているように現在の役所といいますか官僚機構にとって予算の持っているそういう面は非常に大きいわけでして,しかも新しい予算をどれだけ獲得してくるかということになります。

 事前評価と事後評価

 実際に予算編成はそういう形で動いているわけで,それは一番最初の財政の効率性というところと関連させて言いますと,こういうやり方というのはもちろん事前的な効率性を判定しております。しかも,事前的な効率性というのは新しい経費についてとにかくこれは効果があるかどうかと言うわけです。わかりやすい例を言えば,整備新幹線をどこへ造るか。私もあまり細かい点は知りませんが,例えば軽井沢の所に造ります。しかし,造るときに,それは従来の新幹線とは違って,もう少し簡便な新幹線になります。なぜそこに造らなきゃいけないかというところは,これはある程度収支採算をきっちり見ます。ですから,事前的効率性というのは現在の予算編成で申し上げれば予算編成が大体新しく増える経費にはほとんどの精力がさかれるために,そこのところはかなり厳格にいろいろ議論されて,そこではスクリーンが働くという形になる。

 ただ,こういう予算編成の仕方が果たして全体の財政の効率性にとってどの程度まで役に立っているかというのは,これは簡単には評価できないんですが,一つ言えることは事後的な効率性をチェックするシステムとしてはほとんど働いていないということです。事後的な効率性というのは1回作ったものが,あるいは,今やっている最中の継続的な事業で,実際問題として公共投資を途中で止めてしまうというわけにはいかないことがあります。一番卑近な例では道路を途中で,用地買収が難航してうまくいかないというケース,これは仕方がないんですが,そうではなくて,道路を途中で止めて,この先は工事しませんというのはプロジェクトとして非常にまずいんです。少なくとも高速道路は全部開通させて,ネットワークとして動いて初めて効率的なわけです。ですから,公共投資のプロジェクトというのは継続性とか重要です。

 したがって,1回出発してしまうと途中で切るわけにはいかない。一番早い話が橋を造って,途中でちょん切ってしまったら,橋としての役割は全然果たさないわけです。だから,あるところまで完結しなくてはいけないということになります。

 最初,公共事業みたいなものは長い時間がかかって,最初頭を出して作り始めるんですが,しかし,実をいうと先ほど言いましたように事後的な効率性でうまくないケースが生じ得ます。わかりやすい話では例えば第1次石油危機みたいなときであれば原材料費が上がったりしていますね。非常に工費が上がるということもあります。それから,例えば環境問題についても,10年前の考え方と,今の環境問題の考え方が違うとすれば,もともとの設計において環境問題について甘く設計した公共投資のプロジェクトはあり得るわけです。簡単に手直しできれば,それは良いんですが,そういう類の話であります。ここがおそらく現在の予算編成を効率性という観点からすれば一番問題の多い分野であります。

 このことは普通,予算の時の言葉で言えば既定経費を洗い直すということです。根っこから洗い直す,それは必要なんだということはいつでも議論としては出てきます。しかし,根っこまで洗い直すということをやるということは普通はできない。なぜかというと,今の財政支出というのは国のみならず東京都などを考えていただきますと,財政支出というのは数多くのいろいろなプロジェクト,いろいろな財政支出を行っているわけです。それをいちいち根っこから洗っていたら仕事ができないわけでして,要するに,そういう仕事をやっている財政の部局というのはここまでとても時間がさけないわけです。ですから,既定経費を全部見直すということはおそらく行政的な効率性からいえば大変手間がかかることで,非常にわかりやすく言えば,例外的な事態を除けばなかなかやれませんという話になります。非常に手間がかかるわけですが,しかし,事後的効率性が重要であることはその通りでございます。そういうことになります。

 予算編成と政治

 それから,もう一言付け加えておく必要があるのは,政府の予算というのは最初に申し上げましたように政治の問題が非常にかかわっておりまして,現在の民主主義の下での政治のプロセスとはとういうものかというと,圧力団体,政党と官僚機構とが複雑に絡んでいます。したがって,いろいろな政治的な圧力が予算編成においてかかるわけであります。エコノミストからみれば非常におかしいことも起きていそうだということでときどき議論はするんですが,なかなかそうはうまくはいきません。

 財政と合理的意思決定

 今の財政の意思決定というのは大体今申し上げたような感じでございますが,もう少し合理的にできないかということが昔から考えられてきました。しかし今までのところ何回か試したんですが,大体残念ながらうまくいっておりません。一番有名な例がPPBSであります。アメリカの,ずいぶん昔ですが,ケネディ政権のときの話です。PPBSというのは,かつて私も多少そういう議論をした覚えがあります。このようなシステムを入れようじゃないかということをちょっと日本でやり始めたものですが,これは残念ながらうまくいかなかった。アメリカでもほとんどうまくありませんでした。

 なぜそうかというと,PPBSというのは先ほどいろいろ経済的な計算をしてみて,どういうやり方が良いか,これはコストがうまく計れて,これでいえばこっち側のコストが低いから,あるいはベネフィットの方が大きいからというような算式がいろいろできるわけです。PPBSのシステムというのは実をいうとそういう方式を各官僚機構の部局に要求したわけです。PPBSというのはプランニング・プログラミング・バジェティング・システムということですが,要するに,長期プランを立てて,それをプログラムに直して,そして実際の予算に翻案するシステム,翻訳するシステム,というわけですが,これはすぐ後で,しばらくたって,アメリカですぐに皮肉を言われて,ペーパー・プロデューシング・バジェティング・システム,文書ばかり余分に作るシステムというわけです。お役所にとってみれば,今まで予算編成がルーチンでやっていたいろいろな資料以外にやたらといろいろなところから資料が必要になって,こんなのはとてもかなわないということになりました。従来の伝統的な予算を作っていくやり方と経済合理性を入れてやろうとするやり方というのはなかなかマッチしない。大体予算の制度というのは,あるいは予算のプロセスというのはある意味では政治が決めているというところがありますから,合理的な要素を入れていこうとするとき,なかなかうまくいかないということで,残念ながらうまく機能してこなかったということであります。

 一言だけ申し上げれば,経営的効率性というのは比較的やりやすいのであります。ですから,一番この手法が使われたのはアメリカの例で言えばOR的な手法が一番使いやすい。国防総省の国防費が典型的な例です。時代がずいぶんかわってきたんですが,やはり目標は非常にはっきりしているわけです。安全保障というものをもう少し具体的に定義して,どういうシステムをその中で一番効率的なものは何かというふうに用いるわけでOR的な手法が一番使いやすいわけです。

 しかし,それ以外の分野になるとなかなか難しいわけです。例えば,他の例を挙げれば,計算はできるかもしれないが比較がうまくできない。例えば,新幹線のようなもの,要するに鉄道でもって交通網を拡大していくか,それとも高速道路でやった方がいいのか。これは両方やった方がいいというのが多分政治家のご意見だと思いますが,これは経済的には無理である。だとすれば,どっちかを選ぶ。どっちに重点を置くか。それは具体的に問題を提起することもいいんですが,もう少しやや全体的に,それではどちらが国民経済にとってプラスなのかということをただちに計算しろと言われても,大変難しいです。やりやすいものとやりにくいものがあるということは申しておきたいと思います。

 いずれにしても予算全体について,合理的にできますよということにはなかなかならない。そういうわけで,話の出発点は予算のフレームワークというのは財政法というのがあって,とにかくある意味では非常に堅いシステムになっているんですが,実際予算が運営されているのは先ほど言ったようなやり方であって,事前的効率性はある程度はうまくいくけれども,事後的効率性はなかなかチェックできない。それから,経営的効率性は比較的やりやすいけど,経済的効率性というのは,これまた難しい話になっておりますということでございます。

 以上が大体財政の方からいろいろ眺めてきて,エコノミスト,あるいは経済学者の観点からいろいろお話ししてきたわけです。次に会計検査,ないしは会計監査,そういうものと一体こういう話はどこでつながってくるかということになろうかと思います。

 財政と会計検査

 私どもが理解する限りにおいては会計検査というのはやはり,日本の会計検査は基本的には今までのやり方というのは,そこに一種のアカウンティング,公会計,あるいは国の会計,あるいは国の会計法,そういうものがあって会計上の処理と関係して検査がなされるというふうな理解の仕方が普通の理解の仕方であり,そこにかなり重要なウエートがかかっていると考えるわけです。

 もちろん,会計検査というのはそれだけの機能ではございません。先ほど,ご説明したような役割があります。検査の観点として正確性と合規性,要するに規則に合っているかどうかですね。それから,経済性と効率性,有効性,一応四つの柱が立っております。私どもからながめている感じで言えば,正確性というと非常に正確に財政の支出がされたということが記帳されていて,予算の執行が正確に行われているか。もう一つは,合規性,規則に従って,それがちゃんとされているかどうかです。そういう面が強く出ているように感じるわけです。

 会計検査の社会的役割

 会計検査の役割というのはですから一応私どもが知っている感じで言えば,そういうふうなイメージが持たれているわけです。しかし,会計検査というものが一体どういう役割を国の全体の財政,あるいはもっと広い意味で,大げさに言えば,日本の社会の中でどういう役目を果たすか。あるいは,別の言い方をしますと,これは公会計の話でありますが,実をいうと企業の会計についても全く違う側面ですけれども会計監査の役割というのはやはりかなり社会的に重要な機能を持っているわけです。

 最近,日本で発生した,証券不祥事というのは,証券界の人にフランクなところを聞けば,こんなのは不祥事と言えるのでしょうかという話になりますが,とにかく不祥事と言えるか言えないかというところが,やはり会計の処理と非常に関係しているわけです。そういう話で,要するに民間の企業についても会計監査というのは,これは実をいうと日本ではその役割が重視されていないようですが,社会的には今後重要な役割を果たします。

 それでは,行政機構とか公共部門の中で会計検査,ないしはそれの類似の制度はどういう機能を果たせばいいか。その観点から申しますと,現在の会計検査というのはどちらかというと,先ほどの私の表現ですれば,最初の財政の効率性の事前的効率性と事後的効率性の分け方では明らかにその事後的効率性と関係しているんです。

 おそらく,会計検査機能というものを今後もう少し機能をなるべく拡大していくとすれば,すでに会計検査院の仕事の中で言っておられる経済性とか効率性の視点を重視していく。そういうことを会計検査というのはどちらかというと事後的な効率性のところからアプローチしていくのが当然そうあるべきだし,そして,日本の行政機構の中でそういう役割を果たしているのは,行政監察も別の立場からもちろんやっておられるわけです。いずれにしても日本の財政全体の効率性の中でどうしても今まで事後的な効率性については十分検討されてこなかった面があるわけです。

 ですから,会計検査,あるいは総務庁のお仕事でもいいわけですが,やはり事後的な効率性という点で,それぞれ専門分野の得意な分野があって,いろいろなノウハウがあるところから出発することになります。

 事後的な効率性をチェックする。チェックして,それから先が実際のどこかの政策にフィードバックする必要があるのでして,そのフィードバックをどういうふうなチャネルで確保するかというのは重要ですが,どこかでフィードバックする必要があるということになります。

 財政統制と会計検査

 最後に予算統制,アカウンタビリティについて申し上げます。アカウンタビリティという言葉は私はあまり得意な言葉ではございません。これは結構難しい言葉で,要するに日本語には訳せないんですが,どういうことでしょうか。やはり正確な情報をきっちりととって,責任の所在をはっきりさせる。相手はだれに対してかということはいろいろあるわけで,総務庁の場合には内閣総理大臣です。会計検査院ではもう少し広くて,行政機構の中に一応入って,例えば国会に対して,それぞれのどこに責任をとるかということについて違いがあるわけです。具体的な財政支出について所期の目的に沿っているか。所期の目的自身が少し怪しいということすら十分にあり得る。そうであればそこでチェック機能を発揮するということではないかと思います。そういう機能は重要ではないかと思います。

 行政機構と会計検査の横断性

 それから,これも現在の行政機構の中で,会計検査というのは非常に横断的です。要するに各省庁が持っている仕事をみんな一応いろいろな形で,会計検査という形で調査ができる。それについてある種の判断を下すことができる。日本の現在の官僚機構というのはご存じのように,実をいうとかなりそれぞれの分野が役所同士の間の行政の権限にはっきり分かれて,しかも線がはっきりしている。平たく言えば,大蔵省と通産省で申し上げれば,私の知っている例で言えばノンバンクというのがあります。ノンバンクというのは銀行以外でお金を貸している業者です。例えば,そのノンバンクの中で貸金業者は,俗称サラ金というのは大蔵省の管轄ですが,しかし,割賦販売の方は通産省です。同じくお金を貸しているのですが。そこで一応仕切りができています。

 どうも日本のように仕切りがきっちりしている国は実をいうとあまりないんです。アメリカ人に行政の仕切りが日本ではこういうふうになっていると言っても理解ができないようです。アメリカは,例えば商務省がありますが,日本の通産省と同じように仕切りがあって,そういう中でやっているというような理解は全然通用しない。そういう考え方自身がアメリカの中にはおそらくないのでしょうか。しかし,日本ではそういうふうに各省が持っている対象の行政分野というのは非常にきっちりしているわけです。

 日本の行政機構はそういうのが中心ですべて運営されてきているわけですが,横断的に仕事をやっているところは会計検査院でありますし,総務庁がそうです。ほかに細かい例を挙げればいろいろあるが公正取引委員会がそうです。現在の日本のいろいろな経済活動の中でいろいろな業種があります。わかりやすい例で申し上げれば,証券業があります。最近いろいろ議論になりますが,例えば,普通言われている不祥事に関する議論で,仮に損失補てんがあったとして,補てんを受けた先の企業ですね。お客さんの側ですね。お客さんの側は普通は証券業ではないわけです。証券業ではない一般投資家とか機関投資家とかいろいろな企業があります。その法人企業というのはわかりやすく言えば,これは大蔵省の所管ではないんです。証券業は大蔵省の所管です。損失補てんで相手に罰則を適用して,そこがうまくやれないというのは,なぜやれないかというと,日本的な言い方をすれば,例えば製造業の大きな法人というのは所管は普通で言えば通産省でありまして,そこから大蔵省の証券局が罰金を取ってやるというのはおかしいじゃないか。このような日本的な業界と行政官庁のはっきりした対応関係というのがあるわけです。

 証券取引法というのは証券業と同時に証券市場を全部対象にしているわけです。証券市場にはいっぱいいろいろな投資家が入ってきている。それも取り締まることになっているんですが,大蔵省はなかなか取り締まれないわけです。なぜならば,それは所管の業種ではないからというのが一番わかりやすい説明でありますが,そういう問題であります。

 日本の役所のシステムというのはこういうふうになっておりまして,そういうやり方が,外国から言わせても,あるいは消費者の立場から,あるいはもう少し第三者から見て,不透明とかいろいろな批判があるわけです。このような不透明さを直す一つの考え方は,行政機構の中で横断的な役割を持っているところがあって,それがある程度の発言力を持っているということが重要ではないか。発言力を持っているというのは非常に微妙でありまして,本当に発言力を持つと各省庁と完全に衝突しますからもう少し弱くてもよいわけです。しかし,発言力はある程度ないとあるのが望ましい。今後の日本の行政機構もその程度のある種のフレキシビリティ,横断性を持っていく必要があるのではないか。

 そうしないと,今後の国際化した経済社会の中で日本は,非常にわかりやすく言えばやっていけないというふうに思うわけです。いろいろな官僚機構の中で横断的な組織は今後少しずつ強化される必要があります。強化されるというのは何もほかの省庁から直接に権限を取ってしまうということでは決してないのですが,例は良いか悪いかわかりませんが,例えば公正取引委員会が現在外務省の裏側に建物がございまして,そこで仕事をされているわけですが,公正取引委員会がやっている仕事は確かに権限はそういう意味では強くありません。しかし,言ってみれば世の中のいろいろな経済的なことで不公正なことが起きている,あるいは独占的な行為が発生しているという場合に,やっぱり公正取引委員会がある程度の発言力を持っているということは非常に重要であります。ある程度の発言力を持っているということはどういうことかというと,公正取引委員会はこういうことについてはどうもおかしいじゃないかとはっきりと意見を述べて,調査が必要だと発言して,それが影響力を持つ。

 影響力を持つということはどういうことかというと,他の省庁はそういう発言に対して,いや,これは少し具合が悪いことが発生していることを考えて,そこでもういっぺん自分の行政の中で再検討することを最小限やらなくてはいけないというところが重要ではないかと思います。

 会計検査というのは,検査院がやっているお仕事は,もちろんまた違った種類の仕事ではありますが,今申し上げたように,やはり横断的に日本の行政機構の中で現在確実にやっている仕事で,その仕事を基礎にして発言できる余地というのはかなり広いわけです。

 日本のお役所の各省庁の方にこういうことを言うと,そんな公取とか総務庁とか,外からいろいろなことがあったら行政がやりにくくて仕方がないとおそらく言われるに違いないと思いますが,私が申し上げれば,多少やりにくいということがこれから重要なんです。全然やりやすいというのは,言ってみればやや異常なことが起きているというぐらいに考えて行政は対応すべきではないか。そのときに,横断的な役所の機構というのは何も権限は直接持つわけではなくて,申し上げれば発言力があるというふうなことでよろしいのではないかと思います。

 行政の透明性と会計検査の横断性

 そうなれば,少し話が透明になるし,おそらく国際的に考えてもそういう形になるのではないか。会計検査の制度というのはずいぶん各国によって違って,私もほとんど勉強しておりませんが,アメリカのケースなんかはGAOというのがございます。GAOというのはご存じのように議会の中に入って,現在はほとんど日本でいう会計的な検査というのはあまりやっていないんです。

 私も個人的にGAOの人にインタビューを受けたことがあります。

 それはどういうことかと言うと,今も多少問題になっていますが,アメリカの財政赤字とアメリカの国際収支が赤字になっている。アメリカの国際収支の赤字について日本側はどういう意見を持っているかということをワシントンのGAOの人が2人ほど2回ばかり私の所に見えられました。ですからGAOの仕事というのは範囲が広い。しかも,現在の状況,将来のことも含めて,ですから,果たしている役割は広いのです。

 つけ加えますと,アメリカの場合,例えば,行政機構というものが権限が重複しているというのはそんなに不思議なことではないのであります。例えば,金融なんかとってみますと,アメリカの場合にも,当然規制はありますが,それは中央銀行がある程度やっておりますし財務省がやっております。それから,通貨監査官というのがやっています。もう一つは州の当局がやっています。

 そして,やっている仕事が完全にストレートに衝突しているというよりは違った業務についてそれぞれ違ったところが見ております。これは考えてみると無駄にみえます。日本からそれぞれの役所に行って,調査することがありますが,こんな無駄な話はないんじゃないかという印象を誰しも持つ。それは先ほどの日本の官僚機構の今までのやり方と比較してであります。

 しかし,逆に言うとアメリカの社会と日本の社会はある意味では対称的なのでしょうが,要するに非常に無駄が多いようですが,えらく錯綜していますが,言ってみれば違った観点を持った行政当局がそれぞれ入り込んでくるんです。それは非常に多様な意見が反映されて非常に複雑になり,これは大変だという話になるかとも思いますが,一方においてそれは透明性を保障しているということになっているのではないかと思います。

 もちろん,アメリカのケースは日本と非常に違っておりまして,おそらくは中間的なケースは,例えばイギリスなんかはそうだと思います。イギリスなんかは実をいうとそれほど透明でもありません。しかし,日本ほど不透明でもないという極めて微妙なところにあります。しかし,日本の制度もそういう方向を目指さなくてはならないと思います。これはおそらく私企業の会計監査についてもちょっと違った視点ですけれども,同じようなことが言えるのではないかと思います。例えば,ディスクロージャーとかそういうことをちゃんとやっていく必要があるわけです。そのときに,やはり監査機能というのはそれなりに相当の役割を発揮できるわけです。民間部門における監査機能と公共部門における監査機能というのは,これはかなり違った観点でありますけど,両方がそれぞれ併存しながらやっていって,今後の日本の経済社会というものの中で今よりは透明ないろいろな慣行とかそういうものを確立していく必要がある。横断的な組織が持つ発言力がもう少し高くなることが望ましいのではないかと思っている次第です。

 いろいろなことを申し上げて脱線もいたしましたが,私が会計検査について持っております感想を含めてお話をいたしました。どうもご静聴ありがとうございました。

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