第14号

アメリカのS&L危機と会計政策
浜本 道正

浜本 道正
(横浜国立大学教授)

 1947年生まれ。横浜国立大学経済学部卒。東京大学大学院博士課程修了。弘前大学専任講師,横浜国立大学経営学部助教授を経て,90年より現職。日本会計研究学会,公益事業学会等に所属。

 主な著書・論文は,『電気通信の料金と会計』(共著,税務経理協会)『会計制度の国際比較』(共著,中央経済社)「日本型会計システムの特質とその成立基盤」(『会計』,95年4月)「アメリカの会計ディスクロージャー規制」(『企業会計』,91年9月)「補助金行政と企業会計」(『産業経理』,91年1月)など。

1 時価主義会計の潮流

 1980年代に始まった国際的な金融の自由化は,一方でさまざまな新しい金融商品(デリバティブ)を生み出すとともに,他方でバブルの形成と崩壊を引き起こし,わが国の経済社会に深刻な衝撃を与えている。新しい金融商品取引は価格変動リスクの重要性を浮き彫りにし,バブル経済の崩壊は信用リスクの意義を再認識させる契機になった。今日わが国の金融システムを揺るがし,政治問題と化している不良債権問題も,こうした金融上のリスクにかかわる問題として把握できよう。

 ここで会計の世界に目を向けると,これまで日本はもとより欧米各国の会計基準でも,営業活動から生じる実物資産か財務活動から生じる金融資産かを問わず,取得原価に基づく評価を原則としてきた。同様に,営業収益であれ金融収益であれ,その認識基準としては実現主義の原則がとられてきた。つまり原価評価と実現基準を基調とした会計システムがそれである。ところが最近では,アメリカのFASB基準書や国際会計基準(IAS)の動向にみられるように,金融資産を対象に時価評価の適用範囲が拡大されつつある。その背景には,1980年代以降の金融・資本市場の自由化と国際化が,金融機関だけでなく一般企業の行動様式にも大きな変革を迫っているという現実がある。金融取引にともなうリスク(とくに市場リスクと信用リスク)への対応の必要性が,時価情報への期待を高めているわけである。こうして時価評価の拡張という時代の潮流が,いやおうなく原価評価・実現基準の再検討を迫っている。

 この問題を考察するとき,これまでもさまざまな面で世界の会計をリードしてきたアメリカの経験が,やはり貴重な教材を与えてくれる。アメリカにおける時価主義会計の導入をめぐる議論の背景には,近年における金融機関の経営危機と金融規制の新たな展開があるといわれている。とりわけ1980年代における貯蓄金融機関(S&L)の崩壊とそれにともなう預金保険システムの危機は,従来の原価主義会計の信頼性を失墜させ,これに代替する時価評価導入の大きな動因の一つとなった。しかもS&Lの崩壊に端を発した銀行会計規制の再構築は,金融投資の測定と開示のための一般目的会計基準(GAAP)を形成する動きに重大な契機を与えることになったのである。

2 アメリカの金融危機

(1)金融自由化のもとでの資金の移動

 1980年代にアメリカの銀行を襲った深刻な不況は,金融の自由化と深くかかわっている。大恐慌後のアメリカでは,1933年銀行法(グラス・スティーガル法)の定めるレギュレーションQによって,預金金利の上限規制が実施されてきた。過当な預金獲得競争を防止して,銀行経営の健全性を維持するためである。しかし,この金利規制は1960年代後半になると,円滑に機能しなくなり,次第に市場金利が上限金利を上回るケースが目立ってきた。

 とりわけ1970年代末から80年代はじめの年率2けたに及ぶインフレを背景に,証券会社によって市場金利連動型投資信託(MMF)が開発されると,銀行の預金は急激に証券会社に流出していった。この証券会社の高金利商品に対抗するために,商業銀行と貯蓄金融機関に市場金利連動型定期預金(MMC)や短期市場金利預金(MMDA)の取扱いが認められ,ここにアメリカの預金金利は完全に自由化されたのである。ただ,S&Lなどの弱小金融機関は,金融自由化がもたらした資金の大規模な移動のなかで揺さぶられ,その経営は著しく不安定となっていった(宮崎1992:32-40頁)。(注1)

(2)S&L危機

 預金金利が自由化された1982年以降,金融機関の倒産が急増し,88年からはその勢いが一段と激しくなった。なかでもS&Lの経営悪化は著しく,各地で預金の取付けが発生し,S&Lの預金を保険する連邦貯蓄貸付保険公社 (FSLIC)の収支も1986年以降赤字に転落した。そのためブッシュ政権は,1989年8月,S&L救済を目的に金融機関改革・救済・執行法(Financial Institutions Reform, Recovery and Enforcement Act:FIRREA)を制定するにいたった。

 なお,FSLIC加盟金融機関の倒産件数は,1988年に205件を数え,倒産率は7%近くに達している。この倒産率は,大恐慌時(1930年)の銀行倒産率を超えるといわれている。S&L倒産の波は商業銀行にも及び,金融・サービス部門の大量失業,銀行の企業向け貸し渋り(クレジット・クランチ)を引き起こし,実質GNPのマイナス成長をもたらした。こうしてアメリカ経済は従来と異なるタイプの景気後退,すなわち金融部門主導型のリセッションに直面することになる(宮崎1992:18-22頁)。

(3)連邦政府の財政負担

 S&L業界を救済もしくは清算するのに要する連邦政府の財政支出については,これまでさまざまな見積りがなされてきたが,最近(1996年7月),アメリカ会計検査院(General Accounting Office:GAO)が公表したリポートで,S&Lの最終的な清算コストが,資金調達のための債券の利払いを含めて総額で4,810億ドル(約53兆円)に達することが明らかにされた。このうち,1995年に解散するまでの間に747に及ぶS&Lの清算業務を担当した整理信託公社(RTC,1989年8月設立)の処理コストが879億ドル,FSLICの処理コストが647億ドルとなっている(日本経済新聞,1996年7月13日)。

3 S&L危機をもたらした要因

(1)金融規制の制度的環境

 S&Lの崩壊と預金保険機構の破綻が明らかになると,アメリカでは,誰がこの金融危機に責任があるかという,一種の犯人探しが幅広く展開されるようになった。会計の世界に限っても,監査人の責任が議会の調査・査問の対象とされ,公認会計士(あるいは会計事務所)に対する政府機関や投資家の訴訟が頻発している。政治や司法の場を舞台にしたこれらの動きは,S&Lの破綻をもたらした原因について,一般大衆が抱いているやや近視眼的な見方を反映しているといえよう。たしかに監査の不備,監督当局による問題解決の先送り,あるいは金融機関の経営者の不正行為のそれぞれがアメリカ金融危機の一要因になったことはまちがいないけれども,問題の本質はむしろS&L業界をとりまく規制環境の歴史的発展過程のなかに伏在していたとみるほうが正しいであろう(Margavio 1993:p.2)。

(2)満期のミスマッチ

 1970年代における市場金利の急速な上昇は,長期の住宅抵当貸付(mortgage loan)を専門とする貯蓄金融機関に,大きな打撃を与えはじめていた。とくにS&Lは,満期が6年以下という短期の預金によって調達した資金で,期限20年から30年にも達する固定金利貸付を行うように規制されていた。そのため,資産サイドの長期資金に負債サイドの短期資金が対応するという「満期のミス・マッチ」(maturity mismatching)が不可避的に存在していた。S&Lの財務構造は,金利変動リスクに強くさらされていたのである。預金金利の規制(レギュレーションQ)が緩和された1980年代はじめ,インフレーションのもとで市場金利は未曾有の水準に達し,それに連動して預金金利も上昇した。その反面,抵当貸付は長期性のものであるから,その返済の速度は遅く,金利が上昇しても投資収益率を高める機会は限られる。こうして,資金調達コストの方が貸付ポートフォリオから稼得される収益を上回ってしまった。この金利逆鞘現象は1983年まで解消せず,80年からの4年間に倒産したFSLIC加盟金融機関は138行に及んだといわれる(宮崎1992:41-45頁)。

 金利規制の緩和は資金運用面でも実施され,S&Lの抵当貸付も固定金利から変動金利への転換が盛んに行われた。しかし,ここで新しい問題が起こった。金利の上昇が保有資産の時価の下落を引き起こしたのである。変動金利への転換後,新規の抵当貸付約定金利は,既に保有している抵当貸付の平均利回りを大幅に上回るようになった。たとえば,1980年にS&Lが保有していた既発の抵当貸付の平均利回りは9.25%であったのに対して,新規抵当貸付の支配的な利回りは約12.5%であった。このような新規貸付利回りの急騰は,当然,S&Lの保有する固定金利型の抵当貸付残高の市場価値を大幅に下落させることになった。こうして,S&Lの貸付債権の時価は預金債務の時価を大きく下回り,すでに1981年の後半には,業界全体が実質的な債務超過に陥っていたといわれている(宮崎1992:44-45頁,Davis & Hill 1993:p.68)。

(3)矛盾した規制

 資金運用面での規制緩和は,また,ハイリスク融資の増加をもたらした。従来,固定金利の住宅抵当貸付に限定されていたS&Lの資金運用範囲が,1982年のガーン・セントジャーメイン法(Garn-St.Germain Depository Institutions Act)により,一定の限度内において自由化されたのである。そこでは,S&Lの総資産の40%までを住宅以外の不動産担保貸付に,30%までを消費者ローンおよび社債に,また10%までを商工業貸付に,それぞれ投資することが認められた。この緩和措置によって,不動産業,石油掘削関連産業など開発融資のほか,ジャンク・ボンドへのハイリスク・ハイリターン投資の割合が拡大していった。これらはリスク管理のノウハウが欠落している多くのS&Lにとって,しばしば不良債権に転化しやすい性質の融資対象であった(宮崎1992:50-55頁)。

 銀行監督当局は,上述した資金の調達・運用両面にわたる金融規制の緩和により,S&Lが従来の長期貸付・短期借入れという財務構造を分散化し,きたるべき経済環境の変化をうまく乗り切ることが可能になると信じていた。しかし,これらの措置も,1970年代に進行していた金利逆鞘による構造的な損失を解消するには,時すでに遅かったのである(Margavio 1993:pp.15-16)。

 このように,S&Lの破綻は,金利変動リスクと相次ぐ政府の規制緩和によってもたらされた面が強い。数年間にわたり,業界がこうした弥縫的な金融政策に対応したことが自己資本の危機(net worth crisis)を生み出したとみることができる。しかも,その危機の実態は,規制当局によって開発された会計基準によって覆い隠されたのである(Margavio 1993:p.1,Davis & Hill 1993:pp.68-69)。そこで次に,S&L危機のなかで会計が果たした役割について検討してみよう。

4 S&L危機のなかの会計

(1)簿価ベースの自己資本比率規制

 S&Lの資金源である家計の貯蓄性預金の安全を守るため,監督当局は会計数値を利用した自己資本比率を指標としてモニタリングを行っていた。自己資本比率は負債総額に対する純資産の比率で測られ,S&Lについては従来から5%を下回らないように規制されていた。この最低自己資本比率を達成できないと,支払能力がないものとみなして当局が介入し,他の健全な金融機関と合併するか清算するかのいずれかの措置がとられることになっていた。もちろん会計上,この比率は簿価ベースで測定されるため,上述した金利高騰下で経済的には債務超過に陥っていても,形の上では支払能力があるものとして存続を許されるS&Lが多かった。(注2)

 しかし,1980年代に入ると,多くのS&Lが形式上も支払い不能の危機に直面するようになり,監督当局が介入しようにも,すでにその処理能力を超えるほどに,業界の損失は大きくなっていた。そこで当局は,支払不能なS&Lがこれ以上増加するのを抑えるため,2つの救済措置をとった。一つは,自己資本比率の最低率の引き下げである。1980年の預金金融機関規制緩和・通貨管理法(Depository Institutions Deregulation and Monetary Control Act:DIDMCA)により自己資本比率を3-6%の範囲で決める裁量権が与えられたのを受けて,監督機関である連邦住宅貸付銀行理事会(Federal Home Loan Bank Board:FHLBB,以下,銀行理事会とも略記)は,まず80年10月に最低自己資本比率を4%に設定したが,翌81年12月には早くも3%に引き下げられた(宮崎1992:28-29頁)。

 いま一つの救済措置は,自己資本比率の算定ベースとなる会計基準そのものを変更することであった。それは,一般に公正妥当と認められる会計原則(Generally Accepted Accounting Principles:GAAP)から乖離する種々の会計技法を考案して,規制上の純資産を形式的に増加させることを意図しており,その意味で自己資本比率規制の実質的緩和にほかならなかった。(注3)

(2)規制目的会計基準

 一般的にいって銀行業においては,国の金融行政がその業務だけでなく会計の側面にも関与する傾向が強く,ここに銀行規制会計とも呼ぶべき独自の領域が形成される。この点はわが国の場合も同様であり,銀行の経理とディスクロージャーは,一般企業に対する商法や証券取引法の会計制度のほか,銀行法等に基づく行政措置によって規制されている。それでは,アメリカのS&L業界に対する会計規制は,どのように展開されたのであろうか。

 1980年代末にいたるまで,S&Lが当時の監督機関である連邦住宅貸付銀行理事会(FHLBB)へ提出する会計報告書の作成にあたっては,一般目的会計基準(GAAP)に代えて規制目的会計基準(Regulatory Accounting Practices:RAP)を適用することになっていた。上述した自己資本比率規制の指標となる会計数値も,監督機関が制定するこのRAPに従って計算されていた。RAPは金融行政上の目的に照らしてGAAPを修正もしくは補完するものであって,S&L危機が顕在化する以前には,両者の間に相違はほとんど存在しなかった。

(3)RAPによるS&Lの延命策

 しかし,1981年10月以降,銀行理事会はRAPの改訂を推進し,短期間のうちにそれはGAAPから乖離したものになっていった。改訂された会計ルールの具体的な内容については後述するが,そのうち最も代表的なものは,「債権売却損失の繰延」(deferral of loss on the sale of loans)と「固定資産の評価切り上げ」(mark-up of fixed assets)という2つの技法であった(Margavio 1993:pp.17-19)。

 FHLBBがこれらの会計手続を認めた意図は,報告利益や純資産を一時的にせよ引き上げることで,S&Lに自己資本比率規制をクリヤーさせ,貸付ポートフォリオのリストラを図るための時間かせぎを可能にすることにあった。その意味で,この会計政策はS&Lの延命策という性格をもっていた。また,それと並んで重要な規制当局の意図は,預金保険システムの危機を当面回避することであった。自己資本比率規制を厳格に適用し,破綻したS&Lを閉鎖・清算することは膨大な預金保険の支払いを伴うため,保険機関であるFSLICにとっても財政的に困難な選択肢であった。RAPの改訂は,結果的に,規制当局が問題解決を先送りすることに貢献したのである(澤邊1995:28-29頁)。ともあれ,こうした措置により,経営環境の悪化にもかかわらず「まるで魔法のように」欠損は消えていき,純資産が実質ゼロないしマイナスの状態にあるS&Lでも清算を免れることができた(Eichler 1989,邦訳1994:74頁)。

(4)RAPの仕組み(スキーム)

 ①債権売却損の繰延・償却

RAPの最初の改訂は1981年10月に行われた。それは抵当貸付債権の売却から生じた損失を無形資産として繰り延べ,当該債権の平均残存期間にわたって償却する方式を認めるものであった。いうまでもなく,損失の即時認識を求めるGAAPに反した処理である。このルールの意図するところは,S&Lに利回りの低い固定金利債権の処分を促して貸付ポートフォリオの回転率を改善させようとするものであった。(注4)売却収入は再び貸出しに回されて,売却損の償却費を上回る手数料収入を生み出すと考えられた(Blacconiere et al. 1991:p.172)。事実,FHLBBは,債権売却損の繰延べを認めることによってS&Lが低利の貸出債権を流通市場で売却することが可能になり,結果的に自己資本比率規制に違背することなくキャッシュフローを改善できると主張した(Hill & Ingram 1989:p.667)。

 債権売却損の繰延手続は,新たな貸付に伴う手数料収入によって年度収益を改善させるだけでなく,課税上の利得(tax benefit)を得ることを可能にした。税務上は,旧い債権に生じた売却損を計上することで,繰戻し控除方式(tax loss carrybacks)により過年度(最大10年間)に支払った税金の還付を受けることができたからである(Davis & Hill 1993:pp.69-70)。(注5)

 ②固定資産の再評価による簿価の切り上げ

 次いで1982年11月には,S&Lが保有する固定資産の簿価を鑑定価額まで切り上げることが認可された。もちろん,こうした固定資産再評価は原価主義に立つGAAPに反するものであった。この会計技法は「増価自己資本」(appraised equity capital)とも呼ばれるように,評価益によって会計上の純資産を即時に増加させたので,多くのS&Lが自己資本比率規制に抵触する可能性を減少させた(Davis & Hill 1993:p.70)。

 この増価自己資本は,金融機関が所有かつ使用しているオフィス建物の時価と簿価の差額から生じる。1970年代に,金融機関のなかには建物を売却して保有利得を計上し,新しい所有者から同じ建物のリースバックを受けることにより,純資産を「造成」するものが現れていた。FHLBBは,不動産を実際に売却しなくてもこの増価利得を計上することを許可したのである(Margavio 1993:p.17)。(注6)

 ③自己資本証書(net worth certificates)

 1982年ガーン・セントジャーメイン法により,自己資本規制の達成が困難なS&Lに対する緊急支援プログラムの一環として,預金保険機関であるFSLIC向けに「自己資本証書」を発行することが認められた。この証書と引換にS&LはFSLICから約束手形を受け取り,その額面額はRAP上の自己資本に算入される。将来,S&Lが立ち直れば,利益の計上に対応して自己資本証書は償還されるが,もし倒産すれば,その約束手形はFSLIC自身によって「回収」されることになっていた。もちろんGAAPでは,こうした証書は自己資本の構成要素として認められない(Blacconiere et al. 1991:pp.171-172)。

 ④劣後債(subordinated debentures)

 すでに1980年には,ある種の劣後債は自己資本の構成要素とすることがRAPで認められていた。ただ当初のルールでは,劣後債はS&Lの規制上の自己資本の20%以内しか算入できず,その満期は7年以上でなければならないとされていた。しかし,1982年にこうした規制は緩和され,自己資本への20%算入制限が撤廃されるとともに,満期1年以上の劣後債も発行可能になった(Blacconiere et al. 1991:p.173)。

 ⑤合併による「のれん」の処理

 当時の銀行監督当局は,破綻したS&Lを健全な金融機関に吸収させる救済合併を促進するため,RAP上の合併処理にパーチェス法の適用を認めていた。吸収合併されるS&Lが保有していた低利回りの貸付債権を市場金利で割り引いて公正価値を算出すると,ほとんどの場合,それは簿価を大きく下回ることになる。RAPでは,この差額は「のれん」(goodwill)として処理し,長期にわたって償却することが認められていた。事実上この処理は,S&Lの資産に含まれている評価損を「のれん」によって相殺することにほかならなかった。その結果,1982年には,S&L業界全体でみた「のれん」の自己資本に対する比率は,前年の6%から82%に激増したといわれる(澤邊1995:29頁)。

(5)RAPの帰結

 RAPを通じた一連の会計規制の緩和措置は,S&Lとその預金保険システムの危機を回避し,業界全体の金融投資の健全化を図るという,それが目指した公共政策の観点からみて有益な帰結をもたらしたとは言えない。RAPの改訂によって一時的にはS&Lの生存率は高められたが,かろうじて倒産を免れたS&Lの多くは,不動産開発融資やジャンク・ボンドといったハイリスクの投資を拡大していったからである。1983年以降の金利低下局面では,かつてS&L業界を悩ませた「満期のミスマッチ」(金利逆鞘現象)は収束していたが,今度はエネルギー不況に起因する不動産価格の低迷が,S&Lの不良債権の激増を招いた(宮崎1992:45-50頁)。こうした信用リスクの上昇が,80年代半ばからのS&Lの倒産ラッシュを引き起こし,この業界とその預金保険システムの崩壊につながっていく。

5 S&L崩壊後の会計規制

(1)RAPからGAAPへの回帰

 S&Lの崩壊に直面した連邦政府(ブッシュ政権)は,1989年の8月に「金融機関改革・救済・執行法」(FIRREA)を制定し,新たな金融規制システムの構築にとりかかった。それは,S&Lの監督機関をFHLBBから財務省の貯蓄金融機関監督庁(OTS)に移し,また従来の預金保険機関(FSLIC)を廃止して商業銀行とともに連邦預金保険公社(FDIC)に統合するものであった。

 さらに,既存の自己資本比率規制も強化され,その一環としてRAPからGAAPへの回帰が図られた。この背景には,預金保険の支払いによる財政負担が巨額に上ることが明らかになるにつれ,議会やマスコミの間にS&Lの危機を招いた元凶としてRAPを批判する声が高まってきたことがあげられる。とりわけ,RAPに基づいて計算された純資産額がGAAPによるそれを大幅に水増ししたたものであったことが,GAAPへの回帰を促す一因となったといわれる。(注7)

 ただ,こうした会計規制の変更は,RAPが金融危機の実態を隠蔽したことへの反作用だったのであり,必ずしも銀行会計基準としてのGAAP自体の有用性が積極的に評価された結果というわけではなかった(澤邊1995:30頁)。

(2)金融制度改革における時価評価の模索

 事実,RAPからGAAPへの回帰が行われた後も,S&Lの危機は解消せず,預金保険機構の財政状態はますます悪化した。ここに至って,議会や会計検査院の批判の矛先はGAAPへと転じたのである。批判の焦点は,GAAPが基本原則とする「原価評価・実現基準」に向けられた。この原則では金融機関の経営実態が忠実に表現されず,また経営者の機会主義的な行動に誘因を与えるというのが,そこでの主要な論点とされた。すなわち,原価主義会計は金融商品に生じた市場価値の変化を無視するため,財務諸表から金利変動リスクのシグナルを得ることができない。また,時価が簿価より高い金融資産を売却することで保有利得を実現する,いわゆる「益出し行為」(gain trading)のような会計操作を行うインセンティブを経営者に与えるというのである。

 こうした論拠に立って,もし会計基準が時価ベースであったなら,S&Lの崩壊と金融システムの混乱は事前に回避されたかもしれないとの主張が,世論を巻き込む形で展開された。S&Lの崩壊を契機として,銀行会計をめぐる議論が政治問題として浮上し,時価主義会計が金融危機を解決する方策の一つとして注目されるにいたったのである(澤邊1995:24頁)。こうしてアメリカでは,金融制度改革の一環として時価主義会計が模索されることになる。その具体的な表れが1991年の預金保険公社改革法(Federal Deposit Insurance Corporation Improvement Act)にみられる。そこでは,自己資本比率の低い金融機関に対する監督当局の早期介入措置を制度化しているが,銀行会計への時価評価の導入は,そうした金融制度改革を補完する役割を期待されていたのである。(3)金融制度改革におけるGAOの役割

 このように金融制度改革のなかで時価主義会計が脚光を浴びることになるが,その過程でアメリカ会計検査院(GAO)が果たした役割を無視することはできない。その背景には,80年代後半のS&Lの倒産ラッシュがもたらした預金保険システムの危機がある。当時,預金保険機関自体が債務超過に陥っており,これを救済するため新たに設立された整理信託公社(RTC)を通じて,今後30年間に5,000億ドルに及ぶ政府の資金援助が必要とされていた。アメリカ国民1人当たり2,000ドルに達する負担である。こうして,国家の財政支出の適法性を検証するGAOが金融制度改革に登場してくる(櫻田1995:第4章)。

 制度改革にあたってGAOが提唱したのが,時価情報を通じた「早期警戒システム」の強化である。早期警戒システムとは,自己資本比率などの財務指標を基準にして金融機関の財務の健全性を判断するシステムである。銀行監督当局は,金融機関から報告された財務データに基づいてそれぞれの金融機関を格付けし,格付けのランクに応じて業務改善命令などの是正措置をとる。早期警戒システムでは,財務諸表情報の適正性や信頼性はもちろんであるが,とりわけ適時性が強く求められる。しかし,原価主義に立つ現行会計基準には,金融機関の財務状況に関するタイムリーな情報を提供する上で重大な制約がある。原価評価・実現基準のもとでは,金融資産の価値変動による損益の認識を遅らせるからである。こうしてGAOは,銀行監督目的に適合する情報開示システムとして,「公正市場価値」(fair market value)の開示により原価主義会計を補完するシステムを提唱するのである(US Accounting Office, 1991)。

(4)FASBの「金融商品プロジェクト」

 時価主義会計ないし公正価値会計を模索する際の金融システムの安定という視点は,GAOだけでなく,証券取引委員会(SEC)や財務省といった他の規制当局の共有するところでもあった。なかでもSECは,当時のブリーデン議長が議会証言(1990年9月)で金融監督目的にとっての原価主義会計の危険性と時価情報開示の有用性に言及したり,各界代表を集めて「時価主義会計コンファレンス」(1991年11月)を開催するなど,時価主義導入の議論に積極的なイニシアチブをとっていく。SECの参入は,この問題が金融機関という一業界の枠を越えて,一般事業会社を含むアメリカ会計制度全体に拡大されることを意味していた。こうしてS&Lの崩壊に端を発した銀行会計規制の再構築は,金融投資の測定と開示のための新たな一般目的会計基準(GAAP)を形成する方向へと,その姿を変えていくのである。

 金融投資の時価情報開示に対する期待(とりわけSECのプレッシャー)に応えて,GAAPの設定主体である財務会計基準審議会(Financial Accounting Standards Board:FASB)は1986年に「金融商品およびオフバランス金融問題」プロジェクトを発足させた。そのプロジェクトは,(1)金融商品の開示,(2)金融商品の認識と測定,および(3)負債と持分の両方の性格をもつ金融商品という3つの段階に分けて推進されており,これまで(1)と(2)については,その成果が一連の財務会計基準書(Statements of Financial Accounting Standards:SFAS)として公表されている(Razee & Lee 1995)。かいつまんでいえば,(1)はディスクロージャーの面で金融商品の時価(ないし公正価値)評価を拡大しようとするもので,SFAS第105号「オフバランス・リスクを伴う金融商品,ならびに信用リスクの集中を伴う金融商品に関する情報の開示」(1990年3月)および第107号「金融商品の公正価値に関する開示」(1991年12月)がこれに属する。また,(2)では利益の測定に結びつく財務諸表本体での公正価値の認識が構想されており,これには短期売買目的の有価証券に時価評価を導入するSFAS第115号「負債証券および特定の持分証券投資の会計処理」(1993年5月),および貸出金について予想キャッシュフローの割引現在価値による評価を導入する第114号「債権者による貸出金減損の会計処理」(1993年5月)が含まれる。(注8)このように最近のアメリカの財務会計では,銀行を含めたすべての企業を対象に,その金融投資の成果とリスクの実態を開示するという観点から,金融商品の時価とその変動の情報に焦点が当てられている。金融規制の枠組みを越えて,広く会計制度全体のなかに市場規律をどのように反映させるかが模索されているのである。こうした動向に,1980年代のS&Lの崩壊に端を発したアメリカの金融危機が重大な契機を与えたことを見逃してはならない。

〔注〕

(1)アメリカの預金取扱金融機関は商業銀行(commercial bank)と貯蓄金融機関(thrift)の2つに大別することができる。商業銀行は,短期決済性の要求払い預金を集め,それをもっぱら短期の貸出に運用するのを原則とする銀行である。貯蓄金融機関は,貯蓄性預金を主たる原資として,モーゲージ・ローン(不動産担保貸付け)を供与する金融機関の総称で,貯蓄貸付組合(savings and loan:S&L)と相互貯蓄銀行(mutual savings bank:MSB)が含まれる。貯蓄金融機関のなかでは,S&Lが機関数で78.9%,預金額で81.3%を占めている(90年9月現在)。預金保険との関連でみると,従来,貯蓄金融機関は連邦貯蓄貸付保険公社(Federal Savings and Loans Insurance Corporation:FSLIC)に加盟していたが,1989年2月の制度改革により,商業銀行とともに連邦預金保険公社(Federal Deposit Insurance Corporation:FDIC)に統合された(宮崎1992:22-26頁)。

(2)1980年には,インフレ率と市場利子率がともに12%を超えていたのに対し,S&Lの貸付ポートフォリオの平均利回りは8.8%にすぎなかった。ということは,貸付債権の市場価格を仮に計算したとすると,資産の時価評価額が簿価よりもはるかに小さくなっていたということになる。もしすべてのS&Lが保有債権を時価ベースで計算したとすれば,1980年における業界全体の純資産はマイナス175億ドルになったと推定されている(Eichler 1989,邦訳1994:44頁)。

(3)銀行の会計規制に,「信用秩序」の維持という行政上の観点から変更を加える傾向があるのは,わが国もその例外ではない。経営の悪化した金融機関に会計基準の変更による救済措置を適用した事例としては,国債の大量発行に伴う時価の低落に対して,原価評価の選択による評価損の先送りを認めた1980年の措置や,バブル崩壊後の92年に,中間決算で株式評価損の償却を先送りする方式が認められたケースがあげられる(斎藤1994:239-240頁)。

(4)S&Lが保有する低利回りの貸出債権の多くは,当然,時価が簿価をかなり下回っていた。GAAPのもとでは債権を売却した年度に損失を一括して計上しなければならないので,こうした債権の処分が多額に上ると,結果的に債務超過に陥るおそれがあった。こうして,低利回りの貸出債権はS&Lのポートフォリオのなかに事実上「塩漬け」にされていたといわれる(Davis & Hill 1993:pp.69-70)。

(5)貸出手数料を当期利益に算入する実務は,SFAS 第91号「貸出の実行または購入に伴う返却不要手数料および関連費用,ならびにリースの当初直接費用の会計処理」(1986年)により禁止された。しかし,この基準書以前は,多くのS&Lは貸出金の3%までの手数料を当期利益に算入する実務に従っていた。これはS&Lの当期の利益を将来の利益の犠牲において著しく増加させるものであった。しかし,さしあたり倒産せずに生き残ることが1981年当時の業界にとって最大の関心事だったのである。

(6)ある実証研究によれば,改訂RAPの2つの会計方法(損失繰延べと資産切り上げ)を採用したS&Lの方が採用しなかったそれよりも倒産したものが少ない。また,存続したS&Lでは,当該会計方法を採用した機関の方が採用しなかった機関よりも1980年代半ばにはより高い資産収益率(ROA)を上げた。しかし,これは採用機関が非採用機関よりもハイリスクの投資を増加させた結果であり,1988年までにはそれらの投資からの損失が実現しROAがより低下するにいたったといわれる(Davis & Hill 1993)。

(7)RAPをベースに算定した自己資本に対するGAAPベースの自己資本の割合は,平均して1981年末で0.95,82年末および83年末で0.76,85年末で0.73になるとの試算がある(Blacconiere et al. 1991:p.170)。

(8)米国財務会計基準(金融商品)研究委員会『金融商品をめぐる米国財務会計基準の動向』(財)企業財務制度研究会,1995年で詳細な解説と検討が加えられている。

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